Previous Topへ Next

坂本龍馬のテッポを作ってみた
〜実は何気にエポックメイキングな銃だった

Model-Two

坂本龍馬のテッポを作ってみた〜実は何気にエポックメイキングな銃だった

(もう第何弾とかいうのは面倒になってきたので省略〜テッポ以外の話題も書くつもりだったのに実質テッポのページになってしまっているので意味もないし…)

さて「坂本龍馬の銃」である。

前々から気になっていたSMITH & WESSONのModel No.2 Armyのダミーカートモデルの組立キットを購入した。

ダミーカートモデルにこだわったのは極初期の全金属薬莢と貫通型シリンダーを採用したS&W最初のリボルバーだし、リボルバーのまさに原点、さらにいえば金属薬莢の連発銃の原点とも言えるテッポなのでそこらのメカの姿を正確に再現してるキットにしたかった。

組立キットにこだわった理由は…いうまでもなく予算削減である。





購入して最初にするのは仮組み
ABSモデルなので塗装をする予定だが塗装をする前に一度完全に組み上げて
動作を調整してからもう一度バラして塗装をする
塗装の食いつきに影響するグリスも塗らないので当然動きは渋いが
その状態でも一通りの機能が働くことを確認してから塗装しないと仕上げた後で
動作調整のためにガシガシ削らないといけなくなったら泣きだから
仮組した結果幾つか問題はあることがわかった




組立キットだから当然パーティングラインは有りまくりだしバリもバッチリ付いている
そういうのを綺麗に削って磨いて磨きまくった結果バックストックはピカピカになった
ハンマーなどの金属部品もパーティングライン、バリもバッチリあるがそれも削りまくり
磨きまくりで銀色になっているのに注目




このモデルの唯一の刻印はバレルの上にあった
ここにSMITH & WESSON SPRINGFIELD MASと打たれている
S&W創業の地のマサチューセッツ州スプリングフィールドを表す製造者刻印
バレルの上に刻印があるのがアンティークガンの雰囲気だ




バレルの上側は分割金型を使用して刻印も再現しエッジもシャープだが
下側はバッチリパーティングラインもバリも残っていてやはりABSモデルガン
という雰囲気だったのでここも削りまくり・磨きまくりでピカピカに仕上げた
フレーム下側も同じくバッチリパー…以下同文
バレル下に突き出ているエジェクターもバッチ…以下同文




SMITH & WESSONの最初期の中折れ式拳銃のモデルNo.1、No.2シリーズの特徴は
このヒンジが上側にあって下側が開くチップアップというかブレークオープンボトム式のメカ
シリンダーを抜き出して薬莢を取り出し新しいカートリッジに入れ替える
リロードのたびに銃を分解しないとけないのが時代を感じるがこれでも従来の
パーカッション式リボルバーと比べると連射速度は数倍から十数倍に速くなった




どこかでこの銃身下に突き出したエジェクターを近代のダブルアクションリボルバーと
同じように押すだけで薬莢が取り出せるような記述を見かけたがこれは間違い
この棒はシリンダーの前から突っ込んで発射ガス圧で割れて薬室に
張り付いてしまった薬莢を強制的に突つき出すための棒で自動排莢メカなんてない
全手動である
モデルガンであるためインサートがあってシリンダーの前から棒を突っ込めないので
写真はわかりやすいように後ろから棒を突っ込んで見せているが本当はこんな使い方はしない
わざわざこんな棒をつけたのは当時の金属薬莢はそれだけ信頼できなかったということらしい




SMITH & WESSONのシングルアクションメカのシンプルな構造
ハンマーにはハーフコックとフルコックの二つのノッチが切ってあって
トリガーが直接シアとして噛み合ってハンマーをコック位置に止める
そのハンマーにシリンダーハンドが板バネのテンションで前に押さえられて付いており
ハンマーをコックするたびにシリンダーを回転させて次弾を発射位置に持っていく
原始的だがこの最初期からすでにメインスプリングは板バネでハンマーの
スプリングリンクを引き上げるS&Wスタイルのメカになっている




