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靖国神社「遊就館」の展示に見る日本人の戦争不適格性

靖国神社に公式参拝したぞ


靖国神社に公式参拝したぞ

別に一国の宰相でもない私が公式参拝も私的参拝もクソもないのだが、元旦当日は思うところあって靖国神社に初詣してきた。
決して靖国神社なら穴場だから初詣も空いているに違いないというような不純な動機ではほとんどない。

靖国神社は九段のインド大使館とかこちらに用がある時にいつも前を通るのに入ったことがなかったから、一度中を見てみたいという好奇心でここにお参りすることにした。
以前に双日総研のかんべえさんからここの「遊就館」のことを聞いていたのでこの展示を見てみたかったということもある。

長文にならないようにできるだけ簡潔に書きたいと思っているのだが、実際にここの展示を見てつくづく思ったことは
「日本人って本当に戦争には向かない民族だな」
ということだった。






戊辰戦争の立役者大村益次郎と関西風お好み焼きの幟の取り合わせ
これは日本という国の精神性を表している





兵器にはそれを使うものの精神性が現れるという
それでいえば日本人は「戦争」という重大局面に接するとつくづく無能な国民性だ
ということを感じさせるのがこの「有人飛行爆弾・桜花」だろう





そしてこちらが「有人魚雷・回天」



この遊就館では、王朝時代の諸刃の剣と矛で武装していた兵士の武装の展示に始まり、戦国時代の甲冑、刀剣、火縄銃、近代兵器に至るまでを展示している。
「武器と戦争の博物館だ」という食わず嫌いな拒絶反応をせず、平和主義者こそ一度見るべきだと思う。
ここを見て大いに感じさせられたことがある。

ひとつは日本人の戦争観とそれに基づいて日本人というのはつくづく戦争に向かない民族だなということ。
もうひとつは技術と戦争の精神性について「定説」のように言われていることがいかに疑わしいかということ。
そして例えば太平洋戦争期のような「悪い時代」に子を持つ親でなかったことのありがたみというようなことだろうか。


まず日本人の戦争観について感じたのは戦国時代の刀剣、銃の展示について。
ここでは室町時代に作られた刀剣や桃山時代の火縄銃などが展示されているのだが、この刀剣や銃の美しさというのがこの兵器の目的を完全に逸脱していると感じたのだ。

例えば火縄銃は銃床に黒蝶貝の螺鈿細工が施されている。
(螺鈿とは木工で木を模様の形に彫り、そこに蝶貝などの貝殻の削り出し板を埋め込みツライチになるまで磨き上げて木に虹色の真珠のような輝きの模様を浮き出させる細工)
銃身には金象眼が施されている。
(金象眼とは鉄などの台金に模様をほり、そこに金を叩き込み金色の模様を浮き上がらせる彫金術)

これはまさに美術品のような美しさだ。

日本刀だって何度も玉鋼を折りながら焼いて叩いて伸ばして、木目のような刃紋を浮き上がらせ、また焼き入れの技術で「乱れ」と呼ばれる模様を刃に浮き上がらせる。

これらの細工はどれも芸術的な美しさだが、兵器の本来の目的である「人を殺す」という機能のためには何の役にも立たない装飾ばかりだ。
しかし日本人というのはこういう「綺羅」のために驚くほど手間と時間と費用をかける。

こういうもの見ていると
「本来的には日本人は戦争をスポーツのようなものととらえていたのではないか」
という気がする。
つまりお互いの名誉をかけて「綺羅を競う」のだ。
命のやり取りはあるが、戦争の目的は相手を完全に殲滅することではなかった。
名こそ惜しまなくてはいけないのだから、自分の命だけでなく敵の命も惜しんだに違いない。
なぜなら勝った時に自分の武功を褒めそやす敵が全滅していなくなっては困るからだ。

日本人が最初に近代的な「殲滅戦」という西洋的戦争を体験したのは多分日露戦争の時だろう。
ここを境に兵器の性質が大きく変質する。

随分以前に大阪泉南の「弥生文化館」を取材した時に、館長に
「縄文時代の土器や石器ナイフ中心だった出土品が、弥生時代になると急に石や銅、鉄の矢じり、槍の穂が中心になる。
また弥生時代の竪穴式集落はどこも木柵と堀で囲まれていた。
このことから分かるのは『弥生時代』というのはその長閑なイメージとは違い実際にはずっと戦争が続いた戦乱の時代だったということだ。」
という話を聞いてショックを受けたことがある。

