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質問に質問で返すのは問題点を的確に把握していないと感じるからなのだが、場合によっては悪意ととったりはぐらかしととる人が多いことに驚かされたという経験
/Do you think you said enough?

それはSEだけではない


SEって、質問に質問で返すよね?/Tech総研というエントリを発見。

以前ここにコンピュータに詳しい(と自認する)人と詳しくない(と自認する)人との間には、まるで異人種のようなコミュニケーションの断絶があるということを書いた。
こちらもそのケースとちょっと似ている。
よくわかるというかこういう光景にもこれまで何度も遭遇してきている。

最近では滅多にやらないが、昔はあちこちのトラシュー系のBBSサイトにほとんど常駐して、トラシューの質問に答えたりしていた。
暇だったからというわけでもないのだが、トラブル解決のために質問に答えて実際にトラブル解決につながれば、自分の知識というかスキルが確かになってきていることを確認できるという満足感から回答していた。
最初は私も初心者であったわけだが、今でも初心者ということでは変わらないかもしれないが、少しコツやMacの構造がわかってくると自分の理解がどれだけ的確か試したくなってくる。
それを試す一番手っ取り早い方法は、こういうトラブル解決のBBSで困っている人の質問に答えることだった。
うまく解決に結びつけば他人のMacながら単純にうれしいし、それで自分の知識が正しいことも確認できる。

そういう動機ではあるが、しかし答えを求めてくる方にもある程度の礼節は必要だということも感じていた。
「こういうことで困っているのだが、答えられる人がいるなら教えてくれ」
なんて横柄な質問をされると
「その答えを知っているがお前にだけは教えない」
なんて答えたりしていた。
私もちょっと意地が悪い。しかし人に尋ねごとをする時には、尋ねごとをするものの言い方というものがあると思っている。


ところがこのリンク先の記事のように「質問に質問で返さなくてはいけない」という場合が問題だ。
私自身も「人に質問された時に質問で返すのは無礼である」という教育を受けている。
だからそういうことは無いようにしたいとは心掛けているが、質問で返さざるを得ない時がどうしてもある。
例えば
「MacとWindowsをLANケーブルでつないでみましたが、つながりません。どうしたらいいでしょうか?」
なんて、あまりにも雑な質問をされると
「MacはOSは何なのか? WindowsはOSは何なのか?
それぞれのハードは何なのか? クロスケーブルを用意するというような予備知識はあるか?
共有の設定を開いたか?」
などとどうしても質問しないと話が進まない。

以前あるBBSでこういう回答をしたら
「OSのバージョンは何とかハードが何とかカンケーあるんですか? 質問に答えられないなら素直にわからないと書けばいいじゃないですか。なぜはぐらかすんですか。質問に質問で返すの失礼ですよ」
とキレた御仁がいた。
それに対して
「OSのバージョンもハードのバージョンも勿論関係ある。Macと一言でいってもOS9以前とOSX以降ではLANの接続の方法は全く違う。WindowsもMe以前とWin2000以降ではかなり違う。
もし本当に役に立つ答えをもらいたいと思うのなら、自分の環境やこれまで何を試したかを詳しく書け。我々はエスパーではないのでBBS越しの見えないあなたの環境がどうなっているかなんて知る由もない。そういうこともわからないで、雑な質問をしてきて失礼ダもクソもないではないか」
とやり込めてしまった。
私も相当意地が悪いのだが、しかしやはりどういう環境でどういう状態にあって何をトライしたかという状況を詳しく書いてくれないと答えようがない。
こういう質問者があとを絶たないことを「エスパー問題」と総称するのではないだろうか。
2ちゃんねるにはやけくそみたいな「エスパースレ」もたくさん立っている。
このディスコミュニケーションは、OSのバージョンや環境なんか何も書いていなくても全て透視できるエスパーが出現しない限り解決しない。

「Macが調子悪いんです。どうしたら良いでしょうか?」

という質問には「どう調子が悪いんですか?」と訊かざるを得ない。
そういう質問もしないで、いきなり当て推量で「fsckを実行しなさい」なんて答えるのは簡単だが、経験則からいえばそういう当て推量は問題解決にはまずつながらない。


私自身は別にSEでも何でもなく、ただの素人なわけだがでもこのリンク先の記事に書かれた「質問に質問で返す理由」というのはよくわかる。
実は今朝もそういうやり取りを奥さんとしてきたところだ。

自宅のMac miniに刺さっているワイヤレスマウスが動かないといって奥さんが苦情を言っている。
苦情を言いながら充電ケーブルを差して「それでも動かない」と苦情を言っている。
その時に「電池切れを示すランプは点灯していたか?」と聞き返すと奥さんはあからさまに不快な顔をした。
「質問はいいから、マウスを動くようにしてくれ」
という感情がアリアリと見えた。

