バイオメトリクス
Biometrics
セキュリティの特番を担当した時に、セキュリティ技術が進化して様々な形態を取りはじめているということを取り上げた。
セキュリティといってもおおまかにいうと通信のタップ(盗聴)を防ぐ暗号化技術となりすまし、侵入、偽造などを防ぐ認証のふた通りの技術がある。
このふたつは一見別の物のように見えるが、実際には公開鍵暗号を使った暗号化技術と公開鍵を使った電子認証というひとつの技術の裏表で実現されている。
このことは公開鍵暗号の項目で詳しく書いた。
しかしこうしてネットワーク上の侵入やなりすましを防ぐことができても、あなたのパソコンが盗まれてもしあなたのパスワードを使って、有料サービスなどに入られたらどうか?
これでは防ぎようが無い。
なんせネットワークに流れるあなたの認証情報は、完璧に本物のあなた自身の認証情報だからだ。
盗まれないまでも、会社のあなたの端末があなたが席を離れている間に誰かに勝手に使われたとしたら?
自宅に空き巣に入られてあなたのパソコンを起動して、勝手に買い物などされたとしたら?
普通こういう時のためにパスワードを使ったソリューションが用意されている。
MacOSXなんかもログインパスワードを入力しないとログインできないように設定できるし、スクリーンセーバから抜け出る時にもパスワードを要求するように設定できる。
しかしこのパスワードというのも安全性からいうと問題のあるソリューションなのだ。
例えば
hkhlds4962byx057xje947
というようなパスワードなら破られる確率は低い。
組み合わせ攻撃でこれを破るのは大変なはずだが、問題はこんなパスワードはユーザも暗記できないという点だ。
それでパスワードを紙のメモに書いてパソコンに貼っていたりする。
これでは何のためのパスワードか判らない。
そこでもう少し覚えやすいパスワードということで、名前と誕生日を組み合わせたパスワードなんかがよく使われたりするのだがこれは安全性最悪のパスワードだ。
ユーザ名と個人情報というのは大抵セットで漏えいする。
パスワードが分からなくてもあなたのユーザ名と個人情報がわかれば、ハッカーは最初にあなたの名前と誕生日、または名前と電話番号という組み合わせから試しはじめる。
こういうパスワードは無いのと同じだと考えた方が良い。
結局パスワードというのは安全性を追求するととても使いにくいものになってしまう。
もっと確実に個人を認証できる方法は無いかということで考え出されたのが、表題のバイオメトリクスという方法だ。
一般的に理解しやすいのは指紋認証だ。
警察の鑑識の第一任務は現場(げんじょう)での指紋採取ということになっている。
これは全く同じ指紋を持った人はこの世にはいないし、指紋は刑事裁判でも重要な証拠になるという昔からよく知られた事実のためだ。
この指紋を個人の特定に使うという指紋トークン(指紋照合用の小型装置)が数年前から使われはじめている。
最初の頃はかなり誤動作が多く、はっきり言って使い物にならない感じだったが最近はパターン認識技術が向上してきて、こういう分野は使える水準にはなってきている。
しかし指紋認証には問題も指摘されている。
指紋というのは簡単に盗めたりするのだ。
例えば指紋を盗みたい相手にグラスを持たせる。
このグラスから採取した指紋を元にシリコンで指を偽造する。
「グラスから」なんて手の混んだことをしなくても、指紋トークンの読み取り面自体にも指紋は残っている。
そういうところから指紋は簡単にとれるのだ。
もっと簡単な方法もある。
当人の指を切り落としてしまえば良いのだ。
そうすればその指を持ち歩いていつでもどこでもその当人になりすますことができる。
この方法はどちらも映画に出てきた指紋認証破りなのだが、どちらも荒唐無稽な話ではない。
やろうと思えばできるだろう。
さらに簡単な方法がある。
指紋トークンというのは単なる読み取り機なのだ。
認証情報はパソコンのハードディスクの中にある。
