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ニュースの表層は地雷原のように誤報、誤爆が散在している(2)
/Mine field of errant and error

情報リテラシイの弱さから論点がどんどんずれていく?


昨日の誤報と誤爆についてもう少し続ける。
メディアの誤報や受取手のブロガーなどの誤爆がなぜ起きるかについてだ。

NHKが強力に推進している「ワーキングプア」キャンペーンが、以前ここに書いた「ユダヤ排斥」を訴えたヒットラーのスローガンとまるまるかぶってとても痛い。
現在は格差社会である・・・だから格差の下方にはじき出された人は、定職を持っていながら厳しい生活を余儀なくされ貧困に喘いでいる・・・だからこの格差社会をなんとかしなくてはいけない・・・そして貧困に喘ぐ人々の苦悩を描き出す・・・
典型的なセンセーショナリズム報道で実に香ばしい。
香ばしいが、ウチの奥さんなどはこの特集を見てすっかり共感してしまい、
「いくら節約しても生活は苦しい、子供にお金がかかる、二人進学させれば生活はかつかつだし、もし3人子供がいたら破産するだろう。ワーキングプアは現実の問題だよね」
なんて言っている。

ちょっと待ってくれ、ワーキングプアっていうのは定職に就いていても生活保護を受けなくてはいけないような貧困をいうので、家族4人が曲がりなりにも飯が喰えてるウチなんかがワーキングプアなんて言ったらバチが当たるんじゃないの?
そういう人はどう考えても今の社会の大多数ではないはずだ。
それとも日本はかつてのメキシコやアルゼンチンのようなデフォルトを引き起こすような貧困状態なのだろうか?


このように社会がどんなに豊かになろうが、社会を構成する大部分の人は自分は貧しいと認識している。
イヤむしろ、コンドラチェフサイクルが上昇線を描いている社会の方が、庶民の貧困感が強いと思う。
なぜなら
「世の中には六本木ヒルズのようなレジデンスに住み、連休ごとに海外に旅行に行くような富裕層もいるのに、自分たちの生活はいっこうに楽になったという実感がない」
と大部分の人が感じるからだ。
だからこういう時代には「格差社会」なんていうスローガンが実に簡単に人々の心に染み渡る。

最近聞いた面白い話でコンドラチェフサイクル(技術革新による長期循環)と戦争を比較するという猪口邦子さん(衆議院議員、自由民主党幹事長補佐)の話があった。
コンドラチェフサイクルは旧来技術産物の老朽化、陳腐化と技術革新に伴い50年程度の長期サイクルで循環を繰り返す景気の波動だ。
一般的に言ってなんとなくこのサイクルがボトムのとき、つまり景気が悪い時に貧困が原因で戦争が起きるような気がする。
ところが実際には過去の年表とこのサイクルを重ね合わせてみると見事にこのサイクルがピークアウトしようという時が最も戦争は集中する。
これは格差の実感が飽和点に来るからだと理解できなくもない。
なぜならナチスのヨーロッパ征服戦争は、レンテンマルクの登場の時に起きたのではなく、ドイツの経済が復興してアウトバーンを建設できるような国力を回復した時に起きたのだ。
「儲けているのはユダヤ人だ、ドイツ人はいまだに貧困に喘いでいる」
というヒットラーのスローガンが染み渡ったのはそういう時代だったからだ。
そして景気が回復してこの空想的な飢餓感が絶頂期に達した時にナチスを震源地とするヨーロッパ戦争は始まった。


今も似たようなサイクルに位置しているんじゃないかと思うことがある。
そういう時に野党(与党公明党もだが)は「格差社会の是正」を党のマニュフェストにすえて参院選を戦うという。
国営放送もそれを支援するように「格差社会による貧困」を大キャンペーンで報道する。
勿論民放各局も国営放送の尻馬に乗って、貧困社会の実態を暴くセンセーショナリズムな報道に走る。

