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なんちゃってなIT用語辞典7

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny


MP3プレイヤー

MP3 portable player

コンパックと合併してWindowsパソコンのナンバーワンベンダーはHP(ヒューレットパッカード)になった。この会社はLinuxにも興味を示さないガチガチのWindowsベンダーだと思っていた。

だからこの会社が Appleと提携してiPodをHPブランドで売るというのは、結構最近では驚かされたニュースだった。


WindowsにはもちろんWindows用のMP3プレイヤーがある。なのになぜMacのイメージが強いiPodを売るのか?
その理由はiPod-iTunesがマジョリティだからだ。
MP3ダウンロード販売のマーケットではiTunesを使ってAppleはトップ企業に躍り出てしまった。
トップシェアを持った者は強いというのはWindowsのシェアでさんざん思い知らされていることだ。

シェアでトップをとればその流通世界では自由に規格を決定できるし、その規格が優れているかいないかなんてのは関係ないということはWindowsで証明済みだ。



Appleファンの人たちはこのニュースを聞いて喜んだだろうが、僕は興味がわかなかったというよりも、AppleはますますMicrosoft化が進んでいるなと思っただけだ。

案の定HPブランドのiPodには WMA規格は搭載されない らしい。

WindowsユーザもMacと同じ規格を使えということらしい。
無茶やってるなと思うが、きっとHPブランドのiPodは売れるだろう。
Windowsパソコンが未だに売れているのと同じ理由からだ。



ところでそのMP3プレイヤーというのも、かつてはなかなか実用化しない技術のひとつだった。
それを尻目に数年前からカセットに変わる新しいメディアとして、
MD(miniDisk)が多数派になっている。
カセットはもう30数年前からの技術だ。
それを延命するためにデジタルカセット(DATではない)などというキワモノも試作されたが、やはりカセットはもう命脈尽きたということらしい。
カセットというメディアを使っている限りデジタル化ができないからだ。

ところがこのMDという規格は本当にカセットに取って代わる規格といえたのかどうか、今真価が問われているように思う。

MDは案外早い段階でMP3に駆逐されてしまうのではないか、その時にやり取りされるのはオンラインのMP3データではないかと思っている。
(メディアも使われるだろうけど、そのメディアはCDRになるだろう。パソコンは急速に普及しているし、CDRはついに一枚30円台という低価格になってきている。MDがいくらお手軽なメディアといったって、もう太刀打ちができないレベルに来ている)

MDのようなディスクメディアではなくオンラインのMP3に音楽の主流が遷る伏線は、実は20年前に既に現れていたと思っている。


20年前の音楽メディアの世界では、CDに取って替わられLPレコードが一足早く姿を消していた。
デジタル技術に対しては保守的な音楽愛好家にはかなり拒絶反応があったが、それでも実際にCDを手にしてみるとその便利なことに気がついてあっという間に彼等はLPを捨ててしまった。

CDはまず手入れが簡単だ。
何回再生しても溝が磨り減って音が悪くなるということがない。
それにLPやカセットなどのアナログ機器では逃れることができなかった背景ノイズが完全に無くなることがインパクトとして大きかった。
カセットはヒスノイズが、LPはトラックノイズがあってダイナミックレンジ(一番小さい音と大きい音の差)は50〜70dbまでしか取ることができなかった。
CDは100db以上のレンジがとれる。これはほぼ生演奏にも匹敵する大きさと言える。
(ところが最近の流行音楽はこのダイナミックレンジの大きさを全く有効に使っていない。音楽の流通形態が変わってしまったことが原因だ。これも後述)

CDには問題点もある。
LPレコードには確かにあった可聴範囲外の高倍音が完全にカットされているという問題だ。
「CDの音は色気がない」
という昔からのオーディオファンがいる。これは多分気のせいではない。

