Previous Topへ Next

ある名物創業社長の話から見える日本の「カイシャ」のあり方
/Listen To What The Man Said

興味深い教訓を多く含んだ日本電産の永守社長が語った「起業社長の心得」


昨年、企業家倶楽部の最優秀企業家賞の授賞式を見に行った時に、受賞した永守さんの講演を聴いた。これが抱腹絶倒の内容だったのだが、ただ面白いだけでなくビジネスとか経営とかいう領域について興味深い内容を多く含んでいた。

何かそういう話題があったら絡めて書こうと思っていたのだが、なかなかそういう機会がないうちに時間が過ぎてしまった。忘れないうちに備忘録として書く。


その前に日本電産と永守重信という人物の大まかなプロフィールだが、永守さんはオーディオのTEACでテープレコーダーの回転部分の技術者としてキャリアをスタート。
独立起業して日本電産という会社を創業、その業態は「モーター」に絞り込むという徹底した一業種集中型だが、これまでにM&Aを30社以上繰り返してきて精密モーターに関しては世界トップシェア、世界グループ企業をあわせると社員総数10万人にも及ぶ大企業群になった。

今日では皆さんが使っているMacやPCには必ず日本電産のモーターが何個か使われている。内蔵ハードディスクのサーボモータだったり、放熱ファンのモーターだったり、光学ディスクのドライブモーターだったりこの世界では日本電産は圧倒的なシェアを持っている。
また最近では、自動車産業などで小型モーターの需要が爆発的に増えており、自動車には日本電産製を筆頭に数十個から車種によっては数百個もの小型モーターが使われている。
日本電産はいずれの世界でもトップシェアを持ち、東証、大証の一部に上場する日本を代表する企業になっている。
勿論iPodなどにもここのモーターが使われているはずだ。

この巨大モーター帝国を永守さんは一代で築いたわけで、当然今ベンチャー企業を興そうというアントレプレナーたちにとって、目指したい手本は「アメリカならビル・ゲーツ、国内なら永守重信」ということになるのかもしれない。
だから昨年の授賞式はその永守さんの話を直に聞けるということで、広い会場が若手ベンチャーの社長たちやその予備軍で満杯になっていた。

その満杯の聴衆を前に開口一番永守さんはこう先制パンチを繰り出した。

「今までこういう講演の依頼は全てお断りしてきたんやけど、今回は企業家賞をいただけるということなので、いただいといて何も義理を果たさんというのもなんやから小一時間しゃべれっちゅうんでしゃべることにしました。
それで企業家倶楽部の会なので、今日は会場はベンチャー企業の社長さんが大勢いるということなので、私も一応ベンチャー企業の社長としては先輩なんで、先輩としてひとことアドバイスしといてあげるわな。

ベンチャー企業としてある程度成功して企業が軌道に乗ってくるとみんなやるんやが、企業の社長として絶対やってはいかんことがある。
それは平日の昼間っからこういうところに来て高いところに上がって、エラそうに『私の経営の秘訣は・・・』なんてしゃべりはじめることや。
これを社長がやり始めたら大体その会社は傾くわな。」

軽妙な京都弁でこういう人を喰ったような話が次々と飛び出してくる、永守さんという人はそんな人だ。
しかしこれも単なるジョークではない。
企業の社長として従業員や株主の生活に責任を持つ企業経営者は、たとえ一瞬たりとも事業以外のことに気をとられるべきではなく、またそんな余裕もないはずだ、だから企業の経営者が会社を離れて自分の自慢話をしはじめるのは、もう自分の事業に集中できなくなり始めているということだ・・・という永守さん流の厳しい見方が背景にあるのだ。
だからこれはジョークのように話しているが全て本気なのだ。


その永守さん自身が日本電産を創業した当時の話をし始めた。

「ベンチャー企業の社長さんたちには、どう企業を立ち上げてどう発展させるかという話が一番興味あるやろ。
けどとどのつまりがこれは人材の話になってくるんやな。
どこの中小企業の社長もみんな同じことを言うやろ。
『ウチの製品はすばらしい! しかし社員がどいつもこいつもぼんくらで、いっこも働きよらん。だからウチの会社は伸びひんのや』
という調子や。
しかしこれは結局は社長が『私は無能です』と告白してんのと同じことや。だからまず人材をどうやって確保するかというベンチャー企業が最初に突き当たる問題から話しよ。」

「当時私とあと二人ほどで独立して『自分たちの技術を活かそう!』と梁山泊のような気分で会社を作った。
今から考えたら大した技術力でもなかったんやが、当時は私らは資金も知名度もないが大変優れた技術力だけはあると信じて独立したんやな。」

