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ダイエットを通じて人類の食の未来を考察する・・・
なんていう大げさな話ではなく、いろいろ思ったことがあったので

人類はなぜ肥満するのか


ダイエットを通じて人類の食の未来を考察する・・・なんていう大げさな話ではなく、いろいろ思ったことがあったので

最近取り上げた 体重管理ツール の項目でも書いたが、ずっと無関心だったダイエットに挑戦することにした。
そのきっかけになった厚生省管掌の「メタボ研修」のいい加減さにはその記事で触れたが、今回思ったのはいろいろ気がついたことがあったから書いてみたくなったということだ。


今やっているのは炭水化物ダイエットで、これは非常にシンプルな考え方なのが納得がいってやってみることにした。
要するに一日3食のうち2食は肉、魚、野菜だけの食事にしてご飯、パン、麺類などの炭水化物を抜くというもの。
ただし3食とも抜くと体調管理上よろしくないので1食はちゃんと炭水化物も食べるという考え方だ。
これを「ごほうび食」という。
実際にやってみると2食炭水化物を抜くのだって結構きつい。
3食とも抜けば確かに早く結果は出るが、保たなくなって結局どこかでドカ食いしてしまう。
これがリバウンドの原因になる。
ダイエットには今まであまり関心がなかったが、関心がなくてもこの「リバウンド」という言葉は非常によく聞いていて知っていた。
ダイエットやらないよりなお悪いという太り方をしてしまうのが、このリバウンドの悲しいところだ。

ダイエットに失敗してリバウンドしてしまった人は、激しい自己嫌悪と罪悪感に苛まれ、それでもまた無茶なダイエットに挑戦してますます状況を悪くしていく・・・
ダイエットの失敗例って大体こんな感じじゃないだろうか。
そういう精神主義というか根性論でやっているから、プロセスも苦しいし結果も悪い。

炭水化物ダイエットというのは実は痩せるためのダイエットではなく、「炭水化物中毒」を治療するためのダイエットなのだということを今回初めて知った。
というよりも「炭水化物中毒」という病気があること自体初めて知った。

アルコール中毒とかニコチン中毒とか言うならわかるが「炭水化物」は必須栄養素なのに、その中毒というのもあるのかと意外に思った。
しかもテストをしてみると、結構思い当たる項目が多くて、私も炭水化物中毒予備軍ということらしい。

この炭水化物中毒は結局は肥満につながり、また代謝の異常を来して糖尿病などにも直結する。
だからこのダイエットは中毒を治療することが目的なのだが、そのプロセスで結果として痩せることになる。


その体重の推移だが、減る時には一日100gずつとゆっくりだがリバウンドする時には一日で1キロ戻ったりする。
だから体重を目標にしたダイエットは大変なのだろう。
このことはひとつのことを連想させる。

我々の体は一度胃に入ったカロリーは極力逃がさないような仕組みになっているのかもしれない。


我々人類を含む霊長類の祖先はメガネザルの仲間のような樹上に棲む猿だったと大学で習った覚えがある。
我々人類は樹上生活に適応した祖先を持っていると考えられるいくつもの特徴を持っている。
例えば眼だ。

我々人類の眼球は顔の大きさと比較すると非常に大きい。
これは嗅覚や聴覚よりも視覚に頼った生活をしていたからだ。

しかも頭の前面に2つ並んでついていて、2つの眼の視角はほとんど重なっている。
この構造は何を表すかというと、我々の眼は物や空間を立体的に捉える能力が有り遠近感を非常に重視する生活をしていたということだ。
もしも天敵に襲われることが非常に多いのであれば、眼は頭部の側面についている方が有利だ。
そうならば、片方の眼で180度近い視野を持っているので、左右の眼でほぼ360で前後左右全てに同時に目配せができる。
実際大部分の魚類、両生類、爬虫類、それに一部の鳥類などの眼球はそういう構造になっている。

