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「MacとWindowsシェア争いに翻弄された不毛な10年」

こういう清々しい視点に久しぶりに出会った


「MacとWindowsシェア争いに翻弄された不毛な10年」という捉え方が清々しいくらい冷静で激しくうなづいてしまったコラム

セキュリティアラートのネタ元としてその客観性に甚だしく疑問を感じると書いてしまった"ITmedia"だが、ここでもたまにはこんな良い記事が載っているんだな、と感じ入ってしまったコラムを見つけた。

林信行の「Leopard」に続く道 第5回:System 7で幕をあけた激動の1990年代(後編) (4-4) - ITmedia +D PC USER

MacとWindowsのシェアの問題については、これまでいろんなところで不毛な議論を散々聞いた。

曰く
"Windowsは優れたOSである。その証拠にMacOSより10年以上遅れて誕生したにもかかわらず、90年代に95%ものシェアを獲得し、もはやビジネス現場でも個人ユースの世界でも「デファクトスタンダード」となっている。一人で部屋に閉じこもってパソコンを使っているならともかく、ビジネス現場で共通の規格を守って仕事をしていく、あるいは友人と共有の趣味の世界を拡げていくには、選択肢はWindowsしかない。
早い話Macはマイノリティのくせに文字化けするからダメなんだよ"


曰く
"Windowsが成功したのは、セット販売とワープロの規格化、買収と訴訟を繰り返してライバルを叩きつぶす実弾戦略で成功しただけで、OSとしては何ら革新的なものは打ち出せていない。
早い話Windowsが実現したという技術は全てMacのマネでありWindowsの開発技術者はMacを起動してその機能をマネする以外に何の能力も身につけてこなかった。
結局Windowsには全くビジョンがないからダメなんだよ"


シェアについての記述はここでは
「10年間アップルを迷走させ続けたのは、メディアが常に話題したMac OSとMS-DOS/Windowsのマーケットシェアの話題だ。PC市場におけるMac OSのシェアは、日本では一時、最大20%ほどまで拡大したが、1990年前半でだいたい10%程度、これがWindows 95の発売後は5%ほどにまで落ち込んでいる。」
と分析している。

このシェアの問題は、実はマイクロソフトもそんなに大掛かりなキャンペーンをやったという記憶がない。Windowsはシェア95%だ、Macは大部分のシェアを失ってひん死の状態だとはやし立てたのは、むしろ客観性に問題がある多くのITウォッチャーを自負するマスコミ、IT報道メディア(ITMediaは例外なのだろうか?)だったのではないだろうか。

しかし
「日立はシェア◯%である。もはや日立のパソコンはひん死の状態である」
なんていう報道は見たことがない。
先日の報道のごとくまさしく日立のパソコン事業は頓死してしまうわけだが、そんなにシェアが大事なら、なぜマスコミは三菱電機のApricotのシェアや日立のPrius、シャープのMobiusのシェアを問題にしないのだろうか?
これは報道機関として客観的な姿勢なのだろうか?

このコラムの文中には、シェア後退に危機感を感じたスカリーCEO時代のAppleは、シェアを奪還するために互換機事業にシフトする様が語られている。
しかし結局この互換機ビジネスはほとんど成果を生まないまま、Appleに復帰したスティーブ・ジョブズによって打ち切られてしまったという。

ジョブズ自身はMacのシェアが5%内外であることを指摘されると
「メルセデスやBMWのシェアは5%程度だが、BMWのどこに問題があるのか?」
と反論したそうだ。
これも至言だと思う。


しかしMac信者がいう
「Appleは常に革新的であり、Macの打ち出したGUIの新しいビジョンによってパソコンは進化してきたのだ」
という言い分も本当は事実誤認ではないかというのもこの歴史を綴ったコラムを見ているとわかる。
Macは常に革新的で、パソコンの進化をリードしてきたとMac信者は思い込んでいるが、実際には90年代にはほとんど革新的な技術を打ち出せなかったということが、このシリーズのコラムを読んでいてわかる。
Macが地歩を失った本当の理由は、ユーザの要望に応じるだけで、継ぎはぎのように機能を継ぎ足していき、挙句の果てには機能拡張という考え方を始めて、誰でも好きな機能を追加できてその見返りに非常に不安定になってしまったという理由に尽きると思う。

機材導入の時にMacの導入に反対する人の言い分は今でも決まっている。
「Macは不安定で信頼できない」
というひとことだ。今ではOSXを搭載したMacはもっとも安定したコンピュータのひとつだと確信しているが、そういう反対をする人達の頭にはやはり90年代から2000年代の初頭にかけての、Macのすぐにフリーズする不安定さ、爆弾マークを出してデータも何も投げ出して仕事を放棄する気紛れさが頭にこびりついているに違いない。

それは結局Macの進化は、ユーザ任せの多用途性を獲得するだけで90年代には何ら革新的なビジョンを打ち出せないまま、そのユーザ任せの機能拡張のために安定性まで犠牲にしてしまった結果だとこのコラムは分析する。
至極もっともかつ合理的な分析だと思う。
90年代のSystem7から8、OS9迄の道は、ただ単にユーザにおもねって機能追加をしただけでMacは何ら新しいものを提示できなかった。
Appleが久しぶりに新しいコンピュータの形を提示できたのがiMacでありOSXであるという分析は非常に納得がいく。






パソコンというとベージュやグレーの箱形の機械という常識を打ち破ったiMacのデザイン
当時はカラフルなiMacやiBookのデザインはファッション性ばかりが注目されていたが
実際には「使っていて楽しくなるコンピュータ」という強いメッセージが籠められていた
このことはiMacが登場して間もなく10年が経つ今になってはっきりわかってくる



このように思い込みでシェアの議論に囚われてて「Macが優れている」か「Windowsが優れているか」なんていう論争をするのはいかに不毛なことかというのは、歴史を振り返ってもわかることだしこのコラムはそこいらの真実が実に見事に整理されている。
読みながら激しくうなづいてしまった。

この林信行という方の『「Leopard」に続く道』という連載コラムは他にも

第1回: 理想と現実のギャップにあえいだ黎明期のMac OS

第3回: System 7で幕をあけた激動の1990年代(前編)

第4回: System 7で幕をあけた激動の1990年代(中編)

などその歴史についてまとめた力作が続きなかなか読み応えもあるので、一読をお勧めする。
こういうことをきちんと知って、頭を整理しておけば巨大掲示板などに渦巻いている「MacとWindowsどちらが優れているか」のくだらない議論に巻き込まれなくてすむ。
Macを愛するあまり人生の貴重な時間を浪費しないためにも、知っておくといい話が満載だ。




2007年11月2日













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