CDはサンプリングレイトが44.1kHzに押さえられてしまった。
これはつまり人間の可聴範囲ぎりぎりの22kHzまで再生が可能ということだ。
ところが人間は実は聞こえないはずの20kHz以上の高音を聞き分けているのではないかという研究結果が最近続々とでてきている。
20kHzのところでスパッと高音をカットした録音と、30kHzあたりまで含んだ録音でブラインドテストをすると、ほとんどの人は30kHzまで再生している録音の方を「美しい音」、「なめらかな音」だと感じたという。
人間の耳はそういう聞こえないはずの高音から「音の存在感」(かつてオーディオの世界でプレゼンスという言葉が使われていた)を感じているらしいが、CDの音はそのあたりが完全にカットされているので、「音の存在感」を全く感じないそうだ。

CDがスタートする時に、試作段階では48kHz両面録音という規格も提案されていたはずだ。この規格に期待していたが、結局今の44.1kHz片面録音に規格が決まってしまった。

このことが後の音楽産業の運命を決定したように思う。

つまり昔のような録音の良さも含めて音楽を楽しむというファンが、結局絶滅してしまったということだ。


CDの音は良くない。
そのことは昔からオーディオマニアの間でいわれていたことだが、
「何を言うか! このCDの数字的スペックをみてみろ! 音が良くないはずはないではないか! 非論理的な守旧主義者たちめ!」
というデジタル信者によってその声はかき消されていた。
しかしCDの音に「存在感」を感じることができなくなった人たちは、結局オーディオマニアを辞めてしまい、今秋葉原や日本橋ではかつては町中を占拠していたオーディオショップがほとんど絶滅してしまった。

替わってでてきたのはポータブルCDプレイヤーとか、ミニコンポとかを売る家電量販店だ。

音楽はじっくり聴くものではなくなり、部屋の壁紙のようにインテリアとして鳴ってさえいれば良いというモノになった。

当然そこには「音の存在感」だの、ダイナミックレンジだのそんな性能は要求されない。
音楽なんて途切れずに鳴っててくれれば良いというだけのモノだ。

そこで録音メディアが問題になってくる。カセットはもう命脈が尽きた技術だ。かわりのメディアとしてデジタルメディアのMDが登場した。
このMDには
ディスクが小さい、
それでもカセットなみの録音時間が取れる、
CDからデジタルでダビングができるので音質がきれい、
メディアがコンパクトなので、ウォークマンもコンポもコンパクトに作れる
等のメリットがあげられた。
中でもコンパクトというのが最大の売りだ。
しかし「デジタルダビングなので音がきれい」といわれても元の音がもう削られた音なので、音質については気にする人もなくなってきた。
音質が気にならないなら、もっとコンパクトでもっとお手軽なメディアが登場すればそちらに流れていってしまうのは必然だ。

MDは登場した時から絶滅することが約束されたようなメディアだったと思う。


パソコン部品の革命がその時に静かに、だが確実に起きていた。
特にハードディスクの価格は画期的に安くなってきている。
かつては数MB(メガバイト、1バイトの100万倍の情報量)程度のハードディスクが搭載されるだけでパソコンの値段が10万円も違うという時代があった。
ところが現在では120GB(ギガバイト、1バイトの10億倍の情報量)のハードディスクが1万円程度で売られている。
ノートパソコンの普及のおかげで、2.5インチの小型ハードディスクも40Gが1万円という時代に入っている。
ハードディスクは昔のように高価なメディアではなくなってきている。
ならばそこにMPEGのレイヤー3で圧縮されたオーディオファイルを入れてしまえば、小さなディスクに数千曲もの音楽を収録できるようになってしまう。
MDがいくらお手軽なメディアといっても、ディスク一枚に収録できる音楽は十数曲から20数曲くらいのものだ。

MP3プレイヤーは結局時代の必然だと思う。
音楽は所詮「鳴っていれば十分」な商品に成り下がっている。
今の流行音楽はテレビやレンタルCDショップの試聴コーナー、webの試聴サイトで耳に飛び込みやすいように作られているので、曲の頭からダイナミックレンジが潰されていてますます音質の善し悪しとは関係ないモノになっている。
その方が売れるから仕方がない。