しかし、戦争の時代というと第2次大戦のような「殲滅戦で兵士も市民も全滅する戦争」を連想するからショックを受けるのだ。
例えば「一所懸命」という言葉があるように日本人は有史以来ずっと小競り合いのような戦争を続けてきた。
そこで「綺羅」を競って金象眼の鉄砲や乱れの美しい日本刀を見せびらかしながら格闘戦をやっていたのだ。
これが日本人の戦争観だった気がする。


ところが西洋の戦争観は違う。
西洋の戦争も元は日本と同じように騎士道の「綺羅」を競っていたかもしれないが、そういうものはオスマントルコやムスリムとの戦争で吹き飛んでしまった。
20世紀には大量殺戮の兵器が既に完成していた。
例えば旅順の203高地に据え付けられたロシア軍の「ホッチキス式機関銃」。

これは養豚場の「屠殺機」を30連発に改造したような機械だ。
板の上に30発の小銃弾を固定して、これを次々連続して装填し毎秒数発の回転数で数千発の弾をばら撒く。
何も知らない日本兵は村田銃という単発式の小銃を持たされて、この屠殺機の前を「万歳」と連呼しながら走らされた。
これが旅順要塞攻略戦の実際の姿だろう。

銃というものはそれまでは一発ずつ弾丸を込めて、正確に狙って撃つというのが作法だったが、このホッチキス式は30発の弾丸を一つのクラスターにして、標的周辺にばら撒くことによって
「射撃が下手でも的が動いても絶対に当たる、効率的な屠殺兵器」
を目的に開発された。このクラスター式の弾丸があまりにも便利かつ効率的なので、このフランスの特許がホッチキス式のステープラーという事務機にも応用された。
ホッチキスは今日でも我々の事務机の上に必ずある。
この兵器は「綺羅」もなければ美しさのカケラもない。
まさしく事務的に標的を屠殺していくだけだ。

こういう「殲滅戦」という戦略に出会った日本人にはそのことがよほど衝撃だったに違いない。
しかし日本人には結局「殲滅戦」の本当の意味が理解できなかったような気がする。

それが見て取れるのが太平洋戦争の末期に大量に作られた「特攻専用機」という飛行機や船だ。
遊就館には
「桜花」
という美しい名前がつけられた「有人飛行爆弾」が展示されている。
これはロケット推進の有翼爆弾で、際立った特徴は人間が一人乗って操縦する仕組みになっていることだ。
ドイツはこれをジャイロコンパスとシーケンシャルコントロールで実現しV2ロケットとしてロンドンを空襲したが、日本はそんな科学力に頼るよりも人間の精神力に頼って「効率的屠殺」を実現する方法を選んだ。

なんせ人間の数だけは一億人もいる。
資源はないが人間だけは余っている。
ならばこれを活用して敵を効率的に殲滅すれば良いのだ・・・
この特攻作戦機にはこういうおざなりな戦略観が芬々と漂っている。
実際には人間が一番高くつくのだ。

日本は「大和魂」に象徴される旺盛な士気があったが、欧米特にアメリカの物量に圧倒されて戦争に負けた・・・ということになっている。
そうでも思ってあげないと、あそこに合祀されている膨大な数の戦死者の名誉が保たれないからそういうことになっている。
しかし実際には、日本はアメリカの物量に負けたのではなくその戦争にかける精神性で負けたのだという気がする。

あそこに展示されている飛行爆弾や人間魚雷に乗って「万歳」を連呼しながら敵艦に突っ込むなんてのは、犬死に以外の何ものでもない。
それで大戦果が上がったのなら評価のしようもあるが、実際には特攻作戦で戦局が変わった例は一つもない。
損耗率100%の特攻作戦が、それに見合った戦果を挙げたことも一度もない。

そんなものに乗って「勇ましく散る」なんていう精神性は、確かに悲壮で美しくはあるが、実戦的でも効率的でもない。
当時の日本人はしかしそういう精神性を好んだことが館内で上映される「シドニー特殊潜航艇特攻作戦で戦死した松本大宇」の映画などで表現されている。

例えば当時の人は死地に赴く時に
「靖国で会おう」
という。
お互いに死んで御霊になってここ靖国神社に祀られるという意味だ。
しかし「大脱走」という映画ではイギリス人たちは
「ピカデリーで会おう」
という。
つまりしぶとく生き延びて、生きてロンドンの目抜き通りで再会して黒ビールでも一杯やろうという意味だ。