ならばパソコンを開いてハードディスクにコンタクトできれば、この原始的なバイオメトリクスは簡単に破れる。
簡便なトークンを使った指紋認証は無いのと同じという意味ではパスワードよりも悪い。
問題はそこまでやって認証破りをやる「価値」があるという状況かどうかということだけだ。
つまり重要な個人認証は指紋認証では駄目だということだ。
これもかなり以前からいわれていたことで、今では指紋はどちらかというとあまり重要な情報を扱わないところにお手軽に使うソリューションということになっている。
それでは重要な情報を扱うところにはどんな方法があるのかということが問題になる。
毎年開催される自動認識展を取材していて、この業界のテーマも今はそういうことに移っているのだということがよく分かる。
この自動認識展はもともとはオートメーション展だった。
高度成長期の日本の成功は、オートメーションの成功だったといっても過言ではない。
ベルトコンベアで半完成品を大量に流して、そこに手作業で加工していたというのが、1960年代の大量生産スタイルだったが、やがてロボットを使った省力化がはじまりロボットを稼働させるための製品の識別技術が進歩した。
例えばバーコードなどだ。
こういう技術で自動認識は進歩してきたのだが、今は自動認識の世界の焦点はまさしくセキュリティになってきている。
この展示を見ていると毎年面白い技術が出てくる。
例えば指紋認証に変わる方法として出てきたのが
『静脈認証』
という方法だ。
静脈認証は指紋認証よりもさらに精度の高い認証ができる。
なぜなら平面的な情報を解析する指紋に対して、静脈は赤外線を使って3次元的な情報を認証に使う。指先の静脈はまた指紋と同じで同じ流れ方をしている人は二人といない。
全ての人が違っているわけだが、静脈なら立体的にとらえることができるのでさらに認証の精度が上がるわけだ。
しかも指を切り落とすと静脈が収縮してしまい認識できなくなる。
つまりこの静脈認識は生きた指でないとパスできないのだ。
さらに静脈認識という高度なパターン認識ができるデバイスだから、それ自体の中に認証情報をロックした状態で入れることができる。
それなら認証を迂回することも難しくなる。
同じような考え方で虹彩認証というのも実用化されている。
虹彩というのは眼の瞳の中の周辺部のことで、ここはカメラでいえば絞りのような役目をしている。
この絞りの表面には括約筋の模様が浮き出ていて、この模様も指紋と同じように同じ模様の人は二人といない。またこれも生体認証として優れているのは死んだ人は虹彩が散大してしまうので認証の時に生きていないと本人だと確認できない。
とここまでは人間の体の模様を認識するバイオメトリクスを取り上げてきたが、本当はこれでも抜け道はある。虹彩認証も静脈認証も写真や静脈の赤外線写真を手に入れて精密な模型を作ってしまえばこのバイオメトリクスも破ることができる。
ここまで来るとそこまでして破る価値のあるものかということが大いに問題になるのだが、そういう認証で守りたい物なのだから価値があるものなのだろう。
そうであるなら、本当に悪意と情熱と技術があればまだ破ることができるかもしれない。
しかし、人間の本当に盗みきれないバイオメトリクスはその脳の中にあるのだ。
これはセキュリティの番組を作っていた時にワコムで見たものなのだが、サインで認証するバイオメトリクスというのがあった。
サインは自分の名前で良いのだが、その書かれた文字の形で認識する筆跡認証では結局よく似た字を真似されると破られる可能性がある。
筆跡を見ているだけでは従来の認証とあまり変わらないのだが、ここのサイン認証のユニークさは、筆跡を見ているのではなくペンが字を書いている間、空中でどういう軌跡を描いているかを3次元的にとらえてその形で認証するのだという。
ワコムという会社は前にもこのページで書いたが、ペンタブレットを造っている会社だ。
