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日本はどうしてダメダメなんだろうか?

〜企業収益は強く、景況感指数も悪くないというのに
株は下がる、ガイジンには同情される、閉塞感は相変わらずの理由



日本はどうしてダメダメなんだろうか?〜企業収益は強く、景況感指数も悪くないというのに株は下がる、ガイジンには同情される、閉塞感は相変わらずの理由

最近ブックマークしたいくつかのエントリが溜まっているのだが、それについて触れられないまま時間が過ぎてしまったので纏めて片付けておく。
4題話のようになっているが気にしない。

以前ここで
「RSSが普及していない理由」と言うけど,ネット技術そのものがまだ浸透していないのじゃないかな
という話題を取り上げたけども、このリンク元のRSSの話が結構ネットでも話題になっていた。
それでRSS についてのネットの論調がどうなっているか気になって、いろいろ調べていたらこういうエントリに出会った。

RSSリーダーが一般人に使われないのは「自由度」と「用語」と「見せ方(宣伝文句)」だけの問題 - キャズムを超えろ!

この「キャズム」というのも当節流行の言葉だが、要するに最先端のサービスと一般レベルのユーザの乖離を指す言葉らしい。
キャズムは今や至る所にあって、オピニオンリーダのヘビーユーザは津々浦々にいるのだが、大部分のライトユーザはもはやかつてのオピニオンリーダ達の言うことが理解すらできなくて
「別にイラネ」
という反応しかできなくなっている。
iPodTouchを絶賛する先端ユーザとiPodなんて音楽さえ聞ければ充分というライトユーザの乖離とか・・・・

製品もかつてのインターフェイスの進化をユーザにワクワクするような形で段々見せづらくなってきて、取っ付きにくいと感じさせるようになってきた。
例えば今日も秋葉原を歩いてきたのだが、Windowsパソコンや、その周辺機器を見て回って、その売り場を通り抜けて突然
「Appleコーナー」
なんて異風の売り場に出会うと、結構長いことMacを使ってきた私でさえも
「Macってなんか取っ付きにくそうだな」
という感じがわかるようになってきた。

Windowsのパソコンなんてみんな形も操作法も決まり切っていたのに、そこに突然進化したGUIとか抜かして異形のMacが入ってくると
「なんだかわけ分からなさそう」
という感じに取り付かれるのはわりかし当然のような気がした。
スタイルもUIも全く違うMacを客観的に見ているとユーザが
「使いにくそう?」
「e-SATAとか高速LANのみのインターフェイスのHDとか接続できるの?」
「Winnyは使えるの?」
というようなところで戸惑っているのが分かる気がする。

ましてやRSSだのAtomだの今まで聞いたことない言葉がどんどん「知ってて当然」みたいにそこらで語られ始めて、普通に使われているのを見ると
「アンタらはよく知っているかもしれんが、オレは知らんぞ!」
と叫びたくなるのも至極当然のことのように思う。

だから
「RSSはインターネットの性格を変えると言われたけど実際にはほとんどの一般ユーザに普及していない」
という指摘は大きな共感を生んだのだと思う。

問題はこの「一般ユーザ」という基準をどこに置くかで、私はRSSリーダを必要としそうな人には既に充分普及していると思っているし、実際RSSを配信してみると既にこれが大勢力になっているということを実感しているのだが、「一般ユーザ」というのはそういう人を指すのではなく
「パソコンをひとりで起動することができる人」
「インターネットブラウザを開いて、漫然とネットを見ることができる人」
「パソコンをそういう私用に使う頻度が月に2〜3度以上ある人」
という基準に置くんだったら、確かにこういう人達にはRSSは普及していないと思う。

その理由はRSSリーダ、アグリゲータのインターフェイスが分かりにくいのか、そういうものを必要としていない人を対象に考察しているから普及していないように見えるのか、私にはよくわからない。
私は後者だと思ったのだが、
RSSリーダーが一般人に使われないのは「自由度」と「用語」と「見せ方(宣伝文句)」だけの問題 - キャズムを超えろ!
こちらのエントリでは、それはRSSのインターフェイスの問題だと見る。
この問題は両面があるのだろうし、両面から議論がされていくのだろう。

