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なんちゃってなIT用語辞典21

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny

中関村


中関村電脳街/Zhongguancun



このIT用語辞典は本などでお勉強した話ばかりでなく、できるだけ自分が見聞きした情報を盛り込むようにしている。
その方がビビッドな情報になるし、用語解説としても退屈にならないと思うからだ。

それで今までいくつかIT現場を海外取材してきて、そのことはだいたい書いたように思っていたが、よく考えるとまだ中国のことを書いていない。
これには理由があって、中国という国はアメリカやヨーロッパとは違って、私にとってかなり理解を越えた国だったということもあるし、その印象は単純でも一様でもなくどうまとめたらいいのかちょっとよく分からないからだ。

たかだか1週間ほど北京周辺を見てまわっただけなので、中国については何も知らないと言っても良いかもしれない。それでもいくつか面白いネタは仕入れてきているので、そのことはいつか書きたいと思っていた。

そのうちのひとつが中関村という北京の秋葉原のような街のことだ。

中関村というのは北京市の北西部の一部で、エリアにしたら北京大学、精華大学、中国人民大学の3大学を頂点とする1辺が2キロほどの3角形の地域だ。
元人民日報記者の林浩氏の98年のコラムによると、彼が北京大学の学生だった頃にはこの地域は一面の白菜畑だったそうだ。

ところが私が取材にいった2002年にはここはいわば中国のITハイテク街というか、日本でいうところの秋葉原のような街になっていた。
まず見た目の賑わいぶり、雑多な店が密集しているという雰囲気も秋葉原に似ている。

私が驚いたのは巨大な倉庫を改造したような青物市場みたいな雰囲気の電子店モールだ。
そこに小さな店が何百軒も入っていて、それぞれの店が思い思いにハードディスクを売っていたりメモリを売っていたり、本物かどうかよく分からないがPentium4のチップを売っていたりと、ここで揃わないものは何も無いという感じだった。

さらに雑居ビルの中の怪しいショップが密集しているところにも案内されたが、ここでは日本のPCゲームなどが中国語のタイトルに換えられて、価格も日本の10分の1ぐらいで売られていた。
これなどは明らかに違法コピー品ではないかと思った。

その電子店モールの入り口の前で、中年の男が女性に殴り掛かっているのも見かけた。

同行したコーディネーターの中国人に聞くと
「お前から買ったCD-ROMには何も入っていなかったぞ、この詐欺師め!」
というようなことを怒鳴っているらしい。
要するに路上でそういうCD-ROMを売り付けるような商売が横行していてこの男が買ったCD-ROMはいんちきだったらしいが、この男も畏れながらと警察に訴え出ることができないのは、この手のCD-ROMは大抵は違法コピー品だからだ。
MSWindowsOSとMSOffice、その他主要アプリをセットにして数百円で売っているらしい。
買う方もその値段で「違法コピー品とは気がつかなかった」なんて言い逃れはできないから、そうやって個人的に見つけだして殴りかかるしか方法が無かったんだろう。

同行した中国人コーディネーターは、この喧嘩の様子を撮影しないということを条件に、こう解説してくれた。
中関村はにわかにできたIT街なので、非常に高度な技術を含むパーツやソフトも手に入るが、こういう闇市のようなイカガワシイ連中も集まってくる。彼等にはその技術の価値は理解できないが、金がここに集まってきているということだけは理解できる。だからこれは仕方が無いことなのだということだ。

それはそれで納得できたが、むしろ彼がこの光景を撮影されることに非常に神経質になっていたことの方が印象的だった。

「撮影しないでくれ」
と言葉は「お願い」だが、実際にはこれはこの国では「禁止」に値する。
この国の特殊事情はこういう取材に同行するコーディネーターも他国と違って、中国政府の命を受けて外国人取材者を監視する役目を負っているという点だ。
中国政府は基本的に外国人ジャーナリストは全てスパイだと思っている。だからこの取材目的で入ってくる外国人がどういうトーンで取材した情報を表現しようとしているのかを、こういう取材同行者に報告させているようだ。当然反中国的な取材を強行するマスコミは出国のチェックが厳しくなるし、場合によっては撮影済みテープを没収されたりする。

