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なんちゃってなIT用語辞典11

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny


IT

Information technology


今さらと思うような言葉だが、よく考えるとどういう意味かよく解らないという言葉があるものだ。
このITという言葉もそうじゃないかなと思うわけだ。

1980年代のコンピュータブームの時にはハイテク産業という言葉が使われた。
最初はハイテク・イコール・コンピュータだったのだが、ハイテクブームになるとコンピュータだけがハイテクではないとばかりに、メカトロやバイオなど多くのジャンルに拡散していった。
しかし当時のハイテクブームがコンピュータから始まったのは間違いない。

しかしCAPTAINなんていう新聞社主導のコンピュータ情報ネットワークはかけ声倒れで、

結局当時の推進派の人たちが言っていたような「社会の姿を変えるような革命」にはならなかった。



これは個人レベルのコンピュータの捉え方とも何となく一致するのだが、世間も
「コンピュータなら何でもできる」
と信じこまされた1980年代前半の狂躁が過ぎると
「コンピュータって意外に何もできない」
という認識に変わったはずだ。

そういう時代が過ぎて1990年代に入るとアメリカではシリコンバレーのガレージから次々と大企業が出現しインフォメーションテクノロジーを制するものが21世紀の産業を制するという見出しがちょくちょく使われるようになってきた。

しかし21世紀的なビジョンというのは、かつてはもっと重厚長大型の夢を思い浮かべていなかっただろうか?

例えば小学校を卒業する頃に
「21世紀の生活を想像して絵を描いて見なさい。テーマは自由です。」
と言われて30年後の未来を想像した小学生の絵は大抵、ロケットで月旅行が楽しめるとか、何層にも立体的になった高速道路を飛行機のような未来の車で走れるとか、超高層ビルが並ぶとか、原子力飛行機や原子力客船などが走っているとか、そういう絵を描いた子が大部分だったはずだ。

ところが現実には21世紀になってもう4年も過ぎてしまったが、原子力飛行機なんて一機も飛んでいないし、飛びそうな気配も無い。

高層ビルと立体高速道路は現実になったが、そこを走っている車は30年前と同じように車輪が4つついていて、人間がハンドルを回して運転している。
月に最後に行ったのは1970年代のアポロ17号で、それ以降月の地面を踏んだ人間は一人もいない。

あと未来ビジョンでよく出てくる話でいうと、未来の服は縫い目の無い銀色のスパンデックスに変わるというのも、実際は30年前と同じような木綿、ポリエステル、ウールの服を着ている。
天候をコントロールできるようになり食糧問題を解決できるというのも、実現がほど遠いのは30年前とあまり変わらない。

結局30年前に夢想した重厚長大な夢は高速道路をのぞいてはほとんど実現していないわけだ。 それではこの30年間で一体何が変わったんだろうか。

それは情報通信システムだということになる。

情報通信テクノロジーはこの30年で、その技術も通信量のような数字的スペックも等比級数的に成長しているということになる。

しかしそれで生活がどういう風に変化したかというのはなかなか実感できない。
原子力飛行機ができれば確かにすぐにそれは実感できるのだろうけど、通信システムといわれてもそれが何の役に立っているのか解りにくいのだ。


ましてやその情報通信を効率化するための情報通信とか、エンドユーザのためというよりは情報産業同士お互いのためのテクノロジーがいっぱいあって、
「情報産業は大きく成長する産業だ。」
といわれても何が原動力になって成長するのかよく解らないというか、通信のための通信、技術のための技術が増殖していく蛇がしっぽを喰っているような構造なんじゃないかと見えていた時代が長く続いた。

だから90年代のIT革命というのはどうもいかがわしく見えたのは事実ではないだろうか?



消費者が最終的に買うから産業は発展するのだ。
消費者がなんの役に立っているのかよく解らないという産業は、本物の実業といえるのかどうかよくわからなかった。

その通信産業が大きく生活にもかかわってきたという変化を感じる節目は2回あった。
その一回目が1993〜4年のインターネットの普及と1998年のiモードのヒットだった。
こういうことがあるとようやく通信産業がライフスタイルを変える可能性があるという話にもリアリティを感じられるのだが、初期のインターネットサービスはほとんど無料サービスだったのでやっぱり何が利益を生んでいるのかが解らない。

「無料だろうがなんだろうがまず普及しなければ意味が無いから、普及することがビジネスモデルなのだ」なんていう説明を聞くとやっぱり蛇が自分のしっぽに食らいついているような図が浮かんでしまう。


結局実態の見えないIT革命はITバブルの崩壊のような失望を呼び、1980年代のように
「結局はインターネットで世界中のHな画像が見られるようになったというだけで別にライフスタイルが変わったわけではない」
という結論になってしまうのだろうか?
また
「個人がITに投資した費用って、めったに使わないパソコン一台分の支出だけ」
というかつてのCAPTAINのようなことになるのだろうか?