ただ、やはり「インターフェイスが分かりにくいから普及しないのだ」という捉え方は、難しいというか大変な問題を含んでいて、例えば家電製品なら対象は電気の知識が全く無い家庭の主婦だから、そういう人が何も読まなくても普通に使えるというのが最もあるべきUIの姿だと思うが(残念ながら実際の家電製品はそうなっていない)、パソコンもそういう対象製品なのだろうかという疑問もある。


ここでこの方の指摘で
「家電の企画者としては『見せ方が悪いだけじゃないか?』と思う。こういったPC系、テック系アプリに共通するのが"自由度が高すぎる"という点。自分で好きなフィードを登録できたりするところなんかがまさにその典型。」
という部分は、非常に本質的な問題を含んでいて、結局パソコンって専門的な道具なのか家電製品なのかで大きくその考え方が割れると思う。

パソコンユーザは
「RSSリーダが自分の好きなフィードを登録できなかったら意味ないじゃん」
という反論をするだろう。
そしてこれは結構絶対的な真実で
「家電屋にはわからないんだな、こういう自由度の重要性が」
という反論は当然できるし、やはりそれは重要な要素だと思う。
しかしパソコンもiモード並みに簡単になってほしいと思うなら、
「RSSは登録するものじゃなくて、既存のメニューから選ぶものという考え方の方が分かりやすいんだけど」
という議論だって当然成り立つ。


例えばWindowsのプロパティなどの構造。
結局Windowsの設定関係の構造ってスパゲッティのように複雑すぎて、頭に入らない、ユーザオリエンテッドではない構造だと私は思うのだが、これをいうと
「Windowsの自由度こそ重要で、使い方があらかじめ規定されているMacでは逆に不自由では?」
という反論が聞こえてくる。
ここで後はいつもの不毛なバトルに入っていくわけだが、この議論にはいつも重要な前提条件が脱落している。

Windowsは確かにある局面では重要な自由度を確保していて、これでないとダメだという場面は確かにあると思う。
しかしミドルウエア開発者と事務屋さんが同じインターフェイスのパソコンを使わなくてはいけない理由が私にはよくわからない。
大抵の会社では社内ネットワークへの接続すらネットワーク管理者に任せっきりで、事務屋さんはパソコンの設定を一切触れない。(触る気力も喪失している・・・)
しかし、メールとExcelとWordしか使わない事務屋さんと、専門的な開発環境のテストベッドを走らせなくてはいけない技術屋さんが同じ環境のOSを使っているなんていう無理をしなければ、事務屋だって自分のパソコンの設定やメンテナンス程度のことはするかもしれない。

そういう意味では、必要な環境に対象を絞り込んだMacはひとつの解になると思うのだが、ここでいつも「MacとWindowsどちらが優れているか」という不毛な議論に落ち込んで、この話はいつも混乱に落ち込んでしまう。

ミドルウエア開発技術者が
「Macの不自由な開発環境ではどうにもならないんだ」
と宣言すると、それを鸚鵡返しにしてExcelとメールしか使えないライトユーザが
「Macでは何もできないんだ」
と意訳してしまう。

この議論はこういうことの繰り返しで、結局パソコンをユーティリティマシンと見るか家電製品と見るかで全然結論が変わってくるということにはあまり注目されていない。


最近ちょっと衝撃を受けた話なのだが、上記のような「一般のユーザ」は
「ハイパーリンクがブラウザの新規ウインドウを開くと、ブラウザの戻るボタンで戻れなくなるのでそこで立ち往生してしまう」
というwebのユーザビリティの話を聞かされて、しかも
「一般ユーザのほとんど全員がそういうところで立ち往生」
をして、target=_blankのような新規ウインドウを開くタグを打ったwebサイトの作りは、混乱を招くだけなのでやめた方が良いという話を聞いたことだった。

当サイトはサイト内リンクは大体普通のリンクにして、サイト外ヘのリンクは新規ウインドウを開くタブを打って、サイト内外のコンテンツを区別している。
こうしないと、リンク先を当サイトのコンテンツだと勘違いしてそこの内容でクレームを言ってくる人が稀にいるからだが、こういう区別はほとんどこちらの独りよがりで
「迷惑な新規ウインドウが開くサイト」
というふうにしかビジタにはとらえられていないのかと思うと衝撃を受けてしまった。
といってもいまさら直す気力もないのだが・・・

