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なんちゃってなIT用語辞典19

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny



PC


Personal Computer/Portable Computer


H.G.ウエルズのSF小説で「タイムマシン」という作品がある。
もしまだ読んだことがない方がおられたら、是非今すぐにでも一読をお勧めする。
ウエルズの小説はどれも非常に読み物としても面白いのだが、特にこの「タイムマシン」は「次どうなるの?」の連続で途中で本を置くということができなくなる。
それでいて読み終わった後には鋭い文明批判という読後感が残り、なんだか深く考え込まされてしまう小説なのだ。

ここから以下の文章は「タイムマシン」を読んだことがない方は是非読んでから読み進んでもらいたい。


ある日こんな幻想を思いついた。
80万年後の未来にたどり着いた時間旅行者はこの未来世界の人類と触れあううちに、人類の文明がほとんど失われてしまっていることを知って愕然とする。
80万年後の人類は毎日おいしい食事を食べ遊んで暮らすことのみにしか関心がなく、自分達がなぜそこに居るのか、自分達を取り囲むようにして残っている古代の遺跡がどういう意味を持っているのか全く知らないし、知ろうとも思っていない。
それどころか彼等は自分達の運命にすらなんら興味を持っていない。
時間旅行者には彼等未来人は知識欲を失った生ける屍にしか見えなかった。

そこで時間旅行者は人類の文明の偉大さ、知識欲の尊さを力説する。
そのうち一人の未来人が「図書館」の「喋る皿」が同じことを言っていたとつぶやいたのを聞いて、彼に「図書館」と呼ばれる遺跡に案内させる。

ここは何らかの電気的な仕組みで人類の英知を記録したライブラリで、ディスクをライブラリマシンの上で回転させると記録が再生されるという、19世紀人の時間旅行者には理解できない仕組みによって作られた未来の「図書館」だった。

それはおそらく80万年前、大きな戦争が起きて人類の文明が荒廃してしまう前の時代に作られた機械だ。

しかしディスクを回転させると出てきたのは人類の英知ではなく、意味不明なアラートだった。

「アプリケーションが反応していません。
今すぐアプリケーション○○を終了しますか? OK/NO」

「必要なdllが見つかりません。
dllを再インストールしますか? OK/NO」

「このエラーをサポートにリポートしますか? OK/NO」

「一体これは何なのだ? これが人類がたどり着いた英知の最後の形なのか?」
とつぶやき落胆している時間旅行者にたいして、80万年後の未来人たちはこう語りはじめた。

「実は我々の間でずっと語り継がれている『インドーズの掟』というものがある。
この図書館に入る者は全てこの、『インドーズの掟』に従わなくてはならない。」

彼等が語る『インドーズの掟』は以下の通りだった。

「神は『仕様』という名の運命を与えたもうた」
「ゆえにアラートに不満を言ってはならない」
「人間が機械をカスタムしてはならない、機械が人間をカスタムするのだ」
「理解しようとするな、覚えよ、しからずんば人に頼れ」

時間旅行者は彼等の言葉を聞いてこの理解を拒絶した機械文明を残した80万年前の人類が、何も理解しようとしない80万年後の人類と同じくらい文明的に後退していることを深く嘆かずにはいられなかった。

ところで例のディスクが回転しはじめる時に必ずいちいち
「インドーズ2050」
というロゴを表示することを時間旅行者はあまり気にしていなかったが、これが『インドーズの掟』の意味だったのだというのに彼が気がつくのに少し時間がかかった...


というのはちょっとした冗談なのだが、しかし80万年後の毎日遊び暮らして何の知識欲もない人類と、現在の「インドーズ」どっぷりで、何も理解しようとしないユーザと一体どちらが退嬰的文明だといえるだろうか?
これはちょっと考えてみたいテーマではある。

これはウエルズの小説を映画化したジョージ・パルの作品をベースにしている。
これを引き合いに出したのはSFクリエーターというのは常に未来を見通す不思議な力を持っているということを書きたかったのだ。
例えば、この映画では未来の記録メディアはディスクになるだろうという予言をしている。
そのディスクは、今日の我々が使っているCDRやDVD-Rとはかなりイメージが違うものではあるが、しかし記録メディアがディスクに落ち着いていくというのは、正しい未来予測だった。

しかしジョージパルがこの映画を製作した1950年代は、まだディスクメディアというとLPレコードくらいしか無かった時代だが、そんな時代にそれを予想したのが偉大だったと思うのだ。

