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なんちゃってなIT用語辞典25

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny


ガレージベンチャー


Garage Entrepreneur


昨年末にシリコンバレー発祥の地が復元されたことがちょっとしたニュースになった。

シリコンバレー発祥の地とはカリフォルニア州のパロアルトにある民家で、もともとはビル・ヒューレットという人物の住居だった建物だ。
ここの車庫でビル・ヒューレットとデーブ・パッカードの二人(ともに故人)が発振器、検波機などの機械を作っては納品するという会社を起業した。

二人はスタンフォード大学の学生だったが、師事していたタウナン教授の
「大企業に入るな」
というアジテーションに答え、大企業に就職するのではなくこの車庫でベンチャー企業を立ち上げる道を選んだ。
時代は1939年、まだ戦前の話になる。

この会社は後に「ヒューレットパッカード」という社名で独自の技術を持つ電子計測器のメーカーとして名を馳せ、80年代には「日本的経営」として終身雇用などの日本型人事制度を取り入れた最初の米国企業として話題になり、現在ではパソコンの世界最大のベンダーとして誰でも名前を知っている企業に成長した。

そういう大企業の最初の一歩は、こういう普通の民家の車庫の中に置いた作業台だったというのが面白い。
そういう話は町工場で創業したHONDAやSONYとか、牛小屋を改造した納屋で起業した日本電産とか、「あの大企業もかつてはすごい場所で仕事を始めた」という話と同じで聞いていて面白いし、創業者のそういう話はワクワクするような希望と親近感がある。

「こんな木造の車庫で立ち上がった会社が、世界一のパソコンベンダーになるのならオレだって世界一の企業を作れるかもしれない」
というアイデアを、このモニュメントは後続のベンチャー起業家に与え続けているし、

HPがこの民家を買い取って復元したのは単に自社のPRのためだけでなくそういう精神的シンボルとしてこの民家をモニュメント化したいという意図があったのかもしれない。

事実、学生時代のスティーブ・ジョブズはヒューレットパッカードでバイトをしていてその社風はつぶさに見ているし、そこから学んで自宅のガレージでAppleコンピュータを創業したというのは本人も認めている話だ。
スタンフォードを核とした産学協同のひとつの形として、このガレージベンチャーと大学の関係はこのあとも長く続き、この地はやがてシリコンバレーと呼ばれるようになった。
またジョブズのように、この地で起業を志す者はガレージで起業する。

別にガレージでなくても良いのだが、シリコンバレーで創業するとなるとやはりガレージでなくては様にならないというひとつの形を作った。


私自身はこのガレージは見たことがないのだが、ガレージがシリコンバレーの形成にどんな役割を果たしたのかを見ることができる面白い設備を2001年の米クアルコム本社の取材をした時に目の当たりにした。

サンディエゴにあるクアルコム本社の取材の時に先方の広報から出てきたメニューに
「ベンチャー起業の育成のためのインキュベーション施設、ナレッジスペース」
という項目があった。
これがどういうものか事前に知らされていなかったのだが、インキュベーション施設というものは日本でもいくつか取材したことがあって、大抵は大きなビルに小部屋をきってレンタルの秘書がついている貸事務所のような物というのが通例だった。

ところがこのクアルコムのインキュベーターというのは実にユニークな構造になっていた。

クアルコム本社のビル群の一角のその建物は2階が大きなホールのような作りになっていて、その中に小さな『ガレージ』がいくつも作られていた。

車が入れないビルの2階にわざわざシャッター付きの車庫を作っているのだ。

この『ガレージ』の中で起業家は仕事をしているのだが、昼休みや夕方になるとビールを片手にシャッターの前に置いたベンチにたむろして雑談をするという。

またそういうたむろできるスペースとして、中央にビリヤード台やコリントゲーム、3オン3のバスケットができるゴールなどが置いてあって、しかもパンやサンドイッチなどの軽食も自由に取ることができるコーナーも用意されている。

クアルコムの広報担当の説明によると、ここでは自由に好きな時間に集まってリフレッシュすることもできるという。
わざわざ『ガレージ』を造ってそこにベンチを置いている理由は
「最初のシリコンバレーの形がこうだったからだ」
とのことだ。