「それで名前は日本電産という名前にしてしもたのやが、これも大それた社名や。
なんせ日本電気と松下電産をくっつけたような社名で、心意気だけは日本電気や松下電産と互角に競える企業になろうとか思っとったが、実体は私の実家の牛小屋を改造した納屋に男3人立てこもって、何から手をつけたらええんかさっぱり分からんという状態やった。」

「何をするにもこの3人だけでは何もでけんから、とりあえず将来の幹部候補生になる優秀な人材を採用することから始めようということになった。
しかし大学の就職課や職安に求人票を貼ってみたが、新卒なんて壊滅的に来んし職安から来る応募者はろくな奴がおらん。
我々もそんなに自慢できる大学の出身者やないが、その我々でさえも聞いたことないような三流、四流大学の成績もどうしようもないような奴ばっかりが応募してきよる。
大学の電気学科を卒業してるのに『フレミングの左手の法則』も知らんような奴ばっかりが応募してきて、使い物になりそうにないのでほとほと困って、オヤジに『ろくな奴が来よらん』とぼやいた。」

「そしたらオヤジに
『お前はアホか』
とどやされた。
『お前らみたいな得体の知れん男が3人牛小屋に立てこもっとるようなワケワカラン会社に、そんな成績優秀な人材が応募して来るとホンマに思とったんかいな』
とこうですわ。
『そんならオヤジ、どうしたら優秀な人材が採れんねん?』
とオヤジに聞くと
『まぁ、ワシの軍隊時代の経験からいうと、メシの速い奴は大体仕事も速いわな』
という話やったので、面接試験では応募者に必ず飯を食わせることにした。
それで飯が速かった順番に採用を決めることにした。」

「これはなかなか当たったようで、実際今の日本電産の幹部はほとんど飯の速さで採用された奴ばっかりや。」
「しかしそういうことをしていると、そのうち職業安定所でも『あの会社は飯の早食い競争で採用しとる』という評判がたって、職安から『そういうことをしとると次からは人を紹介せんぞ』と注意されてしもた。」

ここまでの話でもうすでに抱腹絶倒なのだが、こういう話を永守さんはにこりともせずに真顔で話す。
この話も要諦は
「人材は獲得するものではなく育てるものである」
ということだ。
だから飯の速い人材は「頭よりも胃袋の方が強い人材」と永守さんはいうが、何でも吸収して人の倍は働くバイタリティある人材を募れということだ。
あとは適材適所に配置するのは経営者の腕の見せ所であり、頭の良さや成績表で採用することはベンチャー企業の質に合わないということだ。

永守さんが繰り返し強調したのは
「学校の成績表ほど当てにならん物はない」
ということだった。

メシの早食いで採用していた日本電産も、ある時期から成績表の評価で人材採用をするという方向転換をしたこともあるそうだ。
大企業になった今では勿論超一流大学の出身者も応募してくる。
しかし、永守さんは応募者が提出した成績表を全く見ないで、人事部の金庫に眠らせているそうだ。
それは人材に予断を持たないという永守流の厳しい自己管理なのかもしれない。

そして採用後何年か経ってから初めて金庫から成績表を出してきて、現在の考課表と見比べるのだそうだ。
その結果永守さんの出した結論は
「学校の成績と入社後の成績には全く相関性がない」
ということだったそうだ。
学校の成績が良い人材が仕事ができるわけでもないし、逆に悪い人材に良い物があるわけでもない、文字通り「全く関係ない」という結論だ。

また中小企業の社長には往々にして、中小企業のくせに「社員に取り立ててやる」という横柄な考え方をする人があるがこれも全くの考え違いであるという教訓も含んでいる。
会社が社員を選ぶ権利があるのと同じように、社員も会社を選ぶ権利があるのだ。
その会社は社員に選ばれるような魅力を充分持った企業だろうか?と自問する必要があるということだ。
「良い人材が採れない」
とぼやく後輩社長には
「良い人材が採れるような魅力がある会社ですか?」
という問いかけを投げるそうだ。



それで梁山泊のように起業した日本電産は、どういう取り柄で成長したかというと結局は
「仕事が速い」
というこの一点だけの特長で成長した。
当時はモーターは「付属部品」ということで下請け仕事の性格も強かったのだろう。
しかし永守さんらの会社は資金力があるわけではないので、価格競争をすれば当然競合他社には勝てない。