そういうモノを録音する規格としてそんなに高度なものは必要ない。MP3で十分だ。
どうせダイナミックレンジは潰れているんだし、可聴範囲外の高倍音はもとからカットされているんだし、そんなモノを録音する規格にオーディオ的な性能を求めても仕方がない。

そして音楽愛好家という人種は絶滅して、音楽をアクセサリーか壁紙のようにしか考えていない音楽消費者がいるだけだから、当然音楽のクリエータに対する尊敬の念なんて消滅している。


だから新譜が発売された当日には中古CD売り場にそういう新曲のCDが並ぶようになってしまっている。

みんな新曲を買ったらすぐMP3に変換して、即日売ってしまうからだ。
これで新譜を200円〜300円で手に入れることができる。


そういう音楽をためておける録音メディアはMDよりもMP3プレイヤーの方が便利に違いない。

音楽は現在のCDの規格を採用した時から、緩慢な自殺を遂げているとしか言い様がない。
それを停めることはもうできないだろう。

そして録音メディアはMP3を大量に溜め込むことができるiPodのようなMP3プレイヤーが主流になるのも間違いない。

かつてソニーのウォークマンは日本の工業技術の象徴みたいなモノだった時代があった。
海外でも若者は皆ウォークマンをつけている。日本についてどういうイメージを持っているかと訊けば「ウォークマン、ホンダ、パナソニック」だった。
しかし今はイヤホンをつけている若者は半分以上はiPodのようなMP3プレイヤーをつけている。
こういう技術は日本的なものだったはずだが、いつのまにかまたAppleなどにしてやられるということを繰り返しているのかもしれない。


そこで提案なのだけども、MP3のようなメディアを排除するレコード会社と著作権協会の古い頭を切り替えて、どんどん安い値段でMP3をダウンロード販売してしまえば良い。
どうせ今の音楽はその程度の価値しかないんだから、ぜひそうするべきだ。

そしてそれとは別に高音質CDという新しいメディアを開発してはどうか?
MDやMP3に録音するのがばかばかしくなるぐらいに高音質なメディアとオーディオセットを開発して、「高音質音楽」として一般のMP3マーケットとは全然違うチャンネルで販売する。

この方が不具合を起こしてお客さんのクレームを招いている
CCCD(ダビング禁止コード入りCD)なんかを作るよりもはるかに建設的だ。

でも覆水盆に返らずというか、一旦絶滅してしまったオーディオマニアを再び作るためにお客さんを教育するには何十年もかかるだろうなぁ。
今の音楽業界、オーディオメーカーには多分そんな余裕は無いだろうからこの提案は現実的ではないかもしれない。


追記

この記事を書いたのはわずかに半年前、2003年の年末だったが、たった半年でもう古い話になってしまった。
ここでは「音楽メディアとしてすっかり主流になっているCDとMDはもう絶滅が約束されているよ」ということを書きたかったのだが、わずかに半年後にはAppleのiTunesの音楽ダウンロード数が一億曲を越え、iTunes/iPodの音楽ダウンロードビジネスが主要音楽流通チャンネルになりはじめており、あくまでMDの大容量化で生き残りをかけていたSONYもたまらずiPodもどきのMP3プレイヤーで音楽ダウンロードビジネスに遅まきながら乗り出しはじめ、MDというメディアは秋葉原ではもう完全に投げ売りメディアになってしまっているという状況になっている。

こういうITメディアの話はわずかに半年で古い話になってしまうという典型的な例だ。
つい最近まではその牙城は全くびくともしないと思っていた物がわずかに1年とか半年とかいう短い期間のうちに周りの状況ががらっと変わってしまい、がらがらと崩れはじめるというのは実はこの世界ではよくあることなのだ。

