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なんちゃってなIT用語辞典8

多分何の役にも立たないIT用語辞典
How that IT term sounds funny


リナックス

Linux

世界中がWindowsで占められ、Windows以外のOSを使っている人が一人もいなくなっても、それでもWindowsを使わないだろう。
単純にWindowsが嫌いだとかそういう感情論だけでなく、欠陥品を我慢して使うぐらいだったら何も使わない方がましだと思うからだ。

しかし幸いにして「世界中がWindowsで占められる」なんていう 「1984」 世界はやってこないだろう。

Windowsは今大きな岐路に立っている。


ビルゲイツ君がせっかく打ち上げた Longhornという花火だがあれはNTkernelでは実現不可能だと思う。
つまりWindowsユーザはこれから先5年も10年もずっとWindowsXPにパッチを当てながら使い続けなければいけないということだ。

もっとも頻繁にアップグレード版を出されて旧版のサポートをどんどん打ち切られて、それで金を巻き上げられるという今までのMicrosoft商法が通用しなくなるわけだから企業ユーザにとってはこれから幸せな時代がやってくるのかもしれない。

でもそれではMicrosoftの水ぶくれした会社組織を維持できないので、結局「WindowsXP Music Edition」「XP Movie Edition」
「XP Television Edition」「XP WorkDesk Edtion」など 次々と新バージョンを出して結局アップグレードしないと互換性がないようにわざと作って金だけは巻き上げるというMicrosoft商法健在ということになるのかもしれない。

この世の不幸はすべてビジネスユースのクライアントPCがWindows一色になってしまったことが原因だと、もう皆そろそろ気がついてきている。



Windows一色になったメリットはというと「互換性が高い」「経費が節減できる」ということをあげるのかもしれない。

「互換性」というのは、かつては異なるプラットフォーム間での文字化けの問題にうんざりさせられたということが刷り込みのようにイメージとして残っているからそういう言葉が出るんだろう。
しかし今時「Macは文字化けするからだめだよ」なんて言ってるのはパソコン音痴のオヤジだけだろう。OSがMacなのかWindowsなのかが問題なのではなく、文字コードに何が使われているかが問題なのだ。
だからMacを完全に排除してWindowsだけにしたはずなのに、やっぱり文字化けが起きてしまう。 そしてパソコン音痴のオヤジは「一時的な不具合でしょう。」と言われるとすぐに納得してしまう。

「経費が節減できる」というのも幻想だということが明らかになりつつある。
確かにWindowsを搭載したDOS-V機は初期費用は安い。
今じゃWindowsXP(HomeEdition)を搭載した新品のデスクトップ機が3万円で買える時代だ。 ハードウエアベンダーがまさに骨と肉を削って低価格競争をしているのでハードウエアの値段は安い。

しかし仮にこれを50台導入したとして最初の購入費用は500万円浮いたとしよう。
しかしすぐに起きるのはハードディスク容量が足りない、メモリが足りないというスペック不足の問題、ネットワーク構築のためのサーバ管理の問題、毎週パッチを当てるメンテナンスの問題などで結局2〜3人に年中無休の残業を強いることになる。
それらの人件費やアップグレード機材費、技術費で購入費用の浮いた分は 1年足らずでふっ飛んでしまう。
(Microsoftは毎週当てるのは大変だからパッチを 月一回発行に減らしてくれたそうだ。その間不具合を放置しても、ネットワーク管理者の労働時間を減らしてあげる方がいいと判断したらしい。この会社はやっぱり勘違いしている。パッチを減らせと言ってるんじゃなくてバグをなくせというのがユーザの声なのだが)

「そんなこと言ったって今は唯一企業が使えるクライアントPCのOSはWindowsしかないではないか」「Windowsが減っているという実感は全くないが」
いまだにこういうことを言う人はいるだろう。しかしそういう人の常識よりも現実は遥かに先に進んでいる。

ドイツの ミュンヘン市がWindowsを全廃してPCを全てLinuxに換えてみると大幅な経費節減になったそうだ。
日本政府もLinux導入を検討している。(こういう話はリークされた時にはもうおおむね決まっているのだ)
中国政府 韓国政府 デンマークなど世界の政府関係者は続々Windowsを捨ててLinux導入に動いている。
またLinuxの有力ディストリビュータもデスクトップ市場に本格的に乗り出す 動きを見せている。これまでLinuxはサーバ用途のOSでWindowsやMacのようなデスクトップのクライアントOSとしては使いにくいと思われていた。
しかしこれも急速に変化している。詳細は後述する。

