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ダ・ヴィンチ・コード



監督 ロン・ハワード
キャスト トム・ハンクス, オドレイ・トトゥ, ジャン・レノ

企画が悪い

人類の歴史に隠された重大な欺瞞を解き明かす謎のコードが、ダヴィンチの絵画に埋め込まれている・・・なんていう大層なコピーに釣られてちょっと期待して見たが正直これは久しぶりの落胆ものの映画だった。
西洋人の限界ってこんなものか?
キリストに子供がいたら、西洋社会が崩壊するような重大危機なのだろうか?

ここいら西洋人でもなくキリスト教徒でもない私にはさっぱり理解できないところだ。
というか正直なところヨーロッパ人だって今では心象的には無神論者が多いように思う。
生活習慣だから教会にはいくが、心底神を信じているということでもないような気がする。
むしろボスニアヘルツェゴビナで明らかになったけど、宗教は敵味方を識別する符号でしかなく、憎悪を掻き立てる記号でしかない。

こんな無邪気な映画が受けるのは多分アメリカだけだと思う。
実際アメリカ以外の多くの国で上映禁止、もしくは上映制限がかかっている。
アメリカはピューリタニズムがまだ色濃く残っているからこういうのもセンセーショナルに見えるのだろうと思うが、アメリカ以外の国では退嬰的にしか見えないんだろうと思う。
ましてやアジア人で、仏教徒の私からみれば、
「キリストに子孫がいた! 大変だ!」
とか言われても
「なんで?」
としか思わない。
だって
「お釈迦様に子孫がいた!」
と言われても
「いるかもね。それが何か?」
としか思わないし。
もっと根源的な人間の存在を問いかける仏教の教典の感覚からいえば、
「そんなこと騒ぐような話か? ましてやパリの路上で自動小銃で撃ち合わなくてはいけないような話か?」
と思ってしまう。

ロン・ハワードは俗っぽい映画の作りをする人で、それが良いように出たら「アポロ13」のような娯楽作品になるけど、失敗するとこんな駄作になるという典型だ。














アイランド



監督 マイケル・ベイ
キャスト ユアン・マクレガー, スカーレット・ヨハンソン, ジャイモン・フンスー, ショーン・ビーン, スティーブ・ブシェミ

CGと爆発、カークラッシュアクションだけに頼った
安直な映画作りはもういい加減に汁


管理社会に生まれた「エコー5なんたら」は毎日食事から仕事から日課から完全に管理された社会に生まれ毎日単調な生活を送っている。
この社会では「優等生」は報償として「アイランド」にいくことができる。
「アイランド」に行った者で戻ったものは一人もいない・・・

ザミャーチンの「われら」、ジョージ・オーウェルの「1984」、フランソワ・トリフォーの「華氏451」、リチャード・フライシャーの「ソイレントグリーン」など過去にSF小説や映画で散々に描かれてきた「ディストピア」(反理想郷)の世界観だ。

このジャンルはそれこそSF作家や社会派の小説家、映画作家が散々取り組んできた世界だから、今さらまたそれをやるからには、観る者をあっと言わせるような工夫が当然必要だ。
ところがマイケル・ベイが用意したその「あっという工夫」は高速道路で飛行バイクが飛び回ってトラックや自動車を何十台もぶちこわしまくるクラッシュアクションとCGだけだった。

このディストピアを創ったのが「全体主義社会」ではなく「金儲け主義のバイオベンチャー企業」だったというところが現代的と言えば言えるが、それだけに余計に世界観が矮小に見えてしまった。

このマイケル・ベイという人は
彗星衝突という今そこにある危機を防ぐために宇宙でダイハードという「アルマゲドン」
とか
「真珠湾空襲」という歴史的な大事件を、ほとんど日本人をエイリアンに見立てた「真珠湾宇宙大戦争」に仕立て上げてしまった「パール・ハーバー」
とかの作品がある人だ。
この人は大きなテーマを矮小に見せることに関しては天才的な才能の持ち主だ。

別にこんな映画でも面白いと思う観客がいるから興行的に成り立つんだろうし、それは好き好きなのだが、それにしても脚本をおざなりにしてCG頼み、爆発頼み、カークラッシュ頼みで映画をでっち上げてしまうこの手法だけはもういい加減にしてほしい。

ハリウッドはもう行き詰まっているなということを感じさせる作品だった。
薦める人がいたから観たのだが、1500円のDVDでも絶対に高い、タダでも時間の無駄と久しぶりに思った腹立たしい映画。














デューン/砂の惑星



監督 デイヴィッド・リンチ 
キャスト カイル・マクラクラン, スティング, ショーン・ヤング

スティングはいい役者だと思うけど
それだけに頼っちゃった中途半端なファンタジー


この映画の予告を見た時にはスゴく期待を感じてしまった。
スタニスワフ・レムの「砂漠の惑星」を連想したからだが、実際にはレムではなくフランク・ハーバードの「デューン/砂の惑星」の映画化だった。
どちらも映画化不可能といわれた原作だが、後者はこの通り映画になった。

この映画は「名作」だと評価する人が多い。
監督は北野武と国際映画祭の賞を競うことが多いデビッド・リンチだということもあって固定ファンが多いのかもしれない。「エレファントマン」が好きだったと言うキッチュなファンが多い監督だ。

だけど、正直私は苦手だなぁ。
レムを原作にすればきちんとしたSF映画ができたと思うのだけど、これはSFというよりは、中世の王族の権力闘争を描いた時代劇の舞台を宇宙に置いただけだ。
宇宙に舞台を置けばどんな荒唐無稽でも許されるというものではない。
ルールのない格闘技は単なるケンカで、スポーツとは言わないのと同じことだ。

スペースオペラというジャンルの映画がある。
これはそれだというのなら、思いっきりそれに徹して能天気な爽快作品にしてしまえば良かったのだ。
例えば「スターウォーズ」のような子供でも楽しめる作品にしてしまえば「スペースファンタジー」という主張はよくわかる。
しかし、この作品は実際には子供が楽しめるわけでもなく、かといって大人の知的な好奇心を刺激してくれるわけでもなく、ただひたすら薄暗い画面で王位継承権争いが繰り広げられるのだ。
どういう楽しみ方をすればいいのだろうか。

この作品には芸術的な価値はあるだろうか?
いくつかのシーンで面白い描写はある。
通して観ていると、主人公に感情移入した観客が夢のシーンで前世の業のような本来的な不安に囚われるという雰囲気も持っている。
ここいらデビッド・リンチの身上なのだが、やっぱりそれだけでは楽しめない。

デビッド・リンチにはレムの原作でスペースファンタジーに再挑戦してもらいたい。
もっとも「砂漠の惑星」はリアルすぎてファンタジーにはならないか・・・













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