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立花隆のチョンボに学ぶ
/Object lesson

話を分かりやすくしようと思って例を引くと思わぬ失敗をすることがある


立花隆のチョンボに学ぶ〜話を分かりやすくしようと思って例を引くと思わぬ失敗をすることがある

「ひろ式めもちょう」さんのいくらコンピュータでも足し算の繰り返しでかけ算の計算なんかしませんというエントリを見て思ったこと。

教育論議に関してはいろんな人がいろんなことを言う。いろんな例を引いていろんなことを言う。
こういう教育というような目に見えない分かりにくいもの、だからどうあるべきかも抽象的になってしまうものについて論じる時には、話を分かりやすくするためについ具体的な例を引きたくなる。
そうすることで話が分かりやすくなって説得力が補強されるような気がする。
しかしこういうときにコンピュータのことを深く知っているわけではない文科系は、往々にしてこういう失敗をする。

立花隆はハイテク関係に造詣が深いジャーナリストということになっている。(根強い批判はあるが)
しかも90年代にはもうそういうポジションにいた。
間違いも多いが、しかし一般人には分かりにくい先端科学で今何が起こっているかという問題を分かりやすく解説してくれた最初の人だという功績は評価されていいと思う。
少なくとも理工系の権威たちはそういう努力をそれまで極端に怠ってきたからだ。

だけどもそういう人でも
「コンピュータはかけ算すら足し算の繰り返しとして計算する。そういう数学の基礎中の基礎をちゃんと理解しているかどうかが最も重要なのだ」
と筆が滑って書いてしまう。
誰かからそういう動作原理を聞いたのかもしれないし、本で読んだのかもしれない。

しかし、実際にコードを書いている人から見たら
「おまえ、ちょっとZ80でかけ算するコード書いてこいと。小一時間問い詰めたい。

ぼくがザイログニーモニック書いてたのは小学生のころだが、それでも単純にかけ算を足し算の繰り返しでコーディングしたら激遅なのはすぐわかった。」

という突っ込みが入ってしまうような、「いつの時代の話をしてるんだ?」という話になってしまう。

これは知らないことについてあまり「知ったか」なことを書くとこういう失敗をしますよという教訓なわけだが、もうひとつコンピュータの命令セットと教育改革は本来全然無関係な話題なのにそれを無理に例を引いてきて
「だから教育には基礎が大事なのだ」
などという結論に強引に持ち込もうとした点の方がもっと問題だと思う。

「だから愚直なコンピュータ技術者を育てるためにも教育は基礎を徹底的に叩き込むべきなのだ」
というのもその根拠が「コンピュータ技術者もちゃんと足し算ができるように仕込んどけ」という意味だったら人をバカにしているにもほどがある。
なんだかコンピュータのコーディングという技術の話をしていながら、実際は儒教精神のようなものを語っているような変なちぐはぐ感がある。

これは朝日ジャーナリズムによくある傾向だ。
何か具体的なものについて話しているように見えて、実際はその現象の動作原理などというものはどうでも良くて、そこから学ぶべき人間の精神の話に強引に落とし込むというスタイルだ。
儒教だろうが基督教だろうが、イスラム教だろうがコンピュータの動作原理は一緒だ。
だから儒教精神を深く学んでいようがいなかろうが、コンピュータは適切なコードを書けばちゃんと動く。
やはり本来釣り合わない無関係なものを無理矢理結びつけて論じようとした失敗が、こういう変な議論になってしまったと見える。

立花隆という人はもともとが筆力がある人だから、こういう豪腕の人は時に自分の腕力を過信してこういう不合理な投球をしてしまう。
しかしこの立花隆の教育論はコンピュータに関してはシロウトな私が見ても
「変な理屈!?」
と思ってしまう。
立花氏にはあまりこういう腕力を過信した手投げをやっていると、そのうち肩や肘を痛めてピッチャーとしては使い物にならなくなりますよとアドバイス差し上げたい。

と同時に具体的な例を引いて物を書く時には、注意が必要だという教訓も感じる。
私も気をつけることにしよう。




2007年3月29日













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青木さやか