あなたがMacを買わない10の理由
「(ogijunの)あとで書く日記」さんの「あなたがMacを買わない10の理由」というエントリがおもしろい。
この話はMacが良いかWindowsが良いかという以前に、世の中の人というのは意外に知りもしないものを間違った情報で食わず嫌いしていることが多いということを示唆しているような気がする。
例えばMacはクリエータ、またはクリエータ気取りの人達が使うもので一般の人向けではないとか、
Macでは会社のワード、エクセルの書類を使った仕事ができないとか、Macの良さはデザインだけでカッコなんかどうでも良い人にはメリットがないとか、確かにMacを食わず嫌いしている人からはこういう理由付けが聞こえてくる。
でもMacは別にクリエータ向けの機械ではないし、現に私はiBookをほとんどクリエーティブではないオフィスワークのために使っているし、当然ワードもエクセルも扱っているが何ら問題は感じていないし(MacとWindowsではフォントの等級が微妙に違うのだという基本的な事実を知っていればレイアウト崩れもほとんど対処できる)、iBookやMac miniを私はデザインの良さで買っているわけではない。というよりも前にも書いたと思うけどApple製品のデザインの良さというのは、私にとっては購入動機の7番目か8番目くらいの話だ。
いろんなところで「Macが嫌いな理由」を読むがその大部分は
「なるほどそういう理由なら仕方ないよね」
と思わされるようなものには滅多に出会えない。大部分は「そりゃあアンタ勘違いしているよ」と言いたくなるようなものばかりだ。
だからいつもフラストレーションを感じるのだが、「アンタ勘違いしているよ」といってあげると
「マカー」「信者」
とくる。
私は別にマカーでも信者でもないし、パソコンなんてちゃんと動いてくれりゃ別にMacでもLinuxでもBSDでも何でも良いと思っている。ただ、
「あなたがMacを批判している理由は間違っているよ」
といっているだけなのだが、それを言った瞬間に宗教論争に踏み込んでしまうという歯痒さをいつも感じてしまうのだ。
あとよくあるのが「Macは趣味用のパソコンで、仕事はやはりThinkPadにWindowsXPでしょ」という決めつけ。これをドザが言うのならともかく最近ではマカまで言うようになってきて、なんと本家のAppleのコマーシャルまで
「僕はプライベートな付き合いが多いから皆Macと呼んでいるだ」
なんて言い出す始末だが、そういう決めつけは私のように主にiBookを仕事で使っている人間にとっては大迷惑なので是非止めてもらいたい。
Windowsでなきゃ仕事ができないなんていっている人達の感覚がわからない。何か技術開発用のテストベッドを扱っていて、それがWindows版しか開発されていないという場合ならわかる。そういう場合はWindowsを使わなくてはいけないだろう。
またWindowsサーバで構築されたイントラネットの管理者だというのなら当然使用端末はWindows であるべきだ。
だがそういう特殊なケースを除いて、仕事はWindowsでなくてはいけないという理由が私にはわからない。先ほども書いたようにワードやエクセルやパワーポイント程度のものなら、別にWindows でなきゃならない理由にならないし、サイボウズのような特殊なアプリを使っているんだと言う場合はわかるけど、社内情報の共有をそういう特殊なアプリに頼っているということにすでにその会社の技術のあり方に疑問を感じてしまう。
そういうリダンダンシーを考慮しないシステムは、3年前の共同通信、朝日新聞全落ち事件のように何か不具合が起きたら全社的にダウンすることになる。
このブログの管理人さんは「私設営業」としてMacの普及に尽くしているそうだ。
ご苦労なことだ。
で、この「Macを使わない理由」というのは至る所で読む機会があるけど、確かに言われてみればステロタイプ化されたパターンがあるような気がする。
「(ogijunの)あとで書く日記」さんが言われるように、突き詰めて整理すれば確かに10くらいの数にまとめられそうだ。
で、この10の項目に納まってしまう程度の理由は、大した根拠ではないということになる。
そういうことを確かに日常漠然と考えるが、この「(ogijunの)あとで書く日記」さんのようにきちんと整理して考えたことがなかったので、これは面白いと思った。
今時のMacユーザはWindowsを触ったことがないなんて人はまず皆無だと思う。自宅ではMacを使っていても会社ではWindowsを普通に使っているに違いない。だから大抵のMacユーザはWindowsの使い勝手がどんなものかぐらいは見当がついている。
そこに「Macなんか使えない」なんて話を聞かされると「Windowsでできることは大抵はMacでもできるんだけどなぁ」なんてつぶやいてしまうわけだが、これがもう「釣られた」という状態であとは悪意の小石を敷き詰められた宗教論争が続くわけだ。
心したい話だ。
あともうひとつ「あとで書く」というのが最近のブロガーの間で、成句になっている。
要するに今は詳しく書く時間も余力もないが、押さえておきたいテーマがある時にそれを何も書かずに置くと結局忘れてしまうので、とりあえずテーマと書き出しだけ書いておいて
「詳しいことはあとで書く」
としておくと、あとで読み返して自分がなにを書きたかったか思い出すことがあってテーマを逃さないということだろう。
これは良い考え方だ。
私の場合も毎日いろんなことに思考が拡散しているのだが、そのことについてまとまったら書くとか言っていたら大部分は忘れてしまうのだ。
しかし中には重要なテーマもないではない。だから「今は詳しく書かないけど、こういうことについて考えていることがあるのであとで書く」という見出しは確かに必要かもしれない。
ビジタから見たらストレスがたまるかもしれないけど。
「(ogijunの)あとで書く日記」さんはなんとそれを日記のタイトルにしてしまったわけだが、面白いと思う。頭がいい人なんじゃないだろうか。感心したので私もちょっと取り入れさせてもらおう。
2007年3月20日
|
|