そんな監視役のコーディネーターなら使わなければ良いではないかと思うかもしれないが、中国という国はこういうコーディネーターに許可申請をしてもらわないと一歩も街も歩けないというくらい取材統制が厳しい国なのだ。
そういう意味ではこの国は全く自由でも開放的でもない。本質的には共産主義中国は全く変わっていないのだ。


話を戻すが、中関村はそういう秋葉原も顔負けの沸き立つようなにぎやかな電気店街ではあるが、秋葉原と決定的に違うのは、この街はアメリカのシリコンバレーのような機能も持っているということだ。

前出の林浩氏のコラムから引用すると、
この地域には中国最高レベルの理学部を持つ北京大学、同じく最高レベルの工学部を持つ精華大学を筆頭に、国家レベルの科学技術研究施設などが200軒、
大学からのTLO(Technology Licensing Organization 大学の研究成果の技術をビジネス化した大学発ベンチャー)などが60社、
1000社の外国企業、
それに2000社のソフトウエア企業が密集しているという。

しかもこの数字は98年の時点でのもので、私が取材にいった2002年でもこの数は対前年比数十%という比率で増え続けているということだったから、電気店街だけでなくベンチャービジネスでも沸き立つような活況を呈している。

ここが物を売るだけの秋葉原とは決定的に違うところで、秋葉原とシリコンバレーを足して2で割ったようなところだと表現されるいわれだ。

この中関村がこういう街になったそもそもの始まりについても、前出の林浩氏の文章が軽妙で面白いので、ちょっと長くなるがそのまま引用する。


『1988年5月以来、北京市の官僚はこのエリアを「北京市新技術産業開発試験区・海淀試験区」とよんでいるが、そのことは北京っ子でさえほとんど知らない。

『しかし、この電子街がひとりの男と切っても切れない関係にあることは、みな知っている。
男の名は万潤南。清華大学を卒業し、下放運動で肉体労働の経験をもつ。その後、中関村にある中国科学院計算機センターに転入。1984年、友人7人と四季青人民公社から2万元を借金し、中国最初の情報技術の民営企業、四通を創立した。英語名は「Stone」。これが、中関村の電子街の始まりだった。その後、四通は中国語ワープロの開発に成功、一気にソフトとハード両分野のハイテク企業に成長した。万自身は1989年の天安門事件で、学生を支援し李鵬首相弾劾に加わったとされ、フランスに亡命した。 』


このエピソードからも分かるように、中関村がハイテクタウンになったのは、ここに精華大学や北京大学があったことと関係が深い。
このことはアメリカのシリコンバレーがスタンフォード大学と深い関係にあったことと似ている。

「四通」の中国音は「スートン」だから、英語商標が「Stone」というのも納得だ。
ここから方正集団(Founder)や聯想集団(Legend)等の中国の代表的IT企業が輩出した。

聯想集団とはあのIBMのThinkPadを買収したことですっかり知名度を上げてしまったレノボグループのことだ。

この新しいベンチャーグループが、中国に今まで無かった『何もないところから富を作り出す』という手品を実現するビジネスモデルを生み出した。
四通のワープロソフトは性能的にはアジアNo.1かどうかはともかく、ユーザー数では間違いなくアジアNo.1だった。
レノボは世界最高級ブランドのIBMのThinkPadを買収するまでになった。

中関村のケータイショップにも中国人の若い女性が集まり、日本とさほど変わらない価格のケータイ端末に熱心に見入っていた。ということは価格は彼女らの給料の倍とかいうレベルの買い物だったはずだ。
それでも中関村では飛ぶようにケータイも売れていた。
ケータイユーザーの数はもうとうに日本を抜いていた。

