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WoodenShips/harurinさん追悼

Silver people on the shoreline leave us be, Very free and easy


WoodenShips/harurinさん追悼

昨日は一日忙しかったので、あまりwebもチェックする時間がないままバタバタだった。
夕刻ちょっと時間ができたのでwebを巡回していたら、にわかに信じられない知らせが飛び込んできた。

WoodenShipsの管理人のharurinさんが亡くなったとのことだ。
最初にこの情報を見かけたのは共闘サイトのメンバーでBBSでもお馴染みの 感じ通信さんの「harurin さん安らかにお休み下さい」というエントリでだった。
そこを見て知ったがちょっと唐突なお知らせだったし、もし誤報だったら慌ててharurin追悼なんて記事を書いて
「勝手に死んだことにするな」
なんて後でお叱りを受けてはいけないと確認情報を集めていたのだが、どうも間違いがないようだ。

正直思いは千々に乱れているので、ここから以下の文章はめちゃくちゃだと思うが容赦願いたい。

Woodenshipsのharurinさんとは直接の面識はない。

それどころかそんなに親しくメールのやり取りをしたこともない。
なのになぜこんなに思いが乱れているのか、考えてみたらharurinさんと私とは似たところがいくつもあるし、同じような時期にサイトを始めたし、私自身いろいろ思い迷った時にWoodenshipsさんがいろいろお手本になったので精神的に助けられたこともあるからだ。
親しい交流は無かったものの、それでも私としてはharurinさんのWoodenshipsは「付き合いが長い」サイトなのだ。

harurinさんのサイトがスタートしたのは2003年の初めだったと思う。
私がこのサイトの前身になるサイトをテスト的にアップしたのが、2003年の8月頃、
「muta's mac scribbling/MacOSXの新着アプリテスト記録とトラブルシューティング」
と改題して本格的にスタートしたのは2003年の12月だったと思う。


OS9を使っていた当時、Macのオンラインウエアの情報が少な過ぎるという不満を持っていたので、自分でそういう情報を発信するサイトを作ってしまおうと始めた私は、実際にサイトを上げてすぐに頭を打ってしまった。
それ以前の個人的な記録は自分さえわかれば良かったので稚拙でも良かったが、やはりオンラインウエアの使い方をすんなりわかるパブリックなサイトにするにはキャプチャーが欲しいと思っていた。
他所のレビューサイトを読んでいても、キャプチャーがまったくないとどこの操作のことを説明しているのか文章だけではよくわからなかったので、自分のサイトにはキャプチャーをたくさん入れたいと思っていた。
キャプチャーを見ているだけでも使い方が理解できるということも多いからだ。

ところがキャプチャーを織り交ぜてレビューを書くというのは実は大変な手間だということがやってみてわかってきた。

これでは続けられるか自信がないと思い、頭を打っていろいろ悩んだ末、先にテストを完全に終了してキャプチャーをまとめて撮って、レビューをその後まとめて書いてレビューの最後にキャプチャーをまとめてキャプション付きで見せれば良いのではないかと思い至った。
こうすれば作業がある程度定型化できるので、書き手は楽になる。
楽になるが、読み手は本文に戻ったりまたキャプチャーに飛んだりで読みづらいのではないかと心配になってきた。


それで他所ではどうしているのかあちこち探しまくって、そこで出会ったのがharurinさんのWoodenshipsというサイトだった。

そこでharurinさんが私が考えたのとほぼ同じような定型化をやっているのを見て

「そうだよね! やっぱりそういうやり方が良いよね!!」

と大いに心を強くした。
これがWoodenshipsさんとの出会いで、最初にharurinさんに励まされた時だった。


harurinさんは映画や音楽、特に音楽に関してもかなり造詣が深いことは記事を読んですぐにわかった。
特にニールヤング、CSN&Yなどには深い思い入れがあるというのも私と同じような音楽遍歴を経ているなということはすぐわかった。
CSN&Yの「4way street」のようなアルバムとの出会いは私にとっても大きな転機になっている。
S.スティルスのライブ版の「Woodenships」という曲には私も衝撃を受けた口だった。

だから、harurinさんが「Woodenships」をサイトのタイトルにしているのを見て、
「そうか、その手が有ったか! なんでオレは好きな音楽をタイトルに持ってくるという知恵がわかなかったのだろう!!」
とちょっと切歯扼腕した。

harurinさんのサイトにはページトップに

「when you are smiling, the whole world smiles with you」
という英文が掲げられている。

これはS.スティルスの「Woodenships」歌い出しの

If you smile at me you know I will understand
Cause that is something everybody everywhere does
In the same way


という下りに対応しているなという気がした。

「やられたな、もうちょっとシャレたタイトルやページデザインを考えたら良かった」

とちょっとharurinさんに凹まされた最初の瞬間だった。

今聞けばharurinさんと私は完全に同世代で、ひょっとしたら学年もいっしょかもしれない。 だからこの時代の空気感がよくわかるんだね。


以降、Woodenshipsは私のブックマークの中にしっかり組み込まれ、毎日定時巡回するサイトのひとつになっていた。

そういえばブログ全盛の時代に有って、かたくなにというか頑固にhtmlのタグ手打ちのサイトにこだわっておられるのもWoodenshipsさんには親近感を感じていた。
というかそういうことにこだわっているMac系のレビューサイトって、私が知っている限りではharurinさんのところと私のところだけだと思う。
私には実はこだわる理由があったのだが、今となってはもう
「集積したコンテンツをブログなどに置き換えるのが面倒だ」
という理由が主になっている。
harurinさんにはどういう理由があったのか、一度機会があったら伺ってみたいと思っていたのだがその機会は永遠に失われてしまった。


