次世代インターネット/web2.0
Next Generation Internet/web2.0
このIT用語辞典は私が関心を持っているものを気ままに取り上げるつもりだから、別に巷で話題になっている最新の話題を取り上げるサイトではないのだが、
これだけ人口に膾炙してあちこちで取り上げられている言葉だからシカトし続けるわけにもいかないのでweb2.0なんぞを押っ取り刀で取り上げてみる。
しかし実際のところこの言葉はまだあまり実体をともなっていなくて、そんなに書くことがないのだが。
だからweb2.0の定義なんていうオーソドックスな入り口は止めて、紛らわしい言葉との比較からはじめることにした。
というのは何年か前から「次世代インターネット」という言葉が広く使われはめているからだ。
web2.0も従来世代のwebをバージョン1.0と見たてて、メジャーバージョンアップの2.0というタイトルを付けているわけだから「次世代web」ということで、同じような意味合いの言葉だ。
しかしその言葉が意味している内容は全く違う。
次世代インターネットという言葉を聞いたのはいつだったろうか。
始まりはクリントン政権が策定した次世代インターネットを研究する学術ネットワーク組織
「Internet2」
あたりというところらしい。この提唱をしたゴア副大統領(熱烈なMacユーザだったことは周知)は
「これからは毎日をネットデイと名付けよう」
と高らかに宣言して情報ハイウエイという方向性を示した。
この「Internet2」は要するに非公開の試験高速通信ネットワークで、次世代インターネットの技術研究のために試験運用されているようなものと理解すれば良い。
ちょっと誤解している人がいるのだが、クリントン政権などの後押しでシリコンバレーは成功してアメリカのIT革命が起こったのではない。
IT革命と呼ばれるムーブメントの中心になったシリコンバレーは自然発生的に技術と人材を集積していき、その成功をクリントン政権とNASDAQ証券取引所は追認しただけだ。
若干余談を。
あえていえばスタンフォード大学のような学術の中心地があり、そういうところなどからスピンアウトした連中がガレージでビジネスをはじめるわけだが、これとスタンフォード大学を代表する大学は連携する空気を持っていたし、ハリウッドのようなそういう技術を消費するクライアントも近くに有ったなどのいくつかの条件が揃ってシリコンバレーは成立し、成功したので、東京都がいうように秋葉原の近くに巨大なハコが出来上がればシリコンバレーは人工的に作れるというようなものではない。
そういうのは根本的に「歴史認識」を間違っている。
以上余談。
シリコンバレーの成功を追認したクリントン政権は
「もっと高速のインフラがあればあなたたちの成功はもっと大きなものになるでしょう?」
と言っただけだ。
ところがほどなくITバブルがはじけてネット企業に湯水のごとく金をつぎ込んだ投資家はまさに巨額の損失を出し、一世を風靡したドットコム企業(!)は跡形もなく消えてしまい、2000年の悪夢によってITが再び産業をリードするなどというかつての夢想は単なる妄想になってしまったように見えた。
しかしこの捉え方も「歴史認識」として間違っている。
確かにITバブルは巨額の損失を残したが、これは結局実体をともなわない新規上場企業に変な思惑が絡んだ金が集中豪雨のように降り注いでそれが破綻した結果、元々何もないところに集まった金が雲散霧消してしまったというだけの現象だった。
ITバブルと実体のITとは何の関係もなかった。
その証拠にITバブルが完全に弾けてアメリカ景気がクラッシュしたあとの2003年にシリコンバレーを見て来たというあるアナリストの話を聞いていたら、彼がこんな興味深いことを言っていた。
「ITバブル以降シリコンバレーはすっかり意気消沈していると思うでしょ?
