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なんちゃってなIT用語辞典10

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny


ネットワーク/メッシュ

Network/mesh network


インターネットという言葉が出始めた時に、この言葉がネットと約されることもあってその構造は網の目状だという誤解が結構あった。
網の目状という日本語も実際使われたし、どういう状態が網の目状かというのも曖昧なままこの言葉は使われていた。

しかし同時に普及したワールドワイドウェブ、またはwebという言葉があらわすように、その姿は網の目状じゃなくて蜘蛛の巣状というイメージも若干流布した。

実際にはこちらの方が現実のインターネットの姿を正しく表現していると思う。

日本を中心としたインターネットのネットワーク図というのをある取材先で見せてもらったのだが、その姿はある拠点を中心に放射状に広がっている部分と、その拠点をつないでいる幹線によって成り立っている。

問題なのはこの拠点の中心の部分だ。

日本の場合、この幹線の終着点の拠点の大部分が東京周辺に集中している。
その東京の拠点から全国に蜘蛛の巣が広がっているような姿をしているのだ。

この姿は様々なリスクをはらんでいる。
まず大きいのは震災などの災害の場合。
東京が壊滅すれば日本のインターネットはかなりの部分が死んでしまうということがこのネットワーク図でよく解った。

また幹線と蜘蛛の巣の接点が意外に少ないのも気になった。
ということはテロなどの人災にも弱いということだ。

それにこの形はある特定の部分にトラフィックが集まりやすいという問題も意味する。

つまり昨年のMSBlastのように爆発的に流行しはじめるとネットワークに負荷をかけるというタイプのウイルスが出ると、たちまちダウンしやすいという構造になっている。

MSBlastは感染するとその感染したコンピュータを足がかりにして、次の感染先を探すためにネットワークに繋がっている全ての機器にスキャンをかけるという動作を始める。だから感染したWindowsはすぐに動作が重くなりはじめるし、そのネットワークにはすごい数のpingが飛び交うわけだからネットワークのトラフィックもどんどん大きくなる。

そういう無茶なトラフィックが、もともとボトルネックがある、つまりどうしても同じところを通らないと他のセクションに行くことができないという隘路を抱えたネットワークにかかると、結局そこからダウンすることになる。



昨年はそういうことが実際には起きなかったが、これからもないとは言い切れない。
「もっとこの拠点の数を増やせ」というのが日本のインターネットの安全保障上必要な対策だとその図を見せられた時に感じたことなのだが、

そういう拠点を全国あちこちに散らして作るというのは言うは易しだが、実際には問題がある。


その費用を誰が見るのかということだ。
ITビジネスは、特にプロバイダのようなサービス関連のビジネスは本当にビジネスになるのかどうか今の時点でもよく解らないところがある。
IIJのような日本のインターネットの草分けが事業に失敗して、撤退するような事態を見せられると、やっぱりこのビジネスは難しいんだなと思わされる。

そういう問題の解決策になるのかどうか、よく解らないが最近話題になっているのがメッシュ状のネットワークだ。

これは文字どおり本当にネットワークを蜘蛛の巣状から網の目状に変えていくということだ。



先に上げたネットワークそのものの脆弱性は解決できる。
隘路になる拠点が無くなって網の目状になれば、その網の途中に大きな穴があいたとしてもいくらでも迂回路ができるからだ。
また多くのトラフィックが集中する場所が無くなれば、全体としても通信は安定するし天災、人災などのリスクも少なくなる。

しかし誰がその設備を調達するのかという問題は残る。

今までは蜘蛛の巣状の隘路があるネットワークだったから、その回線に課金がしやすかった。
しかしこのネットワークは、誰もどの回線をトラフィックが通るのか予想できない。

そういうメッシュ状のネットワークを実現するためには、拠点を無限に増やすという方法ではおのずと限界があるだろう。
結局個人や企業が持っているwebサービス用以外の「クライアント」のコンピュータ、ルータのリソースをある程度ネットワークに供出するという「持ちつ持たれつ」のネットワークでないと実現できないかもしれない。

その問題点は、技術的に可能かどうかという話ではない。ビジネス的に可能かどうかという話だ。


それを実現する技術は、多分今一部で始まっている無線インターネット、光学無線通信などの技術を使って可能だろう。機器間を結ぶ通信もP2P技術の進歩で実現は可能だという段階にはいってきた。

後はその費用を誰が見るかという問題だけだが、これまでのように国が整備したり、大手プロバイダがブロックバスター的に整備するというビジネスモデルは成立しないかもしれない。

