こちらのページは何を書いてもいいというカテゴライズで始めたが、テッポの話ばかりになると流石に後ろめたいものがあった。
Macのトラブルシューティングサイトとして始めて、その過程でIT用語解説や映画のレビューなんかも書いたりしていたが、ここのところMacのことを書くのがちょっとしんどい。
本業でまさにアプリのトラブルシューティング、障害解析・ログ解析のようなことをやっていて休日に家でも障害解析は辛くなってきた。
ネタが無くなってきたわけでもないのに更新が滞っているのは主にそういう理由。
休みの日ぐらいパソコンは閉じて、テッポの部品でもガシガシ磨きたい…そうでもしないとストレスが溜まる…
と思っていた。
ならテッポと映画の話を込みですればいい…とはたと思いついた。
もともと映画のレビューはコンテンツにあったんだし、映画についてなら言いたいことはいっぱいあるし…
で、強引に「私にとっての映画とテッポ」というお題を思いついた。
映画に登場するプロップガン〜ガバメントが登場する映画「地獄の黙示録」
ということで、テッポが印象的に使われている映画について書く。
まずはフランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録」
この映画は1979年に公開されて、その年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞している。
が、パルムドールの受賞作の傾向とはあまりにもかけ離れているし、この受賞にはかなり賛否両論あったようだ。
くさす人たちは「コッポラはカンヌ映画祭を金で買った」とまで罵倒した。
映画の出来については観る人ごとに思いがあるだろうから、そこは言わない。
ただこの映画以降、プラトーンやハンバーガーヒルなど現代のアメリカが行っている戦争を批判的に描く映画が一つの流行になり、戦争をヒロイックに描く戦争映画とは一線を画す流れができた分水嶺になった映画という意味ではやはり名作なのかもしれない。
戦争映画だからテッポは山ほど出てくるのだが、テッポ好きには納得がいくような印象的なシーンが幾つかあった。
例えば前半の第一航空騎兵隊のヘリの編隊がベトコンの村を急襲するシーン。
この戦闘シーンの迫力を褒め称えた映画レビューは山ほどあるのでそちらを見ていただくとして、テッポ好きが「なるほど」と思ったのは以下のシーン。
ベトコンの村が視界に入ってきてキルゴア中佐が
「フォクストロット(音楽)をかけるぞ!シャールウイダンス!」
とワーグナーの「ワルキューレの騎行」をかけるとヘリは攻撃フォーメーションに散開する。
ヘリの上の緊張した兵士たちの表情、そして兵たちの中の一人がM16のマガジンを抜いて、自分のヘルメットを「コン、コン、コン」と叩いてもう一度マガジンを差し、M16のローディングレバーを引いて初弾を装填する
このシーンを初めて観たときに「おお!実銃でもあれやるんだ!」と驚いてしまった。
問題のヘルメット「コン、コン、コン」のシーン
MGCのM16のモデルガンを購入当時、まだバリバリの発火派のモデルガンファンだった。
新型カートリッジ(CP方式)に変わってMGCのM16のブローバックはものすごく快調になったが、それでも30発マガジンを2〜3本ぐらい撃つと一回はカートリッジが排莢口に引っかかったり、次弾が完全に薬室に入らないジャムが起きた。
いろいろ工夫した結果、30発をマガジンに詰めたら、マガジンの後ろを固いもので軽くたたいてカートリッジのお尻を揃えたらジャムらないことを発見した。
このコツを知ったときには小躍りしたいぐらい嬉しかった。
それと前後して劇場で「地獄の黙示録」を観たときに、なんと米軍兵士(の役のエキストラ)も同じことをやっているのを見て
「おお!」
と思ってしまった。
背景に写っているのがCP方式のMGC・M16
そして手前が今回のテーマのガバ
こういう細かいところをちゃんと描いていると
「あっ、リアルな映画だな」
と思ってしまう。