結論から先に書くと90年代のIT革命は別にいかがわしいものでもないし、10年前から準備をしていたものがやっと花開くというのが本当の技術の積み重ねなのだ。
その技術の成果だけを輸入して、IT先進国だなんていっていたどこかの国がすぐに没落したのを見ればそれは明らかだ。


IT業界ウォッチングをしている人に言わせれば、IT革命なんていうのはこれまではまだ道程の1割を過ぎたばかり、やっと第1フェイズが終わったところということらしい。

彼に言わせるならば、ITバブルが弾けてアメリカの投資家も日本の投資家も熱物に懲りて膾を吹いているという状態だということだ。
「ITが再び産業をリードするなんていうことはもう二度とない」と言う人もいるが、さすがに私はそういう意見には賛成できない。

IT関連の技術が伸びてこなければこれから他に産業を引っ張っていくような目玉製品を生み出せるものなんてそういくつもないと思う。
しかし、ITは騒がれ過ぎて実際に実業として利益を出せるビジネスモデルをなかなか生み出すことができていないという気もする。
それはコンテンツ産業、ネットサービスなどというソフト産業だけでなく、ハードウエアメーカーですらそうだったと思う。

ところが先のITウォッチャーによると、今になってやたらシリコンバレーのIT企業が元気になってきているそうだ。


これまでのITというとパソコンをメディアとしたネットワークの普及期だったので、結局その成長はWindowsとintelの成長と連動していた。
IT産業を評価する時はintelのCPUのクロック数がどれだけ上がったか、集積度がどれくらい高くなったかだけ見ていれば良かった。

しかしインターネットが第2フェイズに入りはじめているという。

そのためにこれからは、intelのCPUのクロックスピードではなく、ネットワークプロセッサの性能、ネットワーク機器のハードソフトの性能というところに注目点が変わるということだ。

その理由はベストエフォート型だったインターネットのスペックがギャランティー型に移行しはじめるということだ。

どういうことかというと、そのスピードが保証されるということだ。


これまではインターネットの課題はラストワンマイルだといわれていた。

インターネットが単なるメールなどのテキストをやり取りするメディアから、映像や巨大なセキュリティ情報を含むパケットなどの非テキスト通信に生まれ変わるには、従来の28.8または56kbps(ビットパーセカンド、つまり2進数の情報を1秒間にいくつ送れるかという単位。56kbpsは1秒間に56000個のデジタル信号を送れるということになる)のダイアルアップ接続では遅すぎるといわれていた。

それでブロードバンド化ということがいわれていた時に、一番問題だったのは最寄りのプロバイダーのアクセスポイント(インターネットにはいる入り口の接続点)までの速度が一番ネックだった。
この距離がどこも1マイル程度のことだったのでラストワンマイル(最後の詰めという意味もある)と言われていた。
それが例の「yahooショック」を契機にADSL等の高速接続が急激に普及し、FTTH(Fiber To The Home、つまり接続ポイントまでを光ケーブルで結ぶこと)も普及しはじめてラストワンマイルの問題は急速に解決しはじめている。


しかしラストワンマイルが解決したはずなのに、インターネットサービスは別の問題を抱えている。

32MbpsのADSLと言われて契約しているのに、実効速度を測ると3〜4Mbps位しか速度が出ていない。100MbpsのFTTHとして契約しているのに実効速度は9〜10Mbps程度だ。

誰に訊いてもそうだと言うし、インターネットというものはこういう物だと思っていたが実は違う。

もしこのサイトを置いているgeocitiesのサーバからあなたのパソコンまでの間の全てのサーバ、ケーブル、リンクソフトが100Mbpsに対応していたらあなたはこのサイトを100Mbpsで見ることができるのだ。(そんなスピードが要求されるほどのサイトでもないが...)
ADSLだって32Mと言われれば絶対32Mbpsの速度が出るはずなのだ。

それがなぜ出ないかというとその途中のルートで性能の低いサーバが使われていたり、トラフィックが集中するところがあったりで、どこかにボトルネックになる部分があるからだ。

