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なんちゃってなIT用語辞典22

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny




モジラ/ブラウザー


Mozilla/browser


今から10年ちょっと前、93年か94年頃のことだがにわかにパソコンブームが起きた。

パソコンブームというのはそれまでにも何度か起きていて、その度にいろいろな新機種や新機能が出てくるのだが、それまでのパソコンって結局ワープロかゲームくらいにしか使い道がなくて、はっきりいって使い物にならないという印象を持っていた。
だからパソコンが趣味だとかいっている会社の同僚を、(今にして思えばすまないことをしたと思うが)私なんかも思いっきりバカにしていた記憶がある。

『文字を打つんならワープロで充分じゃないか。
ゲームならゲーム機で充分じゃないか。
何を好き好んで、不安定で使いにくいパソコンで文字を打ったりゲームをしたりしなくてはならないのか?
それは単なる酔狂ではないか?』

これが当時の私の感覚だった。
ところがこの93年から94年にかけてのパソコンブームというのはちょっとそれまでのブームとは質が違った。
なぜならこの年のパソコンブームは「インターネットブーム」とセットで来たというのがそれまでのブームと決定的に違った。

しかしこの「インターネット」というのがどうもよく分からないシロ物だった。
それまでにも「パソコン通信」というものはあった。パソコン通信による「電子会議室」というものはずっとそれ以前から存在していたし、そういう会議室の仲間の「オフ会」というのも取材したことがあった。
ところが「インターネット」というものはそれと似て非なるものだという。
これは地域的に日本とかアメリカとかの国境の制約が一切ない、世界中を単一のネットワークにするつながりなのだという。
しかも制約は単にそういう地域的なものだけでなく、あらゆる面での制約を無くそうとするネットワークだという。
例えば組織の制約、使用機種の制約、OSの制約、そういうあらゆる障害を排除して世界中の全てのユーザを単一のネットユーザに変えるという。

この説明を初めて聞いた時に私はちょっと目眩のような感覚を感じた。
「なんのために?一体何にそんな大仰なネットワークを使うのか?」
これが私が感じた率直な疑問だ。

時事用語として「インターネット」という言葉はかなり人口に膾炙してきていたが、それでも当時は「インターネット」という言葉の意味を正確に理解していた人は、あまりいなかったのではないだろうか。
私自身もパソコン通信との違いがなかなか理解できなかったし、POSのようなデータオンラインとごっちゃにしている人も結構いた。
しかしこの「パソコンブーム」でそういう「デジタルディバイド」はすぐに形を変えてきた。

94年頃の「パソコンブーム」がそれまでと何が違っていたかというと、パソコンを使っている連中のタイプが決定的に違っているというのが、私にとっては一番興味深かった点だった。
それ以前のパソコンブームで熱中していた層はどういう人たちかというと、例えば小学生や中学生の時にラジオ工作に熱中したような連中だった。
もともとそういう機械物が好きで、電気が流れるとどういう現象が起きるのかということにワクワクできて、

トランジスタやダイオードの特性について夢中で話すことができて、MOSやFETなんて話になると我を忘れるというタイプの連中だ。

ところがこの94パソコンブームの中心になった奴は、どう見ても電気のことなんかなんにも分かっていないような連中が中心だった。

電気のプラスやマイナスや、直流交流すらあまりちゃんと理解できてないような奴らが、パソコンの特性についてしゃべっている。

そういう連中が「ネットスケープ」の使い方なんかをとうとうと解説しているというのが、この「パソコンブーム」のそれ以前のブームとの決定的な違いだった。

私の身近にも、そういう「ネットスケープ」の使い方を解説しはじめるような連中が現れはじめ、しかもそれが自分では分電盤の容量計算もできないような女の子だったりするのを見て、

さすがに鈍感な私もこの「パソコンブーム」はこれまでとは違うムーブメントだなということに気がつきはじめた。

そのキーワードが
「インターネットブラウザー」
という用語であり、
「ネットスケープ」
という「インターネットブラウザー」であることが薄々分かってきた。
別稿にも書いたが、この「インターネットブラウザー」という用語ほど私にとって理解を拒絶している用語はないというのが最初の印象だった。
ブラウズは拾い読みするということだから、インターネットを拾い読みするアプリケーションということになる。
「インターネットを拾い読みするというのはどういうことなのか?」
「どうしてコンピュータ技術者はこういう訳の分からない概念語を使いたがるのか?」
という拒絶反応に近いような感想しか出てこなかった。