よく似た例は、人工ダイヤモンドを予想したウエルズ、アインシュタインよりも遥か以前に原子力を予想したジュールベルヌなどいくらでも挙げられる。
またウエルズは飛行機が発明されるずっと前に「宇宙戦争」という小説で飛行機が戦争に使用される様を描き出した。(ただし飛行機を使ったのは地球人ではなく、火星人の方だったが)
その予想がいずれも、19世紀末や20世紀初頭という技術史的にはまだ黎明期というような時代にされたということが驚きだと思う。


そのウエルズの「タイムマシン」は2度映画化されている。
1度目は先ほども触れた1950年代で、2度目は2000年代に入ってからだ。
このふたつの時代の映画はそれぞれ時代の気分を色濃く反映していて、それを見比べるのも楽しいのだが、比較的原作に忠実に映画化された「冷戦時代」の「タイムマシン」と違って、21世紀の「タイムマシン」はウエルズ自身のひ孫が監督しているということもあって、大胆な解釈に基づいた演出がされている。
昔からのウエルズファンにはちょっと新しい映画は馴染めないところがあるかもしれないが、触れたかったのはこの新作の映画でカットになったシーンのことだ。

タイムマシンを開発している主人公は夢見がちな人物と周囲から見られている。
その主人公がある日、同僚に科学技術の進歩がいかに生活を変える可能性があるかということを力説する。
「家庭の主婦が火を使わないで高周波で料理をする」
というと彼の同僚は
「そんなことがあり得るはずがない」
と一言で否定する。
「高周波でパイを焼くなんてことが実現するはずもないし、パイはやはり炭で焼いたものを食べたいに決まっているではないか」
ということなのだろう。

これは実は電子レンジのことをいっているのだ。

21世紀初頭に暮らしている我々には、どこの家庭にも電子レンジがあるのは不思議でもなんでもないし、むしろそのことを疑問に感じることすらないだろう。
しかし20世紀初頭にはこの意見がどう見えたかというのはこのシーンを見てなるほどと思わされてしまった。

19世紀の人たちも既に高周波の存在は知っていた。
しかしそれは研究所を占拠するような大掛かりな機械で生み出されるもので、しかもその高周波でパイを焼くほど熱を生み出そうとするとどれほどの機械力とエネルギーが必要なのか、ましてやそんなものを家庭の主婦がパイを焼くために使うなんてことはあり得ないのではないかというのが当時の常識的な感覚だろう。
今日の感覚でいえば「各家庭に一台ずつ核融合炉が設置されて主婦は核融合炉の熱でパンを焼くようになるだろう」というような予測を言うのと同じことだ。

この辺りのパラダイムは、さすがこの監督さんはウエルズのひ孫だなと感心させられたところなのだが、なぜか本編ではカットされてしまった。残念なことだ。


このように、今日では当たり前のようになってしまっていることでもかつては想像すらできないような驚くべきことだったというようなことが実はよくあって、そのことを我々自身忘れていることに逆に驚かされることがある。

例えばパソコンの普及だ。
今パソコンの出荷台数を見ていると、そろそろ1世帯に1台から1人に1台という水準に向かいつつある。
パソコンはちょっとした家電量販店ならどこでも店頭で売られているし、触ったこともないという人はもうかなり少数派だろう。

しかしIBMが「個人はコンピュータなど必要としていないし、個人向けコンピュータなど売れるわけがない」と公言したのは今からたった30年前の話だ。

当時の事情は、大型機からオフコンと呼ばれている中型機、ミニコンと呼ばれる小型機(ミニといっても本体はロッカーほどの大きさがあって、それに2〜3台のモニターとキーボードがセットになったコンソールと呼ばれる「端末」が繋がっていた)がコンピュータのバリエーションだった。
そこに「マイコン」と呼ばれる超小型のコンピュータが現れだしたのは70年代末頃だったと思う。
「マイコン」とは何の略かと仲間うちで話題になったことがある。
私のコンピュータ(マイコンピュータ)ではないかという意見も出ていたので憶えているが、正しくは「マイクロコンピュータ」だった。
マイクロコンピュータこそが今日の基準でいうパソコンで、アタッシュケースほどの小型の本体とキーボード(最初の頃はテレックスのものを流用していて、これが本体よりも高かったと記憶している)で成り立っているユニットだった。

その「パソコン」というアイデアを考えたのは実は日本人だということをご存じだろうか?