No.1、No.2シリーズ独自のサイト兼シリンダーストップメカ
以前二十六年式のメカデザインを解説した時にあの銃は
独立したシリンダーストップを持っていないことに触れたが
このmodel2は二十六年式よりも古い銃なのに独立したシリンダーストップを持っている
ただし今日のトリガーに連動してロックを解除するメカではなく
コックするハンマーに持ち上げられてロックを解除する独自のメカになっている




当然コックするたびにハンマーに持ち上げられてシリンダーロックを
解除するということは撃つたびに落ちてくるハンマーが激突するわけで
このシリンダーストップメカがハンマーの打撃力を削がないように、
またメカそのものが破損しないようにパンタグラフみたいに
2ヶ所支点で上下に伸びたり戻ったりのメカになっている
組立キットのはまりポイントがまさにここにあったのだが
このシリンダーストップとその内側のガードスプリングがすぐに外れて
挟まりシリンダーストップがかからなくなるというトラブルが起こった
これを防ぐためにガードスプリングをシリンダーストップに瞬間接着剤で固定した


とてもシンプルな銃なのでメカ的な問題はあまりなかったのだが、こんなシンプルなテッポでもやはりただ部品を作り付けるだけではまともに動かない。

一つはシリンダーハンドの問題で、バリなどを綺麗に削り落さないとシリンダーハンドが動かないのでシリンダーが回転しない。

またキャプチャーの通りシリンダーストップと噛み合わせているシリンダーストップガイドスプリングが、ハンマーの打撃の衝撃ですぐに外れて、シリンダーストップのパンタグラフ構造の間に挟まって、シリンダーストップが降りてこなくなる。

そうするとシリンダーが正確な位置で止まらないし、その結果シリンダーハンドもシリンダーラチェットに噛み合わないのでやはりシリンダーが回転しない。

つまりそういうところの調整不足ですぐに不発が発生する。

実銃なら弾が出ないわけだから生死に関わる。

シリンダーストップメカはやはりトリガーに連動されるのが正解なのだが、それはこの次のNo3モデルのメカでやっと実現される。
シリンダーストップメカは逆に現代のリボルバーより複雑すぎるのは、いろいろ試行錯誤していたからだろう。


【実銃と坂本龍馬について】

仮組も問題なくできたので実銃について少しオベンキョ

この銃の正式名称はSMITH & WESSON Model No.2 Armyとなっている。

「坂本龍馬の銃」が正式名称ではない。

Model2 Armyについてはよく「世界最初の金属薬莢を使用した拳銃」という解説を見かけるがこれは間違いらしい。

金属薬莢自体はS&Wのモデルシリーズがスタートする前から実現されていたらしいが、「金属薬莢を使用する貫通薬室を備えたシリンダー」が世界初ということになる。

それまでの連発銃はシリンダーの前から推進剤の黒色火薬を流し込み丸い鉛玉を押し込んで、後ろのニップルに今のモデルガン用のキャップ火薬のようなプライマーを嵌めて装填し、このプライマーをハンマーで叩くことでその火が推進剤に発火する

この仕組みのためにプライマーを発火させるニップルという構造がどうしても必要だった。





1851年に開発されたコルト51ネービイ
シリンダーの後ろ側は塞がっていてニップルという小さな突起の中に
発火熱を通す小さな穴だけが開いている
つまり薬室は閉鎖されており貫通していないのが従来の構造




こちらはWikiPediaから借りてきた実銃のS&W Model2 Armyのプロフィール
シリンダーの後ろ側にはパーカッションプライマーを指すニップルがない
ズボッと丸い穴が開いているだけで発火薬は金属薬莢の中に仕込まれているので
銃の側にそういう発火のためのメカ構造が必要なくなった
この構造のおかげでカートリッジの交換だけですぐに次弾が撃てるので
火力はこれまでのパーカッション式の倍から数倍に飛躍的にあがる
火打ち石式や火縄式と比べたら数十倍から数百倍になるかもしれない


このマルシンの組立キットはこちらのモデル2蒐集家のサイトによるとタイプ5かタイプ6というモデル2の最終型をモデルアップしているようだ。

モデル2は22口径だったモデル1の単純なスケールアップモデルで、22口径7連発から32口径6連発に仕様変更された。
32口径にスケールアップすることで陸軍省の御用達になることを目論んで「Army」というニックネームもつけたが残念ながら制式採用にはならなかったようだ。

