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「久しぶりにはてなブックマークに捕捉された」顛末記

やっぱり3日で通り過ぎてしまったのだけど・・・


「久しぶりにはてなブックマークに捕捉された」顛末記

表題の通り土曜日の朝アタリから当サイトのユニークユーザ数、ページビューが急激に増えて土曜の場合は通常の3〜4倍というところまで増えた。
リファラーはほとんど「はてな」ということで、私が日頃こつこつと「Windowsからのスイッチャーのための疑問」を書き貯めたのが認められたのかと思って見てみるとさにあらず、
中谷先生、お言葉ですが日本のモノづくりはそれほど安泰でもないように思いますが?
〜モノづくりニッポン礼賛はどうも的ハズレでは?

というエントリが捕捉されて150ほどのブックマークを集めていた。
なんとちょうど一年前の記事だ。
私自身こんな記事を書いていたのをすっかり忘れていたので、中味も何を書いたか覚えていない。
慌てて読み返してみる。

一年前の記事なので、もうそれについてどうこう評論するのもピンと来ない。他人の文章を読んでいるような感じだ。
今見返しても、中谷先生の実名を出したのがちょっとまずかったなという程度で、考えていることは今もそんなに変わらないが。

ところでこの内容について皆さんはどう感じているかを知ることができて面白かった。
大体はこの内容に同意の内容のコメント、あるいはリンク先もそういう内容だが意図が正しく伝わっていない人も結構いる。
そこはそれ、人の感じ方は千差万別なんでしょう。

私としてはiPodやMacBook Airなどの製品が出る度に
「あんなものは大した技術ではない、作ろうと思ったら日本でもすぐ作れます。もっといいものが作れます」
という類いの評論が出るのを見るたびに
「だったらほざいてないで作ってみせろよ」
と言いたくなるのを日頃から感じていた。

技術屋もそういう発想だし、高名な経営学の先生だって
「日本のモノづくりは世界一です」
なんて簡単に言うのは一種の「思考停止」じゃないのかなぁと疑問に思っていた。
だんだん不況になってくると2ちゃんねるにすら
「ニッポンSUGEEEE・・・」
みたいなスレが立つし、プライドを持つのはいいことなんだけどそんなに圧倒的に日本ってスゴいのか?
だったらなんで日本はあちこちの分野で苦戦してるんだ?
という疑問が絶えなかった。
モノづくりニッポンというのはこの数年の流行語だけど、そこに逃げ込むのはどうも危なっかしいものを感じるなぁというのがこのところずっと感じていたことだ。
それをあの記事に書いた。

だから反論は歓迎だし、むしろ私を論破して私を安心させてくれると嬉しいと思っていた。
別に私はiPod礼賛主義者ではないので、iPodサイコーなんて思っているわけではない。
「日本はもっと深いビジョンを持っている」ということが納得できれば安心できる。

「iPodやiPhoneを価値の基準に置くとかえって硬直化する」
なんてことは百も承知だし、別に「日本のメーカーは皆Appleを見習え」なんてことを言うつもりもない。
ただソニーを筆頭に日本の携帯音楽プレーヤーを製造していたメーカー各社はいまだにiPodから失地を取り戻せていないというのは客観的事実だというだけのことだ。
「それには何が足りないのか」と考えるのは自然なことではないだろうか?

「iPodがすごいんじゃない。iTunesがすごいんだよ」
というのは、一面ではその通りだと思うのだけれど、それも一面しか捉えていない気がする。
「ハードウエアがいいんじゃない、ソフトウエアがいいんだ」
というのはモノづくり偏重の発想の裏返しに過ぎなくて「コード偏重」のように思う。
「iTunesに触れていない」
という指摘もあったが、敢えて触れなかったので「ハードじゃないならソフトなんだな?」という矮小な議論に落ちたくなかったからだ。
そういう発想はITバブルの時に散々失敗したと思う。その反省もあって「モノづくりニッポン」とか言っているわけではないのか?
なのにそれも硬直化しているからまた「ソフトウエア重視」ってただの循環思考じゃないだろうか?

ソフトウエア指向とかハードウエア指向とかそういう両極ではない、もっと違う何かが欠けているために、日本のモノづくりはきわめて優れた要素技術を多数抱えながらも停滞するという不思議な構図があるんじゃないかというのが、ここで書きたかったことだ。

『99年にある経済セミナーに参加した時に、日本を代表する日立のしかるべき立場にある技術の専門家が
「今日本にはよって立つべき技術は何もない。
自動車はたまたま外貨を稼いでいるが、これだっていつかは構造不況業種に転落する時代が来ることは歴史が示している。
その時に次の産業は何があるか?
何もない!
あえて言えば、iモードのヒットに関連して、モバイル通信の技術にかかわるものだけが今日本の唯一誇れるものだ。
ここに一点突破で集中するしか日本が生き残る道はない」
といっておられたことに大変ショックを受けた。』


という私自身の体験をここに書いたが、これに対して、
『視野狭杉。99時点ならゲームというプラットフォームが世界を征服してた。』
『 「あんなものは技術レベルが低い」という意識であれば、テク屋の自我と儲け口を混線してもいる。』
『 こうゆうタイプを「しかるべき立場」に置くのは、軍の編成を「空母?あんなものは主役に成り得ない」ちゅう人に委ねるようなものだ。』

