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「JASRACは単なる機能」なんて原則論はもっともらしく聞こえるけど、
これが日本の音楽を殺すことは結果的に変わらない

ついでに公取委のことなんかも・・・



「JASRACは単なる機能」なんて原則論はもっともらしく聞こえるけど、これが日本の音楽を殺すことは結果的に変わらない

こういうエントリを見つけた。
JASRACが本当に搾取したもの | デジタルマガジン
もう説明の必要もない。
日本の音楽というのはこうして頓死の方向をたどっていくのだなと思う。
これは「単なる個人の恨み言」と片付けていたブクマコメントも見かけたが、それは考え違いもはなはだしい。

音楽のクリエータというのはすべからくこういうところから生まれてくるのだ。
それは過去の音楽史を学べばすぐに分かる。
大作曲家も演奏家も最初はアマチュアだったのだ。
誰が優れた作曲家になるか、優れた演奏家になるかということは事前に予測することは不可能だ。
そういう人物は広い音楽の底辺からいつも突然彗星のように現れる。
だから音楽の文化の底辺というのは常に幅広くアマチュアに開放されていなければならないのだ。
これは音楽に限ったことではなく、映画にしても美術にしても全ての創作的文化は同じことだ。

アマチュアは自分が好きな音楽を模倣することから始まって、そのうちそこに何か違うものを融合することによって音楽は常に新しいムーブメントを生み出す。
音楽は何もないところから突然生まれたりはしない。
常にそういうところから新しいものが生まれてくる。

ところが既存の音楽利権産業とその走狗のJASRACのような音楽利権団体は規制することにばかり躍起になって、アマチュアのプレイヤーがコピー音楽を演奏するのに法外の
「音楽使用料」
を課金して事実上それを禁止してきた。

その結果何が起きてきたかというと、アマチュアのボトムの萌芽をことごとく摘んでしまい、そういう人達は一般ユーザとして音楽を消費するだけの存在と規定してしまった。
消費せよ、演奏すべからず。
音楽はクリエータが作る。
クリエータの権利を守れ。
クリエータ以外の人間はありがたくその音楽を消費しろ・・・・こういう構図が出来上がってしまった。

その結果どうなったか?

その構図に反発する連中はWinnyで音楽を共有しているのかもしれないが、そんなものはごく一部の話で、それよりも音楽に関心を失った音楽アパシーを大量に生み出している。
このエントリを書いた方もそうだし、私もそうだ。
アパシーは音楽を消費したりなんかしない。
なぜなら音楽がどうなろうが知ったこっちゃないし、音楽にはもう興味がないから音楽が無くなったって気にもかけない。

だから基本的には日本の音楽産業がどうなろうが知ったこっちゃないし、滅びるなら勝手に滅んでくれ、日本の音楽産業が全滅したって誰も困らない、鉄鋼産業や海運産業が滅びたら困るけど、音楽業界なんか死滅したところで痛くも痒くもない・・・という思いしかない。

日本の音楽文化の興隆を願うなら、こういうMIDI音楽を公開するアマチュアに対しては逆に奨励金を出してあげても良いくらいだった。
それは極論としても、法外な「音楽使用料」を請求してことごとく叩きつぶすのは文化の頓死に直結するということがなぜ分からないのだろうか?
音楽のクリエータというのはみんな音楽大学を出て直接レコード会社に入社して、ブロイラーのようにヒット曲を量産しているなんて本気で考えているんだろうか?

文化の底辺の厚みがなければその頂点に立つクリエータのレベルもしれたものなのだ。
現に今の日本の音楽状況が既にそういう様子を呈し始めている。

「JASRACは単なる機能だからそれを搾取者のようにいうのは筋違いである」というようなエントリを以前にもここで批判した。
JASRACは単なる機能であるというのは一面の真実ではある。
でもそれは人間がすることだ。
JASRACは民間企業のような体裁をなしているが、その実態は文部科学省の天下り団体である。
その歴代の幹部の来歴を調べればすぐに分かる。

文部科学省と業界の護送船団方式のもたれ合いの構図で生まれてきた一種の受け皿がどう機能するかはこのリンク先の記事を見れば自明だ。
音楽消費者とアマチュアはこういう連中を喰わせるために法外な音楽使用料を支払っているのだ。
CD一枚のJASRAC取り分がたった10円だなんて数字のマジックで納得していていいのだろうか。


<追記>

それと先日公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いでJASRACに調査に入ったことで一部の人たちが喝采しているが、いまさら何を言っているのだろうというのが正直な感想だ。
昨年だか一昨年だかに公取がマイクロソフトに調査に入ったときも同じような感想を持った。
そういうことをするんだったら10年前にやれよ、いまさら独占禁止法違反だとかいったって
「お上のご意向である。フトトキ千万である。恐れ入れ。」
「ははっ、恐れ入りました。」
という江戸時代の「恐れ入れ」の刑罰*のようなものだ。

とても形式的で実効性があるとも思えない。
マイクロソフトもJASRACもいまさら解体できるわけでもなし、解体できなくなってからさすがに調査にも入らないのはまずいから、一応調査する、恐れ入れ、というようなものだ。


解体はこういうお上の権力から始まるのではなく、下部構造の変化から始まるだろう。
これも常に歴史が前例を示してきた通りだ。



註*
これは確か司馬遼太郎の小説で知った江戸時代の刑罰だ。
裁判で受刑者の処分に困ったような場合、あまり判例は多くないが
「恐れ入れ」
という刑罰があったそうだ。

これはお白州で奉行が
「まことに不届き千万である。恐れ入れ」
というと、刑罰を受けた人は
「恐れ入りました」
と言えばいいというものだ。
誰かが張り付けになるわけでもなく、牢屋にぶち込まれるわけでもない。勿論罰金なんかも一切徴収されない。
ただ単に「恐れ入りました」と言わされるだけだ。
それで「お上からお叱りを受けた」という記録が残る。
それだけの刑罰だ。

勿論確かに武家社会では「お上からお叱りを受けた」というのは大変不名誉な記録になるに違いない。
しかし商人や町人にしてみれば、そんな刑罰は何の意味もない。
「言うのはタダや、なんぼでも言うたる」
と腹の底で舌を出しながら「恐れ入っ」ていた商人はいるかもしれない。




2008年5月2日
















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