Windowsだって未来永劫安泰だと考える根拠は全くない。






燃料電池

fuel cell

中学校の一年生の時に、アポロ13号の爆発事故が起こった。

地球の周回軌道から離れて、月に向かうコースに乗った直後に飛行士たちが乗る司令船の酸素タンクが爆発、そのために電力が完全に死んでしまい地球に帰還するのは絶望的と伝えられた。

この事故は困難に立ち向かった飛行士たちと技術者たちの奮闘により、奇跡的な帰還を果たすという結末になった。

ところで当時から疑問に思っていたことがあった。
爆発したのは酸素タンクだとニュースで云っていた。
それで当時中学生だった僕は、宇宙飛行士たちが「いっ、息ができない!」ともがき苦しむ姿を想像してしまったのだが、呼吸用の酸素は十分足りているという。
それは別の呼吸用の酸素があるのだろうと納得したが、酸素が足りないとなぜ電力が死んでしまうのだろうか?
これが不思議だった。

これについてはテレビの解説でしきりに「燃料電池」という言葉を使って説明していたが、要するに酸素がなくなると燃料電池が動かなくなるので電力がなくなる。
宇宙船は軌道計算も姿勢制御も通信制御も全てコンピュータでやっていて、電気がなくなるとこれが全てできなくなるということだった。

酸素と水素で電気を作る、こういう仕組みが「燃料電池」と呼ばれているらしい。


その言葉の語感から単一電池のようなものを想像していた。
しかし実際の燃料電池はもっと大掛かりな機械だった。
水素と酸素を混ぜて火をつければ爆発するが、これを触媒を使ってゆっくり反応させると電気と熱と水を取り出すことができる。

この「燃料電池」という言葉はアポロの事故で心に刻まれた。


それから20年以上経ってまた燃料電池という言葉をよく聞くようになった。
家庭発電に使ったり、自動車に積んで電気自動車を走らせたりするという。 これも宇宙開発の技術が民生技術におりてきているという例のひとつだ。

しかしこの燃料電池は今年辺りを境にさらに大きな進歩をする見通しが出てきた。



小型燃料電池が実用化しそうだ。
用途はパソコン、デジタルカメラ、ビデオ、携帯電話、PDAなど現在リチウムバッテリで駆動している全ての製品が対象になる。
そうなるとどれだけ小型になるのかが気になるところだ。
なんせかつてのアポロの燃料電池は機械船の容積の何分の一かを占める大掛かりな機械だった。


昨年の日経ナノテク展を取材した時に各社が一斉にこの小型燃料電池の試作品を展示した。
そこで見ると一番アドバンテージがありそうだったのが、NECだった。
パソコンの燃料電池はまだ容積が現在のリチウム電池の3倍くらいありそうだった。 だからパソコンの下に下敷きアダプタのようにはみ出している。
しかし非実用的な大きさではなかった。
本体はほとんどポリカーボネイトなので重さもたいしたことはない。

これで一回の燃料で9時間から15時間の駆動を目指すという。
現在のリチウム電池は最良のコンディションでも3時間がせいぜいだから、パソコンはもう電源ケーブルを気にしなくても良くなるかもしれない。

燃料はメタノールを使う。
アポロのように純粋酸素と純粋水素を使うのは危険だし、大掛かりになってしまう。メタノールと空気中の酸素を反応させるなら大仰な加圧タンクは必要ないし、メタノールのコストは一回分が数円だ。
今のジッポーライターのオイルを売るように駅の売店で販売できるし、タンクの構造もオイルライター並みの簡単なもので十分だ。

燃料電池のメリットはこれだけではない。
リチウムバッテリは3時間使いきってしまうと3時間以上の充電時間が必要だ。

ところが燃料電池は、メタノールを注ぎ込む数十秒の時間だけで満タンになる。替えボンベを持ち歩けば何時間でもコードレスで使えるわけだ。



デメリットもないではない。
燃料電池は電圧は安定しているが、リチウムバッテリと比べると瞬発力がない。
パソコン等は起動の時に一番大きな電力を使う。
この時に必要な電力に合わせて大きく出力をとると燃料電池の効率が悪くなる。消費電力に合わせて反応を調節することができないからだ。
この問題の解決はパソコン側の改良も必要になってくる。