この「インターネットブーム」と「ネットスケープ」の関係については、後にこのネットスケープの発明者と非常に近い人からその話を聞くことができて、そのいきさつがクリアに分かった。
その話を聞いたいきさつは省略するが、ネットスケープ誕生のいきさつはこうだ。

このサイトで、インターネットのスタートのことを書いた。
それは1969年のアーパネットの通信実験のことで、UCLAのクラインロック教授がLとOというふたつのキーを叩いた時がインターネットの最初の産声だった。
しかしこのアーパネットはパケット通信であり、複数のノードを持つコンピュータのネットワークを通じて通信するという意味では、まさしくインターネットの必要条件を満たしていたが、今日私たちが考えるインターネットというもののイメージとは大分機能的には違っていた。
一方が送信動作をしている時には、片一方は受信状態で待っていなければならない電子電報のようなものだ。

そこで次の変革者のティム・バーナーズ・リーという人物が、書庫の閲覧システムをネットワークで実現しそれをワールドワイドなネットワークにまで広げるスキーム(仕組み)を構築したということにもふれた。
これでかなりインターネットらしくなってきたが、これはテキストをやり取りできるだけの体系だったという意味ではまだ今のインターネットのイメージと違う。


インターネットを今日の姿にして、その機能を現在の形にするのは「インターネットブラウザー」と呼ばれるアプリケーションの登場が必要だった。

その最初の「ブラウザー」を作ったのが90年代の初めにイリノイ大学の学生だったマーク・アンドリーセンという人物だった。
バーナーズ・リーが創設したwebの閲覧スキームを利用して世界中のサーバの文章に飛べるリンク(ハイパーリンク)をテキストに埋め込むとかいくつかの仕組みをこの人物が考え出すわけだが、ここでの最大のイノベーションはブラウザにテキストだけでなく、画像も扱えるという機能を持たせたことだ。

画像は例えば
<IMG SRC="○○/○○.jpg">
というようなタグを打ってサイトに貼付ける。
この括弧
< >
はこの中がテキスト以外のレイアウト情報やハイパーリンク情報、画像表示などのコンピュータが読むべき情報であるという意味で、
IMG SRC=
でこれは画像を引用、表示するレイアウトタグであること表し、その次が画像ファイルの場所と名前を示すパスとなる...というようにテキストに埋め込んだ記号で画像を表示できるという仕組みを作った。
後にこれが拡大して音声ファイルや動画などを扱えるようになりインターネットがAVメディアとして大きな可能性を持つ始まりになった。

このアドリーセンたちが開発したブラウザは
Mosaic(モザイク)
という名前を付けられまさに一気に燃え広がるように普及していった。

ここでアンドリーセンたち開発者とこの「モザイク」のビジネス価値に気づいたイリノイ大学の間で深刻な対立が生じた。

イリノイ大学はこの「モザイク」は大学の研究から生まれたものだから、そこから生み出される莫大な利益は大学のものだとして、アンドリーセンたちの意思も確認しないでこれを大学の財産にしてしまった。
これに反発したアンドリーセンたちは後に大学をスピンアウトして、自分たちのブラウザを開発する会社を設立し、その会社から
Mozilla(モジラ)
というブラウザをリリースする。

この名前の意味は
Mosaic+Godzilla
つまり「モザイクを破壊するゴジラ」という意味だった。
アンドリーセンたちは最初自分たちが考えた「モザイク」という商標を使おうとしたが、これはイリノイ大学からのクレームで使えなくなった。