シリコンバレーではガレージで起業したアントレプレナーたちが、自然にシャッターの前の椅子や机あるいはベンチのあるところに夕方になると集まって
「お前は最近何をやっているんだ?」
なんていう会話をしていたらしい。
だれかが
「WANとLANを一気通貫に同じ規格のプロトコルでつなげるような、そんな規格のベースになるものができないかななんて今考えているんだけど」
というと
「そういえばUCLAにそういうことを研究している研究生がいたぞ。会ってみるか?」
なんてやり取りをしていたんだろうと思う。
こういうやり取りからイーサネットなんてのは出発したのかもしれない。

このくだりかなり想像も入っているが、しかし実際のガレージベンチャーの会話もこんなことだったらしい。

最新技術の開発というと大企業の研究室で机に噛り付いて必死になって朝も昼も夜も寝食を忘れて、黙々と作業しているという様子を想像してしまうが、ここでは時間の拘束なんて全く無いし、好きな時に雑談をして良い。

これで研究の効率が上がるんだろうかと思ってしまうのは、そういう日本型の古い研究開発室のイメージがこびりついているからで
「アイデアはそういう人と人が雑談して交流する中で生まれるのだ」
というシリコンバレー流の発想からすれば、これこそが最も効率的な研究開発室のレイアウトだということらしい。


その話を最近ある人にしたら、面白い話を教えてくれた。
アメリカに於ける最も権威ある象牙の塔はハーバードなのだが、ハーバードは経済学や司法の世界では成功したがITの世界では脱落してしまった。
代わりにアメリカで成功したのはMIT(マサチューセッツ工科大学)だったりスタンフォード大学だったりするわけだ。

そのある人物は「MITはなぜ成功してハーバードはなぜ衰退したか」という理由を教えてくれた。
結論からいえばMITは研究棟の中央にカフェテラスを置いてそこで研究者が自由に交流するスペースというのを残していたが、ハーバードは研究室を完全に孤立した個室にしてしまい、その個室間の行き来を完全なセキュリティで遮断してしまったということが原因らしい。

ハーバードはある時点まではスタンフォードやMITと並ぶアメリカのITをリードする大学だったのだが、研究棟を建て直す時に研究室を孤立させその間の行き来をセキュリティで遮ってしまったというのだ。
その結果何が起こったかというとハーバードからは何も新しいイノベーションが起こらないという停滞が始まってしまった。

ところがMITはカフェテラスで交流ができるスペースを残していたし、スタンフォードは例のヒューレットとパッカードの母校であるので、ガレージベンチャーのような気分の研究者が一緒に馬鹿話をして自然にブレーンストーミングをするような気分が濃厚に残っていたし、そういうスペースはふんだんに残されていた。

スタンフォード出身者とは私も何人か話したことがあるのだが、例えばトレンドマイクロの現CEOもスタンフォードの金融経済学出身者で、途中でその統計のためにコンピュータシステムをいじりはじめたことからセキュリティ企業であるトレンドマイクロに技術者として就職することになったという人物なのだが、やはりスタンフォードの学際的な、時には工学部と経済学部や文学部が交わるような自由な学際的気分が刺激になったということを言っておられた。

これこそがアメリカのITの強みであり、シリコンバレーが自然発生した本当の理由なのだと思う。


そのハーバードの話をしてくれた人物も話の結論は

「結局重要なのはどういう人物を配置するかではなく、どういう風なレイアウトで才能を配置するかということが研究開発の成果に結びつくのだ」

という話をしておられた。

だからシリコンバレーのアントレプレナーは皆ガレージを拠点にしているということには想像以上に重要な意味があるのかもしれない。
あるいはサンディエゴのクアルコム本社の中にガレージがあってカフェテラスがあったのも彼らがその意味をよく知っていたからなのかもしれない。
そういうことであるならば、秋葉原の駅前にどでかいハコだけ作って
「日本のシリコンバレーになるべし」
なんて言っている東京都の役人にはやっぱりことの本質が見えていないということもいえる。

この話は単にクアルコムのビルの中にガレージがあったよというエピソードを書きたいだけの小話だったのだが、意外にアメリカにシリコンバレーが育って日本に育たないという現象の本質的原因なのかもしれないという気がしてきた。




2006年9月27日














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