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教祖誕生

原作 ビートたけし
監督 天間敏広

日本映画というのは本当に豊穣な世界だなと実感できるのがこういう映画に出会った時だ。 この映画は本当にいろいろな示唆に富んでいる。

原作のビートたけしがイカガワシイ新興宗教を育て上げて、それを食いものにしている男を「怪演」している。

町にはいろんな宗教が、満ちあふれている。
勿論キリスト教や浄土真宗のような大宗教もあるが、それよりもはるかに沢山念仏教、まじない教、金を集めて信者を集める教、神通力によって病気を治す教...いかがわしいのやら、猥雑なのやら一杯ある。
しかし宗教ってそもそも何なんだろうという根源的疑問に当たると、この大宗教といかがわしいのとの差は程度の差だけで、明確な境界線などないことに気がつく。

ビートたけしが描いているのはどちらかというとこの町の猥雑な宗教の方だろうし、子供の頃から身近にそういう宗教を見てきているからそういう宗教を唱えてる人物がどういう人物なのかも「先刻お見通し」ということなのだろう。


しかし物語が進むに連れてこのインチキ宗教は本物の宗教になっていく。
ここにものすごい転換点があるのだが、「大宗教といっているキリスト教やムスリム、仏教だって最初はこんなもんだったんじゃないの?」という問いかけがあるように思えてしまう。

オウム真理教等がハジケル前の映画だったかどうか記憶が定かでないのだが、そういうヤバい団体が沢山あるにも拘らずこういう世界を描き出した勇気にも喝采したい。
宗教ってこじれると本当にヤバい話になるから、まさに「触らぬ神に祟りなし」という処世は正しいと思うのだが。














クロスファイア

キャスト 矢田亜希子
監督 金子修介

このおねえさんってよく見たら「よ〜く考えよ〜 お金は大事だよ〜」のおねえさんですよね。
映画は大映の新ガメラシリーズの監督の金子修介が脚本監督を担当しているので、ガメラとは全々テーストが違う映画のはずだけど、なんだか良く似ています。
例えば音楽の使い方とか。

矢田亜希子が火を吐くシーンもほとんどガメラだ。

金子修介という人は、自衛隊とか警察機構とかそういうところのリアリティにすごくこだわる人で、ガメラ2では「実際に巨大生物が日本の領土を徘徊しはじめた時の自衛隊出動を許容する憲法解釈は?」というところまで踏み込んで描いていたのが話題になった。
ゴジラ以来怪獣映画に出てくる自衛隊はいきなり出てきて、登場するなりやたら市街地でミサイルや大砲をぶっ放していたが、金子修介は「実際はそんなことができるはずがない」という疑問を表現したということだろう。

それでガメラ2では「日本国の領土が攻撃を受け、また他にとるべき手段が見当たらないと判断したので自衛隊に出動を命じた」という説明がちゃんとついてくる。
その自衛隊も市街地からできるだけ怪獣を遠ざけて射撃する。

また作戦指令官が「状況終了」と宣言するラストシーンも良く調べていて、自衛官はこういう用語を使うそうだ。

このクロスファイアでも随所にそういうディテールが描かれていて、
被疑者の未成年が「弁護士はどこだ?」と開きなおるのに対して
「弁護士は取り調べに同席できないの。アメリカ映画とは違うのよ。」
と桃井かおりがやんわりというのもリアリティだと思う。

所轄の刑事が拳銃を持ち出したのを見て桃井が「懲戒になるわよ」といってみたり、
矢田亜希子を包囲する警官隊に狙撃班を配置するという命令を聞いて
「そんなことできるんですか?」
と食って掛かってみたり、桃井かおりの周辺の警察の描き方にそういうリアリティを感じる。

実際遊園地で火を吐きまくっているガメラみたいなお姐さんが現れたとしても、狙撃隊が出動するのは、そのガメラ姉さんが人質を取っていて人質に重大な生命の危険が予想されるとかそういう場合だけだろう。