当時はまだ電卓(電子卓上計算機)が普及しはじめた頃で、最初の頃の電卓はそれこそ今のパソコンぐらいの大きさだった。
電卓が急速に普及して価格競争にはいっていたこの時期、東京の秋葉原に極安の電卓を企画販売しているビジコンという会社があった。このビジコンの電卓担当者がコストカットのために従来のカスタムチップを使う電卓を止めて、汎用性の高いチップを作ってそこに計算プロセスをソフトウエアで焼き込んで計算動作をさせるということを思いついた。

この「ソフトウエア式電卓」のアイデアを引っさげてアメリカのチップメーカーを廻ったが、当然テキサスインスツルメンツのような大手メーカーでは相手にしてもらえず、困っていたところこのアイデアを拾ったのがインテルという会社だった。
インテルも今日のようなCPUの巨人企業ではない。まだ当時はガレージベンチャーを卒業したという程度の弱小企業で、大手が入って来ることができないようなニッチ市場を探していたからこのビジコンの話に飛びついたのだろう。

インテルはビジコンの仕様よりもさらに汎用性の高いチップを開発して、ソフトを載せ替えれば様々な機能を後付けできるまさにコンピュータと呼べるような電卓を開発した。
ビジコンはこの個人向けコンピュータを特許化できるか検討したそうだが、コンピュータはすでに大型機で実用化した物だから特許化できる可能性は薄いと判断した。
しかし今日の基準で考えればこれはきわめて特許性が高かったといえる。

今日の市場を考えると大魚を逃したといえるビジコンは後に倒産してしまい、マイコンは誰でも自由に参入できる市場として残った。

ここにNECやAppleなどの今日の名だたる企業が入ってくるわけだが、Appleなどの米系企業が採用したBASICを開発していたのがマイクロソフトという会社だった。社名の由来はまさしく「マイクロコンピュータ向けのソフトを作る会社」という意味だったそうだ。

この過程で「マイコン」を「パソコン」と呼ぶようになった。
誰が使いはじめた名称かは判らない。

「パソコン」という言葉は一般的にはPersonal Computerという英語の省略だと思われている。
しかしこのPersonal Computerという英語がなぜか英語圏では通じにくいような気がしていて疑問に思っていた。勿論全く通じないわけではない。
『Personal Computer』
と発音すると相手の英語ネイティブスピーカーはしばらく怪訝な顔をするが、そのあとピンと来たような顔になって
『Ah ha, Personal Computer, OK』
と続ける。
そういう言葉がないわけではない。しかしめったに使う言葉ではないらしい。
代わりによく使うのはPCという言葉だ。
どうやら「パーソナルコンピュータ」という言葉は和製英語らしい。それが英語として若干普及しているが、あまり一般的ではないということが真実らしい。
英語としてはDesktop ComputerやLaptop Computerという言葉の方がはるかにすんなり通じる。 ひとくくりでパソコンというときはやはりPCという言葉の方が通りが良い。

これもやはりパソコンという言葉が日本で生まれた証だということだろう。
ではそのPCという言葉は何の略かというとどうもよく判らない。

今日的にはPCというのはいわゆるWindowsを載せて動くコンピュータをさす。
なのでMacは含まない。
これはマイクロソフトがPC-DOSやDOS-V機などの名称の混乱を嫌って意図的に「PC」という用語を使ったからだ。
『我々はWindows搭載機をPCと呼んできた。』とビルゲイツ自身が語っているのを私も聞いたことがある。

しかしこのPCは何の略なんだろうか? その元と思われるPersonal Computerは英語ネイティブスピーカーにはもひとつ通じにくい和製英語ではないのか?
しかし英語圏でPCという言葉を使いはじめたのは誰かはわりとハッキリしている。

それはApple社だ。

Appleが確かMacintosh XLあたりを開発した時に
Portable Computer
という言葉を使いはじめた。
確かにオールインワンで、机の上に載る大きさなので「持ち運びができる」というのは嘘ではない。
しかしこのPortableの意味は、今日のノートパソコンのように『携帯ができる』という意味ではない。
携帯できるというようなシロ物ではない。あくまで『1人で移動させることが可能である』というくらいの意味だ。
それでもこのひとつの筐体にモニターと本体をオールインワンで内蔵するというのがAppleの後の製品のスタイルになっていってやがてこれがiMacのような製品に繋がっていったのかもしれない。 このPortable Computerを略してPCといったのが多分この略語の起こりだったはずだ。

するとPCの意味をMac以外の個人ユースコンピュータとする今日の使い方は間違いということになる。もっともApple自体がこのPCという言葉にあまり熱心ではなかったし、その言葉を熱心に使ったのはむしろマイクロソフトだったので今日のような意味になったのかもしれない。

