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2019 年 2 月 13 日




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歴史上の偉人の名言はかなりの部分が創作だったり演出があったりで歪曲されている

ツイッターで見つけた歴史上の偉人の名言に関する大喜利。
ツイッターで見つけた「言ってない」大喜利

「織田信長「我は第六天魔王なり」←言って無い
明智光秀「敵は本能寺に有り!」←言って無い
坂本龍馬「日本の夜明けぜよ」←言って無い」

そうなんだよね。歴史上の登場人物について知っていることの結構な部分が、実はドラマや映画、講談などで創作されたウソ(演出)だったりして実際は言ってない、またはかなりニュアンスが違うという話が多いと前々から思っていた。

明智光秀の「敵は本能寺に有り!」は信長に命じられた備中攻め(備中高松城攻めに苦戦していた羽柴秀吉の援軍)として丹波路を西進している途中で、突然全軍を止めて将達にこう言ったということになっている。
しかしこの話の大元の出典は『明智軍記』で、これは江戸時代に流行した軍記物、今日でいうところの歴史娯楽小説のようなもので、歴史家でこの話を支持している人はあまり多くないと思う。

すごく有名な話で「洞ヶ峠」「ここが天王山」という言葉とともに今日でもごく普通に使う言い回しの元になっているのに、ウソだということになる。

それは、そうだ。
明智光秀の信長への反逆、いわゆる本能寺の変はとても周到に計画された軍事クーデターで、この明智軍記の劇的なシーンを取り入れたのちの時代の大河ドラマなどですっかり「歴史の常識」みたいになった言葉を発して半狂乱になって本能寺を焼き討ちにした光秀像とはかなり矛盾する。

このシーンを活かすなら、光秀は信長のパワハラで精神のバランスを崩したとかいう設定をしないと突然こんなことを言い始める説明にならない。

しかし実際の明智光秀は下克上で農民から大名になったような荒くれ者が跋扈するこの時代にもまだこんな人がいたんだというくらいの教養人で身分も卑しからぬ出自の人だし、そうはいっても細川氏、足利氏などの補佐をしてきて戦国の辛酸は散々舐めてきた苦労人だから、信長に頭をどつかれたぐらいで
「オノれ信長!いてもうたる!」
なんて激情に駆られて突然焼き討ちを始めるような人物とは思えない。

光秀の本能寺の変は周到に計画された軍事クーデターで、本能寺を焼き討ちした後も織田の主要家臣はすぐには戻ってこれないと踏んでいた。 実際織田家の主要な家臣は各方面の敵と正対して身動きが取れない状態になっていた。
柴田勝家、丹羽長秀が京都に駆けつけたのは数ヶ月後だし、滝川一益に至っては天王山どころか信長の後継者を決める清洲会議にすら間に合わなかった。

そうして主要家臣が手間取る間に京阪神の主要な大名を味方に取り込んで、足利将軍も味方につけて全国の反織田勢力を味方につけて柴田、丹羽などの家臣団の主君の敵討ちをするために上洛する勢力を数ヶ月のうちに各個撃破して天下を制するというかなり現実的なプランを持った軍事クーデターだった。

そのプランが崩れ去ったのは羽柴秀吉がわずか10日ほどで備中攻めを切り上げて京都に戻ってきてしまったためだった。
数ヶ月は時間があると踏んでいた明智のプランはもろくも崩れ、同盟を約束した筒井順慶に対してもこの予想外の展開は明智の窮状を洞ヶ峠で傍観するような衝撃を与えた。
そしてほとんど準備ができないまま光秀は天王山で秀吉を迎え撃つことになる。
これは「中国大返し」とかいう教科書にも載るくらいの事件。
(そしてこの日和見を意味する「洞ヶ峠」だが実際の筒井順慶は洞ヶ峠までは出張っていなかったという歴史家の話も聞いたことがある)