このRSSが普及しているか、していないか、していないとしたらその理由は何かという話は、結局この前提の
「RSSを走らせるマシンはユーティリティマシンなのか家電製品なのか」
というところを抜きにすると
「MacとWindowsどちらが優れているか?」
という議論と同じように必ず不毛なところに落ち込んでしまうと思う。


と、ここで話題は急転直下変わるのだが、というよりもここまでの一切が実は前置きなのだが、例によって永遠に続くかと思われるような長い前置きだったのだが、この
RSSリーダーが一般人に使われないのは「自由度」と「用語」と「見せ方(宣伝文句)」だけの問題 - キャズムを超えろ!
というサイトの別のエントリで、こういう記事を見つけてしまった。

元F1ドライバー語る「日本企業には大きな決定をできる人がいない」!?  - キャズムを超えろ!

これこそはウ〜ンと唸ってしまった記事なのだが、ちょっと長文になるが非常に重要な要素を含んでいると思うので、かなりな部分を引用する。


「F1チームにおいては、大きな決定を必要とした時にそれができる一人の人間を必要としているんだ。

それは例えばフェラーリならジャン・トッドであり、マクラーレンならもちろんロン・デニス、ルノーならフラビオ・ブリアトーレといった具合にね。握り拳を乱暴において決断した彼らには、そのあとその結果を見守る用意が出来ているんだよ。しかしトヨタという日本の企業は、その構造上そうした人間がいない。大きな予算を持ってはいても、それはお金だけのこと。トヨタよりずっと小さな予算のチームがタイトルを勝ち取って来ているのに、ね」

「F1の世界ではビッグ・ネームのチーム代表やテクニカルディレクターがカリスマ性を発揮して大きなディシジョンをざくざくと決めていってしまう。ともすれば恐怖政治的経営と見られなくも無いが、こうでもしないと尖ったもの(F1というコンペティション・チーム)は生まれない、という話。
トヨタは金はあるけどこういう経営ができないからF1で勝てないのさ、という言い分だ。

皆で足を引っ張り合って尖ったところが1つもない製品を作ってしまうよりも、一貫したグランドデザインに基づく尖った製品開発ができたほうが、いくらかマイナス要素があったとしても高い値段で売れて粗利が取りやすい時代だ。」

「なんとなく、アップルと日本の家電メーカーの違いをマクニッシュに指摘されているようで悲しくなってしまった次第。あーでもない、こーでもないという会議のなかで、誰が何といおうとその人の"思い(コンセプト/グランドデザイン)"ひとつですべてを決定することができるスーパー権限を持った製品担当責任者を1名置く、といった製品開発を日本の家電メーカーでも実験的に取り組めないものだろうか。」


最近ちょっと必要があってフェラーリの歴史を調べていたのだが、そのためにフェラーリのF1マシーンのミニカーまで入手してその構造とかを見たりしていた。
このフェラーリだって、今でこそ強いフェラーリというイメージが定着しているが、80年代から90年代にかけて非常に長期間低迷した時代があって、その間のマシンの変遷を見るとまさにフェラーリのデザイナーが血がにじむような呻吟を繰り返してきた道筋がわかる気がする。

例えばその過程で空気の流れを変える整流板のようなものは、できるだけ車体にはつけない方が良いのは基本的なセオリーなのだが、あえてセオリーを破って90年代中盤以降のフェラーリマシンは車体に整流板をべたべたつけ始めた。
これが日本企業だったら、どうなるだろうか?

「サイドポンツーンの前に整流板を一枚つけたいのですが?」
「それは部長の決済が必要だ」
「決済はどれくらいで取れますでしょうか?」
「場合によっては担当常務の決裁も必要になる。まず車体デザイン検討会議にかけて検討しよう」

となって会議に出席した部長クラス、常務クラスの連中が
「そういうリスクを冒すメリットが明確に証明できないなら、継続審議にしてスタッフで検討を続けよ」
という議論になって、スタッフも通常の仕事だけでも充分忙しいのに、自分の思いだけで余計なことに費やす時間がなくて、結局このアイデアはお蔵入りになってしまうに違いない。

そして他社がそのアイデアで大成功したのを見てから、あわてて自分のところにもそれを取り入れるということを繰り返す。
オリジナルな発想で開発された技術と、他社のやっていることを見よう見まねでやっているだけの技術では深みも結果も当然全然違う。