テッポなんて弾さえ入っていればシュワルツネッガーみたいに1000連発でもばかすか撃てるなんてもんじゃなくて、実は細かくケアしてやらないとまともに動かない繊細な機械なんだよね。
そういう気難しい機械に命を預けている兵士の不安感、緊張感みたいな空気をちゃんと描いているという意味では、少なくとも私の中ではコッポラの映画は「リアルな映画」だし「ちゃんとした映画」だった。
少なくともプラトーンやハンバーガーヒルみたいな雑なフォロワーよりはちゃんとした映画だと思う。
ちゃんとした映画だなと思ったのはちゃんとしたテッポを使っているというところでも感じていた。
この物語は雰囲気からしてベトナム戦争の分水嶺になったテト攻勢よりも後のことらしい。
なぜそう思うかというとタイガーストライプの迷彩服を着た空挺隊員(ウイラード大尉)がいたり、使用しているライフルは全部バードケージ型のフラッシュサプレッサー付きのM16A1に移行していたり、使用しているヘリもUH-1Dだったりでベトナム戦争の後期とわかる。
(もっとも例のヘルメット「コン、コン」やってた兵士が使っていたのは実銃ではなくMGCのモデルガンだった。あの独特のバナナマガジンの形は見間違えようがない。M16A1のプロップガンはこの映画の撮影中の1977〜1978年にはまだ新型だったので大量調達できなかったという事情があったらしい)
そして何よりも兵士たちの退廃的というか敗北主義的な雰囲気はこの戦争の後期に蔓延していた雰囲気だったに違いない。
そして軍用拳銃のM1911A1コルトガバメントがちゃんと使われている。
そんなの当たり前じゃないかというかもしれないが、それがそうでもない。
特にこの時代は…
映画冒頭、ドアーズの曲をバックにナパームで焼かれる森の映像やサイゴンの
安宿で酩酊しているウイラード大尉の情景がタイトルバックとなっている
このシーンで枕の下に置かれた抜き身のコルトがチラッと見える
アップはこのシーンだけなのだがこのシーンから使用しているのは
ちゃんとした軍用モデルのM1911A1、しかもベトナム戦争当時に実際に
使用されたパーカライジング仕上げ、ベークライトグリップのガバであることがわかる
つまり先日ここで取り上げたガバと同じということ
ウエスタンアームズのパーカー仕上げはワザとらしいつや消し灰色であれを
「リアルだ」とかいってる人を見かけるがガバのパーカーはあんな灰色ではなくかなり黒い
上のキャプチャと見比べてほしい
最終仕上げをしたガバの写真を撮り直してリファレンスブック用の写真を作成した
上が実銃のM1911A1の1942年製のパーカー仕上げの実銃、下がマルシンのガバ
同じく上が実銃、下がマルシンのガバの右プロフィール写真
ちゃんとした軍用ガバであるとすぐわかるのはグリップの下にランヤードリングがあること
そしてコルトのメダリオンが付いていないベークライトのグリップパネルをつけていること
戦争映画なんだから軍用ガバ使うのはあたりまえとは実は言えない
特に1970年代の戦争映画は結構いい加減でシリーズ70などの
民間用モデルを米兵が使っていることがある
この銃は劇中で印象的な使われ方をしている。
ナン川を海軍のパトロールボートに同乗して遡っていくうちに、艇長がすれ違ったベトナム農民のサンパン(三帆という中国語からきているらしい地元民の乗る動力付きの木造船)を臨検すると言い出した。
ウイラード大尉は
「任務優先だから農民の船なんか構うな」
と反対したが艇長は
「このボートは海軍の船だ。河川の船をチェックする海軍の任務が優先する」
と言い張って聞かない。
船にはマンゴーや野菜などしか積んでいなかったが、臨検した水兵が籠の中をチェックしようとしたら突然船の女が騒ぎ出したためはずみで全員機銃掃射で撃ち倒してしまった。
(このベトナム農民をつい皆殺しにしてしてしまった黒人の坊やはローレンス・フィッシュバーンで、のちにマトリクスのモーフィアス役でブレークするのだが、この時の痩せた童顔の黒人坊やはまるで別人のようだ。このあと巨大化するということらしい)
籠の中を確認すると子犬だった。
女は単に子犬をかばおうとしただけだった。
女にまだ息があるので艇長が