ペンタブレットは電磁パルスを発射するパッドの上でペンを動かすとそのペンに仕込まれた回路が電磁パルスに共鳴して電磁波を発振して位置情報を返すという仕組みになっている。
この原理で電池がは入っていないコードレスマウスやペンタブレットを実用化しているのだが、この技術を応用して、ペンが空中でどういう軌跡を描いているかを追跡できるようにした。
人間は字を書く時にトメ、ハネなどのところでペンを空中に浮かせる。
この浮かせる時、また字画から次の字画へ筆を運ぶ間に個人個人がそれぞれ全く違う個性的な動かし方をするのだそうだ。
しかも筆跡は真似することができるが、この空中でペンをどういう動かし方をするかなんてのは字面からは想像するすべもない。
ユニークというかこれこそ究極のバイオメトリクスだと思った。
このパターン認識は、指紋や静脈よりもさらに難しいらしいが、デバイスはどんどん小型化して高性能化しているのですぐに身近になるのかもしれない。
セキュリティの話を調べているといつも「シジフォスの神話」という言葉が浮かんでしまう。
セキュリティとそれを破る者の知恵比べはいつまでもイタチごっこのように続くような気がするが、それでもシジフォスはその巨石を山の上に持ち上げ続けなければならない。
毎度感心するのは、破る方も新しいセキュリティを考える方もいくらでも知恵が枯れないということだ。
OCR
Optical Charactor Reader
OS9時代に買ったスキャナーに付属ソフトとしてOCRがついていた。
OCRというのはスキャナーなどの光学機器で、文字を読み取りそれをテキストデータに変換するというアプリだ。
通常のスキャナーのドライブやソフトは、光学スキャンした画像をそのままjpegとかpictデータとして保存するだけだ。
文書をスキャンした場合、人間が見ればそこには文字が書かれているということが認識できるがコンピュータから見れば写真となんら変わることが無い。
タダのアナログな不連続のデータが並んでいるだけだ。
しかしこのOCRはただ文字をコピーするだけでなく文字を読むことができる。
読み込んだ文字をテキストとして保存し、テキストエディタやワープロソフトでエディットできたりするのだ。
スキャナードライブのCD-ROMの中からこのOCRソフトを見つけた時にはワクワクしてしまった。
が、結論からいうとこのOCRソフトは全く役に立たなかった。
OCRが使えれば、悪筆の私の手書き文書は無理としても昔のワープロで打った文書は読めるかもしれない。
そうするとワープロ時代に打った紙の文書をパソコンに取り込んで手直しして、今の自分の考えで料理できれば中には面白い文書もあるはずだから、すごい資産になるはずだった。
少なくとも紙でもらった友達の住所録を読み込むとかそんな役には立つはずだった。
しかし実際にこのソフトを試してみた結果は散々だった。
ワープロ打ちのちゃんとしたタイプ文字でも、識字率は95%程度だった。
95%というと高い認識率のように思うかもしれないが、実際にはこの程度では実用にはならない。
400字詰めでも20箇所は誤字脱字があるということだ。1000文字なら50箇所だ。
それを頭から全部文章を見直してひとつずつ直していかなくてはならない。
この手間と頭から全部タイプし直すのとではどっちがマシかというとどちらともいえない。
結局手直しするんなら頭からタイプした方がマシかもしれないし、実際にやってみれば分かるが出来上がった文章をチェックしていくよりも一から新しい文章を書いていく方がはるかに精神的には楽だったりする。
そんなこともあってこのOCRソフトははじめに数回起動しただけで、結局は使わなくなってしまった。実は今でも手許にはあるのだがわざわざクラシック環境を起動してまで使う気には到底ならない。
しかも私がOCRに失望してから2〜3年後にあるBBSでこのOCRが話題になったことがあったのだが、この時の使用者の体験談でもやっぱり95%程度しか識字しないという。
なんだ!全く進歩していないじゃないか!
