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webサイト運営に関する覚え書き
/Note for Making web site

個人は何のためにwebサイトを作るのか?



ちょっとした覚え書き。

ここのところいろいろ思うところがあって、webの現状についてまとめた本で参考になるものがないかずっと探していた。
ところが手に入る本やwebの検索情報はweb、特にweb2.0のような新しいムーブメントの技術的側面に目をやって技術やその可能性を礼賛したりするものばかりで、webの現状と社会、人間のあり方についてきちんと社会学的な方法で検証した本があまりにも少ないことに気がついてしまう。

どの本も
「web2.0によって従来にない新しいコミュニケーションが可能になって、社会の変革が進む」
とか
「webに依存する『デジタル人間』がますます増えて、いじめや子殺しなど社会のひずみが助長される」
とかの偏った、しかもどうしてそうなるのかをきちんと社会学的な方法で検証しないで単に印象や願望で書いているものばかりで、この分野の考察というのは予想以上に進んでいないのだなぁと思い知らされた。
一昨年にライブドアのホリエモンがニッポン放送を買収した時に
「ネットとマスメディアの融合でシナージィ効果」
なんて用語を並べ立てた時に、コンベンショナルなマスコミ人を筆頭に大部分の人は『ケムに巻かれている』としか感じられなかったが、今でもあの時とあまり状況は変わっていないのだなと思う。


その中で唯一の参考になった本は実は手許にあった。

『けなす技術〜俺様流ブログ活用法』山本一郎著

これはお知り合いで、2ちゃんねるの有名人の『切り込み隊長』の本だ。
『切り込み隊長』の本というとどうも「トンデモ本」という捉え方をされるのだが、この本はwebの現状とその中にいる人間の関わり、あるいはリアルな社会との関わりを希望や願望ではなくきちんと社会学的な考え方で読み解いていくというまじめな本だ。

本書の前半はブログを開設して、読者を集めるための考え方について解説しているが、月並みな
「SEOをやって検索上位に表示される工夫をしましょう」
なんていう「アフィリエイトでお金持ち」式のインチキ本とは根本的に考え方が違う。

いくつか印象に残った下りがあるので、長くなるが引用して考えをメモしておく。 あまり長い引用をしていると「切り込み隊長」から印税を要求されてしまうかもしれないが、今の私にとっては重要な問題なのでとりあえず書き留める。


カウンターマスメディアとしてのブログの立ち位置について
あるいはログを公開する意味について

「これを解決するツールとしてブログが存在すると言いたいわけではない。インターネットは従来のメディアを補完する程度のものでありそれが早期に国論を左右するほどの影響力を持ちうると判断するのはきわめて楽観的で早計であると思われる〜

端的に言えば、ブログは個人でやる限り、それがどれだけアクセス数を増やしたところで、その時間や労力をつぎ込んで書き込みの質を上げることに対する対価を稼ぐことは難しい。〜

あくまでも本業があり、それの余暇としてネット上におこぼれを出す程度のものと言える。特にブログ上で既存のメディアが行ってきたジャーナリズムとしての機能を代替しうるという議論には賛同しかねるものである。〜

誰が読んでいるか分からない、しかも経済的対価が払われないというのは、アクセス数が欲しいとか話題になって欲しいとか、名誉の部分に起因する精神的対価以上のものは手にできないのである。」


これはブログについて書かれた本だから、主語は「ブログ」になっているが「webは」と主語を置き換えても同じことだ。
まずwebサイトを運営し公開する意味だ。
まず「金銭的な動機」でwebを個人が運営するというシチュエーションは「あり得ない」と彼は看破する。
個人が運営するwebサイトで「生計を立てる」ほどの収入を得ることは現状では不可能だということだ。
webサイトの作成で生計を立てたいならプロのwebデザイナーにでもなって企業のサイトの作成と運営を請け負うか、どこかの企業にスポンサーについてもらうしかないだろう。
今はアフィリエートで多少の小金を稼ぐことはできる仕組みが整っているが、それで上げられる収益は所詮お父さんのお小遣い程度の金額で、「それで喰っていく」なんてことはまったく不可能だと思う。

彼の個人ブログは私のサイトよりも数十倍のアクセス数を叩き出しているが、その彼でもその個人ブログはまったくの「余暇」以外の何ものでもないと言い切っているから説得力がある。
ネット上にはどういうわけか「アフィリエートアレルギー」のような人がいて、個人サイトがアフィリエートをやっているとまるで「自分たちが搾取されている」というような被害妄想をいだく人がたくさんいるのだが、そんな「搾取」なんてレベルの収益を上げるのは不可能だと思う。