インターネットは別項にも書いたが、もうスタートして35年も経つ歴史あるネットワークだ。
かつては電報のような短文をやり取りしていたネットワークで、つい10年前まではテキスト前提のネットワークだった。いきなり高速化しているためにインフラが高速化に対応できていない部分がある。
早い話がもう老朽化が始まっているのだ。
機械が壊れかけているのでなく、時代の進歩に追い付けていないわけだから陳腐化と言うべきか。

だからそういうインフラを次世代ネットワークに置き換えるというビジネスが今活気づいているそうだ。シリコンバレーの連中がここに来てまたにわかに元気になってきているのもそういう理由からだ。



ラストワンマイルが整備され、皆がブロードバンドの便利さを実感する時代がやっと来始めている。そんなもの感じないと言う人もIP電話は知っているはずだ。
IP電話なんか使っていないと言う人もいるかもしれないが、マイラインの指定の時に県外電話は割安だという理由でフュージョンコミュニケーションを契約しなかっただろうか?
あれはIP電話を使っているので全国どこでも市内電話のような料金で通話できるのだ。


インターネットがベストエフォート型で済んだのはその通信がメールなどのテキスト中心だった時代だ。
メールは細かいパケット(情報を宛先付きの小包に分断して送るインターネットプロトコルの通信法)にして送った場合、そのパケットはどのルートを通って目的地に着くかは全く予想できない。
ということはA、B、C、Dの順番に送ったパケットは、目的地ではB、D、A、Cという順番で到着するかもしれない。
しかしテキストは別にタイムラグがあっても最終的に読めればいいので、これが問題になることは無かった。

しかし電話ということになるとこういう訳にはいかない。
電話のような連続性が要求される通信にはやはりちゃんとA、B、C、Dという順番でパケットが到着しないと困るわけだ。

厳密には電話でもパケットの乱れは起こるので、それがIP電話通信の品質に関わってくるわけだが、充分高速な通信速度が保証されていればそのパケットの乱れは無視できる範囲に収まってくる。

つまりIP電話がインターネットのインフラそのものを更新する原動力になりつつあるということだ。



「インターネットは電話という通信網から解放されることで高速化していく」
という言葉をクアルコムジャパンの松本社長から聞かされたことを思い出した。

厳密にはADSL等の技術はまだ完全に電話から親離れしているわけではないが、電話通信というネットワークはもう過去の物になり始めている。
そして今インターネットという新しいネットワーク技術が生んだ新しい電話技術がインターネットの次世代化の原動力になり始めている。

ブロードバンドの目玉コンテンツは、映画配信だとかマルチメディアネットワークだとかさんざん言われていたのに、結局一番オールドインターフェイスの電話がIT推進の原動力になっているわけだ。

アイロニーだともいえるし、だからITの恩恵は気がつきにくいということなのかもしれない。






PDC
GSM
TDMA


Personal Digital Celluler
Global System for Mobile Communications
Time Division Multiple Access


音楽に詳しい人は皆知っている話だが、今世界で一番プロの音楽家に愛用されているピアノはスタンウェイやベヒシュタインではなくヤマハやカワイのピアノだ。

このピアノというもっともヨーロッパ的な楽器が世界で一番沢山生産されている国は、地球の裏側の日本という国だ。
生産量が多いだけでなく、ヤマハのカスタムメードのグランドコンサートピアノはその音鳴りの良さから世界中の一流音楽家に愛好されている。
しかもその生産工場はほとんど静岡県に集中している。

でも考えたら不思議なことではないだろうか?
なぜ極東の小さな島国が世界でも一流の楽器を生産できるのだろうか?


これは日本が長らく鎖国をしていたことと関わる。

日本は徳川時代のはじめに鎖国政策をしいた。
その詳細は教科書にも書かれているが、この中で重要なのは商品貿易を長崎に限定しその数量も規制したということだ。
当然海外製品が流入して国内産業を圧迫するなんてこともない。必要な物はほとんど国内で生産しないといけない自給自足経済ということになるが、異常な安い値段の海外製品や圧倒的な高品質の輸入品で国内の産業が潰されるということもない。

この試験管のような環境の中でゆっくり熟成されたのが日本の工芸技術だ。

特に隠居した後の徳川家康の居城として新たに普請された駿府城の造営のために、全国から静岡県に木工、金物細工、瓦職人、陶芸などの職人が呼び集められた。
そのうちの多くは静岡周辺に住み着き、例えば三島の寄木細工や浜松の差し物等の工芸品を生み出していく。