まさに世界に伍していく改革開放経済の最先端は全て中関村から生まれるのだという熱気が伝わった取材だった。

とここまでのことなら、開放経済の中国の未来への期待というトーンでまとめあげてしまえるのだが、この国の印象はそんなに単純ではない。


北京では私は二人の技術者を取材したのだが、彼等のITへの情熱というようなものには、共感を持った。
一人は精華大学でダム建設を学び、日本に留学するうちにiモードのヒットに出会い、これこそが中国でヒットするITツールだと考え、ベンチャービジネスに転身した元技術者、もう一人は中国の工科大学でC++等の言語を学び、ケータイの多言語化の開発をしている日系企業の中国技術者だった。

彼等に中国のものづくりの技術は日本を凌駕すると思うかと質問してみた。
日本では、低価格の中国製品は急速に品質を上げてきており、もはや日本はものづくりでは中国に太刀打ちできなくなるという議論が当時はまだ強かったからだ。

当然中国を評価して、日本人は中国が日本にとって脅威になると心配していたわけだが、この二人とも共通していたのは
「中国のものづくりが日本を凌駕する」
という点に関しては首を傾げていた点だ。
二人とも技術系の大学を出てものづくりを学んで来たわけだから、この話には乗ってくると思ったが意外にも二人とも
「う〜ん、どうですかねぇ〜」
と唸って黙り込んでしまった。

よくよく真意を聞き出すと
「中国がものづくりで日本を凌駕するなんてことは、技術者だからそういうことを目指すべきなのかもしれないが、あり得ないのではないか」
ということだった。

それよりも
「中国と日本は相互補完で互いに助け合い、協力しあうことでさらに良い物を目指すことができるし、さらに強い製品も造れるかもしれない」
というようなことを彼等が言っているのが印象的だった。
特に前者のベンチャーに転身した彼は日本のアイデア製品、サービスのビジネスモデルを中国に持っていけば成功するのではないかということが主眼で、日本とは違う新しいアイデアを中国で開発するということにはあまり期待していないようだった。


最近では反日運動などで「中国はすっかり日本離れしているのではないか?」という観測をよく聞くし、この当時だって急速に経済成長する中国はもはや日本を飛び越えて、世界と伍してビジネスをやっていくだろうという空気が強かった。
日本はその後塵を拝するだけだという雰囲気は日本にもあったし、中国人だって「もう日本は問題ではない」という気分なのだろうと思っていた。

だが彼らの話を聞いていると,当の中国人は、特にITの現場に居て技術を知っている中国人は意外に冷静だなと思ったものだ。

かつての産業界のブームのように、中国に工場を造ればすぐに国際競争力を回復できるなんて感じで、中国に工場を建設する「中国ブーム」という投資の仕方にはかねがね危ういものを感じていた。
しかしだからといって中国と日本、どちらが生き残るかとかいう単純な見方でこの関係を見るというのも、どうも見間違うような気がした。
それに中国というのは本当に頼りになるパートナーなのかというのもよく分からない。
この国の印象をずっと短い文章にまとめることができなかったというのはこういうことだ。


私が北京に行った時は、ハコヤナギ開花の時期だったということで、空からしきりに綿埃のようなハコヤナギの花粉が降ってくる春の季節だった。
空は昼間でも夕焼けのように赤っぽい色をしている。
これは毎年、モンゴルのゴビ(砂漠地帯)から季節風で運ばれてくる砂塵が空を覆い尽くして北京の街に降り注ぎ、街を黄土色に染め上げる。
この砂塵のうちわずかに大気に残ったものが、日本海を越えてはるか日本にまで降り注ぐ。日本ではこれは黄砂と呼ばれ、春の風物詩とされている。

日本では何となく風流な感じのする黄砂だが、北京では風流どころではなく、この季節に洗濯物を外に干すともう一回洗濯しなくてはいけなくなるし、車は洗車しても翌日にはジャングルから這い出て来たようにドロドロになってしまう。