しかし実際は全く逆で今シリコンバレーは2000年当時よりも元気ですよ」
実際には2000年のITバブルは本当のテクノロジー中心のIT企業にとっては恩恵でもなんでもなく、むしろ世間のノイズにさらされて変な連中が脚光を浴びてビジネスモデルもテクノロジーもないのに錬金術のような方法で無限の経済が興隆するなんていう空気で迷惑しただけのことだったようだ。
それよりすっかり日本や韓国などが中心になってブロードバンド化が進んで見ると、インターネットの基幹部分の老朽化というか陳腐化が問題になっていて、これが新たな実需を生み始めているというITバブルに踊らされた株価とは全く逆のような動きをして、IT産業は元気を取り戻し始めているとのことだった。
これはどういうことかというとまさに老朽化というよりも「陳腐化」という言い方がふさわしいのだが、永らくボトルネックと言われていたラストワンマイルがADSLや光ファイバーの普及ですっかりブロードバンド化されてしまい、今ではボトルネックなのはむしろ個人の家までのラストワンマイルではなく、ネットワークサーバやルータなどの基幹ネットワークを構成する機器になってしまっている。
そこでそうした新しい高速インターネットに対応する新型のネットワーク機器の開発が盛んで、またそういうもののネットワーク基幹への換装がまさに盛んになり始めたのがこの年あたりからで、だからシリコンバレーなどはITバブルの時をしのぐ空前の活況になっているということだった。
こうして実体として新しい世代に進み始めているインターネットはその通信容量の高速化を始めているだけでなく、IPv6やIPマルチキャストなどの「Internet2」で研究、実用化されてきた技術がブレークダウンされ導入されてきてインフラとして次の世代に進み始めている。
つまり「次世代インターネット」という言葉は機器やIPの改良などによるその通信インフラの高速化、高度化を指している。これに対して「web2.0」という言葉はそういうインフラの問題ではなく、そのネットの中で動くソフトウエアやコンテンツなどのカルチャーの問題を指している。
web2.0という言葉を最初に使ったのがどなたかはよく存じ上げないが、たびたび引用されるのが
Tim O'reilly氏の論文「What Is Web 2.0」
でここではバージョン2.0以降のwebは以下の7つの特徴を具現しているという。
1.Folksonomy:
階層分類学でなく、ユーザーの手で自由に分類する思想
2.Rich User Experiences:
AJAX,DHTML,Greasmonkey等を駆使し、ページ上で直感的操作
3.User as contributor:
ユーザー体験の蓄積をサービスに転化
4.Long tail:
ユーザーセルフサービスの提供でロングテールを取り込む
5.Participation:
ユーザー参加型開発、ユーザー生成コンテンツ
6.Radical Trust:
進歩的性善説、知のオープンソース
7.Radical Decentralization:
進歩的分散志向、ネットワークの外部性
web2.0の概念図としてよく引き合いに出される「オライリーのブレスト概念図」
こういう現象から演繹していってweb2.0という概念が組み立てられていった
この中で1番の「Folksonomy」という項目に注目したい。
今まさにweb2.0という分類が語られる時にこの概念が頭に中にこびりついたような形で話が進行することが多いからだ。
これは要するに「民衆によるコンテンツの分類」ということだ。
情報が蓄積される時に無作為にただ情報が積み上げられるだけでは全く意味をなさない。
それはその情報にたどり着く方法がないからだ。
情報の蓄積が膨大になればなるほど無意味化の度合いは大きくなる。
だから目的の情報にどうやって簡単にたどり着くかということが命題になってくる。
これは古くて新しい命題で、コンピュータというのは元々
「情報をソートしたりスクリーニングする機械だ」
とまで言い切っても良いくらいコンピュータの成立と進化は、まさにこの情報をどうやって探すかというテーマで進んで来た。
1990年代、Mosaicというブラウザが浸透して、ワールドワイドウエブはまさにhtmlという定型フォームを持ち始め、世界的なネットワークリンクを持ち始めたころ「Yahoo!」というディレクトリサービスが一世を風靡した。
このサービスはスタンフォード大学の大学院生だったデビッド・ファイロとジェリー・ヤンらが研究室のコンピュータをサーバとして開始したディレクトリサービスが母体になっている。
インターネットはティム・バーナーズ・リーの構築したインフラの通信システムを使い、マーク・アンドリーセンらの作ったモザイク、モジラというブラウザとhtmlによって世界中のあらゆるリソースを利用できるネットワークに成長していた。
彼らの作った仕組みを使えば世界中のどこにあるどんなファイルも閲覧したり利用したりできる。
しかし問題はどこに何があるかをどうやって知るかということだった。
もちろんそのURLを知ればその場所に行くことはできるのだが、そのURLをどうやって知るかという問題が残された。
このインターネットを実用的に使うために最後に残されたもっとも難題な関門は意外にもジョークサイトから解決策が生み出された。
先述のデビッド・ファイロとジェリー・ヤンらは、最初からまじめな学術研究やビジネスリサーチのためにディレクトリサービスをはじめたわけではない。
最初は、仲間内で
「面白いサイトを見つけたぞ!