PCという言葉の語源はどうであるにせよ、この頃に個人向けコンピュータという機種が出てきた。

その時にApple対IBMで起きていたのが先にもちょっと触れた、
「個人ユーザがコンピュータを使うという市場はあり得るか」
という論争だった。

マイクロソフトなんかはむしろApple陣営で個人向け市場を謳っている立場だったが、それまでのメインフレームを作ってきた大手コンピュータベンダーは皆一様に「パーソナルなコンピュータ」には否定的だった。

今日、アメリカでパソコンの大手ベンダーになっている企業はみなこの当時ガレージから出てきたベンチャー企業ばっかりだった。
大手企業の例えばゼネラルエレクトリクスなどはとうとうパソコン市場には乗り切れなかったし、前言を撤回してIBMはパソコンベンダーになるにはなったが、最近中国のレノボグループにパソコン事業部を全従業員ごと売ッ払うという豪快なことをやってしまった。
もともとIBMはパソコン屋ではないという企業文化があったからなのかもしれない。


コンピュータはENIAC以来、大型の物から発生してそれがだんだんコンパクト化されオフコン、ミニコンというように進歩してきた。
だから何となくその進歩の線上にパソコンという製品ジャンルも生まれてきたように錯覚してしまう。
しかしパソコンは機能的にいっても小型化したメインフレームなんかでは絶対にないし、その発生も全く別系統のものだったし、何よりもオフコン、ミニコンを作ってきたベンダーがずっと鬼子扱いしてきたシロ物だった。(ひょっとして今でもそうかもしれない)

あらゆる意味でパソコンは大型コンピュータが小型化して生まれてきた物ではなく、全く別物として進化してきたということだ。

だからこのクライアントPCの世界だけがWindowsやMacOSなどという非UNIXOSが主流でここまで来ているというのも当然だといえるかもしれない。

パソコンが今日こんなに普及するということは、当時の大手コンピュータベンダーには予想できなかったことだろう。
それは私にとっても予想できない出来事だった。
実は70年代の末にはアタリのようなパソコンを見るには見ていたが、それが何の役に立つのか全く見当が付かなかった。
ずっと後にNECのPC8801〜9801シリーズを見た時もその感想はあまり変わらなかった。
ラジオが好きな少年がラジオ工作に熱中するような魅力は確かにあるだろう。
しかしこれを実用的に使いこなして何かをしたいなんていうことは考えない方が良いというのが私の印象だった。

なんせ当時のパソコンはグラフィックに恐ろしく弱かったし、ましてや音楽や動画をクリエイトするなんてことは想像するのも空しいような機械だった。

結局使い道はワープロかゲームしかなかったし、ワープロがやりたいんだったら当時既に優秀な専用機が出始めていたので、パソコンなんか何の意味があるのか皆目分からなかった。

パソコンが本当に存在意義を持ちはじめたのは、ウエブの普及によって個人がネットに繋がりはじめた94年以降の話だろう。その時にパソコンは単なるラジオ工作の延長のような趣味の機械から本当のメディアという意味のマルチメディアになった。
しかし90年代の半ばを過ぎてもまだそんなに個人がパソコンを持つような時代が来るとは思っていなかった。

これはむしろインターネットというP2Pな情報ネットワークが力を発揮しはじめて価値を持ったということだ。今でもネットに繋がらないスタンドアローンなパソコンは何に使えるかというと結局はワープロとゲームぐらいしか使い道がない。
その意味では事情は80年代とそんなに変わっていない。

「テレビを見ることができるではないか」というようなAV機能を日本のPCベンダーは今強調しているが、ユーザがそんなにパソコンでテレビを見ているかというとそんなことはないと思う。
一日に1時間以上もパソコンでテレビを見ているのはテレビを買うお金がない単身者のライフスタイルで、普通はテレビはテレビで見るだろうしデジタルレコーダも今は充分低価格で高性能なものが手に入る。

パソコンはテレビを見るというような機能をメインにするにはメンテナンスに手がかかり過ぎる。
結局はネットワークにいろいろカスタマイズして繋がるというメリットを活かせるような使い道でないと面倒なだけで「こんなにトラブルがあるとは知らなかった」という初心者ユーザのクレームの山で、ますます鬼子扱いされるだけだろう。

そういう面倒な機械であるにも関わらず先にも触れたように一家に一台から一人に一台という水準まで普及してきている。
コンピュータというとオフィスにあったミニコン以上を指すのだという時代から見れば想像もできなかったことだ。


たまたま前々ページのノイマン型コンピュータから通して「コンピュータ発展史」のような流れになってきたので、その締めくくりにパソコンの発生ということを書いておこうと思った。
しかしパソコン自体はそういう80年代の論争の中で生まれてきたメディアで、これからのITメディアというともっと小型で単機能のものが主流になってくるような気がしている。
携帯電話のようなモバイル、テレビなどの放送を受信するモバイル、薬を飲んだり医療をうけたりする健康管理のモバイル、財布代わりに使える金銭管理メディアのモバイルなどが考えられる用途で、実際にはそのいくつかを複合したようなものが身近に普及するだろう。