この話の肝はMacとWindowsどちらが優れているかという話ではない。
UNIXとWindowsどちらが優れているかという話だ。


今、PC用のOSにはおおまかにいって二つの流れがある。
UNIXと非UNIXだ。
UNIXはBSD、Solaris、AIX、System V など様々なバリエーションがある。
LinuxもUNIXのひとつだ。
共通しているのはどのOSも非常に安定性が高く、システムがクラッシュしたりフリーズするということがほぼ無い。
UNIXのOSはどれも数カ月間再起動しないで連続で運用することが可能だ。
メンテナンスも数カ月に一度というメンテナンスフリーさだ。

こういう特質を持っているから、 メールサーバとかwebサーバとかは今でも大部分がUNIX だ。
一刻も停止していることが許されないような用途には確かにUNIXが向いている。

Microsoft社の自社サイトのサーバもLinuxサーバが使われている。
MicrosoftにはWindowsNTサーバという製品があるにもかかわらずだ。



非UNIXで大きなものはWindowsとMacがあった。
こちらは逆にデスクトップクライアントのOSの大部分をこのふたつが占めている。
特にこの5〜6年ほどはWindowsの独占状態が続いている。
UNIXは安定したOSだが、操作が難しいという難点があった。
だからコンピュータの知識が無いユーザにも使えるGUIを備えた
Mac、Windowsが一般のクライアントOSに向いているということになる。
しかしこの非UNIXの問題点は、安定性が低く連続使用を要求されるような用途には向かないという点だった。

MacにしろWindowsにしろ登場以来改善はされてきているが、 結局この安定性という問題ではUNIXを上回るものを開発することには成功していない。

AppleがMacOSXを開発する上で、従来のMacコアを完全に捨ててUNIXに積み替えたことは実に正しい判断だったと思っている。

そして WindowsもNTカーネルを捨てない限りこの面での進歩は難しいというのは、もう明白ではないだろうか?


(WindowsXPになって何か良いことがあっただろうか?
Macの「アクア」そっくりの「ルナ」インターフェイスになったということぐらいが大きな変化で、改悪された部分はいっぱいある。
しかもWindows2000に比べると安定性という面では大きく後退してしまった。
基本部分がこのままである限りGUIをこのように大きくすればするほど安定性が犠牲になるのは自明の理だ。だからLonghornはNTkernelでは実現は不可能だと書いた。

しかし企業ユーザにとってはそんなことはどうでも良いことなのかもしれない。
オフィスで使うコンピュータは安定していて使い慣れたものが良い。だから企業はいつまでもWindows2000をXPに更新したりはしない。
企業の購入担当者も、昔のように不勉強で良いカモにされているばかりではない。
Windows2000をXPに替えればさらに良くなるなんていう期待はもうしていないだろう。
Windowsの終焉はもうこういう所からも始まっている。)


「UNIXが安定しているんならUNIXを使えば良いじゃないか」という議論に今までなかなかならなかったのは、UNIXの難解さのせいだと書いた。
今まではそうだったが最近そういう事情が変わる大きな出来事がいくつかUNIXの世界で起きている。

ひとつはUNIXのバリエーションのひとつのLinuxのGUI化が急速に進んでいること。
そしてGUIを装備したOSのリーダー的存在だったMacOSXがUNIXを採用したことだ。


後者のMacOSXの登場は、UNIXユーザたちにとっては
「Linuxの登場以来の大事件」
という受け止められ方をしていたことを最近知った。

MacOSXのカーネルは基本的にはオーソドックスなBSD-UNIXだ。
この面で革新的な部分はあまり無い。
しかしそれはMacOSという子供でも扱えるようなGUIを搭載するUNIXになった。
UNIXにもこれまでX-Window等のGUI環境があったが、MacOSは20年の歴史を持つメジャーなGUIだ。
それをUNIXで使えるようになったということが大きな出来事だったという。

コンベンショナルなWindowsユーザはほとんど認識していないだろうが、
MacOSは昔のハッピーMacがお宅心をくすぐるマニアOSではなくなっている。今やUNIXのメジャーOSなのだ。


さらにUNIXの中の一大勢力であるLinuxが大きく様変わりして、WindowsやMacのようなGUIを装備したクライアントOSに生まれ変わりつつある。
その大きな勢力はRed HatとLindowsだろう。
このうちLindowsに注目している。