かくいう私のサイトの前四半期のアフィリエートは29円という巨額の利益を叩きだしている。
これは私があまりにもアフィリエートに不熱心過ぎで、だからこんな極端に低い額なのだが、しかしどんなにマメにやってもこの100〜1000倍程度の利益しかあげられないと思う。

そうすると個人がwebサイトを運営、公開していく動機というのはここでも彼が言っている通り
「名誉の部分に起因する精神的対価」
という部分しかないと思う。

そうなるといろいろなことが見えてくるのだ。
そんな「個人の名誉」しか見返りが無くて、それが社会の趨勢を左右するほどの第2のメディアとして、あるいは第五の権力としての力を持ちえるかというと、到底そんなことはないだろう。
例えばプロのジャーナリストが、個人ブログで取材上知り得た重要な情報を「社会のために」どんどん発信していくかといえば、そんな酔狂なことをするヤツはあまり出て来ないだろう。

かく言う私だって、本業で知り得た情報をかなりこのサイトで盛り込んではいるが、社会的に世論を左右するようなクリティカルな情報をここで出すかというと、そんなことに首を賭けるのは本当にヤケッパチになった時だけだと思う。
だから所詮webジャーナリズム、ブログジャーナリズムなんていう考え方は幻想に過ぎないという彼の論は非常に説得力がある。

またここでは引用を割愛したが、それ以前に彼は
「webは基本的にテキスト情報をベースにしたメディアである」
と看破していることが印象に残る。
今は画像や、音楽、動画がどんどんwebで流通する時代だ。web上でのストリーミングも重要なテクノロジーになり始めているし、YouTubeのようなものが大きなムーブメントになっている。
だから「放送とインターネットのコンバージェンス」なんていう浮ついたマーケティング用語があらゆる場所に氾濫しているが、それも幻想であるということを彼は見破っているようだ。

ネットでの情報の流通はこれから先も当分は活字ベースになる。
なぜなら個人が情報を発信するということがこのwebの立脚点なのだが、個人は誰でも音楽を作詞作曲して自分で演奏したり、ビデオを撮影して自由自在に編集できるわけではないということだ。

未だにネットの主力のコミュニケーションツールはメールであるのと同様に、webの情報形態の基礎はテキストベースのwebサイトということになる。これは暫くは簡単に変わりそうにない。
(ひょっとしたら未来永劫変わらないかもしれない)

だから結局は個人が発信するテキストベースの情報は既存マスコミの代替物にはなり得ないし、だから結局はwebでサイトを運営する動機は「個人的な名誉に対する精神的対価」以外のものは何も期待できないということになる。


けなす書き手がネットでは人気を得る理由

「法的措置を恐れないですむ書き方さえ心がければ、何らかの事象を称賛するよりもけなす方が支持を集めうる。これは芸能人の結婚よりもスキャンダルの方が話題が長持ちするのと同じ原理であり、読み手の強い負の感情に訴え得かけることの有効さを示すものである。
人間や社会が美徳とする愛情や謙譲、功績といったものよりも、嫉妬や軽蔑、嫌悪といったもののエネルギーを一時的に借り受けて、それらの負の感情を正当化するためのロジックを組み立ててあげる作業にほかならない。
しかもこれは一見破壊的に見えて、実はもっとも共通項の無い人たちを糾合する手段を提供するものである。〜

何かを褒め上げるよりも刺激的で、何よりもおよそ問題のない分野などなく、話題に事欠かないという点で高機能なのである。」


これは本当にその通りだと思う。
2ちゃんねるを引き合いに出すまでもなくweb上には本当に誹謗中傷が氾濫している。
それは読み手の嗜好であり、人間の基本的な思考パターンであるのだから「それはけしからん」なんて言ってみても何の意味もないのかもしれない。

かく言う私だって、ここでたまにMSやソフトバンクや時々アポーなどの悪口を書いているから少しは人気を維持できているのかもしれない。
私個人は「攻撃の対象は社会の公器であるべき企業や組織に限定している」というポリシーを貫いているつもりだが、それはあくまでも私個人の価値観だし、世の中には個人だろうがなんだろうが叩けるものは叩くという価値観の人も当然大勢いるだろう。
「そこには明確な違いがある」と私が主張してみても、それは私の価値判断に過ぎない。

またもし神のごとき慈悲深いすべてを許すwebサイトを心がけることにここの運営方針を切り替えたら、皆退屈でもうこんなページなんか読んでくれないかもしれない。

その負のエネルギーはあらゆるものを対象にほぼ全方位的に発せられるということをもう少し私自身も考えてみるべきなのかもしれない。
「およそ問題のない分野などない」
というのはその通りで、批判をすることがまったく不可能な対象なんてのはこの世には存在しないのだ。