そこで彼らが考えた新しいブラウザの名前が、このイリノイ大学の「モザイク」ビジネス化への敵対的な姿勢丸出しの名称だった。

モジラのマスコットが火を吐くゴジラのようなデザインなのもこういう由来からだ。

この構図は最近日本でも発生した、青色発光ダイオードの発明の権利が会社と発明者とどちらに帰属するかという裁判とそっくりの構図だ。
後にアンドリーセンたちとイリノイ大学は和解して、それぞれにブラウザービジネスを継続すること、アンドリーセンたちは
「モジラ」
という敵対的な名称を使うことをやめて、新しいブラウザを
Netscape(ネットスケープ)
という名称に変更することでおちついた。
(しかし初期の頃のネットスケープのreadmeには「このブラウザーの名称はNETSCAPEと綴るがMOZILLAと発音する」という一節がある。アンドリーセンたちのイリノイ大学への感情が読み取れる文章だ。)

結果、モザイクは一時期の勢いを失い最初のインターネット普及の発火点になりながらも、あっという間にマイノリティに転落してしまい、インターネットブラウザーというと「ネットスケープ」を指すという時代が始まった。

これが94年のインターネットブームの始まりだった。


この章の冒頭でもふれたように、ネットスケープはUNIX版が普及しただけでなくマッキントッシュというコンパクトコンピュータにもバンドルされたりしてあっという間に世界中に広まり、これが電気の基礎知識もないのにネットブラウジングの方法を解説するようなネットユーザを大量に生み出し、これまでのパソコンブームとは全く違う次元の「インターネットブーム」を呼び起こした。

またWindows95というOSがMS社から発売された時に秋葉原や日本橋で徹夜の行列ができたのも、MS-DOSやWindows3.*ではこのネットの魅力を十分に享受できないというPCユーザの不満に初めて応えるPC-OSとしてWindows95が発売されたからだ。


さらに後日譚を続ける。
このMosaicとNetscapeがどうなっていったかだ。

Mosaicはイリノイ大学に巨万の富をもたらすはずだった。
ひとつ10ドル程度のシェアウエアとして配布しても、世界で一億人のユーザが買えばまさに「巨万の富」になるはずだった。

ところがアンドリーセンたちがこのMosaicをぶっつぶすためにMozillaを無料で配布し始めた。

アンドリーセンたちはそれくらいにイリノイ大学のこの仕打ちに憎悪を感じていたということかもしれない。
それにアンドリーセンたちのビジネスモデルは、企業などのビジネスユーザだけからシェアウエア料金を徴収して、一般の個人ユーザには無料配布して普及させてしまった方が結局は大きな利益を得られるという考え方だった。
そして実際にアンドリーセンたちの狙いはあたり、Mozillaはあっという間にインターネットのスタンダードなブラウザーになってしまったので、巨万の富を生んだのはMosaicではなくMozillaの方だった。

この対立は前述のように後に和解を見て、MozillaはNetscapeになった。
Mosaicは完全にイリノイ大学のお荷物になってしまい、イリノイ大学は後にこの権利管理会社を大学と切り離してSpyglass社という会社に売却した。

これに目をつけたのがMicrosoft社だった。

MS社はSpyglassからライセンスを取り付けて、このMosaicをベースにWindowsにバンドルするブラウザを独自に開発しはじめる。(そしてSpyglass社がMS社にMosaicのライセンス料を踏み倒されたと騒いだのも結構有名な話だが)

これが
InternetExplorer
というブラウザーになる。

もう一方のNetscape社は巨万の富を築いたアメリカのITビジネスのまさに模範になったが、のちにWindowsに無料バンドルされたInternetExplorerに徐々に浸食されていき、ビジネスも開発も停滞していき結局はAOL(アメリカンオンライン社)に会社ごと買収されてしまうことになる。
Netscapeは後にAOLによって社員を全員解雇されるなど、事実上消滅してしまう。
一時期の覇者も結局こうして衰退してしまうわけだ。

ところが、ここでアンドリーセンらNetscape社の先駆者は面白いことを考えついた。
Netscape社が最後の吐息をしている時期に、財団を作ってNetscapeのコードをオープンソースにしてしまい、コミュニティの力を借りてこれを改良するという試みを始めた。

この時に財団に与えた名称がMozilla.orgだった。

あのイリノイ大学との和解で使わないことになっていた名称をまた持ち出してきたのだ。

イリノイ大学はもうこの時にはMosaicとは完全に縁を切っていたから、先方から別に苦情は出てこない。

このMozillaという名称は表面的には昔の名称をまた持ち出してきたように見えるが、実はそのターゲットはMosaicの流れを引き継いでいるInternetExplorerなのだ。

そしてMozillaと名前を変え、オープンソースのブラウザとして形を変えたことでこのブラウザーは完全に息を吹き返し、その名前のごとくいまや仇敵の座を浸食しつつある。
面白い因縁話ではないだろうか?






