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賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

消えたフロッピーから連想する今後のデータメディア


賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ〜消えたフロッピーから連想する今後のデータメディア

光ディスクは消える運命なんじゃないだろうか??〜アメリカでがんばりましょう というブログを見ていて「ああ、全く同感だ」と思ったところがある。

「Apple が MacBook Air を発表し、光ディスクドライブをオプションにしたのを見て一つ思いだしたことがある。 それは約10年前の初代 iMac でフロッピードライブを無くしてしまったことだ。 当時はユーザから反感をかったものだったが、今となってはどれもほとんど使わなくなってしまった。」
という部分だ。

iMacを買った時にフロッピーディスクのスロットが無くなっていることにちょっと不満を感じていた。
確かにシステムは光学ディスクでインストールするから要らないのだろうが、人からフロッピーディスクでデータをもらったらどうするんだという点に当時の私も不平をこぼしていた。
だから外付けのフロッピードライブも買った。

ところが結局その外付けフロッピードライブに入れたフロッピーディスクは購入以来数枚というところだった。
それ以降急激にフロッピーを目にすることが少なくなって、フロッピーを使ってデータをやり取りすることもほぼなくなってしまった。
iMacはぶっ壊れてもう処分してしまったのだが、このiMacのデザインに合わせてインディゴブルーのものを選んだ外付けフロッピードライブは実は今でも自宅のMac miniにぶら下がっている。
だからいつでもフロッピーディスクのデータが来ても大丈夫なのだが、もう何年も使っていない。


「それと同じパラダイムが光ディスクにも起きるのでは・・・」という論はとても納得がいった。
実際問題、今使っているMacの光ディスクを入れて使うのはCDをリップするとき、システムが不調な時や再インストールするとき、jpegなどの大きなファイルをCDRで渡すとき・・・くらいのものだ。
どれも年に数回あるかどうかという頻度だ。

CDは最近買わない。
iTunesShopからダウンロードしてきた時からmp3の形になっているので音楽ではほぼ要らなくなってきた。
映画もパソコンではまず見ない。大きなファイルは社内LAN上の相手ならオンラインで送ってしまうし、外部ならwebストレージサービスで送ってしまう。
だからパソコンが相当苦手でどうしても「ディスクで送ってほしい」という人以外で光ディスクを使ってデータをやり取りすることは無くなってしまった。
システムの不調はおかげさまで年に1回もあるかないかなので、システムディスクを引っ張りだしてくることも滅多に無くなった。

この程度の頻度なら外付けスーパードライブやRemoteDiskのような方法でネットワークの向こう側にディスクドライブを置いてしまったって特に不便は無い。
データバックアップとしてCDRを使っていた時期もあったが、容量が半端でディスクが何枚も増えてしまうし読み出しも遅い。
バックアップなら外付けハードディスクに入れてしまった方が、データを探すのに検索も利くし読み出しも速いので光ディスクを使うメリットはほぼ無い。
「だから光ディスクはフロッピーと同じ途を辿っている」
といわれると
「確かにその通り」
と思ってしまう。

もうひとつそう思わせる身近な出来事は、ウチの親がパソコンも持っていないのにエプソンのカラープリンタを導入して
「CDRならデータをもらえるから孫の写真を送れ」
と言ってきたことだ。
ここまで普及してしまうともうそろそろ技術としては終わりという気がする。

Leopardに更新するにあたってハードも更新しようと思っているのだが、光ディスクドライブ内蔵にこだわるか、そういうものがないMacにするか今迷っているところだ。


ところで結句の
「まだまだ、実際無くなってみて不便さを感じることもあるだろうが、ちょっと考えるだけでこれだけ「いらない論」が書けてしまう。 そう考えると、光ディスクって消える運命にあるような気がする。 HD-DVD だ Blue-ray だなんて言ってる場合じゃなかもよ。」
という話も気になった。
巷ではBlue-rayの優勢が伝えられているが、優勢もクソもこの次世代光ディスクの規格は確かに結局映画レンタルショップ、廉価販売専用の規格メディアになってしまうかもしれない。
そして今ではCDを買わなくても不便を感じないように、やがて次世代DVDなんか買わなくても映画が普通に見られる時代が来るかもしれない。

それ以外にデータメディアとしても期待されているのだが、データももうディスクでやり取りする時代ではなくネットワークでどんどん流してしまう時代に入りつつあるかもしれない。
私も個人的にはMacBook Airはその可能性を見せたということが一番重要な意義だという気がしている。
するとこの規格競争でしのぎを削っている日本メーカーは、また後塵を拝してしまうということになるんだろうか。




2008年1月26日













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青木さやか