トヨタがF1参加のワークスチームの中でも抜群の予算を持っているのに、なぜフェラーリだのマクラーレンだのとかいうハンドメードのチームに勝てないかというのは、結構深い問題がありそうだ。

少なくともヨーロッパの少数精鋭のワークスチームはデザインについて、強力なリーダーがいて、批判があろうがどうしようが
「それでやってみる」
という決断をする人物がいて、それでこそデザイナーも血が滲むような呻吟をする気になるのじゃないかという気がする。


そのトヨタが運営母体になった昨年のF1日本グランプリ、富士サーキット戦はピストン運行の乗客を運ぶバスが渋滞や道路陥没などで全く動かないで、激しい雨の中子供連れも含めて観客は数時間以上雨の路上で並んでバスを待たされて、それで健康を害する観客が続出したのに救護体制も全くできておらず、また構内で開催者関係団体以外の売店は禁止されたために、異常に高い弁当を買うしか食事の方法がないとか、横断幕を掲げての応援は禁止とか主催者側が厳しく言い渡したのに、トヨタの社員が掲げるトヨタ横断幕だけは大々的に目立っているとか、一部の観客席は座席指定の高額な席であるにもかかわらず、サーキットのレーンが全く見えないとか・・・・

挙げだしたら本当にひどいなと思う問題が続出して、ネットでも大炎上しているのだが、これを受けて2/8に会見を開き
『「これまでの“F1事業部”を“F1事業本部”に格上げし、F1事業の推進体制を強化します」と表明。F1事業本部長には高瀬副社長が就任し、陣頭指揮を執ることも発表した。』
という対策を発表した。

まさに富士スピードウェイをトヨタの直轄事業部に格上げしてしっかり監督する、とのことだが、どうだろうか?

こちらの記事にその高瀬副社長のインタビュー記事の採録がある。
地獄のF1富士:週刊プレイボーイ「お客様をもてなし、楽しんでもらう心は皆無」 ([の] のまのしわざ)

これを見ると高瀬氏の経歴について。

「法務、総務を歴任し、主にリスクマネジメントを担当。

・昨年の日本GPの現場にはいってない
・状況はメディア、ネットにて把握
・レース観戦歴は1回
・F1は一度もナマで見た事ない」

だからダメだとかいうことではないし、そういう人でもこれから必死でイベントを学び、F1を学びファンサービスとは何かという原点を学べば問題はないのだが、単に「副社長の担当が変わっただけ」ということだと非常につまらないことになりそうだ。
これはあれこれ議論するよりも今年の秋にはもう結論が出るので、注目して生暖かく見守りたい。


ただこれがトヨタ一社の問題だというのなら、それは単にトヨタという企業体質の問題ですんでしまうのだが、これは単にトヨタ一社の問題ではなく日本全体に蔓延している空気ではないかなという気がしている。
たとえば、不二家や吉兆の偽装事件など、経営責任者がでてきてまず開口一番に言った言葉は
「私は知らなかった、パートの社員が勝手にやったことだ」
という言葉だったのは衝撃的だった。

吉兆のやり直し会見で前経営者に
「頭がまっ白になってしまって、ついあんなことを言ってしまいました・・・って言え」
と耳打ちして、それがマイクに拾われて大評判になってしまったあのばあさんは、吉兆創業者の湯木貞一氏の実の娘だ。
そのばあさんが再々度やり直し会見に出てきて、釈明した言葉が
「最近のマイクの性能があんなに良いということを知らないで、声を録られていることに気がつきませんでした。」
という釈明だった。

JTフーズは例の農薬入り餃子について昨年の末には既にクレームを認識していたのだが、
「単にハードクレーマーの変な人が文句言ってるだけだろう」
とまともに取り合わなかった。
この時にまともな対応をしていたら千葉の女の子は、少なくとも重体にまでならなくてもすんだ筈だ。
この事件は中国の食品工場の信頼性の問題ばかりが取りざたされるが、確かにそれは問題であるものの輸入元でしかも顧客対応を担当した日本企業のずさんさの方が遥かに問題だと思う。


こうして見てみると日本の企業という企業がみんなおかしくなってきている気がする。
この問題を叩いているマスコミだって、社内のニュース原稿共有システムを利用していインサイダー取引を大々的にやっている公共放送とか、ろくにウラとり取材もしないで一時の感情に任せてタミフル薬害報道をぶちまけて今になってばつの悪いことになって、沈黙している某民放とかいくらでも同じような例を挙げられる。

