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webの思考法を相手にするのは疲れる・・・
って相手する気ないくせに・・・
/Glance Over It

どうせ長文読む気ないだろ・・・とか「人の話を最後まで聞けゴルァ」とか・・・


どうせ長文読む気ないだろ・・・とか「人の話を最後まで聞けゴルァ」とか・・・webの思考法を相手にするのは疲れる・・・って相手する気ないくせに・・・

たろ69のぶろぐ- 風が吹けば桶屋が儲かるか?というエントリを見つけて感心して読んでいたのだが、この方も文章を書くという意味では手練だなと思う。

「アクセス数やトラックバックを稼げるブログの10の書き方」みたいなどうでもいいエントリやそういう関連のサイト記事、雑誌記事を見ると、大抵のところに
「文章は短く簡潔に」
とか
「文頭に結論を書いて、論旨を明確にする」
なんて書いてある。

それは一面の真実なんだけど、でもなんでそうしなきゃいけないんだろう。
文頭に結論を書かなきゃいけないなんて、誰が決めたんだろうか。
そういう型にはまった文章ばかりだから、webの文章は流し読みされるんじゃないだろうか。
文頭に結論めいたことを書いたけどやっぱり良く考えたらその結論は違うことに途中で気がつくなんていう人間的な文章はなぜwebでは書いてはいけないのだろうか。

ここにある
『ダラダラ書いていると「長文やめれ」とか「結局言いたい事は何なのか、結論を先に書け」とか「全部読んでないけどお前馬鹿だろう」とか「一行だけ読んだ」とか「読まずにカキコ」とか書く奴が多すぎる』
というのは本当に実感だ。
『結論だけ読んで、「分かった気になっている奴」が多すぎるのだ。
大事なのは結論ではない。
その論理展開に無理がないか、意図的に端折ってる部分はないかと検証する事なのだ。』

この一文はまさに我が意を得たりというところだ。

結論だけ飛びついて、何故その結論が出てきたのかということを全く気にかけず理解しようともしないで、長文は頭だけ読んで分かった気になっているという御仁は本当に多いと思う。
以前ここでもあったが、このサイトに書いてあったあるシステムファイルの書き換えを実行したら、トラブルが起こったという御仁が有った。
そのトラブルがまずこのシステムの書き換えと全く関係ない症状なのだが、この御仁はこれが原因だとハナから決めつけている。
しかも当サイトのトラブルシューティングは
「トラブル発生→その検証→その対処をトライ→失敗したら再度検証→再度新しい対処法をトライ」
という順番に時系列にそってトラブルの対処歴を書いている。

これがいつも一日で解決すればいいのだが、トラブルの対処というのは往々にして数日に渡ってトライ&エラーを強いられることがある。
だからいつも結論を先に書くのではなく、時系列にそって書いている。
トラブルシューティングはその解決法が重要なのではなく、そこに至るまでのプロセス、何をどう考えてそこに至ったかが重要なのだと考えている。
このサイトをいくら批判が有ってもブログにしないのもそういう理由があるからだ。

ところがこういう御仁はそういう時系列を追うなんてことは絶対にしないで、最初に書いてあった対処をトライして
「うまくいかなかった」
と文句を言う。その続きなんか当然読んでいない。
その方法はうまくいかなかったよと次の記事に書いてあるだろうといったって、聞いちゃいない。
最近ネットに入り浸っている奴らは馬鹿ばかりだといっているわけではあまりない。
ただ、皆段々等比級数に頭に入れなくてはいけない情報が増えているから、
「細かいことはいいから結論だけ教えてくれ」
というふうになっているだけなのだろう。


もうひとつ面白いエントリを見つけた。
世界の中心で左右をヲチするノケモノ - 俺が見てきたこと【観察記まとめ4】ではブログなどが炎上する時のプロセスを非常に細かく分析している。
いわれてみればその通りだ、そういう「炎上」する時って大抵はこの通りのプロセスを踏んでいる。
転載するとこんな感じ。

    1:頓狂な見識をばらまく(燃料仕込み)

    2:善意の第三者からツッコミが入る(マッチが擦られる)

    3:ツッコミに罵倒・嘲笑・威圧・不誠実で返す(着火&燃料投下)

    4:議論を求めて侃々諤々/野次馬流入(炎上第一段階)

    5:根拠なき勝利宣言/呆れてまじめな発言者去る(崩落開始)

    6:相対的に厨・粘着が増える/野次馬流入(炎上第二段階)

    7:状況悪化にうろたえて思わず燃料投下(爆発)

    8:荒れ果てるor寂れきる(炎上最終段階)

    9:逃亡(焼失)

    10:現場検証(まとめサイトや記念館建立、たまに自己批判)


  大抵の場合の本当の炎上はこの5番のプロセスから始まるのだ。
ここで真摯な対応をしていれば、一時的に板が荒れたとしてもそれはその時だけで終わるのだが、その時に嘘くさい反省文を書いて開き直ってみたり、逆に強弁してみたりすると、あとは一気に収拾がつかなくなって、しかも批判者も初期の頃のようなまじめな批判者は引いてしまい、
「ウザイ」「キモイ」「氏んでほしい」
という幼児語しか書けない「厨、粘着」しかいなくなるというのも見事にそうだ。
そうなったらもう対処法はないのだろう。後は静まるまでひたすら頭を下げて待つか、ブログを閉めて別人としてwebに復活するしか方法はないのかもしれない。


この両文見比べて、かねがね思っていたことだがwebの世界って本当に退嬰的になってきているなと思う。
それもここ2〜3年で急激にそうなったと思う。
それはweb2.0のおかげなのだろう。
webには初期の頃と違って誰でもお手軽に入ってこられるようになった。本当にお手軽になりつつある。
お手軽になるということは底辺が広がって良質な書き手が現れるということを意味するかもしれないが、それよりも知的水準に関係なく誰でも入れるようになるので、グレシャムの法則よろしく良質な書き手は駆逐されてしまい、ネットには幼児語しか操れない書き手ばかりになってますます読み手は、文章を流し読みしかできなくなるということを意味するのかもしれない。
むしろ後者の方が現状を言い表しているような気がする。


でもここで私が説教オジサンみたいに「責任者出てコォイ!」なんて叫んでみても始まらない。
ここではポリシーに従って粛々と書くべきことを書くだけだし、そういう連中は相手にしないし、相手にしている時間も気力もないし、それは私だけではなく心ある人はどうやらみんなそうだということを最近感じている。これも一種の自分のための覚え書きとして書き留めておく。




2007年8月15日













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