また低コスト化、小型化はまだ途上だ。

しかしNECによると2004年の前半の内に商品化し、2〜3年の内にリチウムバッテリとコストや大きさでも競合できるレベルに持っていきたいとのことだった。

なんでこんなに急速に燃料電池の小型化が実現したのかというと、このナノテク展というシチュエーションと関係していた。
燃料電池はナノテクノロジーを使って急速に改良されているし、ここ数年そういうナノ技術が続々出揃っている。


ここでナノメーターという単位を確認の意味で実感してもらいたい。

もし本州と同じ身長の人がいたとする。
1800kmの身長のこの人にとっての1ミクロンは1.8メーター。
ミニバンの車高ぐらいの高さだ。
この本州サイズの人が感染するインフルエンザウイルスは、新聞紙ぐらいの大きさになる。
さらに

この人から見た1ナノメーターはその新聞紙に印刷された活字1個分にあたる。



もし1ナノメーターのものが見えたとしたら、分子を構成する原子が網状に繋がっているのが見えるだろう。
ナノというのはそれくらいの大きさだ。

燃料電池を急速に進歩させたのは、カーボンナノホーンが製作できる技術だ。
これは直径がほぼ1ナノメーターくらいの大きさの牛の角のような形をした炭素のネットだ。
この炭素の牛の角を燃料電池の極板の表面にびっしりと剣山のように並べる。
そして牛の角の先にひとつずつ触媒金属の小さな固まりをつけておくという細工をする。

こうすることで極板を大きくせずに、触媒とメタノールが触れる表面積を少しでも大きくできるので電池の反応面は小型化ができる。
これが手のひらサイズでリチウムの何倍もの持続時間がある燃料電池を実用化する原動力になった。


ナノテクノロジーは以前から日本の次世代の産業技術の核になる重要技術だといわれていた。
例えば直径2ミクロンのワイングラスを整形したセイコーインスツルメンツとか、この面では日本の企業の技術力は世界をリードしている。
しかしナノメーターサイズで様々な形のものを作れるその技術は単純にすごいと思うけど、それが何の役に立つのかよく分からなかった。

これからは燃料電池の小型化という形で、身近に見える形でやっとそのありがたみが見えてくる。



このカーボンナノホーンを 素材として実用化したNECの飯島澄男主席研究員にインタビューしたことがあった。この人は大学からスピンアウトして民間企業に移ったという経歴を持っている。

「良い顕微鏡を買ってくれるというから大学からNECに移った。」

と飄々と語った。
カーボンナノチューブは最初から素材として有望だと思っていたかと質問すると、こう答えた。

「思いもしなかった。でもみんなが同じ方ばかり向いていたら本当のイノベーションなんて出てこないでしょ。僕は素材として面白いと思ったからカーボンをやっていただけで、そういう奴もいないと技術はいつまでも広がりが出てこないんですよ。」


謙遜なのか、本気なのかどこまでも飄々とした人だったが、「国も、企業も無駄に見える研究にも投資しろ」という主張を語る時は強い口調だった。
世間がやっと見えてきたナノテクの素材工学の価値をもてはやすようになったことは喜ばしいことには違いないだろうが、本流から外れた研究開発は今でもどんどん切り捨てられるという状況にあるという。燃料電池のナノテクを礼讃するならそういう日の目を見ない研究にもっと目を向けろということらしい。

そういえば昔から夢の電源といわれながら、一向に実用化しそうになかったのが燃料電池だった。
それが今年になって急にブレークスルーしそうになっている。
その原動力は本流を外れた研究から出てきた金鉱だったということらしい。




2004年1月15日













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