「すぐに病院に搬送します」
と言い始めたのに対してウイラード大尉は、黙々と女性を腰の拳銃で撃ち殺してしまった。
「だから船を止めるなと言っただろ」
このシーンは情報部の任務を受けた特殊部隊員の非情さが表れている。
「カーツ大佐は殺人犯だ。抹殺しろ」
という命令に対して
「戦場で殺人罪を問うなんて、サーキットでスピート違反の取締をするようなものだ」
と任務に懐疑を持つウイラード大尉だが、あくまで命令には忠実だ。
このシーンで重い銃声を一発あげた拳銃が、この冒頭のシーンで登場する軍用ガバメント・M1911A1だった。
この映画はベトナム戦争に批判的な内容を含んでいるということでアメリカ政府の協力は一切得られなかったそうだ。
この時代はまだペンタゴンペーパーなどのスキャンダルやウオーターゲート事件の後遺症があったのでアメリカ政府も神経質になっていたのだろう。
ということはあのスクリーンに登場した米兵は全員本物ではなくエキストラだ。
UH-1Dヘリやジェット戦闘機はフィリピン軍からのリースだったそうだし、使用されている銃は米軍装備品にできるだけ忠実にしようとしていたのがうかがわれるが、数が足りなかったようで日本からMGCのM16のモデルガンが相当数持ち込まれたそうだ。
それなのにあのリアリティ、正確な細部の考証などは感心する。
特に使用銃がちゃんとしているのがテッポ好きには評価が高い。
ところで映画の内容だが、有名な話だがこの映画のラストシーンは封切りされた時と、現在のビデオなどでリリースされているものは違っている。
再編集版以降のコッポラの意向では、初公開版にあったジャングルをナパームで焼き払うシーンがカットされている。
なぜかはよくわからないし、コッポラがこの映画に批判的な批評が多いのを気にして絶望的なラストを変えたかったということなのかもしれない。
しかしもう撮り直しは利かないから単純にカットしてしまったということなのかもしれない。
劇場で観たあの初回公開版のラストが実は割と好きだったので、すっきりと結末がわからない今のディレクターズカット版はちょっと残念な気がする。
冒頭ハリソン・フォードが登場するウイラード大尉の命令受領のシーンで私服のCIA職員が
Terminate with extreme preasure.
と言って大尉を送り出すシーンがある。
あれを昔観た字幕では
「喜んで殺せ」
と訳していた記憶がある。
あのpreasureを「喜び」と訳すと意味がわからないんじゃないかな。
preasureは喜びではなく自分の意志という意味だと思う。
あれは多分「強い意志を持って殺せ」と言っているのだと思う。
例の
Thank you
と言われた時に
My preasure
と答えるのと同じ意味だ。
あれを「ありがとう」「はい喜んで」と訳してしまうと居酒屋の受け答えみたいだ。
あれはそういう意味ではなく「ありがとう」「いえ、自分の意志でしたことですから気になさらないで」という意味で「You're welcome」というカジュアルな受け答えよりも丁寧な言葉だと聞いた。
つまりあのTerminate with extreme preasureは喜んで殺せという意味ではなく
「有無も言わさず殺せ!」
と言っているのだ。
それを受けてのラストシーンのジャングルの消失シーンだったとしたら、すごい怖い映画だったなと今になって思うのだが、あのラストシーンが消えてしまったことで、ちょっと映画が弱くなったような気がする。
あのやりとりとラストシーンがあったから女をガバで撃ち殺すあのシーンも意味があったような気がするのだが、今の編集ではなんとなく狙いがわかりにくいぼやけた映画になっているような気がする。
初公開オリジナルバージョンとかビデオが出ないかな…
ところで70年代の戦争映画に出てくるガバなどの銃の考証が、本家のハリウッド映画でさえも結構いい加減だという事例を次回は取り上げるかもしれないし、違う話題を書くかもしれない。
2019年3月10日
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