日テレで「ネットカフェ難民」なる新語が報道され、これが国会審議の質疑でも取り上げられた。

愛・蔵太の少し調べて書く日記 - ネットカフェ難民なんてただの報道の演出ですというこちらではその「ネットカフェ難民」が実在するかという検証をしておられる。 これだけでは何ともいえないが、このネットカフェ難民は納豆ダイエットと同じようなものではないかという気はしてくる。

こちらのかな◆KANAtaylfcのBlog 仕込みじゃないの?TVに出てくるネカフェ難民というサイトも同じようにネットカフェ難民を取材したテレビの取材姿勢を検証しておられるのが興味深い。

でも何よりもこちらの記事で一番興味深かったのは、「ネットカフェ難民」の取材でネットで取材対象を募集をかけるのはいかがなものかという投げかけに対して、コメント欄で複数の人が
「ネットの難民を捜すのだからネットを使うのは普通。どこがおかしいの?」
という反応をしていることだった。

こういう発想をする人は今じゃ非常に多いと思う。

まずこの考え方が根本的に間違っているのは、取材はネットで簡単に検索したり、募集したりするものではなく足で稼ぐものだという大前提を知らないということだ。
ネットカフェの難民を調べる時でも、ネットで済ますのではなくそれは足で取材しないといけない。
なぜかというと、そうでないと必ず現状を見誤るからだ。

問題は「ネットで難民があふれているというのが非常に大きなムーブメントになっているかどうか」ということのはずだ。
ところがネットで募集をかければ100人やそこらは応募が来るかもしれない。
100人も応募がくればテレビ番組を作る上ではもうよりどりみどりだ。

しかしそれはネットの上でも多数派といえるのだろうか?

1億3千万人のうちの100人だ。
これが格差社会を決定づける重大な社会問題だなんて言い切っちゃっていいのだろうか?
実際にネットカフェを歩き回ってあちこちで大勢の「ネットカフェ難民」に遇ったというのなら、これは社会問題だといえるだろう。
しかしネットで簡単に百人集めちゃって、それが日本に存在する全てかもしれないのにどうやってそれが社会の深刻な問題だと位置づけるのだろうか。


ところが最近の若いディレクターやADさんは本当に何でもネットでちょろっと検索してそれで済ましてしまう。

ネットというのは最先端の部分の情報をつかむには便利な媒体だと思う。
しかし今の社会は貧困かとか、大多数の現状を把握するにはこれほど不適切な媒体もない。
その理由は2ちゃんねるや炎上中のブログを見れば一目瞭然だ。
炎上中のブログには数百件の非難コメントが一晩でつく。
だから数百人が敵対しているように見える。
ネットではそういうふうに見えてしまうのだが、実際には1000万世帯のネットユーザ全てを敵に回しているわけではなく、時にはそういう集中砲火的な書き込みをしているのは十人あまりだったりすることもありえる。

それでも集中的に頻度高く書き込めばそれが多数派の意見になってしまう。
だから2ちゃんねるやブログのコメントでわかることは、そのトピックスの注目度だけで好感度や嫌悪されている度合いなどのベクトルを伴うような価値判断は一切できない。
これはネットというメディアから情報を採る上では是非知っておかなくてはいけないその特性だと思う。

ネットで百人ネットカフェに寝泊まりしている奴が引っかかったからって、
「日本はネットカフェ難民があふれかえるほど貧富の格差が広がっているのだ」
なんていう結論付けをすることがいかに愚劣かということだ。

先日日経のトップの特集記事で
『考えたつもり「コピペ思考」』
という記事があった。
要するに今は何でもネットからコピペして、大学の修士論文だって書けてしまう時代になった。そして自分で考えたような気分になれるという話だった。
そうしているうちにネットに思考力を預けっぱなしになって、誤謬を含んだ情報もそのままコピペして自分の思想にしてしまう。

段々検証を忘れていくし、大体数年前なら新聞も読まないようなテレビしか情報源がない、情報リテラシィがどちらかというと低い弱者が大量にネットに流れ込んできて、これが「ネットの世論」を形成している。

そして
「ネットで検索して情報を集めて、何か問題でもあるのか?」
なんてつるっとしているのだ。




2007年5月24日













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青木さやか