ガメラ姉さんの吐く火炎で街がぶっ壊れて多くの死傷者が出ているということなら、管轄は警察ではなくやはり自衛隊になりそうだし。













大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

監督 湯浅憲明

ガメラつながりで昔のガメラの話など。
昔の怪獣映画なんか見ていると当時と今では視点が180度違っていることに驚かされるという話だ。

大映という映画会社は怪獣映画でヒットを飛ばしたライバル社に遅れをとって、このガメラシリーズで追いつけ追い越せ状態だったわけだが、常にライバル会社の動向を忠実に追っかけていた。

ゴジラの第一作はビキニショックをきっかけにしたストーリーでスタートしている。
(ビキニ環礁の水爆実験の威力に世界中が驚愕したという事件で人類の終焉を感じさせる出来事だったのだが、この衝撃的事件の地名をとってビキニ水着も販売され、これもヒットになる。
衝撃的な水着という意味だがこの時代の軽薄さが現れたネーミングだと思う。しかし水着のビキニという名称は今日まで残っている。)
しかし最初は恐怖映画としてスタートしたゴジラは子供のアイドルになり、ゴジラもおそ松君のように「シェー」までするようになった。

ガメラも忠実にその軌跡を追って恐怖映画からスタートしたものの子供のアイドルとなっていく。
この映画はガメラが子供を主役にすえた最初だと思う。

しかしその子供の仕切り方がすごい。

自衛隊の野戦司令部でこのギャオスを発見した子供が
「あの怪獣はギャオギャオと鳴くからギャオスというんだよ。」
と叫ぶとやおらうなずいた自衛隊の司令官が
「これよりギャオスを攻撃する。」
と命じる。

なんとも自衛隊の面目躍如たるシーンではないか。
発見者の権利は例え生意気な小太りのガキだろうが尊重するという、民主国家の専守防衛の戦力にふさわしいおおらかさだ。
たいていのことには驚かない私もこのシーンには思わず「ぎゃおっ」と叫んでのけぞってしまった。

当時これを見ていた子供たちも納得してみていたんだろうか?

この時代から30年後、ちょうど当時こういう映画を見ていたと思われる金子修介がガメラシリーズをリメイクするにあたって、徹底的に自衛隊や警察を組織論にまで踏み込んでリアルに描いてみせたのは、どうもその反動のような気がする。
金子修介に代表される当時の子供も皆「ぎゃおっ」と叫んでのけぞってしまったのではないだろうか?

またこの物語は富士山のすそ野の寒村での道路工事の賛否から人々が対立するというストーリーが絡められている。
道路工事を妨害するギャオスは、今ならさながら環境保護のメッセージを伝える良い怪獣で、それを退治するガメラは悪い怪獣ということになる。

しかし当時は高度成長時代のまっただ中だ。

道路工事で変な金儲けするのは悪いやつだが、道路を造ることは正しいことであり建設は正義という時代だ。
結局最後はギャオスが死んで
「これで安心して道路工事に取りかかれますね」
というエンディングだ。
今だったら「道路公団がしゃしゃり出てくるからこういう天変地異が起きるんだ」という八つ当たりみたいな理屈で道路建設は頓挫するに違いないし、映画のストーリーはそういう方向に持っていかないと終わることができないだろう。

この30年間で、価値観が180度変わってしまったということだ。

しかしそういうお為ごかしの映画ばかり見せられている今の子供たちが、30年後にどんな映画を作りはじめるのかが見物だと思う。
「20世紀の大人たちは口先だけの正義で世の中を停滞させ、希望を奪ってきた。なぜ前向きに建設の努力をしないのか、なぜ幻影のような『地球に優しい』なんて言葉を繰り返すのか愚かな大人たち」
というようなテーマの映画が続々できはじめるのかもしれない。

30年前、子供だまし映画を平気で作っていた大人の程度の低さを当時の子供たちは心のなかできっちり笑っていたように、今の子供たちは今の大人たちの建前主義を笑っているのかもしれない。

そういうことを考えさせられる、とってもキッチュなというかサブカルな映画なので、ぜひ一度観ることをお勧めする。

















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青木さやか