けなす技術と批判者の意義について

「称賛しか存在しない分野や業界は自浄能力を失って確実に腐っていくことは、歴史や産業を見ていれば誰にでも分かる話である。〜

物事には光と影がある通り、その時の美名を謳歌しても、それの持つマイナスの側面にフォーカスしない限り同じプロセスで崩壊へと導かれるのである。
それを避けるには、批判の受容と、批判を利用した行動や思想の修正以外は存在しない。〜

同時にあなたに対して何らかの批判的な言動をとる人間を大事にするべきである。
それが精神的に、あるいは感情的に嫌悪するべきものであったとしても、さらにそれが嫉妬などの悪意によるものだったとしても、彼らは無料であなたに行動のマイナス面を教授してくれるからである。
あなたが関心を払わない重要な問題や、本質に迫る負の側面について余すところなく論述してくれるこれらの批判者を門前払いする必要はどこにも存在しない。」


これについては賛意と異論と両方がある。
批判を受け入れなくなった企業や組織、分野は必ず腐敗して自壊していくというのはまったくその通りだ。
これはあらゆる経験則や歴史知識がそれと同じ結論を支持している。
だからその通りなのだが、別ページに彼自身が書いている通り「バーカ」とか「氏ね」というような批判が続いても何ら生産性はない。
しかし実際にはweb上で見るものはこれに近いものが大部分だということが、私の異論だ。

実はこの本はこれが本当の主題で、だから本のタイトルも
「人気ブログの作り方」
なんていう受け狙いなタイトルではなく
「けなす技術」
というような奇を衒ったように見えるタイトルにされているのだが、日本人は過去において永らくホンネでお互いを批判してきたという経験がなかったので、「けなす技術」「けなされる技術」が極端に未熟だということになる。
だから「バーカ」「氏ね」式の幼児語のような批判しかできない人も多いし、批判されて逆切れとかそれを見て炎上とかそういう祭りがweb上で絶えないわけだ。
これは日本のネット社会で特に顕著な傾向だという。

これは深く考えてみたいテーマだ。
ネットで意見が合わない連中に出会ったら基本的には「スルー」しかないということが言われる。
これはその通りなのだろうけど、これも「けなされる技術」のひとつとしてあるべき方法だろうけど、それしかないというのではやはり問題だ。


ネットに公開されたログが読み手にどういう意味をもたらすか

「読まれるブログというのは、書き手としての才能、分かりやすさであったり議論の正確さであったりという面もさることながら、読み手が何かを感じ取るために必要で適切なガイドラインを自分の中に確立するためのインプットを定期的に行っていかなければならない。〜

単にこれらのすぐれた書き手の読み物を読んで納得し理解を深めるだけでなく、彼ら書き手がそれらの素材を外に出すに至ったバックグラウンドについても考察した方が得られるものは大きいと思われる。〜

つまり書き手の興味対象の変遷自体がそのブログの価値になる可能性があるのだ。
書き手に興味を持った読み手を違う世界につれていくことが、最終的にナマモノであるブログの読者層の拡大につながると言える。
そのブログの読者が関心を持たないだろう内容についても自分なりの見解や論考を生み出し、読み手とともに広がっていく話題の輪とバックグラウンドの裾野を広げることが、ネットで人を集めるという問題を解決する基本的なアプローチなのだ。」


「切り込み隊長」はちょっと深いなと思ったのはやはり人気ブログの作り方を解説するという体裁をとっていても、実際にはwebコミュニケーションのあるべき姿について提案をしている点だ。
もっともそれが無いんだったら、単なる人気ブログの作り方のノウハウ本に1500円も払う気はまったく無いのだが。

結局は全人格的なコミュニケーションを図れという、文字にするとちょっと気恥ずかしいようなまじめな結論と、あらゆる分野への好奇心を忘れるなというしんどい結論が見えてくる。
それが継続的にされてこそ、読み手と書き手のつながりが継続されるという結論なのだが、勇気づけられる反面、しんどいことだなぁとも思ってしまう。
しかし手に余らない程度にということだろう。


ログを公開する意味

「正直に言うと、ブログをはじめとするインターネット上のログ、読み物は世間一般に流通している書籍と比べてほんのわずかであり、質もやはり低いと考えざるを得ない。
その中でインターネットであるがゆえの独自性、つまり即時生を活かしたブログはもっとも有効な読み物であると言える。
読み手が接するニュースを、定点観測している書き手はどう判断しているのかという検算として使う作業もお進めしておきたい。」