単なる一時の激情ではなく、周到な叛乱計画だったとしたら明智光秀像はかなり印象が違ってくる。

丹波路で脂汗を流しながら「敵は本能寺にあり」と叫んだというのはドラマチックなシーンだが、政権奪取を狙う老将軍のイメージではない。


他にもここでもいわれているけど
「日本の夜明けぜよ」
は坂本龍馬の語録としては残っていない。
多分嵐寛寿郎が主演した「鞍馬天狗」で
「杉作!日本の夜明けは近い」
というセリフがあったのが元になっていると思う。

あの映画の「倉田典膳」は確かに坂本龍馬が幾分かモデルになっているし、ひょっとしたら大河ドラマの「龍馬がゆく」あたりでそういうセリフがあったかもしれない。


なんだ、こうして見てみると歴史上の偉人の名言・エピソードって結構ウソじゃん…ということはかなりある。

ウソではないかもしれないが言葉の一部が切り取られてかなり違うニュアンスで伝えられているというのもある。


織田信長「是非もなし」
これは司馬遼太郎なんかの小説でも光秀の叛乱を知った信長が
「是非に及ばず」
と一言嘆息して、おのれの最後を悟るというシーンがあるが、実際にはかなり違う状況で発せられた言葉らしい。

この言葉の出典は「信長公記」なので、これもやや資料価値が低い出典だが、ここに
「是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚(おおせ)のところに、森乱(森乱丸)申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。…」
という下りがあって、実際の意味は
「謀叛が明智の兵と分かった以上、これ以上は議論は無用、守りの備えをせよ」
という意味で「是非に及ばず」といったということが書かれている。
実際は諦めの言葉ではなく「評論はいいからとにかく戦え」というニュアンスだったようだ。
こうなるとかなり印象が違って見える。

もっとも信長の本当の最後の言葉は、三谷幸喜の映画「清洲会議」のいうように
「アッチッチ」
だったかもしれない。

その言葉を実際に聞いた側近はみな信長に殉じて死んでしまったので、本当の最後の言葉は残っていない。
上記の信長公記の「是非に及ばず」は騒乱が始まった当初、信長が最初に落ち延びさせた侍女からの伝聞情報だからだ。


侍女を騒乱の最初に落ち延びさせた優しさがある信長というのは意外な感じがする。
最近のドラマや小説の信長の扱いは「残忍で冷酷、暴力的な専制君主」というイメージが多いからだ。

だが実際の信長は意外に家臣をいたわり優しさを感じさせる人物だった。

羽柴秀吉の浮気癖が治らないというので妻の寧々が信長に直訴したというエピソードがある。

寧々は「亭主の浮気癖が治らない、上さまからも亭主殿をきつく折檻してやってほしい」と訴えた。

これに対して信長は
「ハゲねずみには私からもよく言って聞かせる。しかしお前ももはや一大名の奥方となったのだから、若い娘のように悋気(ヤキモチのこと)ばかり起こしていないでどっしりと構えていればよい」
と意外なほど優しい気配りの手紙を書いている。

「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」
の人と同一人物とはとても思えない。
光秀を半狂乱の謀叛にまで追い込むパワハラ上司とも思えない。

そしてその「鳴かぬなら殺してしまえ…」も江戸時代の創作なのでもちろん本人がそうした川柳を詠んだわけではない。
というか天正時代にはまだ川柳なんていう文化そのものがなかった。

なんだ、信長についてみんなが知っているエピソードはウソばっかりじゃないか!