この場所は大井川や天竜川などの水量豊富な川があり、これが県北の山系から切り出した木材を運ぶ水路になった。
また東海道という当時世界有数の交通量を誇っていた道路がここを通り、こうした工芸技術を育てる文化も往来した。

鎖国経済でなく、もし海外から自由な文物が入ってきたらこの地域の産業はもっと違ったものになっていたかもしれない。
しかし200年間この地域は精緻な木工技術を育て上げることに専念できた。

明治の開国以降は西洋からの文物が入ってきて、やはり伝統的な工芸は大きな影響を受けることになった。しかし既に十分なバックグラウンドを持つこの地域は、その技を何に使うかという工夫をすれば良かった。

その工夫をしたのが日本楽器(現ヤマハ)の創業者の山葉虎楠だ。
オルガンの修理業からスタートしたこの人物は、やがて国産オルガンを自らの手で作ることを思い立ち、その木工技術を差し物師に相談するうちにそうした職人たちを多く雇い入れて西洋楽器全般を生産する工場を造るにいたった。

これが今日の、浜松の世界的な楽器産業集積地につながる。



この頁の目的は日本の木工技術について書くことではない。
「鎖国政策が日本に政治・経済の決定的な遅れ・停滞を招き、これを取り戻すために明治以降の日本は多くの犠牲を払った」というのが教科書的な史観だが、はたして本当にそうだろうかということを書きたかった。


これと似たようなことが実は数年前の日本でもう一度起きている。



携帯電話がかつてのアナログ方式から、第2世代と呼ばれるデジタルに移行したのは帯域不足が主な理由だと前にも書いた。
アナログ携帯電話のAMP方式は、とどのつまり双方向ラジオというかトランシーバーのようなもので、トランシーバーは双方向が同じ帯域の電波を使うので一人が話している時は、もう一人は発信を切って相手の電波を受信しなければいけない。
しかし双方向がそれぞれ違う帯域の電波を使えば切り替え動作も必要なく、有線の電話のように双方向に同時にしゃべることができる。

アナログ電話はこういう2帯域を使うトランシーバーとしてスタートしたが、これではすぐに電波の帯域が足りなくなることが解ってきた。

そこで決まった帯域に複数の人が同時にアクセスできる方法が考えられた。
わかりやすく簡略化して言うと、デジタル化することで1秒分の音声は0.3秒で送信できる。
そうすると同じ帯域の電波を時間で割って3人で同時に使うことができるようになった。
これがTDMA(時間分割マルチアクセス)方式だ。

この第2世代電話はアメリカのTDMA、ヨーロッパのGSM、日本のPDCという3方式が乱立した。
かつてこのテーマの取材にかかる時に「この3方式はどういう違いがあってそれぞれどういうメリット、デメリットがあるのか」ということを調べようとしたが、どういう解説書にもそういうことが書かれていない。
勿論携帯電話について特集したビジネス書ではそういう記述は全く皆無だった。

PDCとは直訳すると個人単位のデジタルのセルラーということだが、これでは意味が解らない。
セルラーというのは、各基地局がカバーするエリアを細胞に喩えてセル(細胞)が集まってハンドオーバー(引き継ぎ機能)する無線電話ネットワーク網という特別な機能の電話なのかと解釈していた。
そうするとヨーロッパ方式のGSMの意味がもっと分からない。
「モバイルコミュニケーションのための地球規模のシステム」という実に大層な名前が付いている。

結局この3方式はお互いに特許などを譲り合わなかったためにわずかな違いで規格を統一できなかっただけで、本当はどれも同じ時間分割マルチアクセス(TDMA)なのだということが後に分かった。


ところでヨーロッパ、アメリカ、日本でそれぞれスタートしたこの方式だが世界ではどれだけ採用されているかというと、アメリカのTDMAはアメリカ以外では一部のアメリカ大陸諸国ということになる。日本のPDC方式は結局日本だけでしか採用されなかった。
残りの世界百数十か国はほとんどヨーロッパ方式のGSMを採用することになった。