しかし人類の祖先はそういう有利さを捨てて、物事を立体的に見る能力を選んだ。
これは樹上生活のような、枝から枝に飛び移る必要がある生活空間で生きていたひとつの証だ。
嗅覚や聴覚よりも鋭い視覚を養っていた理由もそれだ。


ところが何らかの理由で、我々人類の祖先は他の霊長目のサル達と別れて、樹から降りて草原で生きなければならなくなった。

その理由は500万年前に起こったアフリカの大地溝体(グレートリフトバレー)の隆起だと考える人が多い。
我々人類とチンパンジーなどの類人猿の共通の祖先であるプロコンスルは、大地溝体の隆起でアフリカの西と東に分けられた。

この突然隆起し始めた大陸の中央部は、キリマンジェロなどを含む世界有数の高峰にまで切り立った。
その結果何が起こったかというと、西から運ばれてくる湿った空気は山脈の西斜面で大量の雨を降らしここにジャングルという生物相を形成した。
ここに残ったのがチンパンジーやゴリラなどの類人猿で、密林はカロリーの高い木の実などの餌を豊富に供給する彼らにとっての楽園となった。


ところが山を越えて東の斜面に吹き下ろしてくる風はすっかり乾燥してしまい、山脈の東側は次第に大きな樹が生えなくなり、砂漠と草原の地域になった。
ここにはカロリーが高い実をならす樹木はなく、ここに生きる生き物は草や虫を食糧とする小動物とその小動物を狙う肉食獣だけという厳しい環境になってしまった。

我々人類の祖先もその例外ではなく、主食は虫と草の根、たまに動物の死骸にありつくこともできたかもしれないが、そういう場所は肉食獣が寄ってくる危険な場所なのであまり近寄ることはできなかったろう。

山の西側に残ったプロコンスルの子孫達は楽園に住んだのに対して、我々人類の祖先はまさに旧約聖書のエデンの園を追われたアダムとイブのように厳しい生活をしてきた。
2足歩行が可能になったアファール猿人は脳よりも先に足と骨盤が進化した。
これも、この厳しいサバンナで生き残るために、直立して天敵を少しでも速く発見して回避し、少しでも速く餌の草の根を発見するためだったのだろう。
しかし2足歩行を習得してからの400万年間も人類は常に飢餓に苦しんでいたに違いない。

人というよりはサルじみていたアファール猿人からホモサピエンスに進化し、旧石器時代を迎えて以降も人類の栄養事情は大して改善されなかった。
我々人類が飢餓から解放され、安定的に食糧を得られるようになったのは「農業」という文明が発生して以降だ。

農業は世界の複数の地域で同時多発的に発生した。
小麦を育てたエジプト、メソポタミア文明、米と小麦に地域で別れるインダス文明、黄河文明、アステカなどの南米古文化はとうもろこしを栽培した。
いずれも共通しているのは、カロリーが高い「炭水化物」を栽培した点だ。
人類は発生以来、常にカロリー不足に悩まされていた。
発生の地が東アフリカのサバンナだったからだ。
だから農業文明は「炭水化物を栽培生産する」ことに血道を上げた。

その成果が上がって現在我々人類は生物的に発生して以来初めて飢餓から解放されつつある。
今では望みさえすれば、必要な財力があればいくらでも炭水化物を摂取することができる。
ところがもう500万年も人類は飢餓状態を続けてきたということが問題だ。

500万年も飢餓を続けていると、体に摂取したカロリーは極力逃さないで体脂肪という形で貯め込む機能が進化してしまう。
これは親子数代で取得した体質というような物とは全く違う。
生物的な遺伝情報として人類は「太る」DNAを作り出し、継承してきた。
そうしないと飢餓の世界では生き残れないからだ。

今は人類の歴史が始まって以来初めて、望むだけ炭水化物という高カロリー食を摂取できる。
それでも取込んだカロリーを少しでも逃すまいとする体の構造は、数十年の環境の変化では頑として変わらない。
500万年かけて取得した機能だからだ。
これが肥満が人類の「宿業病」のひとつに加わった理由だろう。