私がいい加減な思いつきで言い出した「勝手にMacオンラインウエア情報サイト共闘」という情報サイトコロニーなんてヨタにも快くつきあってくれて、「うむらうす」の「ハル」さんが作ってくれた共闘サイトの横断的な検索パーツなんかもWoodenshipsに貼っていただいた。
結局私は思いついただけで何もしなかったが、こうした検索パーツを開発していただいた「ハル」さん初め何人かの皆さんやharurinさんのように快くこの検索パーツを採用していただいた皆さんによって、なんとなくこういうものが形になった。

またその時に

「私も毎日大量に発表されるアプリの紹介に手が回りきっていないということは常々感じている」

ということもコメントされていた。
これがharurinさんに励まされた2度目なのかもしれない。
しかし、このコメントはharurinさんのサイトを運営する動機に深くかかわったコメントだということが後にわかった。


私のサイトとharurinさんのサイトは文体や性格的には正反対かもしれない。
口が悪くて悪態もつくし、喧嘩を売られたら定価で買う私とは好対照に、harurinさんは物事をくさすということをしなかったし、harurinさんのサイトで何かに悪態をついている文章を読んだことが無い。

harurinさんの人柄の温かさを感じることが多かった。

口が悪くて、ケンカもするが私もサイトを運営していく上で、原則にしていることがある。
それはアプリのレビューについては(映画などのレビューも同様だが)
「くさすだけの内容のレビューは書かない」
という原則だった。
勿論企業製の製品版のソフトはこの限りでは無い。
しかしアマチュアのあるいはプロであっても基本的にはボランタリな理由で公開されている、フリーウエア、シェアウエア、そういうものはけなすだけだったら取り上げないということをここでは原則にしてきた。

それは気に入らないアプリを「出来が悪い」なんて批判することは単に時間のムダで、取り上げるべきアプリは大量に積み残しているのにそういう批判に時間を費やしているのが惜しいと思ったからだ。
これもどこかで書いたが、私の場合
「こんなアプリは使い物にならない」
なんて情報よりも
「これは使えるすばらしいアプリだ」
という情報の方が遥かに受け手として役に立つと思っているから、そういう情報しか書かないということは堅く自分に律していることだ。

アプリのテストをしている時も必ずどこか褒めることができる部分は無いかと思って探している。
もし褒める部分が全くない時には、たとえテストが完了していてもそのアプリはレビューでは取り上げないことにしている。
だから私の場合実際にはここに書いているよりももっと多くのアプリをテストしている。
ただ最近はハズレを引くことは本当に少なくなったが。


harurinさんも

「アプリのレビューは褒めるコメントしか書かない」

とどこかに書いておられたのは我が意を得たりと思った。
ちょうど私が今年の始めに自分のサイトの閉鎖を考えていた頃だったと思う。

我が意を得たりと思ったが、しかしよく読むとharurinさんと私との意図には実は根源の部分で大きな違いがあることがわかった。
私はあくまでユーザとして、アプリの情報の受け手の立場からすべてを見ていた。
私自身がかつて受け手であり、受け手として不便な思いをしていたからレビューサイトを始めたという動機が有ったからだ。

ところがharurinさんはアプリの作者さんの立場に立って全てレビューなどを書いておられたのだ。
せっかくコードを書いたのに情報発信力がないオンラインウエア作者さんのために、そのアプリを紹介する・・・これがWoodenshipsの趣旨だったのだ。

harurinさんのメッセージは常にオンラインウエア作者さんへの応援だったというのだ。

だからharurinさんのレビューには作者さんへの愛を感じられるものが多かったと感じたのはそういうことだったのだ。

結果的に出てきた原則はよく似ていたが、根源の動機の部分ではharurinさんと私とでは視点が180度違った。
こういう見方,考え方があるのだというのも私がharurinさんから学んだことだ。
実のところ今年年初のサイト閉鎖を思いとどまったのは、このharurinさんの動機を知ったからかもしれない。

これがharurinさんに励まされた3度目かもしれない。


結局は私とharurinさんの接点は、同じようなサイトを運営するサイト管理者というだけで面識も無い。
それどころかメールのやり取りを親密にしていたわけでもない。
だから上記に書いたような「harurinさんに励まされた」なんて思いは私が勝手に思っているだけで、先方は何とも思っていなかったかもしれない。

それだけの淡い関係なのに、昨夕harurinさんの訃報に接して、自分でも抑えられないくらい思いが乱れた。
その理由は何なのかつらつら思い出してみたら、そういうことだった。


通常ならここで「謹んで冥福をお祈りしたい」というような文句で締めるのが慣例なのだろう。
けど、こうした様々な事情が有って、Woodenshipsは私にとってはただ単に
「たくさんあるMac系サイトのひとつ」
というような位置づけではない。
だから私としてはharurinさんの記憶を風化させたくない。
簡単に「過ぎ去ってしまった人」にしたくないと思っている。
だからあえて「お疲れさまでした、ゆっくりお休みください」なんてコメントは書かない。
共闘サイトとしてこれからも一定の位置を占めてくれるものと思っていた。
最近更新が止まっていたのでどうしたのかなとは思っていたが、こういうことになるとは思いもしていなかったので今本当に心細い思いをしている。

harurinさんももっとWoodenshipsの更新を続けたいという思いを残してしまったに違いない。
残念だ。
私が今いえることはこれだけだ。


なんだか、本当にまとまりのない文章になってしまったがしかたがない。
とりあえず今の私の思いをぶちまけただけの文章だから、読みづらいのは勘弁してもらいたい。




2007年10月24日













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