そうするとどういうことが起きるかというと、日本のビジネスマンは海外出張で携帯電話を使いたい時にはそれを借りなければいけないということだ。
アメリカのビジネスマンもそういうことになる。
しかしヨーロッパのビジネスマンは世界のほとんどの国で自分の携帯電話を持っていって、そのまま通話ができる。
これを国際ローミングというが、PDCを海外に売り込むことに不熱心だったNTTドコモなど日本のキャリアは、ヨーロッパの勢力が統一規格で大きなメリットを取っているのを指をくわえて見ているしか無かった。
そのかわり日本ではNTTドコモを始め、ほとんどのキャリアがPDCを採用した。
DDI/IDOがcdma Oneを採用するまでは事実上PDCしかなかったといっていい。
これは明らかに護送船団方式だった。
日本の通信事業者を守るために政府が肝いりになって、この採用を各キャリアに強く働きかけたということじゃないだろうか。
おかげで海外の携帯電話事業者は日本に入ってくることができなかった。

つまりこれは鎖国だ。


ヨーロッパのGSM陣営が世界中でシェアを取っている間、日本のキャリアは日本でしか使えないPDCという鎖国政策で国内の企業を守ったために、世界標準になったGSMから大きく遅れをとるという失敗を犯した。
こういう評価もPDC陣営に対してはある。

しかしこの鎖国政策も本当に失敗だったんだろうかと思う。


確かに世界標準は取り損ねたかもしれないが、そのために国内標準の規格で統一できたし、海外事業者との無用な競争にさらされることが無かったので、日本のキャリアは0円ケータイをやってみたり、iモードをやってみたりという体力が充分あった。

(海外には0円ケータイなどというものは存在しない。
ヨーロッパには70%以上のケータイ普及率を誇る国があるが、こうした国では皆ユーザが数万円の現金を払ってケータイ端末を買うのだ。
ケータイがただで手に入るなんていう国は世界で日本以外には無い。日本では0円ケータイは当たり前すぎて、そういうものが海外には無いというのは逆にあまり知られていない事実なのではないだろうか。
それが公正な取り引きといえるのかどうかという問題はあるが、でも歴史的な長期不況にありながらあっという間に国民の二人に一人がケータイを持つほど普及した原動力はこの0円ケータイだったことは間違いない。これも鎖国政策の恩恵のひとつだと思うわけだ。)


このiモードなどのヒットが、ケータイは情報通信端末としても充分商売になるということを世界で初めて証明したわけだ。

当時のスウェーデン・エリクソン社のナンバー2、マッツ・ダーリン副社長にインタビューした時にiモードの印象を訊いたのだが
「iモードのヒットというニュースを聞いた時に、私は本当に興奮した。
なぜならiモードのようなデータ通信ビジネスは可能なのではないかと、私もこの20年間ずっと考え続けていたからだ。」
と語っていた。

このiモードがデータ通信ビジネスで成功したということは、実は世界中の通信事業者をどれだけ勇気づけたか分からない。

それくらい海外のベンダー、キャリアともこのビジネスについては五里霧中という状態だったからだ。


そしてそれが成功したおかげで、日本は第3世代携帯電話でも世界最初の実用実験場となった。
今世界中で第3世代携帯電話がこれほど普及している国は無いし、それが商業ベースに乗っているという国もまだ無い。
そのアドバンテージを活かして様々なモバイルネットワークの技術が日本で生み出されている。
まさにこれが日本が世界をリードしている産業になり始めているのだが、

ここまで来ることができたのは、あのPDC鎖国時代があったからだということはできないだろうか。


護送船団方式は良い政策とはいえないかもしれない。

しかし産業がまだ十分着床しない初期の段階には鎖国政策も悪くないのかもしれないとも思っている。


徳川幕府がそこまでのビジョンを持っていたとは到底思えないのだが、しかし巧まざる「ファインプレー」というか偶然善政になったというようなことなのかもしれない。


ところで第2世代のこのPDCなのだが、スペックを見ると
周波数帯
800MHz/1.5GHz
ハーフレート5.6kbps、フルレート11.2kbps
データ伝送9.6kbps
というようなことが書いてある。
後に出てきたPHSはPDCの廉価版で低品質バージョンと思っている人が多い。

しかし実際には低品質なのはPDCの方なのだ。

電話としての品質もPHSの方が高いし、データ通信速度もPHSの方が高い。
PDCがアドバンテージがあるのは、ハンドオーバーが安定していて切れにくいという点だけだ。
これは技術的な問題というよりもむしろ法律的な問題で、PHSは強力な電波を発信してはいけないのでひとつのセルラーが狭くなる。
そのために移動中はハンドオーバーが頻繁に起こるので切れやすいということだけだ。

この節余談ではある。



2004年4月13日












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