最先端のパターン認識技術は飛躍的に進歩しているのかもしれないが、その技術を開発している人たちはOCRなんていうくだらない、しかも商売にもなりそうにないソフトにその最先端技術を注ぎ込む気がないと見えて、OCRは全く進歩しないまま停滞の年月を過ごしている。
所詮パソコンに字を読ませてもそれが何の役に立つかというと、私のような酔狂な奴が喜ぶだけでたいして役に立たないのかもしれない。
そういうことで私自身、このOCRという技術のこともすっかり忘れていた。
ところが最近意外なところで、このOCRという言葉を聞いた。
2005年4月から電子文書法が施行された。
これに付随して今は個人情報保護法ばかりが注目されている。
が、これは企業にとってどちらかというと守りの話で攻撃的な利益を生むのは電子文書法のほうなのだが、企業は今のところ良く分からない新しい法律に対してどうやって守りを固めるかということに精いっぱいになっていて攻めの方まで手がまわっていない。
電子文書法というのは一言でいうと今までは紙の書類でないと証拠能力などの文書の能力を認めていなかったのが、一定の条件を満たせば電子文書もそういう能力を認めようという法律だ。
契約書などもPDFで発行されていれば正式な契約書として拘束力を持つというように認める。
勿論そこには作成者の認証情報や、いつ作成された書類かを証明する時間認証などの情報を埋め込む必要がある。
そこで今新しいビジネスとして、この電子文書に埋め込む時間認証を提供する時間認証局という商売が注目を集めはじめている。
これは時間認証局が発行する発行者認証情報付きの日付けデータをネット経由で手に入れてそれをPDFに埋め込むことで、いつ作成された書類かを証明できるわけだ。
パソコンの時計の日付けを取り込むだけだと、パソコンの内蔵時計を狂わせておくことで作成日時を偽造することができる。
そこで認証技術を使ってこういう時間認証局が確かに作成日時は書き込まれた情報通りだということを証明してくれるわけだ。
今はセイコーインスツルメンツなど数社がこのビジネスに名乗りを上げている。
こうして業務上の書類を電子文書化することで、単に省スペースになるとか紙コピーを流通させるコストが減るというだけでなく、報告書や提案書を社内の共有スペースにおいておくことで誰でも閲覧できるようにするということもできる。
ある部署で上がってきたアイデアが、その部署ではボツになったが別の部署で注目を集めるということも実は結構あり得ることなのだ。
以前松下電器産業の酸素チャージャーを取材した時の話だ。
この製品はもともと高温炉の熱量を保つために空気中から安価で大量に酸素を取り出す膜ということで開発された。しかしそういう工場用途の大容量の機械を作るにはコストがかかり過ぎて結局社内でボツになりかけていた。
ところが社内の別のセクションのシロ物家電企画室が健康グッズとして売り出したらどうかというアイデアを出してきた。工場で使うような大規模な膜は製造コストが切り詰められなかったが、健康器具に使うような小さなものなら安価に実用化できることが分かった。
結果この製品は発売以来2年で14万台を売り上げるという、この手のニッチ商品としては破格のヒット商品になった。
しかもその酸素膜を利用して酸素エアコンなど製品の広がりも見せている。
これなんかはあるセクションでボツになったアイデアが別のセクションでは金を産む卵になったという実例だが、企業というのは往々にしてこういう情報共有ができていないことが多く、みすみす金の卵になりうる技術を持っていながらそれを活かせてないという実例がかなり多いと思われる。
電子文書というのは守りだけでなくこうやって攻撃的に活かすことで、企業の新たな価値創造に繋がりうるものなのだが、ここでひとつ大きな問題が出てくる。
電子文書の便利さはサーバに並んだこういう電子文書ファイルを閲覧する時に、作成年次順、アスキーコード順、作成部署別など好きなようにソートして並べてることができるということだ。
ところがこの電子文書導入以前の、ワープロ打ちの書類、またはもっと前の手書きの書類をどうするかという問題が出てくる。
そういう書類も電子文書化するためにパソコンで全て打ち直せば良い。
しかしそれには膨大な労力とコストが必要だ。
大抵の企業はそういう過去の記録資料をわざわざパソコンで電子文書化するために打ち直すなんていうことはやらないだろう。
そうすると先ほどのソートして電子文書を見られるという便利さも、連続性があるのは電子文書システムを入れたこの2〜3年の文書だけで過去の紙の資料は結局書庫に行って一枚ずつ開いてみないといけないというんじゃ、電子文書化するメリットがなかなか現れない。
ここでOCRというあの忘れかけた言葉が現れてくる。