という反論もあった。

99年というのは特別な意味がある。
日本経済は90年のバブル崩壊以降経済は回復するどころか、いっこうに上向く気配も見せず、自動車産業は外貨を稼いでいるが、それが国の回復の原動力になっているわけでもない。
97年の橋本財政緊縮内閣で少しほどけかけた経済回復の糸は以前よりもひどい状態でもつれてしまい99年〜2000年頃にはスパイラル状に、つまり悪循環的に経済が悪化してこのままでは日本は先進国クラブから滑り落ちて、最貧国の仲間入りするかもしれないという道筋が本当に見えかけた時期だった。

今まで日本は成長する国だと思っていたのが、それは絶対的でも未来永劫続くものでもなく、
「板子(いたこ)一枚、下は地獄だ」
という現実が垣間見えた瞬間だったのだ。
その時に日本を起死回生に導くべきものは何もないということをいっているのだ。
ゲームソフトは確かに世界を席巻していたのかもしれない。
しかしそうであるならなおのこと「世界を席巻していたってゲームなんざ知れたもの」ということじゃないだろうか。
この時代だって世界を席巻しているセクターはいくつもあった。小型精密モーターだって、ファナックのような工業用ロボットだって世界を席巻していた。
コンドームだって日本製が世界を席巻している。
しかしそれが全産業的な広がりを持って日本の方向を変えるというようなものではない。
世界中のXBoxを駆逐できたって、穫れるパイは知れている。
同じ意味でアニメ産業もそうだ。

この話は例えば紡績産業が造船産業に移り変わり、それが製鐵産業に移り変わり今では自動車産業に移り変わっているという歴史をふまえ、その次はどの産業が次代を担うのかという話だ。
基幹産業に何がなるという話に絞り込んでいるわけでもなくて、そういう産業クラスターが生まれるのに何が必要かという話をしたいと思った。

そういう場面で
「日本のゲームは世界一だ」
とかいわれても、
「ああそうですか」
としかいいようがない。

「半分同意。BtoCの視線では半分しか語れない。本当に儲けてる日本の製造業は「新鮮なブリ」屋さん。典型はキーエンスとかファナックとかロームとかだけど、町工場レベルも結構すごい。」
これも同じことで、日本の蒲田や東大阪の町工場の技術力は世界一で、
「だからモノづくりニッポンはスゴい」
というのはひとつのパターンではないだろうか。
モノづくりニッポン礼賛をしている人達はそういうB2Bの技術力が世界一だという安心感を常に強調する。
B2Bの技術力なんて一般の人には価値が分からないから
「そんなにスゴいならダイジョウブだぁ」
という感じで伝播する。

でもそれでもいいんだけどダレル・ウィッテンさんが言っていたのはまさにここのところで
「日本はもはや世界中で貿易摩擦を起こすようなエコノミックアニマルでもないし、そういう役回りは中国や韓国が引き受けてくれる。
日本は世界中に優れた部品や加工技術を供給し、優れた技術のサプライヤーとして世界中から尊敬されるだろう。
iPodには『デザインド イン カリフォルニア」と刻印されているが、その中味は8割は日本製の部品だ。
それでいいじゃないですか」

という言い方で日本人の私を慰めてくれたわけだ。
裏返して言えば、日本製品が世界中を蹂躙して「メードインジャパン」の印象を強烈に残す時代は終わったということだ。

「それでいいじゃないですか」
といわれればそれでいいのかもしれないけど、本当にそれでいいんだろうか?

『むしろ日本という国が、ウォークマンのようなライフスタイルすら変える商品を生み出せたことのほうがびっくり。』
という反響もあったが、そんなことはない。
日本は過去にライフスタイルすら変えるような商品を数多く生み出している。
例えば即席麺とかカラオケとかプレハブ住宅、自動券売機・・・挙げだしたらきりがないのだが、そういう意味では
「モノづくりニッポン」
に誇りを持つというのは間違った考え方ではない。
ただ問題なのはその成功例がいずれも結構古いということなのだ。
もっとも新しいものでも30年以上昔のものばかりだ。

今から何がそれに当たるのか?
それをずっと自問しているのだが、それに思い当たるようなものが出てこない。
その理由は何だろうかということを問いかけたいと思っている。

「たまに電車に乗ると、どちらかというと、普通のドコモの携帯電話や任天堂DS、PSPの方が目にする事が多いです。だから何もしなくていいというわけでは無いですけど」
典型的な視野狭窄というのはこういうことだ。

かつて三種混合ワクチンの副作用について取材をした時に
「私の知り合いのお母さんでワクチンの副作用で子供を亡くしたという人はいません。
ワクチンの副作用を大げさに言い過ぎなのでは?」
という反応がある母親からあった。
しかしその「知り合いのお母さん」というのは一体何万人のネットワークなのだろうか?

『交通事故で子供が死んだお母さんは知り合いにいない、だから交通事故なんか大した問題ではない、別に気をつけるべきことでもない・・・なんて理屈は成り立たないでしょう?
なのにワクチンの効果と副作用の評価はなぜ「知り合いのお母さん」になってしまうんですか?』
私はこう答えた。

演繹法でものを考えている時に、突然
「私が乗っている電車にはiPodを使っている人はいません」
といわれても、
「ああ、そうですか、そういう地域にお住まいなんですね」
としか言いようがない。
iPodを皆持っているか持っていないかなんてこともどうでもよくて、そうじゃなくってiPodとかMacBook AirとかiPhoneとかそういう新しいもの、革新的なものが出てくるたびに
「あんなものは大したことないです。
なぜなら日本のモノづくりは世界一ですから」
とかいうのはどうよ、と言いたくなるのだ。
そういってて目新しくもない、安くもない、個性的でもない、やたら機能スイッチばかりついていて使いこなせない製品を作り続けている現状ってどうよ、
と言うのがあの一文の趣旨なのだが。




2008年12月8日
















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