見てみろ!
笑え!」
というような調子で見つけたサイトのURLを集めてそのリンク集を作っていたらしい。
そのリンク集をジャンル別に分類するうちに彼ら自身がこの「URL集め」に夢中になってしまったらしい。
当時の彼らを知る人は
「そんなに訳の分からないサイトのURLばかり集めてどうするの?」
と訊いたが彼らは
「いいの、いいの、面白ければ良いんだから」
と言うばかりだったそうだ。
そうして出来上がったリンク集を大学のコンピュータを使って公開し、ディレクトリをたどっていけば目的のサイトにたどり着けるし、このディレクトリに登録されることによってコマーシャルサイトも採算に乗せることが可能なくらいヒット数を集めることが現実的になって来た。
こうして出来上がったのが
「Yahoo!」
というポータルサイトであり、公開後わずか一年でNASDAQに上場するほどの急成長を遂げて「モジラ/ネットスケープ」+「ヤフー!」というのはネットの必需品になってしまった。
これが今日まで続いたweb1.0的な世界の成立過程だ。
(web1.0というような用語が本当にあるとすればだが)
このhtmlで提供されるディレクトリは「ヤフー」という会社によって提供される固定的なものだ。
もちろんユーザが参加してここに自薦他薦で新しいサイトを登録できるし、ここにお金を払って商業サイトとして登録するというビジネスモデルもあるわけだから、「固定的」というのは正しくない。
常にそういう事情で変化しているわけだから「動的」ではあるのだが、その変化は全て供給者側のサイト管理者、つまりこの場合はYahoo!の運営会社の社員によって人力で変化している。
これをサイト管理者ではなくこのサイトを利用するユーザが自分の都合や好みで、どんどん変化させたらどうなるだろうか。
もちろんそうなるとコマーシャルサイトからお金を取って登録してあげるというビジネスモデルは成立しない。そういうものはユーザの「選択」で弾かれてしまえば何の意味もない。
しかしこれはすでに実現している。
例えばFlickr、はてなブックマークなどが上げられている。
これは利用者個人によって分類された情報リンクを他の人が利用する、そして多くの人に支持された人気リンクが情報として価値が上がるというものだ。
またこれは運営者によって手動で「スタティック」に動かされるのではなく、サーバ上に組まれたCGI、phpその他XMLをベースにしたアプリケーション/プラットフォームなどで自動運営され、ユーザの管理がダイレクトに反映するという特徴を持つ。
ある意味ブログのトラックバックなどもこの機能に含まれると考えられる。
ライブドアによるニッポン放送買収、「フジテレビ経営支配」の問題が浮上した時に、ホリエモンが
「テレビとインターネットの融合」
ということをしきりに説いて
「例えばネットを利用してユーザの人気によってニュースの選別化」
ということを言っていた。
この堀江流
「人気投票に基づくニュース報道」
という考え方はテレビや新聞などのコンベンショナルなマスコミ人から猛烈な反発を買い、
「そんな情報の検証も行われない大衆に迎合するだけの情報で、真の報道と言えるのか」
という論調がいっせいに起こった。
堀江流は残念ながら踏み込みが足りなかったと言うか、堀江自身が勉強不足だったからこの説は全く説得力がなかったが、しかしステロタイプな「真の報道」という紋切り型で反論したマスコミもこのweb2.0という新しいカルチャーへの勉強が足りなかった。
web2.0を解説しているあるサイトは
「web1.0は静的な図書館のようなものを考えれば良い」
としてそれに対して
「web2.0はロビーのような場所を思い浮かべれば良い」
としている。
これはなかなか微妙なたとえで、意図は分からないでもないけどこの譬えではやっぱり意味が分からないのではないかなと思う。
キーワードはweb1.0はhtmlベースの「スタティック」な世界であるのに対してweb2.0はXMLなどがベースの「ダイナミック」な世界であり、一方的に情報を受ける図書館に対して通行人同士が相互に影響し合うロビーという「場所」であるというざっくりとした捉え方が良いのかもしれない。
「スタティック」と「ダイナミック」というキーワードを意識して前出の7つの特徴ということをひとずつ検証すると
1.Folksonomy