それで永守さんが考えたスローガンは「確かな技術、値段は高め、しかし納期は半分」というセールストークだった。
技術力はあります・・・というのは物作りをする企業はどこでもいうことなのでさして魅力にはならない。まして「値段は高め」と自分で言ってしまっている。発注者は当然一円でもコストは切り下げたいと思っている。
しかしこの「納期は半分」というのは画期的なキャッチフレーズだった。
つまり他所の半分の期間で仕様通りの製品を開発しますと公言しているわけだ。

製品開発のサイクルを考えるとどこの製造業も「できるだけ関連部品の開発に時間はかけたくない」という思いがあったので、このフレーズはヒットした。
「あんたに頼んだらホンマに半分の納期でできるんか?」
と念を押しにくるメーカーが引きも切らなかったそうだ。
これが日本電産の成長の第1ステップになったわけだが、ただしこの「半分の納期」を達成するために社員は他社の倍働かせたと永守さんはいう。
そういう永守さん自身も
「一日は24時間しかないというても、寝たりメシ喰ったりの時間をできるだけ8時間以内に収めれば、一日の残りは16時間はあるやないか。
だからヨソの倍は働ける!」

という考え方で働いていたそうだ。
この日本電産の営業方針が「メシの速い社員を採用する」という人事システム(?)とマッチして見事に両輪として回転し始めたそうだ。

新規起業ということは必ず後発なわけだから、他の人がしないことをやらないといけないということも永守さんは話しておられた。


さて冒頭の「社長が講演をし始めたら会社は危ない」という言葉の真意である。

永守さんの考え方では、会社の経営者というのは公人のようなものだ。
プライベートはあるようでない。その人生は全て会社の経営に捧げないといけない。それを苦痛だと考えるような人は会社の経営者にはなるべきではないということらしい。
それは単に家庭生活を犠牲にするとかいうことだけではない。
例えば名誉欲というような個人の欲も出てくる。
会社の経営者は個人の名誉欲のためにメセナ活動を利用したり、経済団体の活動に没頭したり、「自分の経営のすごさは」なんてお題で講演をやりたがったりする。
これらは盤石な企業なら良いが、創業して10年や20年のベンチャー企業がやるべきではないと永守さんはいう。

京都にはそういう若々しいベンチャー企業がたくさんある。
例えばオムロン、京セラ、ワコール、任天堂、村田製作所、そして永守さんの日本電産など。皆社歴は20年以内または創業以来の歴史は古いが、業容を転換して最近急成長している企業が多い。
そして京都の経営者は「意味の分からない社会貢献」にやたら金を払ったりしないという。
例えば京都の建都1200年祭ということで、京都府と京都財界が京都を盛り立てるために企業経営者から寄付金を募った。

その寄付金の割当が日本電産にも200万回ってきたが、これを払うかどうかで社内は議論が起こった。
永守さんは
「建都1200年っていわれても知らんがな」
ということで
「払わんでよろし」
という考え方だったらしいがさすがにおつきあいがあるので一銭も払わないわけにもいかず、200万満額払うか100万円に値切るかで大議論が起こったそうだ。
結局営業の意向で200万払ったそうだが、永守さんはこの意見に流されたことを今でも悔やんでいるそうだ。
ちなみに京セラの稲盛さん(稲盛和夫名誉会長)はやはり100万円しか払わなかったそうだ。
この時にポンと数千万円払った新興ベンチャーの若手企業家がいたそうだ。
しかし永守さんらの感想は「なにカッコつけとんねん」ということだったらしい。
この新興ベンチャーは残念ながらその後経営が傾いてしまった。
「それみたことか」
ということだろう。


ここで永守さんは京都の経営者の金銭感覚についてふれた。

「京都の経営者はみんなケチでっせぇ。」

「私も大概のケチやけど、私が師匠と仰ぐ京セラの稲盛さん(稲盛和夫名誉会長)は輪をかけてケチですわ。
稲盛さんとは時々二人で呑みにいくんやけど、いつも割り勘でんな。
向こうの方がだいぶ先輩やけど奢ってもろたことないですわ。
ただ、稲盛さんは酒飲みやけど私は下戸でっしゃろ、稲盛さんはようけ呑んでるのに勘定が一緒なのは理不尽やというたら稲盛さんは
『何言うてんねん、呑まへんのはお前の勝手やろうが。不満やったらお前も呑んだらええのや』
とこうですわ。
これ天下の京セラの名誉会長がいうことでっせ。」

「しかし京都の経営者のこういう金銭感覚は、ムダなことには金を使わんということ。
それは企業の経営には大金をかけなあかんここぞというところが必ずあるので、その勘所に備えてどうでもええことでは金を惜しめということでんな」