そのモデル2は細かい特徴から6期の製造年月日に分けられ
タイプ1)フレーム上部にピンが2本だけ打たれている
タイプ2)グリップパネルの固定ピンが省略された
タイプ3)フレーム上部にピンが3本打たれるようになった
タイプ4)銃把下のシリアルの桁数が増えた
タイプ5)リコイルシールドが拡張された
タイプ6)バレル上の製造者刻印が大文字で統一され文字間隔も変わった
この特徴から最終型の6型をモデルアップしているらしい

この銃自体が南北戦争の直前に発売になったことから、陸軍制式採用は逃したが飛ぶように売れたらしい。

そして南北戦争が終わったのが1865年で明治維新の3年前。
戦争が終わると大量の武器が払い下げあるいは放出品として市場に溢れ、それが上海などのアジアの商館経由で大量に売りさばかれた。

そのうちの何丁かを上海視察に来ていた長州藩の高杉晋作が購入し、そのうちの一丁を坂本龍馬にプレゼントしたということらしい。

戦争が終わって武器がだぶついていたといってもモデル2の最終型となれば当時の最新式の拳銃で、こんな世界最先端の武器を日本の浪人(高杉に銃をプレゼントされた当時の坂本はもう土佐藩を脱藩していたのでまさに一介の素浪人)が持っていたというのが不思議な感じはする。





上記リンク先モデル2蒐集家サイトによると初期型の外観上の大きな違いは
シリンダーストップのピンが2本しか打たれていないことだとのこと


【坂本龍馬、この銃の使用者について】

このS&W Model2 Armyは中折れ拳銃として金属薬莢の連続射撃を可能にした貫通薬室を世界初で実用化したエポックメイキングなテッポで、今日から見たら古臭いメカといっても1860年代には間違いなく世界最新鋭の兵器だった。

その世界最新鋭の銃ならさぞかし名のある御方が使用していたに違いない…と思ってリサーチしてみたがあちこちで見かける
「カスター将軍が愛用していた」
という説は根拠が何なのかよく分からない。
カスター将軍の使用銃はコルトネービイの筈で、モデル2を使用していたという資料を見つけきれなかったのだがそうした根拠が何かあるのだろうか?

ただ使用者の中には有名な御方はおりました。

坂本龍馬がその人。

これは明確な根拠があって、龍馬が姉の乙女に書き送った手紙に
「かの高杉晋作から贈られたスミスアンドウエッソンの6連発銃に弾を5発装填して、一発を予備で持っていて伏見奉行所の捕手一人を打ち倒した」
という一節がある。

これは龍馬が伏見奉行所の捕手に襲撃された1866年の寺田屋騒動の様子について本人が書き送ったもので、この描写からこの銃はスミスアンドウエッソンのモデル2であることはほぼ間違いない。
高知の龍馬記念館にもマルシン製のモデルガンが展示されているので、郷土史家もモデル2説を支持しているということのようだ。

マルシンの説のようにモデル2の最終型だったかどうかまでは分からないが…

龍馬がピンの数や刻印の文字の大きさまで描写してくれていたら特定できただろうに…
どうやらそこまでのテッポ好きではなかったようだ…





パッケージには「坂本龍馬の銃」としか書いていない
ちゃんとした型名のSMITH & WESSON Model 2 Armyは取説に小さくしか書かれていない
だからアマゾンの送り状にも「品名:坂本龍馬の銃」と書いてあったので
嫁に「坂本龍馬の銃を買ったんや?ずいぶん余裕があるねんな?」とイヤミを言われてしまった
この銃の正式名称は「坂本龍馬の銃」ではない!名称は正確にしてもらいたい!


