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PowerPointは学習効率が落ちる?
/PowerPoint, powerful tool for nuts

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その成り立ちを知ればそのプレゼンがどうしてつまらないかが理解できる


「PowerPointは学習効率が落ちる」という話は当然とも言えるし、ケースバイケースとも言える

スラッシュドット ジャパンのPowerPointは教育に良くないという記事(タレ込み)を見つけた。
何を今更な話をしているのかと思ったら、パワーポイントに限らず同じ情報を視覚で見せるのと聴覚で聞かせるのを両方やると、片方だけよりも学習効率は上がるどころか下がるという話だった。

それはそうかもしれないけど、パワーポイントの問題点はそういうことでもないし、学習効果が上がるか下がるかはやはりパワポのスクリーンの内容と話の内容の連携性により大きく変わると思う。
学習効果が上がるか下がるかは、スクリーンと話の内容に有機的な連携があるかどうかがもっとも重要な問題であって、スクリーンがあるから学習効果が落ちるというものではない。
ただひとつだけはっきりと言えるのは
「文字ばっかりの箇条書きのプレゼン資料を順番に見せていき、それを読み上げているだけのプレゼンは学習効果が非常に低い」
ということだ。
これはクダクダ説明しなくても多くの人が、そういうプレゼンを生あくびをかみ殺しながら見ることを強制されたという経験をしたことがあると思う。

問題はパワポを使っていようといまいと、話が面白い人と面白くない人がいるということなのだ。
学校の授業はしょうがない。
必ずしも話が面白い人が先生になるとは限らないので、話が面白くない先生に当たってしまったら「運が悪かった」と割り切ってその授業時間はどう有効に使うかを考えた方が良い。
問題はパワポのおかげで話が面白くない人も平気でプレゼンをするようになったということだ。

私は仕事柄講演などをビデオ収録してそれをまとめて番組化するという仕事も随分経験したのだが、2000年あたりを境にしてこの手の仕事はとてもやりづらくなってしまった。
それは講演者でパワーポイントを使いたいという人が、この頃を境に激増したからだ。

そうするとパワポを見せるために室内の照明を落とさなくてはならない。そうすると後援者の顔が暗くなってビデオカメラでは映らなくなってしまう。そうすると顔が映せないので延々とパワポの画面を映さないといけなくなる。そうするとパワポのプレゼンの出来で番組の出来が左右されてしまう。
というとても悪い循環が起きる。また顔を無理に映そうとすると照明が難しくなるという技術的な問題がある。
しかし何よりもよくないのは
「パワポがあると話し手がパワポに頼ってしまう」
ということが起きる。
つまり冒頭に書いた、文字ばっかりのプレゼン画面を書いて、それを読み上げているだけという最悪のプレゼンになってしまう。
話がどんなに下手でも台詞も覚えなくても、カンペ代わりのスクリーンを見ながらしゃべれば、とにかく時間は埋まる。だからどんなに話が下手な人でも一丁前な講演ができてしまったような気分になれる。
しかしそれは「気分になれる」だけであって一丁前な講演をしたということとは違うのだが、そういうことで自信をつけてしまったパワポオヤジがやたら増えてしまい、講演の番組化という仕事は急速につまらなくなってきている。

これも「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則よろしく、世の中に「退屈な話し手」があふれかえってしまい、良質な話し手は埋没することになってしまった。そうすると「どうせパワポを使った話なんてどれもこれもこんなレベル」ということになってしまい、話し手の選定は単純に肩書きだけで行われるようになり、ますます良質の話し手が埋没する・・・という悪循環が明確に起こっている。
それもこれも全てパワポのせいだとは言わないが、しかしたまに話が非常に面白いスピーカーに当たると決まって彼らは
「私はパワーポイントは使いませんのでスクリーンの準備も必要ありませんよ」
なんていう人だったりするので、この相関性は実は想像以上に高いと思う。

私が知っている範囲ではビジュアルなスクリーンを拒絶したのは竹中平蔵とか、堺屋太一とか元吉本興業の木村政雄とかやはり、一流のスピーカーはパワポなんか使わない。それぞれの思想の内容に共鳴できるかどうかは別問題だが、これらの人達が「聴衆を飽きさせないで、しかも高度な内容を分かりやすく話す」ことができる一流のスピーカーであることだけは間違いない。

それではなぜパワポはこのように劣悪な話し手を拡大再生産するのかというと、その理由はやはりこの付属のテンプレートのできの悪さが最大の原因なのだと思う。
パワポを使ってどんなプレゼンを作るかということなのだが、カンペ代わりにしゃべりたいことを箇条書きに書いているだけというどうしようもない人は置いておくとしても、それ以外のアメリカ風のプレゼンに慣れた人でも大抵の人はPowerPoint 絶対主義というこちらのサイトの寓話にでてくるようなプレゼンを作っているに違いない。