ブログ、RSS、トラックバック


Web log/Rich Site Summery/Track Back


ブログというwebサイトの形態が大勢力になっている。
ブログというのは簡単に言えば、web表示のタグを自動生成するCGIのようなソフトをwebサーバにあげておいて、ユーザは自分ではタグを打たないでもサイトの体裁になるようなものを指す。

その歴史は90年代末のアメリカにさかのぼるらしいが、ここではブログの歴史にはふれない。
その歴史はあちこちのサイトで解説されているからだ。
それにブログの始まりの歴史を解説するのがこのページの目的ではなく、現状を総括したいということが私の動機でもあるからだ。

なぜならブログはその最初の開発者の意図とは違う理由で大勢力になりつつあるからだ。

ブログは最初、テキストを打つだけで自動的にタグを生成するサイトのスタイルとして開発された。そのメリットは
「更新が簡単だ」
ということだ。
最初のサイトのレイアウトを決めてしまえば後の更新はメールを書くほどの手間だけだ。
最初のレンタルブログサービスはネットスケープだったように思ったが(ちょっと確信無し)その売り文句は
「更新が簡単!」
という一点だけだった。

ところがブログに付加された二つの機能がこのサイト形態の性格を変えた。
それがRSSとトラックバックということになる。

RSSはリッチサイトサマリーという名称が表すように、サイトの更新部分を自動的にxmlのタグに生成して、これをサイトの一角に表示するという仕組みで、すべて自動で、つまりサイト制作者の手を煩わさないということが重要だ。
これをRSSリーダーというアプリを使って読者は読むわけで、どのサイトがいつどのような内容で更新されたかが解るわけだ。
どのサイトをRSSリーダーに取り込むかはそれぞれの読者の好みになるわけだから、すべてのRSSリーダーたちがおのおの自分のカスタムマガジンのようなものを持っているようなことになる。

ここにトラックバックという仕組みがついた。
これはそのサイトの読者が、自分のサイトでエントリーを引用した時(リンクを作った時)に、引用しましたよということで逆リンクを自動生成する。
最初のサイトの運営者は、そのトラックバックを受け入れて逆リンクを表示するかどうかという選択が最近のサイトではできるようになっている。トラックバックスパムを防ぐためだが、

トラックバックスパムなんていう新手のスパムがなぜ現れてくるかというと、そういう方法で自分のところの営利サイトに読者をある程度誘導できるからだ。

このRSSとトラックバックはwebサイトの読者の行動様式を変え始めている。
htmlが主体だった時代のweb読者の行動様式は同じサイトに毎日行くというようなことは、BBSなどの会議室で毎日活発に書き込みがされているようなところだけで、アーカイブ型のサイトを毎日読むということはないだろう。
アーカイブの量が膨大で、1日では読み切れないとしても数日読めば、後はしばらくはそこには行かないというのが今までのwebサイトの読者の行動様式だった。

ところがRSSとトラックバックを装備したサイトの読者行動様式はちょっと違う。
記事が毎日更新されるサイトを読者は好む。
1000字の長文が10日に一度しか更新されないサイトよりも、100字以下の更新しかないが、毎日新しいエントリーがあるサイトを好むようになる。
これはRSSで更新をチェックしているという購読態度を取っている以上仕方がないというか、自然の理なのだ。

それに各個のエントリーにはその記事に興味を持ったサイトがトラックバックを打っている。
トラックバックは基本的には似た興味を持った、同じようなテーマを扱っているサイトから張られているケースが多いので(スパムの場合はその限りではないが)、読者は興味のある新着記事をRSSで探し、その記事についたとトラックバックをたぐって自分が興味を持っているテーマを扱っているサイトを次々とたぐっていき、自分の信頼できる書き手をRSSのブックマークに貯めていく。
そういうブックマークが溜まっていくとますます、RSSリーダーは自分にとって価値があるカスタムマガジンになっていくというわけだ。