これについては永守さん自身も数々のエピソードを持っている。例えば社内清掃の業者を切ってしまったことだ。
「会社の掃除なんか社員が自分でやったらよろし。」
ということで清掃業者の契約を解除して、社内の清掃は全て社員がやるということにしてしまった。
こういう出費が「どうでもええ出費」ということなのだろう。

ただし名誉のためのメセナや社会貢献には否定的な永守さんだが、社会貢献自体に否定的かというとそんなことはない。
むしろ永守さんの考え方では企業は社会の公器なのだという。
だから社会には奉仕しないといけない。
ただしその貢献のしかたが問題だということだ。
企業は本業で貢献しないといけない。

永守さんによると世界の電力のおよそ半分は実はモーターが喰っているそうだ。
消費電力が多いのは冷蔵庫、クーラーだがこの電気製品はどちらも電力の大部分をコンプレッサーを回すモーターが喰っている。
勿論エレベーターやエスカレーターのようなものはほとんどの消費電力はモーターだ。
今では液晶テレビもパソコンもゲーム機も放熱ファンの固まりだから、こういうものに内蔵されたモーターが消費する電力もバカにならない。

これは永守さんから聞いた統計だが、もしもこのモーターの消費電力が1%削減できたら全世界で節約出来る電力はタイ一国の消費電力に匹敵する。
だから永守さんは開発の連中に
「モーターの能率を1%上げろ。そのために部屋が暑いと仕事の能率が上がらんというんやったらクーラーなんか思いっきりかけたらええのや。」
といっているそうだ。
環境のためにクーラーの設定温度を上げるというような
「そんな小さな社会貢献なんかどうでもよろし、クーラーなんかガンガンにかけたらええのや。
それよりもモーターの能率を上げて大きな社会貢献をせんかいな。」

というこのアンビバレンツが面白い。



永守さんがいう社長の役割ということだが、これはこの「社長が講演をし始めたら会社は危ない」という話と同根なのだが、面白いたとえ話をしておられた。

あるお寺で庭園の管理をしているが、この境内の池の鯉がなぜか育たないということで悩んでいた。
この池の鯉はちゃんと餌を与えているのだが、餌の喰いが悪くなぜか育たないで病気で死ぬ鯉も多いという。
何か良い知恵はないかと思っていたところある人が「ナマズを入れたら良い」という知恵を授けた。
この助言を容れてここの池に大ナマズを入れたところ、鯉は見違えるように元気になり餌の喰いも良くなってみるみる成長した。

この理由は実は簡単なことだ。

鯉は天敵がいないとさぼってじっと動かない。だから餌の喰いも悪くなって成長も悪くなる。
しかし天敵のナマズが同じ池に居ることで常に緊張して、機敏に泳ぐようになった。当然腹も空くから餌も食うしどんどん成長して病気になる鯉もなくなった。

社長もナマズのようなものだという。

社内を常に徘徊して社員に緊張感を与えることで、社員も常に気を張っていられるので成長も速いということだ。何もいつも睨みを利かせるということだけではない。
同じ手柄を立てるのでも、社長の見ている前で手柄を立てれば社員だって張り切ることができる。
だから社長は常に社内の隅々に目配せをしていなくてはいけないわけで、社長室なんかにこもっていてはいけない。
ましてや平日の昼間から農薬の揮発ガスを吸いながら芝生の上で大きなミミカキを振り回したり、「私の優れた経営術」なんてお題で講演会なんかやっているヒマは片時もないのだそうだ。



永守さんについてはもうひとつ重要な特徴がある。
一昨年来M&Aとか敵対的TOBなんていう専門用語がまるでプロレス用語のように下世話な言葉になって、いまや主婦でも子供でも、スポーツ紙しか読まないような肉体労働者でも知っているような言葉になってしまった。
しかしそれはライブドアの近鉄買収、ニッポン放送買収、楽天のTBS買収、村上ファンドなどどちらかというとどれもこれもマネーゲームを連想させるようなものばかりが横行し、こういうものが流行しても決して日本のため、この国の産業や国民生活のためにならないというイメージが定着してしまった。
だからくだらない企業の買収防衛策が、目立った反対もなく株主総会で通ってしまったりまた日本は前時代的な排他主義に逆戻りするというやりきれない絶望感がある。

しかし日本電産と永守さんは「敵対的買収はやらない」という信念を持ち、また買収した企業は「短絡的なリストラで短期的な黒字化を目指さない」という徹底したポリシーを持っている。
一度永守さんをお招きした時に、永守さんは私に向かって
「オレは今まで買収した企業の社員の首を、一人も切ったことないでぇ」
と自慢しておられた。
それが自慢になるくらい徹底した人材活用を指向しているのだ。