先ほど電子文書は自由にソートできるのが強みだと書いた。
もうひとつの強みはキーワード検索ができるということだ。
社内の文書全部に目を通すのは物理的に大変だ。
そこで酸素の健康法の目を付けた社員が社内文書を「酸素」というキーワードで検索したとする。
そうすると四国の工場でお蔵入りしかけている、重工業向け酸素膜の書類が検索に引っかかってくる。
この時にこの膜を使って健康器具が作れるんじゃないかということを思いつくかどうかがビジネスのヒントを得られるか得られないかの分かれ目だ。
しかしこの話はまず「酸素」というキーワードでそういう文書がちゃんと引っかかってくる検索システムが完成しているということが前提になる。
ところが問題は例の紙の文書だ。
そこでこういう紙の文書を全てOCRにかける。
そしてそのOCRで生成されたテキストを、検索データとして電子文書と同列に保存するわけだ。
実際の紙の資料はファイルナンバーをつけて書庫にしまっておくが、その置き場所もOCRデータと一緒にサーバに保存すれば資料を探す手間が大いに省ける。あるいは本体はjpegデータで電子化しても良い。
このOCRで生成されたテキストデータが検索の対象になるわけだが、OCRは前述の通り95%という識字率の低さだ。
しかしここが発想の転換点で、人が実際に読むには95%の文章は読むに堪えないシロ物だがコンピュータがキーワードを抽出するには95%というのは十分な率だ。
これで紙の資料も電子文書と同じように検索できるということは、企業が抱えている膨大な過去の遺産も捨てること無く、またいちいち一枚ずつパソコンで打ち直すこともなく電子共有システムで活用できるということだ。
こういう過去の文書までシームレスに(このシームレスという言葉も実に良く使われる言葉だが、要するにアナログデータもデジタルデータと同じように同列に扱えるようにしようよというようなことだ)扱えるソリューションとして、今急にOCRが活用されはじめている。
OCRというソフトを使ったことが無い人からしたら、こういう文書ネットワークのシステムで最近急に脚光を浴びている新しい技術のように思うかもしれない。
しかし私のような一度はOCRを投げたことがあるユーザから見ると、廃品再利用というか使い道を変えたら昔のクズソフトも使えましたというふうに見えないこともない。
しかしこれが文書法を乗り切る最先端システムの切り札なのだ。
面白い話だと思う。
VoIP
Voice over Internet Protocol
最近日本ではライブドアがニッポン放送を買うだの、フジテレビを支配するだのしないだのという騒ぎが注目されている。
この出来事自体は私にとってはそんなに面白い話でもないし、そこら中に便所の落書きみたいなブログが一杯立っていて皆がこの事件について好き勝手無責任に書いているので、詳しくはそちらを参照していただくことにしてここでは特に書かない。
この件でコメントしているサイトのなかで、私が一番納得できる論を展開しているサイトは
こちらやこちら
なんかがあるが、大抵のブログの興味はホリエモンの行儀が悪いだの、日枝の悪人面が気に食わんだの、それでどっちが勝つかなんて予想をすることに終止していて、そういうことに私は関心が持てないのだ。
もっともそれと同じような民度が低い報道を大マスコミがやっているのも「なんだかなぁ」と思ってしまうのだが。
しかしこういうM&A(企業買収)やTOBなどという市場関係者や経済に関心が深い人以外には馴染みが薄かった言葉が、昼下がりのワイドショーやスポーツ紙の一面に踊っているという状況は面白い。
『敵対的TOB』なんていう言葉をプロレス用語と同じくらい庶民的になじみ深い言葉にした堀江君、日枝君には今年の流行語大賞を是非あげたいと思う。
こうしたM&Aはまだまだ日本では大事件のような扱いだが、かなり前からアメリカでは日常茶飯事になっていて、しかも小さな企業がかつてのナショナルブランドの大企業を買収するという案件が最近いくつかアメリカでは続いていて話題になっている。
そのうちで感慨深いのがAT&Tを買収するSBC、MCIを買収するベライゾンのケースだろうか。
なにが感慨深いのかというと、数年前にITの特番を作った時にアメリカの通信事業者の相関図を作るために、これらの社名は皆調べたことがあるからだ。
AT&Tは実は電話を発明したと教科書にも載っているあのベルさんが創業したベル電話会社の後の姿だ。
日本でいえば電話事業を牛耳っていた電電公社、NTTのような企業だ。
アメリカでは国営企業が民営化されたという歴史は無いが、電話事業についてはこのベル電話会社、つまりAT&Tは独占企業と言って良いくらいに力を持っていた。
またマルコーニさんが発明した電報事業もかなりの部分をこの会社が押さえていた。