最近このLindowsのOSとチュートリアル本を手に入れて読んでいる。
肝心のLindowsをインストールできるハードウエアが手許に無いので、ペーパードライバーではあるのだが、このLindowsというのは非常に興味深い。

目的はずばりWindowsユーザの取込みだ。


だからデスクトップのデザインはまさにWindowsXPそっくりだ。
左下のLボタン(Launch key)からポップアップを出してアプリや階層に入っていく構造は、WindowsのStartボタンにそっくりだ。

(昔Windowsを触りはじめた頃、PCを終了させたい時に「Startボタン」から入るのは非論理的ではないかという拒絶反応を起こしていたのを今思い出した。しかも「Startボタン」は起動には無関係だ。「Start」は起動という意味じゃなくて、操作を開始するという意味なのだがどちらにしても強い違和感を感じたには違いない。
Lindowsは「Lボタン」という意味不明の表示にしている。
Startなんていう変な意味付けをするから混乱するんで、リンゴマークとか「Lボタン」とか、いっそこういう意味不明の操作ボタンにしてくれる方がユーザというのはすんなり入りやすいのだ。
WindowsのGUIデザイナーにはこういうセンスが欠けている)


付属のメーラもWindows標準のOutLookExpressなどのフェイスにそっくりだ。
だからWindowsユーザはほとんど違和感なく入ることができるだろう。
Windowsを使いこなしている人だったら、そんなにマニュアルを読まなくても基本的な操作は直感的に分かるはずだ。

しかしこのOS、Windowsに似ているかと訊かれれば僕はむしろMacOSXに似ていると答える。
コマンドはUNIX同士だから酷似している。
Macではterminalと呼んでいるCUI操作環境をLindowsではコンソールと呼んでいるくらいの違いだ。
しかしシステム環境設定から基本的な設定をしてみたり、ネットワークの設定画面もデザインはWindowsに似せてあるが項目はMacOSXそっくりだったりと、 育ちよりもやはり生まれがその姿に大きく影響するということらしい。
血は水よりも濃しということなのか、この操作画面の説明を読んでいるとWindowsユーザよりもMacOSXユーザの方がきっと入っていきやすいと思ってしまった。

それはともかくUNIXの知識が無くても基本的な操作にはまず困らないという水準まで、このOSは「Windows化」されている。
少なくともメールしたりweb見たり、ワープロ打ったりというようなビジネス現場で必要なことはUNIXコマンドを一つも覚えなくても実行可能だ。

これはWindowsにとっては必ずや大きな脅威になるのではないだろうか。


何しろUNIXの血筋だからフリーズだのクラッシュだのという言葉からほぼ無縁だ。
Word、Excelなどのビジネス文書を扱える無料ソフトもそろっている。
ネットワークへの親和性はもともとWindowsよりも高い。
ウイルス騒ぎも無関係だし、クラッカーなどへの防御という意味でもWindowsのような破たんが無い。
Windowsのように毎週パッチを当てなくてはいけないということも無いし、毎週大きなセキュリティホールが発見されるということも無い。

これでWindowsとおなじような操作性を獲得したら
もうWindowsを使う理由は無いんじゃないだろうか?


いくつかWindowsとのファイルの互換性で改善すべき点は残っているだろうが、これが使い物になるということが判ったら、なぜ高くて欠陥を多く抱えたWindowsにこだわらなくてはいけないのかという疑問は必ずわき上がってくる。
Windowsの終焉と書いた2番目の理由がこれだ。


ハッキリ書く。このままではMicrosoftは生き残ることができない。
そこでMicrosoftは 最近ではTRONと提携 してみたり、家電製品の組み込みOSや AVセンターのOSとしての生き残りをアピールしている。
しかしこれについてはもう否定的意見を書くまでもないだろう。
Windows搭載のカーナビも商品化されたようだが、その搭載OSのウリはなんと 「WordやExcelも使える」 ということらしい。
この会社は根本的に発想を切り替えないと駄目なようだ。


結局Microsoft社が生き残る道は、 ウイルス作者の言葉 ではないが
「ビルゲイツは金儲けをやめてしっかりソフトウエアを作れ!」
ということにつきると思う。


「Microsoftは5年以内に倒産ということもあり得る。」
僕がこういう話をすると皆怪訝な顔をする。
「だってMicrosoftは今期の決算も大幅黒字ですよ。」
「アメリカでは 最も信頼される経営者のNo1に選ばれましたよ。」
なんて反論が出てくる。