パソコンは、コンピュータの汎用性という血筋を引き継いだために便利に使えるが、その汎用性ということが小型化の障害になってきている。

例えば携帯電話でワードやエクセルが使えると言われたってユーザには何の意味もないからだ。
(同じ理由でNTTドコモなんかが大々的に打ち出したケータイ電話で使えるhtmlメールも全く普及している気配がない。そういう物が本当にモバイル機器に必要かということから考え直す必要があると思う。htmlメールで画像付きのデザインメールが送れるなんていう発想はまだパソコンの発想に縛られていると思う)

オジサンたちの中にはパソコンに搭載されたWindowsXPやワード、パワーポイントにやっと慣れてきたのでそういう物こそIT技術の象徴のように思っている人が多いが、そういう物は実はもう過去のものになっていくように思う。






RISCプロセッサー、IAプロセッサー


Reduced Instruction Set Computer、intel-architecture


最近ではあまりやらなくなったが、以前はあちこちのトラブルシューティング系のBBSを巡回して、トラブルの情報を集めていた。
そのついでにしゃしゃり出てよく初心者の質問に答えたりしていた。

私のレベルだからそんなに高度な質問には答えられないのだが、初心者の質問というのは繰り返しされる同じような質問というものがよくある。
そういう質問にはよそで読んだ答えを受け売りで書き込んだりして、得意になっていた時期もあった。

そういう「よくある質問」をFAQと呼ぶということは別頁にも書いたが、FAQの中にはこういう質問がある。

「MacにはWindowsのシステムはインストールできないのでしょうか?」
または
「Windows機にMacOSをインストールする方法はありませんか?」

これは初心者には非常に多い質問で、その気持ちも痛い程よく分かるのだが

「なけなしのお金でWindows機を買ったが、やっぱりMacも使ってみたい。しかしもう一台Macを買い足す余裕はないので、なんとか今あるWindows機で両方使えるようにしたい」

「なけなしのお金でMacを買ったが、やはり会社の仕事を持ち帰ったりすることがあってWindowsXPも使いたい。MacにWindowsXPもインストールして使い分けられると便利なのだがそういうことはできないのか?」

「友達から中古のDOS機をもらったがシステムディスクを買うお金がない。手持ちのMacOSをこれにインストールして動かすことができないだろうか?」....etc

だいたい大別するとこういうとこらが質問者の事情なのではないだろうか。
これに対してどう答えるかというと結論的にはこういうことだ。

「そういう方法は無い!」

それは物理的に不可能なのだ。
なぜ不可能なのかということが表題の「RISC」「IA」ということと関係してくるのだが、ちょっとそのことは置いて、このFAQへの答えについてもう少し解説する。

もっと正確に言うと

「その方法は無くはないが、そういう期待でもってやると必ず失望することになるので方法は無いと思っておいた方が良い。」

という答えになる。

これは中級者以上の人はよく知っていることなのだが、あえてどういうことかということを書くと

「エミュレーターというソフトを使うとMacOSの上でWindowsを動かしたり、Windows環境の上でMacを動かしたりすることが可能ではある」

ということだ。

ネイティブにクロスプラットフォームにシステムをインストールする、つまりWindows機にいきなりMacOSのシステムディスクを突っ込んでインストールしようとしたりその逆のことをやろうとしても、
「このディスクは読み込めません」
というアラートで拒絶されるだけのことだ。

そこでMacの上でWindows機の環境をバーチャルに再現するVirtualPCというアプリをまずインストールする。
そうするとアプリを起動している間だけMacOS上に仮想的にWindows機のような環境が整ってここにWindowsのシステムをインストールすることができる。
このVirtualPC上のWindowsは実際に起動することもできるし、Windows版のインターネットエクスプローラーを使ってウエブを見たりWindows版のアウトルックエクスプレスを使ってメールを送受信したりすることもできる。
(そしてWindowsにしか感染しないウイルスにもちゃんと感染することができる)

だったらそれでMac1台でMacOSとWindowsOSの二つの環境が使えるではないかということだが、それはあくまでも「起動してある程度までの作業なら実行することも可能」という程度の性能で、例えばMacOSの上でWindows版の3Dゲームができるかというとほぼ不可能だと考えた方がよい。