まさに民間企業でありながら日本の電電公社と同じような力を持っていたわけだ。
そこで多分独占禁止法などの縛りで企業分割の行政命令が出た。
その時にAT&Tから分割されたいくつかの電話会社のうちのひとつで、テキサス地方のローカル電話会社になったのがSBCだった。
ベライゾンも確かそれに似た生い立ちの企業だったと思う。
MCI(ワールドコム)はアメリカの国際電話では独占状態に近い大きなシェアを持つ長距離電話・国際電電会社だ。MCIも位置づけ的には日本の 国際電電(現KDDI)なんかに似ている。
つまりこのM&Aは小が大を呑むという意味では、ライブドアなんかも比較にならないくらいのものだ。福井ケーブルテレビがNTTを買収したというような話だし、ツーカフォンがKDDIを買収したというような話だ。
感慨深い点はその呑み込まれる企業と呑み込む企業の規模の差やその生い立ちだけでなく、呑み込まれる企業がどちらも『電話』というオールドプロトコルの通信で巨大企業といわれた企業だということだ。
日本のNTTもアメリカのAT&Tも固定電話で大企業だった。
固定電話というのは電話線でつながれている、主に家庭内またはオフィス内で線が届く範囲だけで利用可能な...要するに昔からの有線電話のことだ。
それに対して新しいコミュニケーションのチャンネルとして携帯電話が現れた。
携帯電話と固定電話の差は単に線があるかないかだけの差ではない。
ケータイはiモードのヒット以来、デジタルデータ端末として機能している。
最近では株の売買もケータイでやっている人が増えているというような話を聞くと、むしろモシモシハイハイよりもこの副次的なデータ端末の機能の方が重要になってきているのかもしれないという気がする。
また電話の加入権が無価値になり、ケータイもゼロ円で加入契約ができるなどという状況ができてくると、固定電話には昔のような世帯を代表するコミュニケーションラインだという意味も無くなってしまい、独身の若い世代には自宅に固定電話が無く、連絡先の欄にはケータイ番号しか書いていないという人がもう珍しくもなくなっている。
そうしたケータイの急追にくわえてIPフォンという新たな脅威が現れた。
このIPフォンという言葉は99年にヨーロッパに取材に行った時に初めて聞いた言葉だった。
そういう意味では私はちょっと奥手だったかもしれない。
そのいきさつについてはここに書いた。
用語辞典風にIPフォンとは何かという説明をすると以下のようになる。(この頁は用語辞典を標榜しているので「用語辞典風に書くと」という断りはおかしいのだが)
インターネットは相対でテキストを送受信する電報のようなスタイルで始まったと書いたが、ティム・バーナーズ・リーという人物が構築したWWW(ワールドワイドウエブ)のおかげで、世界中のサーバで公開されている資料を自由に読みあさることができる電子図書館のようなものに生まれ変わった。
そのなかでサーバの中身を自由に公開できるということは、出来上がったhtml等のテキストを公開して読んでもらうということだ。
だがもっとリアルタイムに書き込み中の板を公開するということもできるようになってきた。
この板には管理者だけでなくそこを覗いた人も自由に書き込みができるようにして、しかも書き込みが完了した時点でどんどんまた再公開されるという仕組みを作れば、文字を使ってインターネット上でおしゃべりができてしまう。
これがチャットというインターネット上のコミュニケーションのスタイルで、CGI(Common Gateway Interface)などの仕組みでそれが可能になった。CGIの詳しい仕組みは割愛するが、そういうインタラクティブな入力をwebサーバに反映する仕組みというくらいに理解してほしい。
チャットではテキスト(文字データ)でおしゃべりをする。
しかしインターネットのブロードバンド化が進んで、データを送信できるスピードは飛躍的に上がっている。
文字だけでなくjpeg圧縮された写真も送ることができるようになってくる。またmpegエンコードされたボイスメッセージも送信することが可能になってくる。
さらにスピードが上がると、5秒のボイスメッセージを送信するのに5秒もかからないとすればそれを連続して送り続ければ電話のように声でコミュニケーションすることが可能になるはずだ。
従来の電話はアナログであろうがデジタルであろうが、常に回線を一本確保してその回線で連続的にボイスデータを送受信し続ける。
これに対してこういうインターネットを使って声を送る仕組みは、一見電話に似ているが実際の送受信はインターネットの原則に従って、データは全てパケット化してサーバのエージェントが選択した任意のルートを通じて送られる。