Microsoftのこの四半期の決算がどうだったかなんて全く興味がない。どうせ全部、原価はただ同然のMSOfficeを無知なユーザに高く売り付けてあげた利益だ。
またコンピュータにもITにも関心がない人たちの人気投票でビルゲイツが一位になったってなんとも思わない。
どうせ彼等はMicrosoft社の決算書に投票したんであってビルゲイツの人となりに投票したわけではない。
ビルゲイツがどういう人物かは こちら をじっくり参照してもらいたい。
ここに書いてある情報が大部分事実であることは検証可能なので、そういうことをみんな自分で調べて、じっくり検証してなにが真実なのかをみんなに見てもらいたいと思う。

そうすれば

「来れ! 日本のビルゲイツよ」

なんてどこかの自治体が書いていたことがいかに恥ずかしいことだったかということがハッキリ分かるだろう。

みんながどうしてそんな数字で判断するのか理解できない。
僕が言っているのは決算だの人気投票だのそんなどうでもよい数字の話ではなく、
「Microsoft社は今主要なビジネスリソースを失いつつあるよ」
ということなのだ。
そのことについてまともな反論を聞いたことがない。
いまだに
「Windowsは95%のシェアを持ったOSですしこれからもずっとそうですよ。」
という根拠も意味も何もない、感情的かつ希望的観測しか聞いたことがない。

しかしWindowsが90%もシェアをとったのはこの5〜6年の話なのだ。
10年前にはMicrosoft製品は壊滅的かつ風前の灯火状態だった。

この世界では10年も同じ状態が続いたことがない。
Windowsがこれからも永遠にデファクトスタンダードであり続けるなんて話はあり得ないと思うのだ。



話が大幅にそれてしまった。
Linuxはサーバ市場では既に一定の成功を収めているが、これからはクライアントPCの世界にもどんどん入ってくるだろうということだ。
LinuxのGUIは今では十分実用的なレベルにきている。
それに加えてUNIXの血筋の安定性だ。

ところでLinuxについての誤解で今でもこういうことをいう人がいる。
「Linuxはただで使えると聞いたのに、なぜお金を払わなきゃいけないんだ?」

Linuxは確かにただだ。
正確に言うとGPL(Gnu Product License)で著作権を守られた著作物ということになる。ユーザはLinuxのコードを自由に閲覧できる。

しかしそれはLinuxのカーネルについての話だ。
Linuxのカーネルは誰でもLinuxのサイトから自由にダウンロードすることができる。

そしてUNIXコマンドについて十分な知識を持っていればそれをインストールして、自由に使うことができるだろう。
しかしそれはGUIをほとんど装備していないLinuxだ。

真っ黒な画面に自分でテキストコマンドをどんどん打ち込んでいかないと動かない。
デスクトップ画面もないし、アイコンもウィンドウもない環境だ。

そういうものはただで手に入るが、ウィンドウやアイコン、ポインタがないとコンピュータは動かせないという人は、やはりGUI環境を装備したディストリビューション版(製品版)Linuxを買わなければいけないということになる。


何年か前にLinuxの最初のコードを書いたリーナス・トーバルズのインタビューを読んだことがある。
リーナスはLinuxのGUI化に関してはかなり否定的な意見だったのが印象的だった。
LinuxのGUI環境を整備すればWindowsやMacに迫る第三勢力として普及するのではないかという質問に対して、

「LinuxのGUI化は意味がない。」

とまで言い切っていた。
この人物は典型的なUNIXの人というか、そういう商売とかLinuxのシェアを伸ばすとかいうことにはあまり関心がない人物だったようだ。
「LinuxはPC-AT互換機などの環境でも十分使えるように設計した。そういう環境の人がこれを利用できるということが重要なのだ。」
という彼の言葉にそういう気分がにじみ出ている。
「小さくて機能的なUNIXが欲しい」という人が使えるようにLinuxを設計したのであって、それがWindowsの代わりになるかどうかなんてことには興味がないということなのだ。

しかしそういう原作者の感情とは別にLinuxのGUI化は順調に進んでいる。

これから2〜3年の内にLinuxのクライアントOSは急激に身近な存在になるだろう。
その時に 大きな雪崩現象が起きるように思うのは、そんなに不思議なことだろうか?
Lindowsの操作画面を見ているとますますそういう確信を持ってしまうのだが。



後日注

実はこの文章を書いた後、実際にLindowsをインストールしたPCを触る機会があったのだが、実際に動くLindowsを触った印象は「かなり疑問を感じてしまった」ということだ。