道路も舗装道路だろうが、鋪装してなかろうが関係なくこの砂が降り積もって、これが雨を吸い込みあちこちに足を取られそうなぬかるみができている。


北京という街は、もともとこういう黄砂のおかげでドロドロのぬかるみが多い街なのだが、さらにドロドロな印象を強くしているのは、街中そこら中の建設現場のためかもしれない。

私がいった時には北京は2008年のオリンピックを決めたところで、街中が建設ラッシュに湧いていた。
例の中関村もそのど真ん中に数十階建ての巨大なショップモールプラスオフィスビルが建設中で、私が訪ねた時には重機で元闇市のあった地面を更地にしていた。

しかし、これは道路も迂回路ばかり走らされて、水道もどこでもちゃんと出るとは限らないなど、何も完成していないということを意味している。
この街は街全体が未完成な建設途上の街なのだ。

ケータイをはじめ情報通信産業も急速に伸びている。中関村には10万人近い官民の技術者があらゆるジャンルの研究をしているのでさらに急速に延びるだろう。

しかし中国は「インターネット元年は1996年」といっていたことからも分かるように、もともと遅れていて今キャッチアップしているというのではなく、スタートラインでは日本や韓国とあまり変わらないポジションにいたのに、図体がでかいからなかなか加速できなかったというとらえかたのほうが正しいのかもしれない。


そこへ起きた北京オリンピック、開放経済の成功により突然生まれたキャッシュフロー、そして日本で起きた中国株ブームで、日本円の資金が洪水のように中国に押し掛け、中国はその資金でじゃぶじゃぶになっている。

道路を造り、ホテルを造るという実需ではない仮需で街は湧いており、仮需はまた次の仮需を生んで、実需が充分成熟しないうちに不動産投機によって地価はどんどん上がり、人権費も急騰している。投機が次の新たな建設需要を呼んで、実需が追い付かないうちに何もかも等比級数的に進んでいくが、遅れてブームに乗って来た日本円が後から後から供給されるので、国全体では7%、地域だけで見たら年率数十%という成長は無限に達成されるだろう...

こういう姿、どこかで見たことが無いだろうか?
この国にはどこか危うい物を感じてしまうのは、文化大革命の時も今もあまり変わらない。






IP(TCP/IP、http、ftp、smtp、pop)


IP/Internet Protocol
(Transmission Control Protocol/Internet Protocol、
hyper text transfer protocol、
file transfer protocol、
simple mail transfer protocol、
post office protocol)




パソコンを触っている人が、よく目にする用語として
「TCP/IP」
という言葉がある。
あるいは
「IPアドレス」
という言葉も良く聞く。

これはどういう意味かというと
TCP/IPの方は
Transmission Control Protocol/Internet Protocol
の略で言葉の通り訳すと
「伝送を制御するための通信手順/(という通信手順を併用した)インターネット通信手順」
ということで、読んで字の如くテキストデータやファイルデータを転送する時に取り決められた通信のルールということだ。

またIPアドレスの意味もインターネットの通信手順で決められた書き方で記述されたアドレスという意味だ。
要するに通信のための手順(プロトコル)が決められてそのルールに沿った場所の書き方がIPアドレスということで、その手順のうち、インターネットで現在広く使われているルールを「TCP/IP」と呼ぶということだ。

と用語解説ならここで説明が終わってしまうのだが、よく考えたらなぜこんな手順(プロトコル)なんていう約束ごとが必要なんだろうかと思ったことは無いだろうか?

それはコンピュータの使っている言葉がバラバラだということによる。

なぜバラバラなんだろうか?
コンピュータなんて結局は突き詰めれば皆、0と1の組み合わせで計算しているんじゃないか?
0と1なんてどのコンピュータでも同じだし、どれもデジタルコンピュータなのだからおんなじじゃないのか?
(というよりアナログコンピュータというもの自体が存在を想像するのが困難だが、黎明期にはそういう物も無いではなかった。詳しくは「ノイマン型コンピュータ」の項を参照)