つまり誰かが編集したお仕着せのディレクトリ式分類ではなく、ユーザそれぞれが勝手に作った情報、サイト分類で、はてなブックマークのようにそれぞれ作ったものを公開して人気度を累積していくものもあるしブログのトラックバックのようにその連結の仕方がひとつの情報であったりするが、いずれにしてもユーザが作るダイナミックなリンク、分類、
そしてその成り行き的な自動生成で何か面白いものができるんじゃないかという超楽天的な「分類する思想」
例えばリンクタグなど
2.Rich User Experiences
AJAX, DHTML, Greasmonkey等を駆使し、ページ上で直感的操作
要するにhtmlというようなルールを覚えなくてもブログのように「基本的にはメールを書けるほどの人なら誰でも個人サイトを開設できてしまう」、あるいはGMailのように「POPだのIMAPだのとかの設定に惑わされない、しかもフリーメイルよりも安全高機能」という「リッチ」な直観的操作感
3.User as contributor
ブログ、mixiなどのSNSのコミュニティ、Wikipedia、はてなの「Question」などユーザ自身がコンテンツを作り出してしまったり、Amazonのレビューで金をかけないで、プロの評論家も雇わずにユーザ自身に商品のレコメンドを書かせることで、安くて、信頼感もあってというコンテンツ作りも実現するユーザー体験の蓄積という貢献をサービスに転化
4.Long tail
例の8:2の法則で売れ筋ではない8割の商品をユーザの視点で取り込んで、マニア向けにニッチ商品を流通させることができればリアルなコマースとは比べ物にならないほどの多品種を膨大な未開拓のマーケットに流通させることができるという、在庫の心配をしなくていいeコマースだからできる発想の商売法
5.Participation
これも結局は3と同じなのだが、SNSなどはユーザ自身がコンテンツになっていてそれ以外に何もないのにmixiなどが500万人もの会員を集めているという怪現象の唯一の解
ユーザー参加型開発、ユーザー生成コンテンツ
6.Radical Trust
ネットに参加している人は基本的にそこから利益を得ていない、または「巨額の」利益を得ていないから
悪意があっても仕方がないので基本的に善意であるに違いないという不思議な性善説
しかしこの善意によって編集されたWikipediaなどには実際重宝することもあるし、すごい情報が蓄積されていることに感心するが、
「レイプ教団の広告塔になっていた可能性がある少女漫画家」
のwikiをめぐっては2ちゃんねるよりもすさまじい荒れ方をしたりして性善説の限界も見えるような見えないようなという先進的な相互信頼感
7.Radical Decentralization
これもいろいろあるけど最近の事例でいえばYouTubeなどがそれにあたるんじゃないだろうか。
違法と合法すれすれのところで法律的には無価値だが、ユーザにとっては「お宝」というような映像、音楽、写真他あらゆるファイルをネット上に散らすことによって、ネットであらゆるものが手に入る・・・と言いながらも「法律的には無価値」というところの解釈が常にユーザと権利団体で大きなずれがあるために、ナップスターからWinny、YouTubeに至るまでもめ事の種になるなど、古くて新しい紛争を常に繰り返す「パレスチナ的」な問題を抱える先進的分散性
というような7つの「ダイナミック」が「スタティック」なweb1.0と違うということになる。
しかし通り一遍の用語解説ならばここまでのことで良いと思うのだが、私自身がこのweb2.0という用語の意味が完全に腑に落ちていないためにどうも一言付け加えたくなってしまう。
「だからweb2.0はインターネットの新しいステージなのだ」
ということがいいたいのだろう。
少なくともweb2.0なんてことを一生懸命言ってSEOとかIPブロードキャスティングとかがこれからの唯一の生き延びる道だ・・・なんてことを言いたがるお人たちは必ず
「従来のインターネットは終わって、新しいネットが始まっているのだ。従来の常識では測れないことが次々起こる。
備えよ!」
とまるで新興宗教団体のように熱心に説くわけだ。
いわゆるオライリーさんいうところの
「web2.0を単なる新手のマーケティング用語としてとらえている企業、あるいは人種」
という人たちだ。
これってあの
「裁きの日は近い。懺悔せよ」
というのに似ているような気がするのは私だけだろうか?