これはほぼ私が志向していたことと近いように思うのだが、非常に狭いエリアであってもオピニオンリーダーとなれるような質の高い書き手が、似たような近いジャンル同士で相互リンクでクラスター状になっていれば、全体としては非常に強力なサイト群になるはずだと前から考えていた。
ある分野ではこちらの人に、別の分野ではあちらの人に「なにか有用な意見を持っているはずだ」と期待できるような書き手が束になっていれば、個人でできることはたかがしれているが全体としては強力なメディアになると思う。

それがマスメディアの代替になるかどうかなんて話はとりあえずおいておくとしても、定期的に読むには値するクラスターにはなると思う。

インターネット上の読み物は書店で刊行されるプロの文章書きが書いた読み物よりもはるかに質が低いということは私も常々思っていたし、そのことは今更議論するまでもなく皆思っていることだろうと思う。
だからって個々がプロの口舌の徒のように「質の高い書き手になれ」なんて言ってみても意味が無い。
それができるんだったらとっくにプロになっている。
でも個々人が非常に狭い守備範囲でスキルを磨いていったら、その質は全体としては高くなるはずだ。
個人がサイトを運営する意味というのは実際にはこの針の穴のような一点突破しかないかもしれない。

ブログ文化の隆盛を礼賛するのも結構だが、もうそろそろ日記レベルは卒業して次のステージを見据える時なのかもしれない。
日記は所詮日記で、あとで自分で見返してみて「あの時はこんなもの食べたんだなぁ」なんて懐かしむくらいの役にしか立たないリソースは、個人的な需要だけのことだしそれが「ブーム」としてそんなに長く続くとはどうしても思えないのだ。

それには個人がサイトを運営する意味ということを今どうしても考えておきたかった。

私はここではMacに関する情報を書いている。
その実用で使う上でのトラブルシューティングやアプリの利用について書いている。
しかし私自身は技術者でもなんでもない。
それどころか文学部出身の単なるウォッチャーに過ぎない。
だからAppleがMacOSXを製品化するにあたってどんなコードを書いたかなんて問題にはまったく興味がない。
またデベロッパーでもないのでOSXでアプリを開発するのにどんなコードが書かれているのかなんて問題にもまったく興味がない。

それは先々は違ってくるかもしれないが現状では私にとってまったく興味の埒外で、
「ど〜でもいいですよ〜」
とだいたひかるの歌を歌ってしまいたいような問題だ。

私が興味があるのは私にとってMacOSXというOSはどうすれば実用的に使えるかということであり、OSX向けのアプリはどういうことに使えるかということだ。
また別コンテンツの興味も「技術者向けではないIT用語解説」だったり「ディテールにこだわった映画レビュー」だったりすべて私なりの興味に従ったテーマがある。

これからもそれでやっていくのか、興味の変遷とともにテーマが変化していくのかそれは私自身にも分からないことだが、テーマが見えないところでやっているわけではないということだけははっきりしている。
だから私に興味の埒外のことを求められてもだいたひかるの歌を歌うしかないのだ。
「ど〜でもいいですよ〜」


ネットの世論とリアルの関連について

「現在ネット社会の住民にとって重要なプレイヤーであるソフトバンクとNTT、総務省のつばぜり合いにおいても、議論が整理され争点が設定されていたとしても、彼らは問題に対して行動を起こすことはまずない。〜

したがって、ネットのコミュニケーションを思想的背景で色分けし、社会的影響の是非について語るというのは方法論として間違いである可能性が高く、ネットの影響力を過大に設定しているに過ぎない。」


ネット上にはあらゆる世論が氾濫している。
ネット右翼なんていう「核武装して中国と北朝鮮に先制攻撃をかけろ!」なんてのから「JASRACはけしからんからこの世から消えて欲しい」なんてのまでいろいろある。
しかしこういう書き込みをしている連中が一度でも中国大使館前やJASRAC本社前をプラカードを持って歩いたことがあるかといえば、最近では私はそんなことは「ほぼ絶対にない」と推察している。
ネットには極端な議論を書きたがる人が大勢いるし、そういう論が受ける理由も上記のように「切り込み隊長」には看破されてしまっている。
だからそういうものにはほとんど価値を感じないのだ。
JASRACやエイベックスを批判する書き込みが何百万行もネットに書き込まれても、そんなものは現実の世界には何の影響もないのだ。

現実の世界に何らかの影響を及ぼすオピニオンは、もっと違う形で表明されるだろう。
少なくともそれは2ちゃんねるの「JASRAC氏んでほしい」なんて書き込みではない。
だったらネットで何かを批判する意味というのは何なんだろうか?
上記のように読み手の共感を得やすいということはあるだろう。