おかしいのは企業だけでなく政治もだ。
なぜ日本は失敗し続けるのか - 池田信夫 blog
こちらの記事を見ると今の外国人が、日本をどう見ているのかということがわかって、その見方というのが想像以上に厳しいというのが驚きを感じてしまう。

日本は今明らかに景気後退期に入っているが、それでも企業収益は好調であり、設備投資が短期に落ち込んでいるといってもベースが高いので深刻ともいえない。
ましてや中期経営計画の目標値を達成している、あるいは上方修正しているという企業が全体の5割を超えるのだそうだ。
どう考えても日本経済が弱っているという数字はどこにも出てこない。

ところが日本の株価はずっと長期低迷していて、今年に入ってから13000円の低いところで揉み合っている。
今年のはじめに私は
「どうせ日経平均は13000円の下の方で揉み合うということが夏まで続くんでしょうね」
なんて当てずっぽうで言ってしまって、これは専門家の先生方のお叱りを受けるような
「過剰な悲観論」
かなと自分でも思っていた。
ところが本当にそうなりそうな展開になってきて、逆にこんなことで良いのかと思う。

業績も良くて現金をしこたま内部留保している企業の株価が上がらないのはなぜかと言うと、このエコノミストの「日本特集」にはっきりと理由が書いてある。

「長年の低金利と円安によって輸出は回復し、設備投資も堅調だ。しかし問題は、その投資収益率がアメリカの半分にしかならないことである。だから低金利政策で日本経済を回復させようとするのは間違っている。それは消費者の金利収入を奪うことで、消費を減退させる効果のほうが大きい。日本の家計消費のGDP比は、主要先進国で最低だ。」

日本の長年の低金利政策は、はっきりいって企業を怠けさせているだけで企業はその内部留保を、社員の給与アップや購買先企業の料金引き上げに応じるというようなことで、社会に還元することを全くやっていない。
だから無駄に現金が滞留しているだけで、経済は一向に活性化しない。
設備投資が回復したら、次は個人消費が回復してそれが需要の主役にならないと本物の好景気はやってこないのだが、いつまでたっても個人消費が冷えたままだから、国内需要が喚起されず売れるのはアメリカ製のiPodばかりで、日本製品は全く売れていない。
それでも空前の低金利が空前の長期間続いたおかげで、企業は勝負に出ないで無難に合議制で一番無難な商品を開発し、「企業の競争力を向上」するよりも「役員のメンツが保たれる」ということを優先する意味不明の決定が密室でなされ、そのおかげで出る不能率もその低金利のおかげで特に重大な赤字を生まずになんとなく永らえてしまっている。

このような政策の不毛、企業の幼児化が圧倒的な閉塞感を生んでしまい、
「業績が良いのに日本株は外国人投資家に圧倒的に売り越されている」
というのも当然のような空気感になってしまっている。
外国人から見て、日本を買わなきゃいけない理由はまったくない。
リスクを取る覚悟があるなら、もっとゲインの多そうな市場はいくらでもあるし、安全をとるなら日本よりももっと安全な市場はいくらでもある。

そんなことでエコノミスト誌あたりから
「消費が減退した日本の家計消費のGDP比は先進国中最低だ」
という哀れみのような記事を書かれているのに、企業も政治も危機感がない。
相変わらず合議制で、意味不明のインターフェイスと電話帳のように分厚いマニュアルがついた製品を装備した製品を作って、売れないのは「競争の激化」のせいにしている。
政治は産業が興隆すれば法人税で、税のプライマリーバランスはあっという間に改善するという単純な事実を忘れているのか、そういうものを信じていないのか財政再建とか言って増税のことばかり考えている。

余談だがもうひとつ「崩れた神話」について書くと「日本は世界有数の金持ちの国」という神話はもうとっくに海外では崩れさっている。
日本は低金利政策に合わせて、長年為替を円安に誘導したおかげで海外旅行は非常に高くつくものになってしまい、今やオーストラリアやヨーロッパ、ロシアですらもう日本人は
「金を落とさない観光客」
というレッテルが貼られている。
今世界中で歓迎されているのは中国人であり韓国人だ。
日本人はロシアに行って日本食レストランに入っても、「国内より高いから」と言ってラーメン一杯で帰ってしまうので、もはやロシア人の日本食レストラン経営者にも相手にされていない。
ヨーロッパでは日本人観光客はもう買い物をしないということで、ほとんど無視されている。
これも複数の全く別の証言者から聞いた話なので、かなり広くそういう現象が起きているようだ。