それどころかWindows用のAV関連のアプリも満足に動かない。結局できることは「ネットを見たり、メールしたり」という程度のことに限られる。

その程度のことを実現するためにVirtualPC+Windowsという投資はちょっと高すぎると思うのだ。

またWindows版Officeなどのソフトは当然別に買わなくてはいけないし、結局もう一台Windows 実機を買うのと金額的にはそんなに変わらない。
もし使い勝手を追求したいなら、MacにWindowsをインストールするなんてことを考えるよりもWindowsの実機を買った方がはるかにストレス無く使える。

ましてやWindows上で動くMacのエミュレーターとなるともっとお寒い事情で、漢字Talkのような古い環境がなんとか動くという程度の物しか無く、しかもその程度のものも今では入手困難だ。

結局エミュレーターをお勧めできる人というのは

1)ウエブデザイナーでMac、Windowsの環境をパッと切り替えてサイトが正しく表示できるかワンタッチで確認したい人

2)Mac、Windowsなどの異なるプラットフォーム間で頻繁にファイルをやり取りするので、そのファイルが違う環境でもちゃんと正しく開くのか、ワンタッチで確認したい人

3)Macの上でWindowsが動くというエミュレーターそのものに興味があって、エミュレーターについてもっと知りたい、または研究したい人

4)iMacのモニターにWindowsの田んぼマークが現れるとワクワクする人

とういうことになって、この条件にあてはまる人以外にはあまりお勧めできない。


エミュレーターの可能性についてはそういうことだが、じゃそもそもなぜWindows機にはMacOSはインストールできないのだろうか?

MacとWindows機といってもそもそもは同じパソコンだ。
内部の構造はそんなに違うわけではない。
CPUが有ってメモリが有ってハードディスクが有って、CDドライブなどのディスクドライブがある。
しかもそのメモリやハードディスクなどは一部のWindows用パーツが共用できる。
ほとんど同じ物なのにシステムは読み込めない。

それはひとつはWindowsとMacではファイルシステムが違うということがある。
平たくいうとファイルを書き込む時の書式が違っているということだ。
じゃMacシステムディスクをWindows用のFAT32等の書式に書き換えればインストールできるようになるのかというと、そういうわけにもいかない。

Macを起動するにはMac用のファームウエアが必要だ。
システムディスクのシステムから起動できないとインストールにも成功しないので、ファームウエアをインストールすることもまずクリアしないといけない。
それではもしFAT32のハードにMacのファームウエアを移植することに成功すればMacOSは動くようになるのかというと、これもそういうわけにもいかない。

MacとWindows機ではシステムやファームウエアというソフトウエアが違うだけでなく、実はハードウエアの構造も違う。
その違いはCPUのチップにある。


Macに採用されているPowerPCというCPUチップはRISCと呼ばれる構造を持っている。
それに対してWindows機の例えばペンティアムなんていうチップは擬似的CISCとでも呼んだらいいような構造になっている。

この詳細な説明は割愛するが、前のOSの頁でコンピュータをデジタル化しソフトウエアを切り離した初期の頃のノイマン型コンピュータでは、CPUを動かす基本命令が簡単すぎて逆にプログラムを書くのが難しくなってしまったということを書いた。

実はコンピュータ実用化から50年以上も経つ今でも、このハードウエアとシステムにそれぞれどれくらいの役割を持たせるのかという問題はスタンダードになっていなくて、この違いでコンピュータはRISCグループとCISCグループというおおまかにいうと二つの派閥に分かれている。

CISCというのはCPUにひとつの命令で複雑な作業をさせるというチップの構造のことだ。
Complex Instruction Set Computer(複合命令セットコンピュータ)の略だが、早い話簡単な命令文で複雑な作業を実行できるので、プログラムを書きやすい。
ソフト開発者にとってはいい環境なのだが、チップそのものの構造が複雑なので高速化をするためにクロックアップ(コンピュータの命令単位を実行する時計の刻み時間を速くすること。これである程度高速化をはかれる)の度に大掛かりな改訂作業が必要なので、クロックアップが難しくコストパフォーマンスが悪いという欠点を持つ。

それに対してRISCはReduced Instruction Set Computer(縮小命令セットコンピュータ)の略で、CPUの基本命令で実行できることが少ないので、プログラムを組むには複雑なプロセスが必要になってくる。システムを組むのには難しい構造だがチップそのものの構造は単純なので、コストパフォーマンスが高くクロックアップなどの改訂作業はやりやすく高性能化が期待できる。


と用語辞典風に書くとそういうことなのだが、ややこしいのはWindowsのベースになっているインテルX86系のチップは一体どっちなのかということだ。
インテル系というか、いわゆるWindowsが載るタイプのチップは
「命令セットは見かけ上CISCとして設計されているが構造はほとんどRISC(?)」
という説明がついていてどうもよく判らない。