まず一番面食らったのはインストールし終わって起動するといきなり、rootでログインすることだ。
rootは別頁のUNIXの解説でも書いているが、UNIXの世界では神と等しい絶対の権限を持ったユーザだ。

だからセキュリティとかフールプルーフ(ユーザはとんでもないミスをする。時にはフールつまりバカとしか言い様がないミスもする。だからバカが触っても大丈夫という意味の対策をフールプルーフという)とかいう見地から見ると簡単にrootになれてはいけないはずだ。
しかしインストール後いきなりデフォルトでrootになるというのは強烈な驚きだ。
(しかもパスワード無しでログインする。これって問題あるように思うんだがなぁ)

おそらくインストールを簡単にするためだろう。
UNIXのインストールはSwapVolumeの為のパーティション切りを最初にやらないといけないとか、rootパスワードや管理者ユーザの設定をしないといけないとか、結構色々な手続きを踏まないといけないはずなのだが、このLindowsはWindowsと同じ簡単インストールを強調したかったせいか、CDROMを突っ込んでインストーラのOKボタンをクリックするだけでインストールが完了するように設定されている。
それは良いのだが、そのためにいきなりrootでログインするのは頂けない。

他にも日本語環境の設定がアプリや、状況によってバラバラとかMSOfficeの代替ソフトのOpenOfficeはまだかなり未完成で、Word、Excel文書の読み込みには問題が残っているとか、Kターミナルでも使えるはずのUNIXコマンドに変な制約がついていたりなど、不満をあげだしたら切りがない。

しかし一番の問題点は、このLindowsはLinuxユーザの支持を得られていないということだ。
どうもこのUIは評判が悪いようだ。
それは販売元の商売のやり方に問題があるのか、このUIの性能に問題があるのか(どうも調べているとこの両方のようだが)とにかくWindowsに替わるクライアントOSの急先鋒として有望かと思っていたが、Linux組の皆さんに評判が悪いんじゃ仕方がない気がする。


HPや他のベンダーから続々発売されるLinuxプリインストール機もほとんどRedHatかTurboLinuxみたいだし、このOSをプリインストール機として選ぶベンダーもいないようだ。
話によると、この本編で書いたようなGUI化はRedHatやTurboLinuxでもかなり進んでいるようなので、そっちが伸びてくれれば文句はない。






タブレットPC

Tablet PC

2002年にセキュリティの番組を作っている時に、 ワコムを取材した。
その時に担当者から
「今年の秋にはタブレットPCという大型商品が出ますよ。」
といわれていたのでこの製品には期待していた。


ワコムがこれに期待するのは当然だ。
このメーカーはもともとタブレットが主力製品で、ペンタブレットはデザイナーの必需品だし、タブレット方式のコードレスマウスはヒット商品になっていた。
また クリントン大統領は電子認証を法制化した通信改革法施行の時に、ワコムのタブレットモニタに電子署名をしてこの法律の成立をアピールした。
タブレットが新しいPC技術として期待されるのには理由がある。

今でもペンタブレットはデザイナーツールとして普及している。
タブレットとはパッドのような板の上でペンツールとか、コードレスマウスを操作する技術で、パッドの方からパルスを発射することでペンやマウスに仕込まれた回路が共鳴する。その共鳴で発信する電波にペンがどの辺りをさしているかという位置情報を乗せて跳ね返すことでワイヤレス化を実現している。
これは音叉が共鳴するのと同じように電波も共鳴するという現象を応用している。
この原理を使うことでペンやマウスには電池を仕込む必要がないので、軽く単純な構造にできる。
タブレットというのはそういうパッドのような板の上でそういう操作を実現する技術だったが、液晶パネルが普及してその液晶パネルの表面に透明な電磁誘導板を貼ってモニター画面の表面をクリックするとPCを操作する技術が製品化される段階にきた。

この技術は重要な意味を持っている。



マウスとアイコンを発明したのは米ゼロックスのパロアルト研究所だという話は前にもここに書いた。
パロアルト研究所はGUIのあるべき姿として、マウスでポインタを動かしてアイコンの上でクリックするとファイルやアプリケーションを開くことができるという操作環境を提案した。
このGUIの考え方がMacに引き継がれWindowsにも波及して、今日パソコンの操作というとむしろそういうものが普通になっている。

