囚人が大集団で合成の誤謬大会なんてことないよね?ね?
最近面白いことを知った。
数学の領域だと思うのだが「ゲーム理論」という領域があって、ここに「囚人のジレンマ」という有名なテーゼがあるのだそうだ。
これは何を言っているかというと、個人としての最良の選択が必ずしも全体から見た最良の選択とはならないという矛盾律のことだ。
2人共犯で犯罪を犯した囚人が別々に留置されている。
この二人には以下の司法取引の条件が提示される。
1)二人とも自白しなければ二人とも刑期2年
2)一人だけ自白すれば自白したものは刑期1年に減刑、自白しなかった共犯者は刑期15年
3)二人とも自白した場合は二人とも刑期は10年
4)こういう条件を共犯者も提示されていることを二人は知っている
勿論二人は別々に収監されているので相談したり、口裏を合わせることはできないとするとどうなるか。
合理的に考えると、二人とも自白しないで刑期2年というのが最良の選択になる。
ところが個人としては結局そういう選択をしないという。
個人の問題になれば違う考え方をする。
1)もし共犯者が自白しないとすれば、自分だけ刑期を1年に減らせることになる
この場合自白しないよりもトクということになる。
2)もし共犯者が裏切って自白したら、自分だけ15年の刑を食らうことになる
この場合も自白すれば刑期を10年に減らすことができるのでトクということになる
3)口裏を合わせるような打ち合わせを許さないので結局二人ともこの思考パターンに陥る
それで最良の選択である二人とも否認して二人とも刑期を2年に押さえるという選択は結局されない
つまり、この場合の結論は二人とも自白して10年の刑を食らうという一種類しかないことになる。
性悪説のことを言っているようだが、そうではない。
比較すれば個人はそういう選択をせざるを得ず、しかし全体から見たら結局もっとも愚かな選択をするということだ。
この話何かに似ている。
これは数学的な命題だが、経済学にほぼ似たような話がある。
「合成の誤謬」というテーゼだ。
例えばこういうことだ。
景気が悪くなると雇用不安も出てくるし賃金のベースアップも凍結される。
ここにスーパー店員Aという人物がいて、彼はどうやって家計を防衛するか。
彼は支出を抑えて収入をできるだけ貯蓄に回そうとする。
また景気が減速して金利が下がれば、全体に財よりも現金の方が価値を持つことになる。
消費を抑えて借入金を少しでも返済するということを個人はする。
どちらも「貯蓄率」の上昇に繋がるが、スーパー店員A個人としてはこの選択は生活防衛のために正しい方法ということになる。
ところが経済全体から見ると、個人は消費しなくなり消費財を販売している企業の売り上げは減少することになる。
企業の業績は悪化し従業員のベアを凍結しさらに賃金カットも検討しなくてはいけなくなる。
この企業の従業員Bは仕方がないから家計の支出を抑えざるを得なくなる。
この従業員Bの家族はスーパー店員Aの勤務するスーパーの常連客なのだが、そこでの買い物支出も減ってしまう。
こうしてスーパーの業績も悪化し、スーパー店員Aはさらに賃金カット、リストラの脅威に備えるために家計の支出を押さえざるを得なくなる。
個人としては正しい生活防衛が全体としては経済の停滞に繋がり結局個人の生活の脅威になってしまう。
こういう状態を「合成の誤謬」という。
企業は不況になるとリストラをし、借入金を減らし賃金を抑え内部留保の現金を増やそうとする。
結果として経済全体を減速させる。
この20年間日本の企業経営者はずっとこういうことを繰り返してきた。
Wikipediaに面白いことが書いてある。
米沢藩の財政を立て直した上杉鷹山は名経営者の鏡として尊敬している経営者が多い。
紀州藩の財政を立て直した徳川吉宗もそうだ。
しかし同じ手法を幕政改革に取り入れた徳川吉宗の改革は失敗した。
上杉鷹山を尊敬しその手法をそっくりまねた平成の経営者も皆失敗した。
バブル崩壊からもう20年経つのに日本の景気は停滞したままで、97年には橋本龍太郎が総理になって国まで上杉鷹山風の経営をまねたため、吉宗と同じ失敗をした。
橋本内閣は消費税を5%に引き上げ財政規律を引き締め、財政再建を優先課題にした。
その結果一気に景気は落ち込み、不況は20年に長引くことになり小渕内閣などの後継内閣は大盤振る舞いの公共投資で景気刺激をやらざるを得なくなった。
合成の誤謬を国レベルでやらかしたのがこのミスということらしい。
いま菅内閣が消費税引き上げの話題を持ち出して来ている。
その言い分はこういうことなのか、
「この20年間財政出動は充分やってきた。しかし景気は良くなっていないではないか。
その方法で景気を回復させるのは間違っている。だから財政を引き締めて景気刺激を機動的に可能にする財源を生み出してから景気対策をする」
一見合っている理屈のように見える。
でもよく見ると何か変。
財政出動をやってきてそれでもこの程度の景気ということは、この強心剤を止めたらどうなるのだろう?
しかも増税、財政引き締めは景気抑制的な政策の筈だ。
インフレが進み景気が過熱している時にこういう政策を取るなら意味が分かるが、リーマン以降景気がどうも戻っていないこの時期のそれをするというのは、どういうことなのか。
財政を引き締めて余剰のお金で景気刺激をやるというのは、家計を引き締めて生活を防衛するスーパー店員Aと同じ発想ではないのか?
それとも国がいくら支出をしても、経営者は相変わらず上杉鷹山気取りでリストラ、賃金カットで内部留保を溜め込んでるし、個人も生活防衛のために貯蓄率を引き上げる行動ばかり取るのだから、囚人のジレンマで
「どうせお前らは裏切るにきまってるんだから、企業や個人が潰れても国は残る財政引き締めをやった方がトク」
と考えているんだろうか?
囚人のジレンマという言葉を知って、ふとそういうことを思った。
この言葉は環境保護が進まない理由を説明するのによく使われるということだ。
1)各国が協調して漁業捕獲量を規制すれば永久に漁業は続き価格は安定する
2)しかしひとつの国が乱獲に進めば20年で資源は枯渇、資源単価も高騰し産業衰退による(失業対策などの)コストも発生
3)他国が乱獲に走れば漁業規制を守っていても20年で資源は枯渇、しかも産業衰退による社会コストはやはり発生する
4)すべての国が乱獲に進めば5年で資源は枯渇、産業衰退によるコストも急激に発生
この場合一番最良の選択は1)であるのは自明であるにもかかわらず、結局各国の選択は4)しかないことになる。
自国がいくらルールを守っていても、他国がこのルールを無視して乱獲に走れば結局資源は枯渇し、失業対策などの社会コストは負わなくてはいけなくなる。
どうせ資源は枯渇し社会コストは負わなくてはいけないなら、乱獲してその時だけは国が豊かになった方がマシということになる。
目先を考えるなら、そして他国が裏切ることを考えるなら選択肢は4)しかない。
財政出動しても、財界も国民もどうせ協力する気がない。
ならば財政再建だけはとりあえ進めておいて、その時まで自力で生き残ったものだけを救済すれば良いではないかなんてことを考えるような政治でないことを希望する。
2010年6月19日
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