『ある日。
国防関係のコンサルタントをしながら二児の母親でもある女性が、自分の 2人の娘が、最近どうも言うことを聞かないような気がしていた。部屋を片付けなさいとか、家事を手伝いなさいとかいっても耳を貸さないようなのだ。そこで、ある朝、彼女はコンピュータの前に座り、Microsoft 社の PowerPoint を開いてこう入力した。

家族の問題
Wyndham家をよりよくするためのアプローチ

新しいページには、こう書き入れた。

●整理整頓を怠ると、他の家族全員が混乱しイライラする
●無秩序は学業にも社会生活にも悪影響を及ぼす
●無秩序は家族全員の効率を下げる』



この話は大変うなづけるものがある。
企業で用意されるパワポのプレゼンは大概こういう「アプローチ」のものだ。
そして、このパワポのプレゼンは聞き手に大変なプレッシャーを感じさせる。
だから人を動かすのにこういう種類のプレゼンが使われるのだ。
この女性の家庭でも以下のような結果になった。


『あっという間に大きな書体の 18 ページができあがった。自転車に乗って幸せそうな一般的家庭のカラー写真、それに、最後のページにはカギの絵 -- 成功へのカギの絵までが入っている。ブリーフィングはただの一度だけ、去年の秋に行った。子供たちには、この体験がそうとうショックだったのだろう。「またあれを見せますよ」というだけで、Wyndham 家の娘のひとりは泣き出してしまうほどだ。』

そしてこういう種類のプレゼンは聞き手にプレッシャーを強いる割には実は大した内容を含んでいないという印象をどうしても受けてしまう。
それでも日本の経営者や経営幹部はみんなこういうプレゼンを作る。そして作ることに多くの時間を割き、そのことに満足してしまう。
これは時価会計のキャッシュフロー経営と同じことでアメリカ流ビジネスの非常に悪い部分の輸入に他ならない。

勿論パワーポイントだってただのソフトなのだから、ソフトウエアは使いようによって毒にも薬にもなるということだけであって、ソフトそのものが腐食の原因になっているわけではない。
だけども付属のテンプレートのできの悪さと「パワーポイントのプレゼンはこういう風にするものだ」という思い込みでこのソフトは非常に有害なソフトになっていると思う。
実際ある大学ではゼミなどの発表にパワーポイントを使うことを禁じている。
なぜなら皆同じテンプレートを使って紋切り型の発表になってしまうからだ。

このアプリの問題点はここのところだと思う。
以下この記事にたくさん入っていた突っ込みの内、面白いと思ったものを抜粋して突っ込みの突っ込みを入れてみる。





『意思決定の支援に使うものですよ。
道具の使い方が間違ってる。』

『全く賛成。タレコミにある音読云々の指摘も変。
#入り口を一箇所にした方がいいのと出口を一箇所にするのは別でしょうに』



世の中にはどうしてこういう知ったかをもっともらしく書く人がいるんだろうかね。
まず現実的にパワポを意思決定ソフトとして使っている人なんて世界に何十人しかいないんじゃないだろうか。
それにパワポは元々の名前は「Presenter」という。つまり元々プレゼン用のアプリとして開発されたのだ。だから使い方は全く間違っていない。というよりも意思決定に使う方がはるかに間違っている。

先に引用したPowerPoint 絶対主義というページにはこういう記述もある。
『元 Microsoft の開発者は、こう回想して笑った。「『ボタン一発、プレゼンテーション一丁あがり』って具合にね」。その考えを、彼は「馬鹿げている」と思ったそうだ。もちろん、この呼び方もジョークに過ぎなかった。だが、Microsoft はこのアイデアを採用し、名前までそのまま使った。これほどターゲット顧客層をコケにした名前をもつ製品も珍しい。』
要するにそういうソフトだということだ。




『先生が黒板に書く内容を自分でノートに書き止めることで理解し、記憶に留めるのに役立ってました。
スライドやOHPの授業だと、ノートに書き留められる以上のスピードで進んでしまうからそれが無理になり、ノートも取れなかった。子供ながらに、そういう授業をする先生は怠慢だなあと思っていました。



そうなんですよ。
結局オーディエンスが全く受け身になってしまうことも問題で、ほとんどテレビ状態になってしまうということが言えると思う。
例えば昨日見たテレビの内容を全部すらすら言えるだろうか。ほとんど何も覚えていないと思う。




『あと、読めない様な情報量を小さい文字で一気に表示してケムに巻くとかされると、脊椎反射的にカチンときてしまうなぁ。
タラタラとプレゼンの内容を読み上げるだけで、どこを強調しているのかぼんやり聞いていると分からないのも、やっぱり同様。』