日本企業の決定プロセスの不透明さということでいえば、かくいう私の勤め先でも間もなく全社的に導入される新システムの機種選定は、実際にそれを使う現場の意見のヒアリングが全く行われないままトップの鶴の一声でベンダーと機種が決まってしまい、今になって現場からヒアリングをして既に決定された機種を組み合わせたシステムを少しでも実際に使えるアレンジにするべきだという議論が起きている。

まったく物事の決定の順番が逆であり、退嬰化している。
ここで重んじられるのは決定者のメンツだけだ。
企業の閉塞感はあらゆるところに蔓延していると思う。


過日フェラーリの創業者の名前を冠した「エンツォ・フェラーリ」というフェラーリ社のフラッグシップモデルを設計した日本人の奥山清行氏のインタビューをアレンジした。
私自身は直接の知己を得るチャンスがなかったが、彼のインタビューは実に示唆に富んでいた。


「日本の奇跡的な高度成長を支えたのは、実は長年にわたって培われた職人の技だった。 職人の技術が日本が導入したモノづくりのノウハウをカイゼンしていき、これが日本の工業製品の高品質の原点になった。
だから日本は元々ブルーカラーの国なのだ。」

「ところが今では企業をリードして向上させるのはホワイトカラーだという勘違いが蔓延している。 ホワイトカラーが必要だったのは、アメリカのような国なのだ。 アメリカでは工業のマニュアル化とそのマネージメントが大変重要な意味があった。
なぜならアメリカは移民の国であり、全くバックグラウンドが違う多民族が工場で働いているのは普通のことだからだ。
だからアメリカではホワイトカラーが企業を統治して作業をマニュアル化することは能率の向上に直結した。」

「アメリカで成功した方法だから、それをそのまま日本でも取り入れてホワイトカラーの企業統治とか言っている。
ところが日本の場合は、ホワイトカラーがマネジメントしてラインをマニュアル化なんかしなくたって職人達が自分たちの意志で、それぞれの判断でどんどん作業を効率化して、品質を向上していく。 しかも日本のブルーカラーというのは、世界でもまれに見るくらい高い教育を受けて、非常に深い理解力も持っている。
ホワイトカラーなんか必要ないんです。」

「日本のホワイトカラーというのはおそらく世界で最も生産性が低い。
自分でモノを決められない、自分で考えない、何事も合議制で自分のカラーを出さないで無難にことをすますことばかり考えている。
これでは生産性はあがらないですよ。」


この話は冒頭のF1ドライバーのマクニッシュの話とそのままかぶる。
この非能率こそ日本の現状なのだ。
そしてこの非能率な国民は購買態度に於いても最も無難なものを選ぶ。
先進的あるいは冒険的なものを選びたがらない。

世界におけるFirefox利用割合 - 日本2% | ネット | マイコミジャーナル
というエントリでなんと日本のFirefoxユーザは2%しかいないということに驚かされた。
何もFirefoxを使っているのが先進的だとか進取の気性があるとか、いうつもりはないが型通りにWindowsXPを使って、型通りにOutLookExpressを使って型通りにInternetExplorerを使うというユーザが日本では圧倒的なのだろう。

いくら何でも日本のネットユーザは世界の2%しかないということは絶対ないと思う。
どう考えてもこの比率は低い。
このことは先日紹介した
Macは世界中で売れ行きが大成長しているのに一人日本だけでは全く伸びていない
という話と同根のような気がする。
結局絞り込まれた消費動向は「人と同じもの」の購入に絞り込まれ、萎縮し切った人心は人と違う目新しいものを使う気力を失っている。
だから皆と同じWindowsとIEで、それ以外のものを試してみようとも思わない。
この国の閉塞感は想像以上に根が深いと思うのだ。


なんだか4本リンク先の連想から4題話みたいなことを書こうと思っていたのだが、結局どんどん話が広がってしまいとりとめもなくなってきた。
どうでもいいことだと読み流してほしいのだが、今この深い疲労感は何が原因なのかなとつらつら考えると、こういうことがいくらでも出てくるのだ。




2008年3月6日













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