この技術はまさにラストワンマイルに来ている。

後は誰にとって魅力的なサービスになるかという疑問の落としどころがどこになるかだけのような気がする。



「ワールドワイドウェブ」(WWW)の基本フォーマット、プロトコルを考え出したティム・バーナーズ・リーが最初は「ワールドワイドメッシュ」と命名しようとしていたというのは有名な話だ。
メッシュ(mesh)は発音がメス(mess)と紛らわしいから変えた方が良いという友人のアドバイスで、知恵を絞って「web」という名前を考えたという。
「ワールドワイドメス」は「世界規模の混乱」という意味だ。

しかしネットワークの本来の理想的な姿はweb(蜘蛛の巣)ではなくやはりmesh(網の目)のはずだ。
世界的な混乱の予感がしてきたから、紛らわしくても後者の方であるべきだろう。






クライアントPC

client PC

かつてのコンピュータはセンターに大きな処理機があって、そこからいくつかのコンソールまで専用線を通じて、遠隔操作的にデータ処理をする。

そういうものだった。

だからモニターとキーボードがついている、人が操作するような部分は「端末」と呼ばれていた。 英語の「terminal」を直訳した日本語だろうと思う。
この端末は情報、コマンドの入力と処理済みデータの出力だけの機械でそれ単独では何の機能も果たさない中央演算装置の付属品のような機械だった。

(今日のMacOSXのコマンド操作画面のアプリに「terminal」という名前が付いているが、これは当時の名残だろう。
こういうコマンドを打ち込む機械をそう呼んでいたが、今はそんな機械が無くなって本体にアプリケーションとして内蔵されてしまったということらしい。この「terminal」でカーネルをコントロールする、さしずめバーチャルターミナルというところだ。)

ところが私が解説するまでもなく、ムーアの法則などが示すようにコンピュータの小型化、高性能化は等比級数的に進んでおり、十数年前のスーパーコンピュータは今では秋葉原の店頭で売られているノートパソコンと同じくらいの性能しかない。
数年前の大型のオフコンと同じ性能のものを探すと、もう携帯電話になってしまう。
コンピュータではそういうモノは無いのだ。

某大学では当時導入した数億円のスーパーコンピュータが今ではなんの役にも立たなくなって、学生のゲーム機になっているという話を聞いたことがある。

そういう小型化が進むと、かつては中央演算機に依存していたコンピュータが机の上に乗るサイズになってしまい、今では鞄に入ってしまうサイズになっている。

その大きさでかつてのコンピュータの機能を全て持っているので、完全なスタンドアローン、つまり全く外部の支援を受けないで単独で情報処理ができる物になっている。


ただ、それをスタンドアローンのままで使っているうちは、いくら高性能になったといってもワープロに毛が生えたようなモンだ。
しかしこれがネットワークに繋がることで全く違うものに変わっていく。


このスタンドアローンのパソコンと呼ばれていたコンピュータは、登場した当初はワープロ兼ゲーム機という程度の使い道しか無かった。

以前会社の上司にNECのPC8800番台のコンピュータを買い込んで自宅で動かしている人がいたが、その人の家に行った時に、

「パソコンってなんの役に立つんですか?」

と思わず質問してしまった。
「なんでもできる」
と彼は誇らしげだったか、困惑してだったか微妙な表情だったのでどういう感情だったのか読み切れなかったのだが、そう言い切った。

それから数年して自分でパソコンを動かしてみるようになって実感したことは

「パソコンって、なんでもできそうだが、なんにもできない機械だな。」
ということだ。


これついては前出の東大の坂村教授が十数年前に書いた本、
「TRONからの発想」
という本にも詳しく書いているが、

当時のパソコンは
「あまりにも性能が低すぎて」
当時のメーカーが打ち出していた「買ったその日から何でもできる」という宣伝文句は
「誇大広告の疑いがあると言って良いくらい事実に反する。」
ということになる。


これはインターフェイスの考え方にも関係するのだが、当時のパソコンは性能が低すぎてそれをカバーするかなり高いスキルが無いと何もできないということだった。
結局使える機能は「ワープロ」と「ゲーム」だけということになってしまう。

これはパソコンがスタンドアローンで使われていた1990年代の前半まではあまり変化が無かったような気がする。
そういうパソコンの性格が劇的に変わったのは、パソコンがネットワークに繋がってからのことだと思う。

一番解りやすい変化がインターネットだ。

パソコンはそれまでの文字打ちマシンから、世界の情報を拾える、しかもその情報は文字だけでなく写真や音楽、動画などの立体的な情報を獲得できるメディアに変わった。

これについては別項に書いたが、

もっと大きな変化はパソコンは再び「端末」に変わり始めているということだ。


ネットワークに繋がったパソコンはファイルを共有し、プリンタを共有しスキャナーを共有し、シリアルに繋がったパソコン同士でシステムも含めたバックアップも自由にとれるようになった。 そしてそういうプリンタサーバ、ファイルサーバをオフィスにおくことで、従来のパソコンといわれていたコンピュータがかつての大型機と同じような使い方ができるようになった。