これがリアルの世界に何も働きかけにならないのであれば、書く意味はまったく無いとも言える。
それは単純な個人の「正義をはたした」という自己満足を充足させるだけのことで、実際にはいくら書いてもやっぱりJASRACは横暴だという現実は何ら変わらないし、まさしく便所の落書きで正義を語っているだけかもしれない。

個人的な感情の吐露以外に何か意味があるのか。
あるとすればその共感を持てる人を糾合するという非常に弱い、そしてパッシブな意味しかないかもしれない。
これもよく考えてみたい問題だ。

ただひとつだけ非常に高い確率で正しいと言い切れるのは、ネット上では価値があるのはオピニオンそのものではなく、検証可能な事実の提示だと思う。
根拠を示された論は力を持つ可能性がある。
「中国を再び植民地にしろ!」
なんていうオピニオンではない、もっと中国と対等に対面していく上で役に立つようなファクトの提示だ。
そういうものがあってこそ
「中国にこびへつらうことはない」
という議論も多少は説得力を持つ。(と思う)


ふたたびネットでの「けなす技術」について

「ネットには無原則なヨイショが数多く見られる。商業的な理由であれ、個人の好悪の問題であれ褒める、支持するというポジティブな言論がわき起こることが無条件で価値となっていた時代があった。
その時代から.是々非々で対象を評価するという別の局面へと、ネットによって拓かれたと私は考えている。〜

何かを褒めることに熟達した日本人において、何かをけなす議論の技術があまりにも不足しているように思える。好きなものがけなされて激昂して掲示板が荒れるとか、さらに煽られて燃える男が出現し好事家の野次馬を集めるといった事象が散見されるのも、けなす側、けなされる側に否定的な情報を流通させる技術の不足が垣間見えるのである。」


ああ、一番引用したい文句は一番最後に見つけた。
結局これだろう。
昔のサム・ペキンパーのインタビューを思い出した。
サム・ペキンパーの映画があまりにも暴力的だということに抗議して、平和主義者たちがペキンパーの自宅まで押し掛けてきて彼を殴ったというエピソードを語っていた。
このことを引き合いに出してサム・ペキンパーは
「人間の本質は暴力である」
と結論づけていたが、そこまでは思わないが、そういう矛盾した行動をとる人は実際いくらでも見かけるのだ。

このサイトにも
「なぜMSやソフトバンクやその他の何でも叩くのだ?」
と私を叩きにきた人物がいた。
なぜ人を叩いていないでもっと生産的な記述をしないのだと人を叩くのなら、この人物こそもっと平和主義的な論調をとるべきだった。
これはペキンパーを殴った平和主義者と同じだ。

批判をすることは悪いことではないと思う。
このサイトにBBSを置いているのもこのサイトへの批判を受ける余地を残しておきたいということが最大の狙いだ。
だから私自身も批判は甘んじて受けるが、私だって人の子だ。
無原則に、あるいは無目的にBBSに
「バーカ」「氏ね」
とか書かれたら参ってしまうだろう。
批判にはその強い動機とともに、この言葉を受けたら相手がどう感じるかという想像力は必要だと思う。
同じ言葉を自分が言われたらどう感じるだろうか、そういう想像力をふまえた批判は甘んじて受けるがそういうものが欠如したものは、はっきりいって精神的に参ってしまうだけの消耗しかない。
そういう罵詈雑言に耐えてまで、こういうサイトを公開している意味は今のところやはり感じないからだ。

その理由はこの冒頭に書いたように、こういうサイトを運営公開している動機は今のところ
「名誉に対する精神的対価」
以外に何も無いからだ。
だからそれが得られなくなったら、こんなサイトを続ける意味は直ちに失われてしまう。
これは別に私に限ったことではなく、大抵のブログもブログ以外も含めたwebサイトを管理運営しているサイト管理者に共通のことではないだろうか。

インターネットなんか何の価値もないという人は、好きなだけ罵詈雑言を吐けばいいと思う。
しかしそういう人にはなにもそこから得られるという期待はしないでもらいたい。
期待はしているが想像力を働かせることが面倒だという処置なしの人は、率直な感想を申し上げれば
「氏んでほしい」
ということになるのだが、一度こういう社会学的な考察を交えたネットの立ち位置を分析している本を真剣に読んでみることを勧めたい。


非常な長文になってしまったがこれは全て私個人の覚え書きということで。
興味ない人は素っ飛ばしてもらいたい。
(なんてことを文末に書くなという批判はあるだろうが)




2007年1月7日













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