信長だけではない。

「板垣死すとも自由は死さず」
かっこいい名言だ。

これは明治維新後、太政官政府の専横に反発した維新の功臣・板垣退助が政府から下野して憲法の制定と公選による議員が参集する国会の設立を求めた自由民権運動に身を投じた時に、暴漢に襲われて重傷を負った時に発した言葉だとされている。

実際に民権運動の最中に板垣退助は暴漢に襲われて重傷を負っている。
しかしその時にどういう言葉を発したのかという記録は残っていない。

これについても先の大喜利で
板垣死すとも… ←言ってない
痛い、医者呼んで!… ←言ったらしい

と書いていた人がいたが、確かにそういうことを言ったかもしれないが、ちょっと違うかもしれない。

明治時代の、特にこの幕末期に青春を迎えた世代はとにかくツッパっている。
だいたい江戸時代末の武士の子供は「痛くても痛くない!痛い顔なんかするな!」という教育を受けている。
そして漢文・詩文を身につけ史学を読み漁り国士たるを美として常にツッパらかって生きていた。
戦国時代の正直ベースの日本人とは別の種族のようだ。
なんせうちの学祖も
「真理似寒梅 敢侵風雪開」(真理は寒梅のごとし 敢えて風雪を侵して開く)
と書いて英学校を創業したが、そのような世代だ。

だから「痛いからお医者さま呼んで!」と言ったかもしれないが
「俺を殺しても自由民権運動はなくならんぞ!」
くらいの捨て台詞は暴漢に向かって言ったかもしれない。

明治時代の政治運動は演説会を開いて甲論乙駁のようなこともやったが、庶民に向かって辻説法の代わりに講談師が政治談義を聞かせるということもかなり盛んに行われた。

江戸時代に真田幸村の鬼のような暴れぶりを講談にして聞かせ、吉良邸討ち入り事件が起きたら忠臣蔵を講談の演目に加えて幕政への溜飲を下げていた文化があるから、講談師は当然太政官政府にも反発して板垣退助らの民権運動に好意的だったに違いない。

そしてその板垣退助暗殺未遂事件は早速講談の演目になったのではないか。
そしてそこで「俺を殺してもどうにもならんぞ」という捨て台詞は
「板垣死すとも自由は死さず!」
というかっこいい決め台詞に脚色されたに違いない。


同じような話は海外にもある。

ルイ王朝の最後の王妃となったマリー・アントワネットが、食料がないと王宮の前で騒ぐ市民を見て
「あの人たちはなぜ騒いでいるの?」
と問うたところ侍女が
「子供達に与えるパンがないと言っているのです」
と答えた。これに王妃は
「まあ!、パンがないならケーキを食べればいいのに」
と言ったという逸話だ。

これは実際には言っていないし、ずっと後の時代に脚色されてできた逸話だ。

しかし事実ではないが、事実の雰囲気を端的に表現するために創作された逸話だ。

マリー・アントワネットはオーストリアの王女でフランスに輿入れした時に、宮殿に莫大な費用をかけた。

あまりの浪費グセに実母のマリア・テレージア王妃も心配して
「生活を慎ましくしてあまり贅沢をしないように」
と娘を諌める手紙を送っている。
ハプスブルグ家の女帝でオーストリア・ハンガリー帝国の事実上の指導者だった母も心配するほどの浪費家ぶりだったらしい。

当時のフランスは戦費がかさみ国内の経済は破綻して先の食糧難に不満を持つ市民の暴動事件が頻発していたが、マリー・アントワネットはそうした現実に背をそむけるようにヴェルサイユ宮殿の中に田舎の農家を模った離宮をしつらえてそこで娘たちと家畜を飼ったり牛の乳搾りをする生活に明け暮れていた。
この離宮の建設にも莫大な税金が投入されたとのことだ。

マリー・アントワネット自身は静かで平和で平凡な生活を望んでいただけかもしれないが、その平凡な平和を隔離室に実現するために莫大な税金が使われたことに重税に喘ぐ市民が反発し、その気分がのちの時代に例の「パンがないならケーキを…」発言に凝縮されたということらしい。

実際には「パンがないならケーキをお食べ」はもっと前の時代に別の人物が言ったという記録がルソーの著書にもあるので、これは他で伝わっていたこのエピソードをパリ市民がマリー・アントワネットが言ったということに脚色してしまったようだ。