そうするとこのブログに何を書き込むかが、問題になってくる。

最初の売り込み文句では、
「毎日更新しても負担にならないくらい更新が簡単だ」
ということだった。
それで何をするかというと
「日記に最適」
ということになる。

それで最初は愚にもつかない日記を書いているサイトが中心だったようだ。
今の日本のブログも大部分はそういうことになる。
ところがただの日記にはトラックバックなんか必要ないわけで、これが横のリンクを通して広がりを見せるのはやはりジャーナルであることが重要になってくるということになる。

(ここで言葉の定義だが、ブログという言葉の元になったweb logはウエブ日誌ということになる。ジャーナルもダイアリーも日誌または日記という意味だ。だからみんな同じような意味なのだが、私が教わった、そして最も妥当な説はダイアリーは単に自分の身の回りの日常の出来事を書き留める「日記」であるのに対してジャーナルは毎日の社会的な出来事を記録する「日誌」で、目的も内容も大きく違うというものだ。
ログには単なる「記録」という程度の意味しかない。
ここでの言葉の定義はこれでいこうと思う)


社会的に大きい影響のある出来事をエントリーでとらえる、または自分たちの利害に関わる出来事についてオピニオンをいう。
それに対してトラックバックで他のサイトがそれに同意、または反論のオピニオンを元記事を引用しながら掲げる。

これが大勢力になって広がっていけば、従来のwebサイトとは違った機能を持ち始めるのではないか?

こういう説を私が始めて聞いたのは
時事通信社の湯川 鶴章さんに取材した時だ。
湯川さんは現役のジャーナリストでありながら、実名を公表して
「ネットは新聞を殺すのかblog」
という穏やかならざるタイトルのブログを運営しておられる。

従来のマスコミという情報チャンネルには、一般の人も薄々感じているだろうが実はカーストというか、ヒエラルヒーというものがある。
最も力を持っていて、そして最も高尚なマスコミは新聞社である。
その下には新興勢力のテレビというマスメディアがある。
最近まで2位だったラジオというメディアは、テレビに押しのけられその下方に位置している。
最も零細で最も卑しい仕事が雑誌の仕事である。
こういう仕事の貴賤は、もちろん明文化されているわけではないし、そんなものはあってはならないというのが建前だ。
しかし現実にはあってはならないが不文律として厳然と存在する。

その最も高級なマスコミの新聞が、今まだこのカースト制度に取り入れられるとこまでも行っていないような超新興のメディアのネットの出現とその微妙な力関係により食われるのか、何かが大きく逆転するのか微妙な時代に入っている。

湯川さんのブログのテーマはこの
「ネットと既存マスコミの関係はこれからどう変わるのか」
ということを取り上げておられて興味深い。

というのはこういうことをまじめに考えている人って、いそうで実はあまりいないからだ。
だからこの前のライブドアのニッポン放送買収や、今回の楽天のTBS買収の話がでてきて、その度に「ホリエモン」や三木谷氏らが
「ネットとメディアの融合」
なんて言っても、そんなことを言っている識者なんて今まで誰もいなかったし、だから何となくケムに巻かれているんじゃないかというふうにしか見えなかったろうし、実際既存マスコミもそういう反応の仕方しかできなかったわけだ。

けれど本当にそれは「ホリエモン」や三木谷の戯言なんだろうか?
そういうことをちゃんと考えている数少ない一人がこの湯川さんだった。


そこで湯川さんに教えられたのは、ネットが既存マスコミの持っている二つの機能を肩代わりすることができるのなら、大きな地滑り現象が起きるかもしれないということだ。

二つの機能というのは「ジャーナリズム」という機能と「広告ビジネス」という機能のことだ。

湯川さんのブログでも
「ブログはジャーナリズムの機能を持ちうるか」
なんてことを議論すると両方向から袋だたきに遭うというようなことが時々書かれている。
既存マスコミからは
「ジャーナリズムというのはそんなチェック機能もない野方図で、いい加減なもので良いのか?」
と叩かれるし、2ちゃんねらーなどのネット原理主義者からは
「ばかなやつほどブログはジャーナリズムだとかいいたがる」
というような反発を受けるそうだ。