果たしてこれは本当だろうか?
それにこの7つの特徴を押さえて、具体例を挙げれば大体どういうものかイメージはわくのだが
「じゃ、結局web2.0って一言で言うと何なのよ?」
ということになるとやっぱりよく分からないのだ。
それは簡単に言えば
「ユーザに主体がある新しいwebコンテンツの生成カルチャーなのだ」
というような抽象的な言い方もできるかもしれないが、
「それにぴったり当てはまるものが昔からあるぞ。
それは2ちゃんねるだ。
それじゃ2ちゃんねるはweb2.0だと言って差し支えないのか?」
という反論を食らうと困ったことになってしまう。
理屈を言えばそうだが、2ちゃんねるをweb2.0だと言い切るのはなんだか抵抗があるなぁ。
最新のテクノロジーを何も使ってないからなのだが・・・
別に新しいものでもないし、インターネットの未来は2ちゃんねるだとも思ってないし。
それにYahoo!の草創の頃のエピソードを紹介したが、この時代のwebはまさしくユーザ自身がコンテンツを生成していたわけだし、初期の頃のYahoo!のディレクトリもまさしくネットユーザだった二人が貢献して作ったコンテンツだ。
それが一度巨大化して一方向になったが、また再び細分化して双方向に戻りつつあるというだけのことで、web2.0というのはどうも直線的な進歩とはいえない要素がいろいろある。
Wikipediaの知の貢献は新しい姿だというけれども、インターネットという世界が元々はそういうものじゃなかっただろうか。
それが一旦後退してしまったのが、Wikiというプラットフォームの力を借りて一部戻りかけているという捉え方が正確だと思う。
SNSは匿名性を排したというが、インターネットだってその初期の頃はハンドルネームなど使わずにお互い実名で情報を共有していたというのが元々の姿だし、mixiのように巨大化することでもう会員の大多数は匿名と同じことだという意味では外部のインターネットと何ら変わるところはないし、この7つの線引きですぱっと割り切れるものではないような気がする。
web2.0というのは特定のアプリケーションや技術を応用したある特定のフィールドのソリューションを指すのではなく、何となくこれからのネットのキーワードになりそうなカルチャーをざくっとした言葉で表現したものなのだ。
だからこういう混乱が起きるのだと思うし
「web2.0って何か分からない」
「web2.0って難しい」
という捉え方になってしまうのだと思う。
かくいう私も結局は
「よくわからない」
のだ。カルチャーの話なのか技術の話なのか、そこいらが不明分でどっちの話もごっちゃに語られていて、しかもネットのあるべき未来の姿といったって、もう2ちゃんねる化がすっかり進行してしまっているmixiは頓死の方向性しかないと思っている。
結局は多分今まではあまり価値が生まれてきそうにないと思われていたところに、新しい価値の創出が始まっていることがこのweb2.0という一連のキーワードで始まっていることの一番重要な意味で、その一部は生き残るだろうし、一部は頓死するだろうが今までとは違う「何か」が始まっているというくらいのことしかいえないのではないだろうか。
従来のweb1.0が終了して2.0に移行するとかそういうことではなく、少し変化し始めているということだし、その変化は進行中だし、
「その波に乗ることが唯一の生き残りだ」
なんていう先走りはしない方が良いような気がする。
今の時点で私にいえることはそんなことしかないが、要するにまあそんなところだ。
2006年8月22日
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