マリー・アントワネット自身はフランス人にオーストリア地元産の「クロワッサン」というパンの焼き方を伝えたりと、今日のフランス文化に結構多大な影響をもたらした人なのだが、この「パンがないなら…」発言というデマのせいでフランス人からは未だにあまりいい印象を持たれていない。


その王朝を倒した共和政府はやがてナポレオンの帝政時代に入るが、このナポレオンも逸話が多い人だ。

ナポレオンの一番有名な言葉は
「世の辞書に不可能という言葉はない」
というものだが、これも私が聞いた逸話とはちょっと違う。

聞いた話では確かクリミアを一週間で陥落させよと命じたナポレオンに対して、作戦会議に居並ぶ将軍たちが
「それは不可能です」
と答えたところナポレオンは激昂して
「不可能などという言葉はフランス語ではない
今後二度とその言葉を世の前で発するな」

と言ったというエピソードだった。

この
「不可能などという言葉はフランス語ではない(Impossible n'est pas français.)」
が「世のフランス語辞書にはImpossibleなどという単語は載っていない」というふうに脚色されたらしい。
が、このそもそも将軍たちに「不可能などという言葉は二度と使うな!」とハッパをかけたというエピソード自体が創作だということなので、この話は二重に脚色されている。


以下余談

こうしてみていると「ブルータスよ、お前もか!」と絶叫したジュリアス・シーザーの逸話もかなり怪しくなってくる。

これも自分の脇腹を刺し貫いた盟友ブルータスの顔を見て、シーザーが
「お前もぐるやったんか!」
ぐらいのことを言ったのかもしれない。
この辺詳しい人情報あったらよろしく。
もっとも古代史のエピソードはもともと検証するほどの確実な資料も少ないので「そんな類のことを言ったんだろう、おそらく」というぐらいの話でいいかもしれない。


世界初の有人宇宙飛行を達成したユーリ・ガガーリンの有名な言葉は
「地球は青かった」
だったが、これは確かに言っているが、普通の通信チェックの中の一言だった。

打ち上げに成功して弾道飛行に入ったボストークに向けてソ連の地上管制が「ヒマラヤスギ(ガガーリンのコードネーム)、聞こえているか?」と呼びかけたところガガーリンは
「聞こえる、空は非常に暗い、ここから地球が見える、青い、とても輝いている」 と答えたとのこと。

こうしてみると普通の通信記録のように見えるが、この中から「地球は青かった」という一文だけが抜き出されてガガーリンの名言となった。

アメリカのジェミニ計画、アポロ計画では飛行ミッションごとに「イーグル」「アクエリアス」などの船のラジオコードネームがつけられて
「イーグルは舞い降りた」
「おかえりアクエリアス」

などとコードネームで無線で呼び合ったが、飛行士個人は「バズ」「ニール」などとファーストネームで呼んでいた。 それに対してソ連は政府が公式発表するまでは飛行士個人は特定されないように個人もすべてコードネームで呼び合っていた。
ユーリ・ガガーリンのコードネームが「ヒマラヤスギ」だった。

それに対して世界初の女性宇宙飛行士のワレンチワ・テレシコワは「チャイカ(カモメ)」というコードネームが割り付けられた。

それでテレシコワのミッションでは地上からの呼びかけに「こちらカモメ」と応答した。

これが世界初の女性飛行士の名言「私はカモメ」になった。

由来を知れば名言でもなんでもない普通のルーチン無線手順でしかない。


その宇宙計画では数々の事故が起きているが、その中でももっとも深刻な有人飛行の事故がアポロ13号で起きた。

この時に動揺してパニックを起こしかけた管制室のスタッフに向かって、主席管制官のジーン・クランツが
「静かに!みんな落ち着こう、そして問題を解決しよう」
と語りかけて全員を落ち着かせたというエピソードが語られている。