実際、2ちゃんねるを筆頭にネットの世界ではジャーナリストという奴は嫌われている。

それは古典的なジャーナリストがネットの力も権威も小馬鹿にしているからで、電気掲示板くらいにしか思っていないという意識が鏡のように映されているのかもしれない。

湯川さんは先ほどの既存マスコミヒエラルヒーで言えばかなり上位におられる方だ。大新聞といえども時事通信社というところからニュースを買っているわけで、そういう場所で編集委員をやっている方だからだ。
その湯川さんが、カーストの埒外にある「ネット」にスポットライトを当てているだけでなく、自ら有名ブロガーとして活躍している。

これは日本の今までのマスコミのあり方として、希有な風景でありカーストの中にも外にもある
「権威主義」
の神経を逆撫でするのかもしれない。

しかし湯川さんは
「日本ではあまりないことだが、アメリカでは有名ジャーナリストや会計士、法律家、技術者などの専門家がブログを持っていて、専門家がそれぞれの専門の立場から情報を発信しているのは普通のことだ。」
というようなことをおっしゃる。

そういうセクト主義のような日本の現状の方がむしろ異様なのかもしれない。

湯川さんが教えてくれた事例は、これは非常に有名な話なのだが日本ではあまり話題になっていないという実例だ。
昨年末、大統領選挙のキャンペーンが始まった頃、ブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑が報道された。この報道で強力にキャンペーンを張ったのがCBSのイブニングニュースのメインキャスター、ダン・ラザーだった。
ダン・ラザーはこの番組中でブッシュ軍歴疑惑の主要な根拠として、独自に入手したテキサス州兵当時の上官ジェリー・キリアン大佐(故人)の4通の補完文書を番組内で提示した。

これは本物ならブッシュ政権の息の根を止めるような決定的な証拠になりかねないものだったが、この報道に対してブロガーが大いに盛り上がってこの報道に疑義を掲げたというのがこの事件だ。

ブログがただ根拠もなくデマを飛ばして騒いでいたわけではない。
中にはこの「証拠」とされる書類の出自についてかなり「専門家」の立場から具体的な疑問が提示され、それがCBSへの反対報道を始めた一部マスコミにも取り上げられ、結局CBSもこの問題を無視できなくなって調査が入ることになった。

その結果は、この報道は誤謬があったと認定され、ダン・ラザーは降板ということになってしまった。
ダン・ラザーという人物は日本ではどの程度のなじみがあるか解らないが、ベトナム戦争反対のキャンペーンを堂々と張り、時のリンドン・ジョンソン大統領に2期目の大統領選出馬を断念させたあのダニエル・クロンカイトの後を引き継いだ、アメリカを代表するニュースアンカー、ジャーナリストなのだ。

まさにアメリカのマスコミを象徴するそういう人物を辞職に追い込んだブログの趨勢が、これまでになかった全く新しい現象だ。

マスコミはよく三権分立の原則になぞらえて「第四の権力」という言い方をされる。
時の権力の暴走をチェックし止めることができるのはこの「第四の権力」という言い方は、例えばウォーターゲート事件のワシントンポストの二人の記者の例を挙げてよく言われる。

しかし三権はお互いに三すくみのような構造になってチェックし合っているが、「第四の権力」は誰がチェックしているのかという疑義はよく言われる。
先の朝日新聞とNHKの喧嘩から発展した朝日新聞の恣意的な報道姿勢への疑惑などの例のように、それはマスコミ同士がやるのだということになるのかもしれない。

しかしアメリカではまさにブロガーが「第五の権力」としてマスコミの言動をチェックし始めているのかもしれない。


もう一つ湯川さんから言われて目からウロコだったのは、広告媒体として既存マスコミの有効性は既に疑問視され始めているということだ。特にテレビの広告は有効性が疑問視されている。
その理由がHDレコーダーの普及のせいだという。
それはここ2〜3年の話だ。
HDで録画し、残しておきたいものだけDVDにダビングするという行動を今の視聴者はとっている。 CMをスキップするにはスキップボタンを押すだけで良い。
ディスクメディアはVHSビデオのように早送りの間巻き取り画像が出たりはしない。
なので視聴者は見たい番組の提供スポンサーがどこだったのかすら全く知らずに済ますことができる。