人類は直立することで椎間板、腰椎、膝に弱点を持ち、高い視力を得たにもかかわらず安全な室内中心の生活を得て近眼などの視覚の弱点を持ち、高カロリーの食事をすることで歯周病などの歯の病気になりやすいという弱点を持つ。
肥満もこの宿業的な弱点のひとつだ。
解決法はサバンナ時代の飢餓に戻ればいいのだが、そんなことはできない。
だから炭水化物を減らすということなのかもしれない。

またそうした飢餓の体質があるからダイエットの時に体重を減らすのはなかなか成果が上がらないが、増やすリバウンドはあっという間に来てしまうということだろう。
カロリー量を減らせば減らすほど、我々の体は防衛機能を発揮して脂肪細胞を活性化させる。


サバンナ時代の飢餓に戻せない理由はもうひとつある。

これはかなり前に京大の食物栄養学の教授に取材した時に聞いた話だ。
栄養学というのはもう確立されて、ちゃんとして定説があるものだと我々シロウトは信じ込んでいる。
ところが実際には、この界隈も迷信に近いような話が流布している。
例えば「肉を食べると健康に悪い」というようなことだ。
これはかなり多くの人が信じているが、実際には間違いだ。

日本人は世界1、2を争う長寿の民族だということになっている。
それは日本食が長寿食だからということになっている。
しかし日本人が世界トップクラスの長寿になったのは最近数十年のことだ。

戦前の日本人の平均寿命は50歳代で、50を越えればもう老境ということだった。

さらに遡れば近代まで50歳まで生きられなかった時代もかなり長かった。
その間日本人はずっと和食を食べていたにも関わらずだ。

残念ながら日本人の長寿の秘訣は和食だけではない。
日本人は、肉を食べるようになってから長寿になったのだ。
このことは食の歴史と平均寿命の推移を重ねて見るとはっきりと相関性があるそうだ。
また宗教的な理由で肉を食べない民族はやはり短命なのだそうだ。

戦前の日本人は肉をほとんど食べないし魚類もそんなに豊富に摂取していたわけではないので、勢い食事は炭水化物と野菜中心の食事になってしまう。
これでは栄養バランスは取れない。
それで戦前までの日本人は短命だった。
ところが戦後に日本人の食事は急激に西洋化して肉を食べるようになった。
終戦直後の厚生省の日本人の栄養調査によると、日本人は「タンパク質の摂取量が足りない」と明記されている。
食物繊維や、ビタミン、ミネラルの話ではなく不足しているのはタンパク質だと、当時の厚生省も報告している。
ハンバーグのおかげなのか何なのかはわからないが、日本人は戦前と比較すると飛躍的に牛肉、豚肉、鶏肉などの肉類を食べるようになっていく。
そうした食事が普及するにつれて日本人は長寿になっていき、今では世界最長寿を誇る国になった。

元々の和食は優れた点もあったが、やはりバランスがとれていなかったということだ。
そう思って観ると日本の軽食はほとんど炭水化物だ。

うどん、そば、ラーメンのような麺類、カレーライス、親子丼のような丼もの、鮨、サンドイッチ、トーストなど手軽に食べられる軽食は全て炭水化物がベースの食品で、炭水化物を摂取しないダイエットとなるとこれらのメニューは全て禁止ということになる。
これは思っていた以上にきつい。
思っていた以上に我々の食事は炭水化物に偏っていることを表している。

そもそも私はそんなにドカ食いをしないし、忙しいのでどちらかというと食事はそばだけという感じで簡単に済ませることが多い。
だからそんなに太る筈がないという思い込みもあったのだが、実際にはこうした軽食の比率が高い方が太るリスクは高い。

そういう物は止めて肉、魚、野菜中心の食生活に切り替えるというのは実際には想像以上に難しいこともやってみてわかった。

そして元々の日本食のバランスの悪さと当時の日本人の短命さからいえることは、食事はやはりバランスなのだということだ。
魚中心なら良いわけでもないし、野菜中心とか言っているとなお悪い。
肉も野菜も魚類や、ミネラルを含む食品もいろいろ食べているのが一番いい状態らしい。
そういう意味では今のナチュラルな日本の栄養事情は炭水化物に偏っている。