結局文字ばっかりパワポをカンペ代わりに使われると、その文字を追うことに気をとられて話の内容に注意がいかなくなって、結局文字もどこの話をしているのか分からなくなって、それで集中力が途切れてしまうんだよね。




『スクリーンしか使わない会議は中身が残らないことが多い。
ちゃんと事前に資料を準備した上で、紙に出して配布するってのが
時代に逆行するとか言われても最も有用だと思う。』



スクリーンで話をする人は話の中身が無い人が多いというのは上記の通り。だから中身が無いというのは当然。じゃぁ、紙の資料を配布すれば良いかというとそれも違う気がする。でもスクリーンのみよりはマシかもしれない。後に残るので作る方も真剣に作るだろうから。




『わかった気にさせることと本当にわからせることは
全然、違うことだよな。』

『スライドショーとは、短時間で偉い人をわかった気にさせ、
自分が本来の業務に戻れるようにするために使うものです。

偉い人に「ホントはよくわからん」と気づかれたら負けなのです。』



このご意見コメント欄の中で、もっとも感銘を受けたのがこれ。
これは鋭い。
要するにパワポは偉いさんをケムに巻くためのソフト。わからせるためではなく、わかった気にさせるためのソフトだということだ。いや、これは言い得て妙。こういう意図でパワポを使っているんだったら、もう何も申し上げることはありません。「どんどんおやりなさい」としか言いようがない。
しかしこんなものでケムに巻かれている偉いさんというのもどうなんだろうか。
そんな会社に勤めてて将来に不安を感じませんか?( ̄ー ̄|||)




『スクリーンで見せるためのプレゼンと印刷するプレゼンは違いますし、画面サイズによっても「良いプレゼン」の性質は違うでしょう。たまに「印刷用のプレゼン」をそのままスクリーンに使う人がいて、追いかけていくのがものすごく大変だった記憶があります。』


『十数年前に、社内でプレゼンテーションにLotus Freelanceを利用するのが大流行した。そのうち内容よりもビジュアルに凝る方が目的になってしまい全面禁止となった。

同じことは、PowerPointの天下になっても繰り返されている。』


『Steve Jobs はなぜ説得力があるのか [weblogs.jp]
> Jobs はプレゼンテーションの映像をことばを多用することで混乱させたりはしない。
> 彼が頭上のスライドで用いたことばは、これまで他のスライドで使ったものと似たようなものだ。
> スライドの文言は、「2.0B」(これまでの iTunes の販売曲数)とか「Ads」(コマーシャル)
> といったハッキリしたものだ。読むことに注意を向けなくても済むので、聴衆は Jobs のことばに耳を傾け、
> Jobs が語ることばがよりインパクトを持つ。』



この3つは同じことだっと思うので、三個一で突っ込むと、結局プレゼンのためにビジュアルを使うという場合の目的を根本的に間違っている人が多いということだ。
例えばジョブズはプレゼンには基本的に写真やイラストしか使わない。文字を使う場合でも「ワンワード」だけだ。
ワンセンテンスの文章を書くなんてことは絶対にしない。ましてやしゃべることを一から順番に箇条書きにするなんていう愚は「一番やってはいけない」ことなのだ。

例えばweb2.0なんて話をする時にその特徴を箇条書きにしているのは下の下で、画面中央に
「web2.0」
とだけ書いたシンプルな文字だけをレイアウトすれば、「何の話をしているのか」が明確になる。
それか文字を書くのを止めて、概念図でネットとの相関作用をビジュアルな図にしてしまえばもっと良い。
あるいはイメージ写真を使えば良い。
そうすることで話自体に具体的なイメージが伴って聞き手は、その話について思い出す時にビジュアルなイメージとセットで思い出すことができる。

ところが世の中には本当に「ビジュアル」という言葉の意味が分かっていない、あるいはそのことに想像すら巡らすことができない人が多いのだ。
これは私が仕事をしていて日常的に感じていることだ。ビジュアルの有効利用ということを本当に理解している人は100人に一人とか、1000人に一人というオーダーしかいない。
ここを読んで「自分は違う」と思っているあなた、あなたのことを言っているんですよ。




『#何故かウチの部署はプレゼンフォイルにドキュメントの機能を期待される…。細かい説明まで書けと。
#仕方がないので、プレゼンのときはアニメーション機能でそれら説明文は隠してる。』



これもワロタ
ビジュアルを理解できないというのはこういうことだ。
記録用の紙の書類と、プレゼンの違いを全く理解できない。
こういう人達のためにパワポの片隅に「担当印、係長印、部長印、本部長印」という欄を作っておいてあげると親切だ。




2007年4月10日













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青木さやか