先の買収騒動で一方の当事者になったフジテレビの日枝氏は
「HDレコーダーのスキップボタンを禁止するか、メーカーに課金して放送文化の保護の財源にして欲しい」
というようなことをとある審議会で主張したそうである。

こういう広告に時には数百万ドルもかかる広告費を費やしていていいのかという意識がアメリカ企業には広がり始めている。
そこでアメリカの企業が注目しているのは、専門性の高い情報メディアやネット広告ということになる。
ライブドアがフジテレビとの提携をアピールした時に
「ライブドアのようなネットメディアと提携することで既存マスコミは生き残ることができる」
とあたかも自分が救世主のように言ったことが、既存マスコミには大いに嘲笑のネタになった。
「若造が何をトチ狂ったことを言ってるんだ?」
というようなことだろう。

しかしこの部分に関しては堀江青年は本気で
「フジテレビを救済する」
と思っていた節があるというのが湯川さんの指摘だった。

こんな論理は既存マスコミには当然受け入れがたいことだし、私もそれを言われた時には目からウロコが落ちるようなハッとする思いだった。
しかし事実というのはそういうものなのかもしれない。
私自身過去数年間IT関連の現場を見てきて、情報の流れが劇的に変わる事例もいくつか見た。
だから、こういう大転換はあり得るというのが私の実感なのだ。
造船や繊維などの企業がナショナルブランドだった時代には、造船メーカーが耕耘機を作り始めたり、繊維産業が化粧品事業に食わせてもらうなんて時代は考えられなかったろう。

マスコミの世界でもそういうドラスティックな構造転換が起きるかもしれない。いや、もう起きつつあるのかもしれない。
渦中にいる人間はなかなかそのことに気がつきにくいのだ。

ブログという全く新しい情報流通メディアがジャーナルをやり始め、それが新しい広告媒体の形態になるかもしれない。


私自身がこのサイトを始めたとき、およそ2年前の2003年末になるが、その当時既に「ブログ」というwebサイトのスタイルがかなり人口に膾炙してきていた。
よく行ってるサイトが次々とブログに模様替したり、新興サイトもブログの方がどんどんハイペースでできる感じだった。

それどころか私がサイトを開設した時にも「ブログを作ったんですか?」とか知り合いに聞かれたり、ここでも「なぜブログにしないの?」という質問も受けたりした。

このサイトがブログでない理由は別のページにも書いたが、私がこのサイトを始めた第1の理由はhtmlの働きと機能をちゃんと理解したいということが狙いだったからだ。
ブログはhtmlサイトよりも更新が簡単だということは知っていた。
「デイリーで記事を書いていくんだったら、ブログの方が便利ではないですか?」という指摘はもっともだ。
それでもhtmlのタグを自分で打っているのは、そういう仕組みを知りたいからというのが一義的な理由だが、しかし最近はそんなに新しいことを学んでいるわけでもないので、そういう意味ではもうhtmlサイトにこだわる理由はないのかもしれない。

それでもブログを採用しないのは、レンタルブログなどのプロバイダを信用していないということも大きい。レンタルブログが気に入らなかったりした時に、htmlなら引っ越しは簡単だがブログだと大変なことになる。

でも最大の理由は「みんなやっているから私はやらない」という私の天の邪鬼の性格のせいかもしれない。

ちなみに駆け足で用語解説するとRSSは

「Webサイト の見出しや要約などのメタデータを構造化して記述する XML ベースの フォーマット 。主にサイトの更新情報を公開するのに使われている。 」
「RSS関連の技術から手を引いたNetscape社に代わり、RSS-DEVワーキンググループという開発者集団がRDFベースの仕様で提案した「RSS 1.0」と、ネットスケープの「RSS 0.9」をベースにユーザグループから提案された「RSS 2.0」の2系統があり、こうした経緯のため、RSSの仕様は大きく「0.9-2.0系列」(Really Simple Syndication)と「1.0系列」(Rich Site Summary)の2系統に分裂している。 」

という説明になる。




2005年7月17日














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