単なる端末ではないから切り離せばスタンドアローンになるし、接続すれば端末としても使える。

こういうコンピュータの分業化が進むに連れてサーバとクライアントという概念が出てきた。

オフィスに固定されたファイルサーバに対してそれぞれのデスクにあるのがクライアントPC。
webサーバ、メールサーバに対して、インターネットに接続する個人が使っているのがクライアントPC。
こういう使い分けではないだろうか。
クライアントのシステムの勢力図は実に単純だ。
その大部分をWindowsが占め、あと一部にMacが使われている。
最近はクライアントPC向けのLinuxとして、LindowsやRed Hatのようなものがでてきている。

これに対してサーバのシステムはなかなか群雄割拠状態だ。
webサーバに関してはapacheなどのUNIX系が多い。
Linuxもなかなか勢いを持ちはじめている。

企業向けネットワークサーバでは今でもOS/2なんてのが勢力を持っている。
また企業向けデータベースにはIAサーバ(intel architecture、つまりPC用のintelのCPUチップを使ったサーバということで、民生機と大型の業務用機の間を埋める)のシステムとして、最近はLinuxの各種OSが注目されている。
この分野ではWindowsNTサーバなんていうのもちっとは勢力がある。
このジャンルでは逆にUNIXはちょっと退潮傾向なのかもしれない。

まぁそういうイロイロなクラスに合わせて、そのクラスの中での勢力図というのがあって、Windowsしか知らない人たちは、
「この世の全てのコンピュータはWindowsなのだ」
と思い込んでいるかもしれないが、

実際はWindowsが9割も占めているというのはクライアントPCの世界だけの特殊な事情なのだということがよく解る。



ここでは最近よく聞くようになってきた「クライアントPC」という言葉の意味を説明するという程度のことが書きはじめた目的だった。
しかしこういう広い世界のことを知っていると、
「Windowsはやっぱりデファクトスタンダードだから、これからもずっとWindowsの時代が続く」 という単純な「歴史観」は無邪気にしか見えないということがよく解る。

かつてはWindowsOSのNTサーバなどが、ミドルウエアの世界にどれだけ食い込むか、大型サーバからクライアントまで全てWindowsが制覇する日が来るのかということが話題になったことがあった。

しかし今では、サーバシステムが全てWindowsに置き換わってしまうなんていう百五銀行のような話は全く荒唐無稽という捉え方しかされていない。


それよりもクライアントPCのWindows支配はLinuxのGUI化の完成と共にいつ崩れはじめるかということが、この世界の焦点になりはじめている。

そういう意味では今から劇的変化がありそうなのはむしろクライアントの方なのだ。

このジャンルがこれから面白いことになりそうだ。





ケータイ

Mobile phone

1999年にIT特番の取材を始めた時に、最初の海外取材地がフィンランドとスウェーデンだった。

理由は世界第一位の携帯電話端末メーカーのノキアがフィンランドに、第2位のエリクソンがスウェーデンにあるからだ。
それにフィンランドは当時携帯電話の普及率が70%を超え、スウェーデンもそれに続いて世界一位、三位を占めていた。

またフィンランドという国は、1990年代には国家レベルで構造的な不況に陥り経済は停滞したが、国有企業の大部分を売り払ってしまいその資金をITセクターの公共投資に投じるというドラスティックな改革をして、IT先進国としてヨーロッパをリードする国に生まれ変わった。

そういう諸々のことで、経済的には停滞しているが「iモード」というヒット商品をきっかけに携帯電話だけは活況を呈している日本にとって何か学ぶことがあるのではないかという仮説をもとに取材に行くことになった。



その取材の過程では、特にスウェーデンのエリクソンなどは日本から来た経済専門チャンネルの取材クルーということで、企業のナンバー2の取材もセッティングしてくれたしブルートゥースなどの最新技術の開発現場も撮影させてくれた。
これは今から思えば、日本のメーカーですら考えられないような友好的な待遇だったと思う。

この友好的な待遇には理由があった。

例えばこちらは教えてもらおうと思って取材にいっているのだが、どこに行っても逆に質問攻めにされるのがちょっと戸惑ってしまったということがある。


エリクソンでも
「日本のベンダーはSIMカードに興味をもっているのか?」
などと逆に質問され

「そんなこと私は知らない」
とも言えずに困ってしまった記憶がある。



その時は
「さぁ、どうなんでしょうねぇ?」
なんて答えてお茶を濁していたが、ヨーロッパに実際に取材に行くまでヨーロッパのケータイベンダーがそんなに日本市場の動向に関心を持っているなんて知らなかったので、実際あまり勉強もしていなかったというのが本当のところだ。