しかし、
「充電ケーブルを差してもマウスが動かないということはバッテリ切れが原因ではないということの証であること、
それを確認するために、充電ケーブルを差す前に電池切れを表示するランプが点灯しているかどうか確認するべきだということ、
このマウスが動かないのは何らかの理由でマウス本体とレシーバー側の無線のチャンネルが食い違っているためであること、
電池切れでいきなりマウスが全く動かなくなることはないこと、
マウス本体にはニッケル水素バッテリが仕込まれているので、放電しきれないうちにやたら充電するとメモリ効果でバッテリの寿命が短くなってしまうということ」
を説明した。
したが、多分全く聞いていないだろうし、次回もまた「マウスが動かない」といっていきなり充電ケーブルをマウスに差し込むのだろう。

そして「能書きは良いから、マウスを動くようにしてくれ」と苦情をいうことになるに違いない。

これが多分ディスコミュニケーションの根源だ。
コンピュータという機械はオーブントースターとは違う。
汎用機であり複数のプロセスが常に用意されている機械であり、拡張が前提に設計されているコンピュータは、そうであるが故に常にチョットした不具合や動作不良が起きる。
その時にその問題を解決する考え方を知っていれば、案外素人でもトラシューはできる。
少なくとも私はそう思っているのだが、
「問題解決なんかどうだっていいから、問題が起きないようにしてくれ」
という考え方も当然あるだろう。
なぜならオーブントースターは問題を起こさないからだ。

オーブントースターが動かなくなった時に
「そのオーブントースターのバージョンは何か、また電源ケーブルは何を使って接続されているか」
なんて質問する奴もいないだろう。


トラシューBBSでキレた御仁も
「質問はいいから俺のMacを動くようにしてくれ」
ということだったのかもしれない。
「だから、動くようにするには原因を切り分けなくちゃいけない」
なんていう説明はおそらく彼には全く響かなかっただろう。


前々からこのディスコミュニケーションの問題は不思議だと思っていたのだが、ちょっと理由が見えた気がした。
要するにコンピュータをユーティリティマシーンと見るか、オーブントースターと同じ機械と見るかという違いだ。
だから
「コンピュータはオーブントースターと同じ従順な機械であれば良いし、そうあって欲しい」
と考えている御仁にはいくらトラシューの考え方を説明してもムダである。
トラシューをしようという気がないからだ。

しかし問題は本当にトラブルを解決したいと思っている人の場合だ。
上記のように
「最近Macが調子が悪いのですが、どうしたらいいですか?」
という質問に対して、いきなり「fsckをしなさい」とか「prebindingをupdateしなさい」とか答えるのも、一見話が手っ取り早くて親切そうに見えるが、実は
「下らねえ質問するなバカヤロー」
と答えるのと同じくらい不親切な回答なのだ。

その回答者には質問者のMacの不調の原因がファイルシステムの問題だとどうしてわかったのだろうか?、prebindingが壊れてきているせいだとなぜわかったのだろうか?
そんなことこの質問からだけではわかるはずないのに、
「一般的にはこういう方法で調子良くなることが多い」
なんていう当て推量でかえってお互いの時間を浪費して、結局問題解決に至らないというケースを非常によく見かけた。
こういうのを「エスパースレ」と総称するらしい。


これも繰り返しになるが、長年トラシューをやってきてトラシューサイトを主宰している私の究極の極意というかそんな大層なことではないのだが、これまでの経験則で言えばトラブル解決の第一原則は、まず原因の切り分けが絶対に必要になるということなのだ。
原因もわからずに知っていることや思いついたことをやたら盲滅法試していると、時間の浪費になるだけでなく時には何もしない時よりももっとひどい状態に陥ってしまうこともある。

当て推量が一番よくないのだ。

だから自分のマシンのトラブルの時には、まず原因の切り分けのためにいろいろテストをする。
それと同じことで、他人のマシンのトラブルの相談をされた時にはまずOSやハードのバージョンを聞き、環境についても質問するし、問題解決のために何を試したかということも質問する。
私はそれが必要だと感じているからだ。

それが、その必要性を共有できる感覚を持った人が質問者の場合は、快いステップを登ることができるのだが、そういうことに無関心な人には
「質問に質問で切り返す無礼な奴」
というふうにしか見えないのかもしれない。

これはトラシューのアドバイスについてだけではない。
最近私は何か議論を吹っかけられた時にも慎重になって来ているので、
「あなたの言わんとしていることはこういうことか?」
とか
「◯◯については知っているのか? 知った上であえてそういう問いかけをするのか?」
など質問で切り返すようになってきている。
別に相手を愚弄するつもりではない。
言葉の意味や意図がすれ違ったまま不毛な議論をするくらいなら、最初の段階でお互いの意図を確認した方が良いと思っているからだ。
それだけの意図なのだが、これも「指摘に対して質問で切り返す慇懃無礼な対応」と見る人が多いようだ。
いたしかたない。人生に残された時間は限られているのだ。その限られた時間をエスパーレスやエスパー議論で浪費するのはもったいない。そういうことはそういうことがしたい人にやってもらえばいいので、私がやることではない。

だから最近は私は嫌われても、質問を繰り返すことにしている。
これは別にSEだけの問題ではないのだ。




2007年5月3日













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