どちらが強い精神力を発揮できるだろうか。

こういう悲壮の精神を礼賛し、それ専用の飛行機や船まで作ってしまう日本人の精神性はどう考えても戦争で大きな効率を追求できる冷徹さを欠いている。
「物資不足の日本に他にどんな戦略があったのか?」
というのも当時の発想なのだろうが、同じような「物資不足」という条件下にあって北ベトナムのボーグエンザップ将軍は
「敵の武器で戦え」
という全く違う戦略を導きだしている。
日本人は二度と戦争をしてはいけないと思う。
向いてないと思うからだ。
それよりも美しい日本刀を打ち続けて、それを観賞用に世界に広めるということの方が日本人にははるかに向いている。


またこの時代の日本の工作技術の問題も、定評と実際は大いに違うという気がした。
日本は優れた技術を持っていたが、物資不足で兵器は充分な性能を発揮できず戦争末期には彼我の物量の差もあって苦戦した・・・ということになっている。
優れた技術の代表で日本の航空技術などがよく挙げられている。

この遊就館には実物の「彗星」艦上爆撃機が展示されている。
ライセンス生産のダイムラーベンツの水冷エンジンを積んだこのスマートな飛行機を見たウチのヨメの率直な感想は
「これ本物? なんかすごく雑に作られてない?」
というものだった。

機械工作に関しては素人の女性が見てもすぐ分かるくらい、この戦時中の工作物は作りが雑だというのが私も感じた印象だ。
特にエンジン、これは手作業で作られた様子が手に取るように分かり、今日の自動車産業が組み上げている自動車用液冷エンジンの技術とは隔絶している気がする。
この飛行機が故障が多くて実力を発揮できなかったという理由が何となく分かった気がする。






「物資不足で実力を発揮できなかった海軍の名機」という定評の「彗星艦上爆撃機」
しかし私には現実を無視した夢想と雑な工作技術で作られたスクラップにしか見えなかった





日本人の優れた技術力を示した「といわれる」零戦
しかしその「技術」に関する「定説」にも強い疑問を感じた





その疑問を最も強く感じたのがこの99式20ミリ機関砲
「こんなものは使い物にならなかった」という現場の証言にこそリアリティを感じる



館内には実物の零戦も展示されている。
この「ゼロ戦」も神秘的な強さを発揮した日本の航空技術の粋ということになっている。
この飛行機は2000キロ以上の長大な航続力と500キロ/毎時という高速と20ミリ機関砲2丁、7.7ミリ機関銃2丁という強力な武器で各国の航空機を圧倒した・・・という定評になっている。

しかしこの20ミリ機関砲がこの機体の横に展示されているが、これを見た正直な感想は
「こんなものは使い物にならなかったろう」
ということだった。

理由はいくつかある。

最近読んだ「いま『ゼロ戦』の読み方」という日下公人著の本に
「初速は600メートル/毎秒」
というスペックが書いてあって驚かされた。
米兵が腰に釣っているコルト45口径の拳銃弾の初速が確か800メートル/毎秒だから非常に遅い。
このスピードなら飛んでいく砲弾が昼間なら肉眼で見えたかもしれない。

銃の弾丸というのは真っ直ぐ飛んでいくように思っている人が多いが、実際には野球のボールの遠投のように山なりのコースをとって下に落ちていく。
このスピードの遅さならかなり大きく落ちた筈だ。
機首の機銃の7ミリ小銃弾は真っ直ぐに近いコースで飛んだ筈だから、これを基準に照準すると20ミリ弾は目標の遥か下を撃つことになる。
確かに当たればこれは大きな威力があったろうが、これでは実戦で当たる筈がない。

しかも館内で見た機関砲は60発入りのドラム式弾倉を装着していた。
ドラムマガジンというのは、メンテナンスが非常に難しいのだ。
まして20ミリ弾は弾丸の直径が20ミリ、弾頭の長さだけで数センチ、薬莢も含めれば十数センチというでかいカートリッジを使っている。
それが60発、バネの力でカタツムリの殻のようなドラム型の弾倉に込められている。
ドラムマガジンのモデルガンを撃ったことがある人ならすぐ分かると思うが、このマガジンは弾丸詰まりが非常に多く、60発を撃ち切ることは滅多にできなかった気がする。
一発数キロもあるようなデカイ弾を大きなGがかかる旋回中の飛行機から故障なく撃ち出すことは今の技術でも難しいと思う。

この20ミリ弾があるから零戦は名機だったという定評がある。
しかし坂井三郎氏のようなこの飛行機で実戦を戦ったエースパイロットが
「20ミリ砲は滅多に使わなかった」
とどこかで書いておられたのを読んだ記憶がある。
実際これは使い物にならなかったろう。