(ヨーロッパの携帯電話はSIMカードという個人データICカードを全て内蔵していて、このカードを移し変えることで全てのメーカーのどの携帯端末に交換しても、同じ電話番号で使えるというシステムが確立していた。
日本のケータイは例えばドコモからKDDIに乗り換えた時に今までのケータイ番号が使えなくなるわけで、これが一種の囲い込みになっていたのだが日本のキャリアもこうした「国際標準」に従うべきだという議論が後にわき起こってくる。

こうしたSIMカードに日本のキャリアが対応するのかどうかというのは、ヨーロッパのケータイベンダーにとっては、日本市場に入り込む余地があるのかどうかを測る重要な情報だったわけだが、当時はまだ日本ではケータイを乗り換えると電話番号が変わるのは不便だといっても、それを解決する方法があるということもあまり知らされていなかったし、SIMカードを使ってヨーロッパはもうその問題を解決しているということも日本ではほとんど報道されていなかった。


それにITシリーズの取材を始めたばかりの当時の私は、まだこの世界の入り口に立ったばかりで、この情報がそんなに重要な情報だということすら知らなかった。

そんな状態で世界第2位のケータイメーカーのナンバー2にインタビューしていたわけだから、今から思えば背中に冷や汗が流れるような思いがする。)



また技術センターでデモをしてくれた別の副社長は
「今、一生懸命日本語の勉強をしているところだ。
難しすぎて、とうてい身につきそうにないが...」
と笑いながら話していた。

私たち取材陣と一緒に行動していたスウェーデン人のコーディネーターさんが私たちと日本語でしゃべっているのを見て、エリクソンの受付の女の子たちが
「あんなに流暢に日本語がしゃべれるなんて、うらやましい。
私たちも日本語を習いたい。」
と言っていたのを思い出す。

エリクソンは実は世界的に見ればケータイ基地局などのインフラでNEC、ジーメンスを押さえてトップシェアを持った企業だし、しかもその一番の上得意は日本のNTTドコモなので日本に関心が高いのはある意味当然なのだが、それでも彼等が日本に深い関心を持っているというのは誰と話していても解った。

例えばエリクソンの社内では
「ケータイ」
という日本語が通じる。


この取材にかかる前に英語で話さなきゃいけないシチュエーションも当然あるだろうから準備をしとこうと思ったのだが、まずいきなり「携帯電話」は英語で何と言うのかでつまづいてしまった。
担当プロデューサーは携帯の電話だから「ハンディーフォンだろう」といっていたが、この英語が通じるとはとうてい思えなかった。
(ハンディーフォンという言い方は「ウォーキィトーキィ」のような軍隊の無線係が背負っている無線機を連想させると思う)

それでノキアやエリクソンのデモテープを取り寄せてその英語を聞いていると
「ハンドセット(Hand set)」
という言葉を会話では頻繁に使っていることに気がついた。
またナレーションでは
「モバイルフォン(Mobile phone)」
という言葉が使われることが多い。

どうやらフォーマルに「携帯電話」という時には
「モバイルフォン(Mobile phone)」
を使い、
会話で「ケータイ」という軽い感じで使う時には
「ハンドセット(Hand set)」
という言葉を使うようだ。

(「ハンドセット(Hand set)」という英語は日本語英語でいうコンパクトという言葉に近いような気がする。
「ハンドセット」はもともと電話のことではなく、「手のひらサイズの」というような意味なので、手のひらサイズの機械ならなんでも「ハンドセット」でOKなのだが、最近は「ハンドセット」といきなり言うと普通ははケータイのことをさすらしい。
これは日本語でもケータイといえば電話のことをさすのと同じニュアンスだ。)


撮影の時にデモンストレーターに携帯電話を持ってくれという指示を英語で出す時に、モバイルフォンと言いにくいので、思わず「ケータイ」と言ってしまったら、
「オー、ケータイ、オーケイ」
というふうに通じてしまった。

アメリカはどうなのか知らない。
北欧のベンダーでは「ケータイ」は完全に通じる言葉になっていた。
その2年後にイギリスに取材するチャンスも有った。

やはりその時に感じたのはヨーロッパのキャリアやベンダーなど「ケータイ事業関連者」は、完全に日本の方を向いて仕事をしているという実感をますます強くしてしまった。


日本の成功例は?、日本の失敗例は?、日本の動向は?...
というように常に日本を手本に、あるいは反面教師にして方向性を決定しようとしている。
日本は世界で初めて「ケータイ」をデータ通信端末として商業的に成功させた国だ。
また第3世代携帯電話も商業ベースに乗っている国は今のところ世界で日本しかない。

日本がこの分野で世界の方向を決定するという状況はまだ当分続きそうだ。

考えたら愉快な話ではある。



2004年3月14日












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