永守流のM&Aでは買収した企業はほとんどが救済合併という色彩が強い。
モーター業界のライバル企業を買った時に、その理由を聞かれて
「ライバルではあるけどあの会社がなくなったら業界の損失や」
という意味のことを言っておられた記憶がある。
その企業を買収して徹底的な人員再配置をして、能率が落ちているところを再構築するというのが永守流の買収で、自慢しておられた通りリストラは一切やらない。
本来リストラクチャーというのはそういう再構築のことで、首切りは本来の意味ではなかったはずだ。

会社が傾くのは社員がやる気が無いからではなく、社員がやる気をなくすような非効率、風通しの悪さが蔓延するからだ。その原因を取り除いてやれば本来社員というのはやる気はあるはずだというのが永守さんの持論だ。
だから日本電産のM&Aはリストラを伴わないし、そういう実績があるから日本電産とM&Aの交渉のテーブルに付いた相手企業は永守さんらの話に耳を傾けるのだろう。



京都市に建てた自社ビルは高さが100メーター60センチなのだそうだ。
何故こんな半端な高さにしたのかというと
「京都は毎年6ミリ地盤沈下しとるんですわ。あと100年経ったら60センチ沈んでちょうど100メートルになるやろ。それを計算してこの高さにしたんですわ。」
ということなのだそうだ。

どこまでも人を喰った冗談なのか本気なのかわからない話がポンポン飛び出す永守さんだが、日本電産という企業はあと100年経ったら完成するという意味合いがあるのかもしれない。
100年後に本当の隆盛が来るというのは、企業の寿命30年説からいえばそんなに繁栄が続くのかとも思うが
「ホラも言い続ければ本当になるんですわ」
というのが信念の永守さんだから本当に100.6メーターのビルを建ててしまったことで、このホラを実現したいということなのかもしれない。




文中京セラの稲盛和夫名誉会長のお名前を初稿で「稲森」と書いてしまいました。訂正しておきます。指摘いただいたM.O.さんありがとうございます。



2007年7月26日




ビジネスの現場の悩みは意外にどこも同じようなことなのかもしれない

先日かなりの長文になってしまったが、ディテールを忘れないうちに書き留めておこうと日本電産の永守さんの話を書いた。
そうしたら、これとほぼ同趣旨のことを書いておられるサイトを見つけた。

こちらの経営者倶楽部「社員をリストラする会社の末路」というLucy Craft (ルーシー・クラフト)さんの記事がそれだ。
ルーシー・クラフトさんは在日歴が長いアメリカ人ジャーナリストで、主に経済記事を発信しておられる方のようでこういう経営に関する特に日本の問題点をつぶさに見てこられた方のようだ。

この記事でも日本電産の永守さんをテーマに取り上げ、やはりこのカリスマ経営者と言われている人のカリスマ性だけでなく「フォロワーシップ」を育て「リストラをしない=人材を資源と考えている」(建前でなく本当にそう思っている)、社長室にこもらないで社内の隅々に目を配っているというところに注目して永守さんという経営者を分析している。

そして返す刀で安直にリストラを繰り返す企業の末路について分析している。
このクラフトさんというジャーナリストはかなりポイントを押さえている方だと感心した。

特に後半のリストラを繰り返して短期的な黒字化を目指した企業にどういう末路が待っているのかという話は、実感としてあるいは実体験としてそうだとは思っていたが、こうしてはっきりと数字で示されると「やっぱりなぁ」という感じだ

このクラフトさんの記事は通して読むとかなり興味深い内容を含んでいて、
「社長が思いつきでやるブレーンストーミングは時間のムダ」
「社長の(寒い)ジョークで知る社内の人間関係」
「日本にあふれる渋谷系男に見る人材枯渇の予感」
「片手落ちのフレックス勤務制は失敗する」
「社内に堆積するヘドロを除去せよ」
「まずは部下の出社時間を気にする上司を根絶せよ」

など我が意を得たりと思うような内容が一杯詰まっている。
一読する価値は充分ある。

こういう記事を読むと、日本企業が抱えている問題というのは実際には大体どこでも似たようなことなのだという気がする。これらの問題は全てウチの会社に当てはまることだし、ヨソの会社でも大なり小なり当てはまることなのじゃないだろうか。
だから永守さんのような成功例を、単なる「経営者のカリスマ性」というところだけで捉えていると、そこから何も教訓を得られないような気がする。
ところがそういう決めつけ方をする人が、実に多いということも実感しているのだが。




2007年7月27日













Previous Topへ Next





あわせて読みたい
site statistics
青木さやか