疑問を挙げればそういうことになるだろう。

これに答えるならば、
「確かにコンピュータはみな0と1の組み合わせで情報を処理するがその0と1の組み合わせで表現しているものがプラットフォームごとに全く違う」
ということになる。

これをよく「言語」という言葉で表す。
これを「言語」に喩えた人物は実に面白いというか本質を見抜いていたと思う。


旧約聖書にバベルの塔のエピソードが登場する。
旧約聖書の世界観では最初の人類はアダムとそのろっ骨から作り出されたイブということになっている。
全ての人類はこの夫婦の息子たちの子孫ということになっている。
ならばこの子孫たちは皆同じ言葉を喋っているはずなのに、現実には世界には無数の民族がいてそれが全く違う言葉を喋っている。このことを旧約聖書はこう説明している。

バビロニアはその栄華を極め、人々は人間に不可能は無いと信じはじめた。
やがて人間は神に挑戦するほどにごう慢になった。
神のすることは人にもできるに違いない。
そして神の領域である天に届くほどの巨大な塔を建設しはじめた。
神の座に到達しようとしたという究極の神への挑戦についに神様の堪忍袋の緒が切れた。
神は人に二度とこうした建設の意欲が湧かないように、人間にひとつの呪縛を与えた。

「互いにその言葉を通じるを得ざらしめん」

それまで全ての人間は同じ言葉を話していたが、人々はお互いの言葉が全く理解できなくなった。このためにバベルの塔プロジェクトは混乱の極みに陥り、塔は完成しないまま打ち捨てられることになってしまった。
これが今世界中に異なる言語がある理由なのだと旧約聖書は説明する。


この迷惑なお仕置きのおかげで、我々日本人は日本人としか喋ることができなくなってしまった。
我々は違う言葉を話す人間とコミュニケーションをとりたい時には、相手の言葉をマスターするか、マスターした人に通訳してもらうしかない。

ここで問題になってくるのは、世界中の共通言語ともいうべき言葉が無いことだ。
ある人は英語は世界の共通語だという。しかし世界には英語が通じない国が沢山あることをこのお方はご存じない。 「そんなものはマイナーな低開発国の話だろう、先進国はどこでも英語が通じるのだ」
とこの英語カブレの御仁はいうかもしれないが、実際には英語は世界人口の3分の1も通じないのだ。
早い話が中国ではほぼ全く英語は通じない。
またスペイン語圏、ポルトガル語圏もほぼ壊滅的に英語が通じない。スペイン語圏というが実際にはスペイン本国だけでなく、ブラジル以外の中南米とアフリカ、アジアの一部がそれに当たるわけで、このスペイン語圏の人口も世界の3分の1近くになる。
またアフリカなどの一部の国ではフランス語しか通じないという国も結構ある。
足下を見ればわが国だってほとんど英語が通じない国だといえる。

英語が役に立つのはアメリカと北ヨーロッパだけの話で、それ以外の国では全く通じないのだ。
そこで世界中の人と通信する時には各国語に通じる必要があるが、それも限界がおのずとあって、5か国語を使いこなすという人には会ったことがあるが、世界40か国語を自由に使いこなすという御仁は会ったことも聞いたこともない。
語学学習は相当な根気と時間とエネルギーを要することなので、ひとりで5か国語を使いこなすぐらいが限界だろうと思う。そればっかりやっているのならもっと覚えられるかもしれないが、そんなことに人生の限られた時間とエネルギーを使い果たすのも無意味だろうし。

かといって通訳を使うというのは、使ってみたことがある人は分かると思うが、実に隔靴掻痒な訳だ。


そこでエスペラントのような世界共通語が必要になってくる。

世界中の人が喋れる共通言語を持てば覚えなきゃいけない「外国語」もエスペラント一種類で済むわけだ。

かつてARPANetが構築され、それをベースにインターネットが構築されたわけだが、
ARPANetの中で標準化されたルールが決められていった。
それはARPANetに接続しているコンピュータがUNIXで動いていたり、OS/2で動いていたりとバラバラなわけで、それをそのままつないでもお互いに認識すらできないという状況があったためだ。
そこでお互いに理解できる共通語として構築されたのが前出のIPということになる。