イギリス人はその主力戦闘機に7ミリ機関銃を8丁もつけて、小銃弾のような小さな弾を雨のように降らせたそうだが、こんなものを積むくらいならその方がよほど実戦的だという気がする。
ここにも「日本人ってつくづく戦争に向いてないな」と思わせるものがある。


こんな劣悪な兵器を持たされ、「特攻精神」などという合理主義のカケラもない戦略観に支配され「華と散った英霊」の膨大な遺品がこの館内には展示されている。
兵士の手記や兵士の母たちの手紙を読むにつけ、こういう悪い時代に人の親でなかった自分たちの幸運に思い至らずにはいられない。
靖国神社は国粋主義の象徴のように言われ、その展示品を見ることは「好戦的精神の持ち主」のような先入観をもたれるかもしれないが、実際に見た遊就館の展示はどんな戦争展よりも強い反戦的なメッセージを持っているように思う。
少なくとも私にはそう感じられた。

A級戦犯合祀か分祀かなんていう形式論的な議論も結構だが、実際に靖国を見てそれしか論点が浮かばないとしたらその方が貧困だと思う。
靖国反対論者こそ遊就館を見るべきだ。
そんなことを思った長閑な初詣だった。




2008年1月9日



<追記>

BBSに以下のようにご指摘をいただいた。
全くその通りだったので、コメントへの返信で訂正コメントに代えさせていただきます。



日本はホチキス、ロシアはマキシムかも 投稿者:twitter id @raycy 投稿日:2016/08/11(Thu) 07:11 No.5386

靖国・遊就館をめぐっての論考、ありがたく拝読
引用させていただきました。URL先の後半の方です。
一点、ホッチキスはマキシムかもと思われましたので、記しました。
https://twitter.com/raycy/status/763488626890059776



Re: 日本はホチキス、ロシアはマキシムかも twitter id @raycy - 2016/08/11(Thu) 07:22 No.5387

先ほどのホームに設定したURL先です。念の為、記します。
http://togetter.com/li/1010629 最後あたりにマキシム説の引用があります。



Re: 日本はホチキス、ロシアはマキシムかも muta - 2016/08/11(Thu) 11:12 No.5388

ご指摘ありがとうございます。
調べてみました。
PM1910重機関銃 - Wikipedia.webloc
https://ja.wikipedia.org/wiki/PM1910%E9%87%8D%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83

ヴィッカース重機関銃 - Wikipedia.webloc
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC
%E3%82%B9%E9%87%8D%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83


結論から言うとご指摘のように、ロシア軍が使用したのはマキシム(のノックダウン)で、ホチキスを採用したのはむしろ日本軍だったようですね。
どちらかというと銃器ヲタを自称しているのにすごく基本的なことを間違えていました。
また『(形式としてはホチキスと同等といってもいいような気もしますが…)』と優しいご配慮を頂きましたが、ちゃんと調べてみると構造的にも運用的にも全く別の銃ですね。

マキシムの特徴はご指摘の水冷式ということと、拳銃のようなショートリコイルロックシステムを備えたどちらかというと、コンベンショナルな銃ですね。
その前の世代のガトリングガンが、「ラストサムライ」のラストシーンに出てきていた手回し結束銃身の鉄砲だったのに対して最初の全自動機関銃として世界を席巻したということのようです。
ヴィッカース式として航空機銃にも改造されてますね。

それに対してホチキス(オッチキス)式は空冷固定銃身でガスピストン駆動によるロッドでロックを外すタイプで、今日の機関銃のメカのベースになっていますね。
給弾方式もホチキスが保弾板または金属ベルト式に対してマキシムは布ベルト式になっていてここは記憶通りでした。
マキシムは運用に8人のチームが必要だったというからまさに野戦向けというよりは陣地防御戦向けだったのに対し、ホチキスは軽いためもう少し軽快な運用が可能だったようです。
何れにしてもどちらも回転数が毎分500発程度と、今の目から見るととてものどかな銃ですが当時はこれぐらい遅いほうが逆に実用的だったのかもしれません。

本文では靖国の展示につなげるために「事務機のような銃」という文学的な表現を考案して構成していましたが、こういう根本的なところを間違うようではいけませんね。
やはり美文は過ちを含むを地でいってしまったようです。
ただ今更あの文章も治しにくいので、近いうちに訂正を入れておきます。
情報ありがとうございました。




2016年8月11日















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