これは確かに言っている。

だが言っているが、この一部分だけ切り抜かれてかなりニュアンスが変わっている。

「Quiet down, quiet down—let's stay cool, people. ... Let's work the problem」というこの文章には続きがある。
「静かに!静かに!皆落ち着いて、当て推量で行動してこれ以上事態を悪くするな!電算機を予備も起動して、ここに必要な人物は誰であれ呼びつけて問題解決に当たれ」
というのがクランツが実際に言った言葉で、映画「Apollo13」では再現されていた。

以前アポロ13号の事故を取り上げたテレビ番組では
「さあ落ち着いて一緒に問題を可決しよう」
と訳されていて
「まずスタッフを冷静にさせるとはさすがだ」
とかゲストが感心していたが、実際はそういうニュアンスではなく
「騒いでないで落ち着いてコンピューターもスタッフも必要なものは全部呼びつけて問題を解決しろ!」
とういうような意味合いだ。
当時の何人かいた主席管制官の中でも、もっともスパルタンなジーン・クランツらしいものの言い方かもしれない。


比叡山を焼き討ちにした時に織田信長は「坊主のバーベキュー」とは言わなかった。

そりゃそうでしょう。バーベキューなんて言葉は当時の日本人は知らなかった。

こんな冗談みたいな迷言吐いた人なんているわけない…と普通は思うかもしれないが実際にはいた。

ベトナム戦争をフランスからアメリカが引き継いで泥沼化し始めた当時、南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権は秘密警察なども駆使して市民を弾圧して、その反感を買っていた。
この圧政に抗議して仏教徒の僧がガソリンをかぶって公開焼身自殺をする抗議活動が続いた。
この時にゴ・ジン・ジェム大統領の妻のマダム・ヌーがテレビのインタビューに
「坊主のバーベキューなんかには興味がないわ」
と答えた。

この映像はベトナム市民の非常な反感を買って、政権の危機につながった。

結果CIAはゴ・ジン・ジェム政権では軍部を抑えることができないと判断して、南ベトナム軍のクーデターを暗黙の承認、ゴ・ジン・ジェム夫妻は暗殺され代わりにグエン・バン・チュー政権が成立した。

これはマダム・ヌーが実際にテレビで言っている映像を観た記憶があるので確かに言っているようだ。

こういう嘘のような歴史的迷言が、実は事実だったりということもある。


こうした「実際には言ってない」「実際に言った」というエピソードに対して、
「言ってないっていう証拠でもあるんですか?
言ってないっていう一級史料でもあるんですか?」

とか噛み付いている人もいるが、相変わらずこういう「悪魔の証明脳」はネットにあふれている。

実際に言ったかどうかは、言ったという根拠となる資料を示せばいい。
反論の余地がない根拠を示せれば「実際に言った」ということになるし、示せない場合は「実際には言ってない」ということになる。
それだけだ。

実際には言っていない証拠なんて示す必要はないし、そんなことは不可能だ。

織田信長は死ぬ直前に
「アッチッチ」
と言ったかもしれない。
しかし言ってないかもしれない。
絶対に言っていないなんて証拠は示すことができない。
なんせその発言を聞いたかもしれない森蘭丸以下側近たちは信長と一緒に死んでしまったから、言ったという資料はどこにも残っていない。
根拠がない発言は存在しないのと同じことだ。
絶対に言ったと思うなら、そう言ったという資料を探せばいい。
それだけのことだ。
まあ、見つかりっこないけど…

この世のすべての空間は知覚することができない「エーテル」という物質で満たされているというのならエーテルの存在を主張する方がその根拠を示せばいいのだ。

それに反論する側は「エーテルが存在するという証拠は見つかっていない」とだけ言えば存在しない証明は完了している。
存在する証拠が見つかるまでは「エーテル」は存在しないことになる。
「存在しない証拠があるんですか?」とか混ぜっ返すなら、自分がエーテルの存在を証明する証拠を探せばいいのだ。

論理とはこのように進む。















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青木さやか