要するにそういう半魚人のような構造になっていて、中身的にはかなりトリッキーなことをやっているようなのだ。

それでこういう半魚人チップはCISCにもRISCにも分類しにくいので
IAチップまたは、IAコンピュータ
という言い方で分類している。
意味は
intel architecture
で「そのまんまやないか」というか、そうとしか表現できないからそういう呼び方になったのだろう。

今現在パソコンの市場はMacが採用するPPC系のRISCチップとWindows系の半魚人チップの二つがほぼ全部を占めている。
Macが採用すると書いたが、IBMが開発するPPCという商品名のRISCチップはもともとサーバ用途として開発された。
こういうチップを使うサーバをRISCサーバと呼び、おもにUNIX系のシステムを積んで運用される。

それに対してインテル系のIAチップを積んだサーバもあるわけで、これはIAサーバと呼ばれ主にLinuxやWindowsNTserverなどのシステムを積んで運用される。勿論IAサーバ向けのUNIXもあるわけで、サーバの世界は単色で殺風景なパソコンの世界と違ってなかなか多士済々だ。


RISC、IAの勢力分布を書くとそういうことだが、そういうチップ自体の構造に違いがあることからこの双方にはソフトウエアの互換性が無いということはイメージ的に解ってもらえただろうか。
OSは機械レベルの言語で動くCPUに命令セットを与えるが、どういう命令セットをおろしていくかは人間の操作を機械レベルの言語に翻訳するということで決定している。

なので命令セットの種類が違うチップ上で動くように開発されたOSは当然方式が違うCPUチップの上では全く用をなさないわけだ。

日本語と英語の同時通訳専門の翻訳者は、いくら翻訳能力が高くてもいきなりフランス語と日本語の同時通訳はできないということだ。
「同じ日本語ではないか」とか「同じ同時通訳ではないか」なんて言ってみても彼には
「そんな無茶な」
としか答えようが無い。

そういうことがWindows機にMacOSはそのままではインストールできないという理由なのだ。


MacOSXで採用されているBSD-UNIXのDarwinも、当然RISCにネイティブ対応したBSDとして開発された。

だからこのシステムはPPCプロセッサーでしか使えないが、IAプロセッサー対応のDarwinが発表されてひょっとしてWindows機互換のMacOSXが発売される前触れではないかと噂になったことがあった。

結果的には実際にその可能性はほぼない。
Appleにとってメリットがないからだ。

AppleはNASDAQでは連日株価が上がり続けている。

iPodの経済効果がMacにも波及してiBook等が売り上げを伸ばしている。
97年頃には
「もうMacは終わった。」
「Appleは近々倒産する、もう風前の灯状態だ」
等と言われていた。
この当時は本当にそういう噂がリアリティをもって聞こえていた時代だった。
この時代から比べると、今のAppleの盛り返し方は
「刮目して相見えるべし」
というに値する。

Macヲタクが一生懸命Appleの弁護をするのは空しく聞こえるだけだが、最近ではMacなんかとは一見無関係そうに見える証券アナリストやバイサイドのストラテジストなんかに
「今Appleに注目している」
なんて話を聞かされるとこっちの方が驚いてしまう。

Appleという会社が注目を集めるのはNASDAQでの株価が高いとか製品のデザインがお洒落とかそんなことだけでない。
iTunesという人気ジュークボックスソフトにオンライン音楽ショップ機能をつけて、音楽のネット流通のトップ企業になってしまい、それと相乗効果でiPodをヒットさせてしまい、そのiPodとの連携性が高いMacをヒットさせ、Windowsユーザまで取り込んでしまうためにMac miniなんて製品まで矢継ぎ早に出すという、

こういうアイデアの連携の成功例が注目されているのだ。

MacはかつてはPC-OSの半分近くを占めるメジャーOSだったが、シェア5%を切るところまで追いつめられてしまった。
ところがこういう徳俵に足がかかったような危機的状態でも戦略的にちゃんとつながりがあるアイデアを次々と出せば、盛り返すことができるということが重要なのだ。

最近のAppleの売り方は、「Macを使えばiPodがアドレス帳やスケジューラになってますます便利になる」という主客逆転した売り方になってきている。
MacがiPodの付属品のようになってきているのだ。
またMac miniは、Windowsの冴えないGUIにうんざりしているWindowsユーザにはかなり大きなインパクトになっているようだ。