これではこちらがしゃべったまま相手に確実に聞こえる保証が無いことになるが、インターネットが充分高速化すればそれもおおむね担保されることになる。
これがVoIP、つまりボイスオーバーIP、インターネットプロトコルを使って音声を送受信する仕組みということであり、この仕組みを使った電話がIPフォン、インターネット電話と呼ばれる。
このケータイとIPフォンが従来からの電話事業者にとって脅威になりはじめている。
ケータイは加入コストも通話コストも固定電話に迫ってきているので、固定電話事業者にとって脅威になっているが、VoIPは通話コストはゼロなのでさらに重大な脅威といえる。
何年か前にマイライン騒ぎというのが起こって、これも一過性のその時だけのばか騒ぎになることはその時から予想されていたのだがここでもVoIPが台風の目になっていた。
フュージョンコミュニケーションズが全国一律3分間7円という料金を打ち出して、これがNTTの電話収入のよりどころだった市外電話の料金体系を破壊する価格になっていた。
これに対抗するべくNTTもIP電話を3分7円という料金体系でスタートしたわけだが、このニュースを聞いて「電話が安くなったんだ」と考えた消費者はおめでたすぎる。
IP電話は結局チャットと同じ物で、送っているメッセージが音声データに変わっただけだと考えると、コストはゼロであるべきだ。
チャット利用者でそれのために特別の通信料を払っている人なんかいないからだ。
IP電話はyahooBBやJ-COMなどのプロバイダが独自サービスの売り物として、通話料ゼロでスタートしたのでNTTの料金体系は割高だということがすぐにばれてしまった。
しかしyahooBBやJ-COMの料金体系もまだ割高だったのだ。
これらのプロバイダが供給するIP電話サービスは、例えばyahooBB同士なら通話はゼロ円で何時間でもしゃべれる。
しかしyahooBB加入者がJ-COM加入者に電話する時にはやはり3分間7円程度のコストがかかる。
またこれらのプロバイダに入会するコストも当然かかる。
ところが最近私も使いはじめたSkypeというインターネット電話クライアントを使えば、プロバイダがどこであろうが関係なく、またプラットフォームがWindowsかMacかということも関係ない。Skypeクライアント同士なら通話料はゼロ円だ。
相手が国内でなくアメリカであろうが、イスラエルであろうがSkypeという無料ダウンロードできるソフトを入れているパソコン相手なら世界中どこでもタダでかけられる。
Skypeから固定電話にかける時にはコストはやはりかかるわけだが、頻繁にかける相手にはこの無料ソフトをいれておいてもらえば何時間しゃべってもお金はかからない。
イニシャルコストといえば、パソコンで通話ができるようにヘッドセット(マイクロフォン付きヘッドフォン)を2000円〜9000円で購入しなければいけないということぐらいだ。
結局原価ゼロ円のものに値段を付けて儲けてやろうというビジネスモデルは全部破たんしつつあるし、電話はタダの時代がもう目前に来ているということだ。
NTTは当然、「通信料は無料かもしれないが、ADSLをつないでいる電話線は敷設コストがかかっているわけだから料金を徴収するのは当然ではないか」と反論するだろう。
しかしこのリクツはADSLはブロードバンドのつなぎの技術に過ぎないという事実を忘れている。
インターネットは、特に今日本のブロードバンドは電話線を使ったADSLの普及をてこにして拡大している。
しかしそのことは「インターネットは電話線が無いと成り立たない」ということと同義ではない。
今はたまたま電話線を使っているだけで、インターネットに接続するのは別に電話線でなくてはならないという理由はどこにもないのだ。
昔から最終的なラストワンマイルの切り札といわれている光ケーブルもあるし、ケータイ電話のインフラが無線ブロードバンドのインフラに変身することもできる。(これは実は今でも実現可能な話で、解決するべき問題はコスト問題だけなのだ)
また電力会社はコンセントを使ってブロードバンドサービスを始める技術を実用化している。
つまりもうインターネットにとって電話線は必要不可欠なインフラではなくなりつつあるのだ。
電話は本来のモシモシハイハイを簡単に実現するインフラとして今までは価値があったが、これからはインターネットがその肩代わりができる可能性が出てきた。
SBCがAT&Tを買収することに驚き、またその買収コストがかつての通信独占企業を買収するコストにしては安いことに驚いてしまうが、こういうことをつらつら考えるとこれでも高い買い物になるかもしれないとも思ってしまう。
2005年2月5日
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