現実にはこの共通言語はOSI基本参照モデルとして7つのレイヤーが規定されている。
7つのレイヤーというのは

最初は「ケーブルのコネクターはこういう形状のものを使いますよ」
というようなところ(第1層)から始まって、

お互いの存在を認識するための呼びかけの決まり(第2層)やそれにどう答えて通信経路を確保するか(第3層)というデータリンク層やネットワーク層、

相手にファイルを届けるのにどういう書式で送るか(第4層)、それを確実にするにはどうするか(第5層)というトランスポート層、セッション層、

それを利用できる形に変換したり(第6層)、最終的にはアプリケーションまでネットワークで稼働させる(第7層)プレゼンテーション層やアプリケーション層で成り立っている。

これの詳細は省くが、TCP/IPという時のIPはネットワーク層で規定されたプロトコルで、これは通常トランスポート層で規定されたTCPというプロトコルとセットで使われるという決まりになっている。
TCP/IPがいつもスラッシュを介してくっついて表示されるのはこういう訳で、TCP/IPが通信経路を規定するようなIPアドレスの特定をしているだけでなく、例えば通信をパケットに小分けして送るとか、受信側はパケットごとに受信が完了したら受信確認の返信を送信側に送るとか、そういう手順が細かく決められている。


現実世界でのエスペラントはその志とは裏腹にあまり普及しているとはいえないが、このコンピュータ世界でのエスペラントのOSIモデルはインターネットの世界で広く普及している。というよりもこのOSIモデルに準拠した通信ができるコンピュータが「インターネット対応」ということになる。

このTCP/IPはインターネットだけでなくLANの標準環境のEtherNetのベースにもなっている。そして現実的にはスタンドアローンで何もつながない場合を除いて普通のパソコンはLANを通じてポストスクリプトプリンタに繋がったり、構内LANのファイルサーバに繋がったり、ゲートウエイを通じてWAN(インターネット)に繋がったりしている。

なのでこのTCP/IPなどの通信規約を使わない日は今日では1日もないと言ってもいいかもしれない。


ちなみにTCP/IPより上の階層のhttp、ftp、smtp、popというプロトコルもよく聞く用語だが、これのそれぞれの意味は
http:hyper text transfer protocol
htmlという書式で書かれたテキストをwebサーバから落としてきてクライアントパソコンで表示する、要するにインターネットでホームページを見る時の通信手順

ftp:file transfer protocol
ファイルをインターネットなどで転送する時に使う通信手順

smtp:simple mail transfer protocol
メールを送信する時のメーラ(メールクライアント)とメールサーバまたはメールサーバ同士の通信手順

pop:post office protocol
その送られたメールをメールサーバからメーラ(メールクライアント)に落としてくる時、つまりメールを受信する時に使う通信手順(受信側メールサーバを郵便局になぞらえているわけだ)

これらのプロトコルはIPが規定されているネットワーク層(第3層)とはTCPによって橋渡しされているわけだが、トランスポート層(第4層)にはまた別のUDPというプロトコルもある。
主に機器間のデータグラム通信に使われるレイヤーで、TCPよりは確認手順などが簡略化された、その分確実性は低いが高速な通信手順ということになる。
またhttpにはセキュリティレイヤーを組み込んだhttpsというバリエーションもある....
などそれぞれのステージ、利用法にあわせてシームレス(という意味は今どんなプロトコルを使っているかなんていちいち意識しなくても普通に使えるということ)に使えるように各種のプロトコルが規定されていて、それを自動的にコントロールするプロトコルも規定されているということだ。

要するにこれらのことは全く知らなくても、インターネットはなに不自由無く使えるというふうに構築されている。
このページは普通のアマチュアユーザは全然知る必要がないという解説になってしまったが、よく聞く言葉なので、本当はどう言う意味なのか知りたいという人もいるかもしれない。
解説するならこういうことになる。




2005年4月13日














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