しかしパロアルトにとっては、実はこれは妥協の産物として考え出したものに過ぎなかった。


パロアルトが実現したかったのは、画面に表示されたアイコンを指で直接押すと開くというインターフェイスだったらしい。
しかし当時の技術ではそういうタッチパネルは実現不可能だった。
それで当時の技術で実現可能な、マウスとポインタというものを代替案として考えだした。
人間が操作するのにマウスを使うというのは、隔靴掻痒というかリモコンで机の上のものを動かしているようなものだ。

本当は指で直接触れて動かした方が人間の感覚により近いインターフェイスになるに決まっている。



タッチパネルは地下鉄の券売機で実現されている。
画面に表示された自分の行きたい駅を指で押すと、該当する金額の切符が出てくるようになっている。もし地下鉄の駅の券売機に全てマウスがついていたら、お年寄りや子供は操作に戸惑うに違いない。

総務省が電子入札をスタートした時に、総務省は当時の片山大臣を引っ張りだしてきてこのネットワークの便利さをアピールしようとした。
お付きの官僚が「画面上のここをクリックして下さい」と操作法を教えると片山大臣は直接画面上のアイコンを指でぐいぐい押して「おい動かんぞ」と言ったという 「片山大臣タッチパネル事件」というのがあった。

電子入札はタッチパネルを標準装備するという仕様にしておけば、大臣に恥をかかせなくてすんだのにと惜しまれるところだ。


片山大臣もマウスを見たことがないわけではないだろうが、こういうことが起きるのもやはりマウスとポインタを使ったインタフェイスがITリテラシーの低い人には優しくないことが原因なのは明らかだ。

2002年の秋に満を持してタブレットPCが各メーカーから発売されるという話を聞いた時に、この製品がどういう風に発展するかちょっと期待していた。

しかしこれはちょっと期待外れだったようだ。


タブレットPCがイノベーション製品として受賞した時にも そのイベント会場にはタブレットPCが一つも展示されていないというチグハグなことになってしまった。


タブレットPCというハードは商品化した。
これでコンピュータのインターフェイスが変わるという期待を持った。

ところが肝心のソフトウエアがそれに対応しないと意味がない。


MicrosoftはもちろんタブレットPC用のWindowsを出したが、何が変わったのかよく分からないような普通のWindowsだった。

そこで 実現された技術は文字をペンタブで入力すると自動認識して、ワープロに文字入力ができるという程度の技術だった。
これにはがっかりした。
なぜなら文字を入力したいならキーボードを使った方がはるかに速いからだ。

これではマウスのかわりにただペンを使うというシロモノになっただけで、

子供の お絵書きソフトが使いやすくなるというメリットしかない。
そのために標準のマウス方式のパソコンのほぼ倍の金額を払うユーザなんかいない。


タブレットPCにはMacは対応しなかった。
Appleはこの技術には冷たい態度を見せた。
結局Windows陣営だけでインターフェイスのデザインをやったわけだが、Windows陣営というのはもともとインターフェイスに対して明確なビジョンもポリシーも持っていない。
ただMacの真似をひたすらやってきただけだ。

Macが対応しないと真似するものがないから、結局従来の
WindowsインターフェイスそのままのタブレットPCができあがってしまった。


そして発売以来2年目になるタブレットPCは業界の鬼っ子のような位置づけになっている。

タブレットPCは本来OSのインターフェイスに重大な変化をもたらすイノベーションであったはずだが、MicrosoftのGUIクリエータたちはその意味も重要性も理解できなかったようだ。

タブレット操作でレジストリやプロパティ画面を開いて結局そこに数字や記号を入力しなきゃいけないんだったら、タブレットにする意味がない。



AppleがなぜタブレットPCに冷たかったのかその事情までは知らない。
ワコムの技術供与がWindows陣営に偏ったのが原因かもしれない。Appleはハードウエアメーカだという自負が強い企業だから、その技術供与をお願いしに行く気にならなかったということは考えられる。
あるいはOSXの開発に手いっぱいでタブレットまでかまってられなかったのかもしれない。
そこで革新的な技術を打ち出しても、どうせWindowsに真似されてWindowsの売り上げを伸ばすだけだという判断もあったのかもしれない。

結局GUI陣営のイノベータからは冷たくあしらわれ、無能なMicrosoftのGUIデザイナーの適当な仕事のせいで、何も新しい機能が付けられなくてタブレットPCは忘れられた存在になりかけている。
残念なことだ。

何年かしたら全く新しいインターフェイスが出てきてタブレットPCが復活するということが起きるかもしれない。
しかし今の所そういう兆しは全く見えないが。



2004年1月21日













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