Macのマネをするだけで『進歩』としてきたメジャーOSが、手詰まりになってきている証なのか意味不明な新OSの仕様についてのプレスリリースを連発して何となくユーザやディーラーを不安にさせているのと好対照で、Appleはアイデアさえあれば次々と実を上げることができるという証明として注目を集めているのだ。

(挙げ句の果てに「Longhornはもっともセキュアなシステムになるだろう」ときた。今までと同じ開発プロセスで作ったものが突然『安全』になるわけが無いということは誰でも思うことだ。Windows2000の時もWindowsXPの発表の時も同じことを言っていたではないか!
このメジャーOSについてはこういう発表をすればするほどユーザを不安にさせるという構図が出来上がっている)


しかしこれは本当はSONYあたりがやるべきことだったよなと思うし、そういうことを言う人が私の知っている範囲でも何人かいる。
SONYがトータルで製品戦略を打ち出す時に、やはり核になるべきVAIOにWindowsが載っているということがボトルネックになったのだろう。

なんせつい最近までSONYをはじめとする全てのWindows搭載機メーカーはAV関連のアプリを独自開発しても『その技術をMicrosoftが無償でコピーして無制限に使うことに同意する』という契約書にサインさせられていたのだ。

サインしないとWindowsのライセンスをもらえないからだ。
これではバカらしくてまじめに開発する気が無くなってしまうだろう。
AppleのiTunesなんてSONYあたりが作ってしかるべきだったと思うが、そういう事情でSONYはどうもVAIOやMP3プレイヤーの開発に腰が入っていなかった。

SONYならMacでもWindowsでもない第3のGUIを開発する力がなかったのだろうか?
それは容易いことではないと思うが、しかし不可能でもなかったという気もする。

いずれにせよそういうことでAppleは今IT業界の中では、風雲児というか小さいながらもその動向が皆の注目を集めている。
しかしこれほどのインパクトがあっても、MacOSとWindowsとの立場が逆転することはないだろう。
Windowsは近いうちに滅びると個人的な信念では思っているが、そのWindowsに取って変わる新しいクライアントOSは多分MacOSではない。
今のところLinuxが一番有望だと思っているがまだよく判らない。

今はそういう過渡期的な状況にあるので、ここでMacの互換OSを発売してWindows機にもインストールできるという製品を出せば、きっとOS自体は売れるだろう。
しかしこれは結局Macというハードの売り上げを圧迫するだけだろう。

Windows機のコスト競争は極限まで来ている。
ここに互換OSを出せば安くてMacOSが使えるというところに流れていくだけでSONYのようなやる気の無いベンダーがMacOS搭載のVAIOを出して、これはブランド性があるのである程度は売れるだろうが、結局Windows機のコスト競争に巻き込まれてMac本体も売れなくなるだけだ。
Appleから見てほとんどメリットがない。

それだったらそういうユーザ層は、Mac miniで掬えば良い。
Windows機互換のMacOSXが発売される可能性はきわめて薄い。


しかしそれでもいいんじゃないだろうか。
マイノリティの心地よさというものもあると思う。
会社に行って同僚が皆Macを使っていたら(しかもそのMacの機種が自分の個人持ちのMacよりも高性能だったりしたら)かえって寂しいし、自分のMacの自慢をする相手もいなくなってしまう。

Macはもうちょっと盛り返しても良いと思うが、あくまでマイノリティでいてほしいし、簡単にWindows機にインストールできるようにはしてほしくないと思う。




2004年12月29日



<後日注>

ここで触れた「PCにMacOSをインストールできないか」「MacにWindowsをインストールできないか」という二つの疑問のうち後者は、可能になってしまった。
詳細はこちらの記事にあるが、AppleはintelMacに限り、Windowsのインストールを可能にするファームウエアソフトのβ版供給を発表し、しかも次期バージョンのLeopardからはこの機能を標準装備するという驚くべき発表をしてしまった。

今後はintelMacに移行が進むから、これからのMacにはMacOSXとWindowsXP(あるいはWindowsVista)がデュアルインストールできることが当たり前になってしまうということだ。
未確認の噂だが、OSX上でWindowsをクラシック環境やX11環境のように動かすソフトも開発が進められているという。もしそれが実現してしまうと、Macは一台でOSX、X11、WindowsなどのUNIXを含めたGUI環境が全てシームレスに使えることになってしまう。

かつてはトラシューBBSで初心者が
「MacにWindowsをインストールすることができませんか?」
なんて質問をするとベテランユーザが一斉に
「んなことができるか! よく勉強してから質問してこい!」
なんて意地悪を書いていたが、それが普通に実現する時代が来てしまったというのは隔世の感がある。















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青木さやか