仕方がない、ほんの数十年前まで飢餓状態だったし数千年前までは餓死する線上を彷徨っていたのだから、急に食の願望は切り替えられないということだろう。


日本人の食事が炭水化物に偏っているのはいつからだろうと考えてみる。
それは稲作文化が伝わって、米が主食になったからだろう。

こういうことを言うと猛烈に反発する人が必ずいる。
「何を言うか主食の米は神代の昔からの日本食の文化なのだ。それが肥満の原因なんておかしいんじゃないか?」

これと同じ感情的反論を昔環境問題の取材をした時に食らったことがある。
日本の河川は汚染されている。
河川の汚染の基準値であるBODもCODも限界まで来ている。
その汚染の原因は主に家庭の流し台から出る排水であり、多くの場合は「米のとぎ汁」であるという話を取り上げようとしたところ、スタッフからも激しい反発が出た。
「それはおかしい、日本人は神代の昔から米を食べているに、なぜ河川の環境汚染が米が原因なのだ、それは絶対に間違っている」
と感情的になってガンと譲らない、聞く耳持たない人が多いことに驚いた。

それだけ日本人にとって米食というのは「神聖にして不可侵」なものなのだ。

しかし河川の環境汚染が、工場排水が主因だった1960年代とはもう事情が違う。
高度成長期の60年代には工場排水のニッケル、カドミウム、水銀、ヒ素などの重金属、化学物質が河川の汚染の原因だった。
しかし1970年代以降日本の環境技術は飛躍的に進歩して、こうした産業廃液を無処理で垂れ流している工場なんて日本では皆無になった。
そんなことがバレればすぐにテレビや新聞で報道され、工場長や経営者は「刑事犯」として取り調べを受けることになる。

1980年代以降の河川の汚染の主因は有機リン、油脂などに変わった。
これは工場から排出されるのではなく、一般家庭の台所の流し台から排出されるのだ。
しかも有機リンを使った合成洗剤なども問題になったが、実際計測してみると合成洗剤よりも米のとぎ汁の方がはるかに多量のリンを含むことも分かっている。
河川の汚染の主因は米のとぎ汁だ。

ところが反論する人はこういうことを言う。
「それなら稲作が始まった弥生時代から日本の河川は環境汚染されていたことになる筈だ。しかしそんな問題は最近の話ではないか。だから絶対に間違っている。」

しかし米を食っていた量の概念がこの反論には欠落している。
日本人はほんの100年前までは3000万人しかいなかったのだ。
この百年で急速に人口が増えて一億人を突破したのだ。
ましてや神話時代から中世までの日本人は1000万人しかいなかった筈だ。

しかもこの日本人が皆米を食っていたわけではない。
米を食っていたのは極一部分の特権階級と都市生活者で、地方の庶民は粟や稗を主食にし祝い事でもないと白い米なんか喰えないという時代はつい百年前まで続いていた筈だ。

この100年内外で突然日本人は全員白い米を食べ始めたのだ。
その日本人の総数も1億人を越えたのはここ数十年のことだ。
だから環境汚染の問題もつい最近出てきた問題だというのは全く矛盾しない。

感情的に反論しても家庭排水が河川の汚染の主因だという事実は変わらない。
それと同じように「野菜中心の食事」が体に良いわけでもないというのも、健康な食生活信者がいくら反論しても事実なのだから仕方がない。
稲作文化の定着が炭水化物中心の食生活の原点になっているという事実も同じことだ。


ダイエットしても体重は下がる時にはなかなか下がらないがリバウンドする時には一気に上がるとか、なぜ炭水化物中毒などという必須栄養素の依存症が存在するのかとかいろいろ考えているうちに、こんな連想をした。 なんとなくの雑感だ。




2009年9月6日
















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