坂本龍馬が何者なのかよく知らないという人はあまりいないと思うので、この人物の説明ははしょりたい。

しかし何をした人なのかわかっていない人は意外に多いので、そこだけ簡潔に。

「日本の夜明けぜよ」
と言った人ではない。

それを言ったのは嵐寛寿郎で坂本龍馬ではない。

坂本龍馬の功績として一般に言われるのは、薩長同盟の斡旋をしたことと、五箇条の御誓文のたたき台になった「船中八策」を書いたこと。
この二つだ。

薩長同盟を組むように西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)を引き合わせて同盟を斡旋したと教科書にもあったが、これが何が凄いかというとそれまでの尊王攘夷過激派と公武合体の守旧派の2大勢力の水と油が手を組んだら幕府体制が揺らぐという「空想的」な維新革命論をなんと素で実現してしまったことだと思う。

いまでいえば「アメリカのトランプ大統領とイスラム過激派が握手すれば世界平和はすぐに訪れるに違いない」というのと同じくらいの空想的な革命論だった薩長同盟を実現してしまったというのがその功績の一つ。

そして明治政府が発足して大日本帝国憲法が発布されるまでの間の、明治太政官政府の仮設憲法だった「五箇条の御誓文」の元になった「船中八策」を大政奉還が成立した時に船の中で書き起こし、天皇を中心とした参議会の合議制によって国の政策を決定し、特定の誰かに権力が集中しないという政治体制を提案した。

龍馬自身は明治政府の成立を待たず京都の木屋町三条の潜伏先で暗殺されてしまうのだが。


近年では坂本龍馬の記述は教科書から消えるという方向性らしい。

坂本龍馬が幕府を倒す原動力を築き上げ、明治憲法に連なる明治仮設憲法の原文を書いたと主張すると、歴史通の「幕末警察」の人たちがワッと現れて
「倒幕、明治維新のきっかけを作ったのは坂本龍馬ではない」
「船中八策が五箇条の御誓文の原文だったわけではない」
「坂本が明治革命を起こしたわけではない」
という証拠をまさかりに結びつけてどっさり投げつけてくるので、この説も最近では分が悪いらしい


坂本龍馬の毀誉褒貶はどうでもよい。
問題はその薩長同盟を締結させた晩に起こった「寺田屋騒動」で坂本龍馬が使用した獲物がこのモデル2だったというところだ。

坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝で千葉道場の塾頭を務め江戸の剣術大寄せ(今風に言えば剣道選手権大会)で優勝するほどの腕前だったにもかかわらず、生涯で何度もあった命の危険に晒される場面でついに一度も剣を抜かずに死んでしまったそうだ。

その代わり伏見奉行所に襲われた寺田屋騒動で大活躍したのが、このSMITH & WESSON model 2 Armyだったということだ。

その後このモデル2がどうなったかが不明だ。

坂本龍馬自身、「寺田屋騒動の時に紛失した」と書いている。

戦前には靖国神社に「坂本龍馬の愛用銃」ということでモデル2が展示されていたらしいが、戦後に米軍に接収されてしまったらしい。

2005年か6年当たりに高知新聞の文芸欄にアメリカの地方博物館に日本で展示されていたという 刻印の穿たれたモデル2があるとの記事が掲載されたらしい。
それにはハンマーのあたりに傷があって修理した後が残っているとのことだ。

寺田屋騒動の時に右手親指に大怪我をした坂本龍馬と符合する。

いまは高知の龍馬記念館にはモデルガンしか展示がないし、靖国神社にもモデル2はない。

しかしアメリカのどこかでは龍馬の指紋がついた銃が展示されているかもしれない。

そういうことを考えながらこのテッポを組み立てていたらなんだか楽しくなってきた。





今回の組立キットはABSモデルでブルーイングというわけにはいかない
プラ地肌丸出しの仕上げはやはり悲しくなるので塗装でブルーイングを表現することにした
上のWikiPediaの写真を見ると綺麗なブルーがかかっていることがわかる
その金属光沢を出すために例のアサヒペンのメッキシルバーを下塗りした




このスプレー自体は銀色の金属仕上げをするには最高だ
このように金属にしか見えない光沢を表現できるが問題は
この上からスチールブラックを吹いたらどうなるかということだ
現在スチールブラックを乾燥中だがかなり食いつきが
悪そうなのでこの試みは失敗かもしれない
重ね塗りするなら素直にモデルガン用のスプレーを使うべきだったかもしれない



2019年2月27日
















Previous Topへ Next





site statistics