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映画に登場するプロップガン
〜栗林中将と白グリップのガバ「硫黄島からの手紙」」

Cpt. Kuri's Gun

映画に登場するプロップガン〜栗林中将と白グリップのガバ「硫黄島からの手紙」

クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」(Letters from Iwo JIma)ではガバが重要なアイテムとしてプロップガンにつかわれている。

クリント・イーストウッド自身は俳優としてはスミスアンドウエッソンのリボルバーで名を馳せた人だ。

意外にも44口径マグナムを使用したのはあのシリーズだけで、38口径の4インチを使用した作品の方がずっと多いのだが、一度ついたイメージはなかなか拭えない。

監督の使用銃は関係ないのだが、この人はマカロニウエスタンでブレークした経歴もあるだけに、登場人物が使用するプロップガンの重要性をよく知っているのかもしれない。


「父親たちの星条旗」と連作の硫黄島上陸作戦(日本側から見れば硫黄島玉砕)を描いた戦争映画「硫黄島からの手紙」で、一つの戦いをアメリカ側と日本側の両方の視点から描く試みをしたのが話題になった。

両方の視点というのはあの戦いが双方にとってどういう意義があるかという意味ではなく、その場所にいたアメリカ人個人と日本人個人にはそれぞれどう見えていたかという極めてプライベートかつプリミティブな視点で両方向から描いたという意味だ。

アメリカ人から見れば
「太平洋戦争のなかでももっともひどい戦いだった」
「あの地獄の中ではヒーローなんて一人もいなかった」
という視点が「父親たちの星条旗」で描かれている。
しかし戦争は(国債の募集宣伝のために)形だけでもヒーローを要求する残酷さがこの映画のテーマだった。

一方連作の「硫黄島からの手紙」では「狂気の万歳突撃」を繰り返しアメリカ兵を苦しめた日本人は一体何を考えていたのかがテーマだったように思う。

日本人は爆弾を積んだ戦闘機で嬉々諾々と敵艦に突っ込んでいくテロリストなのか?
ところが冒頭で二宮和也が
「こんな島アメ公にくれてやろうぜ。そうすりゃ俺たちもすぐ帰れる」
とぼやく姿に驚いたかもしれない。

そこに着任したばかりの栗林(渡辺謙)が、このぼやきを聞き咎めて二宮を鞭で打つ下士官に
「兵を鞭で打つのは賢い上官のすることではない。メシ抜きぐらいで手を打っとけ」
とたしなめるのが導入になる。

二宮がぼやいていたのは水際作戦に備えて海岸線に塹壕を掘らされていたからだが、栗林は着任早々
「こんなものは要らんでしょうなぁ。今すぐ作業を中止させなさい」
と命ずる。


司令官の着任早々上官の体罰からも解放され、海岸の穴掘りからも解放された二宮はすっかり栗林の人柄に心酔していく。
「俺はあの栗林って司令官は偉え司令官だと思うぜ。
それに見ろよあの腰の拳銃、あれはきっと殺した米兵から奪ったものだぜ」
と妙な尊敬までし始める。
そこは元は大宮のパン屋で戦争にも嫌々来ているといっても軍国少年ではある。

しかし栗林の回想シーンでこの拳銃は、実はアメリカに駐在武官として派遣されていた時に親交を結んだアメリカ人の将校たちより「友情の証」として贈られたものだったことが明かされていく。


ここで史実からリアルにあったことを照合していく。

栗林忠道が大尉時代にアメリカに大使館付武官として派遣されていたのは事実だった。
時期的には昭和2年(1927年)〜昭和5年(1930年)のことで、この硫黄島の決戦の18年前のことになる。

この時代はまだ日本は大正デモクラシーのほんわかしたバブル明けの時代で、まだ街にはモボ、モガの残党もいた。

アメリカと日本の外交関係もまだ悪化する前のころで、戦間期のおおらかな雰囲気と欧米の文化にかぶれた雰囲気のなか
「本場アメリカに赴任して南北戦争、米墨戦争、米西戦争、第一次大戦などを戦い抜いてきたアメリカ軍の戦術についても研究せよ」
ぐらいの命令は受けていたに違いない。

そうだとすると、大学などの戦史研究室や陸軍士官学校などとも交流は当然あったと思われる。
この映画で描かれるようにアメリカの軍人とも親しく交流することはあったろうし、実際この時代にはまだアメリカと日本は同盟国だった。

そのアメリカの軍人から友好の証の記念モデル拳銃を贈られるほどに親しかったかどうかまではわからない。

栗林中将は硫黄島戦に参加した時には、新任の司令官だったし南部式自動拳銃あたりを使用していたと考えるのが自然だと思うが、そこはクリント・イーストウッドと脚本家のアイリス・ヤマシタの演出だったようだ。


栗林忠道は3年間アメリカで米軍の戦術を学んだだけでなく、アメリカの経済力や社会の雰囲気もつとに見ていた知米派だった。
だからアメリカ相手の戦争に踏み切った日本の政策に批判的だったという話もある。

史実でも栗林中将は、島に配置された陸海軍の将校たちの反対を押し切って海岸線の防御を放棄し島内にトンネル状の陣地を構築させて「ゲリラ戦法」で米軍に抵抗する作戦を指示した。

島嶼防衛では水際で敵をできるだけ防いで大損害を出させ、上陸戦の出鼻をくじくのが定石だ。

映画では栗林が着任する前まで陸軍や海軍陸戦隊の士官たちは、もちろんこの定石を忠実に守って海岸線に塹壕を掘りトーチカを構築し、山砲や弾薬まで擂鉢山から降ろして海岸線で玉砕する構えをとっていた。


栗林は着任早々、
「そんなことをしてもし海岸線を突破されたらそのあとはどうなる?
あとは各自勝手に斬り込みをかけたり自爆して無駄死にするだけだ」
と考えたに違いない。

玉砕戦でもアメリカに一矢報いることができると考える陸海軍の将校たちに対して
「わかってますか?これは本物のいくさなんですよ」
と詰め寄る栗林はアメリカで実際に見てきた光景をもとに
「そんな小手先の一時しのぎの戦法では何の役にも立たない」
と実感していたに違いない。

アメリカは島嶼防衛の日本軍の数倍の戦力で上陸してくるに違いない、
制海権や制空権もアメリカに完全に抑えられている
そんな状態で海岸線で主戦力をほとんど消耗してしまったらあとはなすすべがなく数日、下手をすると数時間で島を獲られてしまうかもしれない。

硫黄島から大本営に転任する際
「こんな地下陣地の構築なんぞ全くの無駄だ」
と言い切る市丸海軍少将に
「祖国に残してきた子供達が少しでも安寧に過ごせるために、我々がこの島を守る一日一日には意味があるんです!
あなたにも武人としての誇りがあるなら大本営に援軍の要請をお願いします」
と心の叫びを発する。


この映画の登場人物は二宮和也が演じる日本兵だけでなく上級の指揮官もほとんど架空の人物だ。
実在の人物は栗林中将とその副官、バロン西として有名人だった西中佐とこの「一日一日に意味があるんです」と絶叫された市丸少将ぐらいで、あとはシンボリック日本兵、シンボリック日本下士官、シンボリック日本将校みたいな役回りで登場する。

市丸少将が実在人物なら、このクライマックスシーンも実話かと錯覚するが、これも演出のようだ。
だが栗林中将はなぜ定石通り海岸線で水際作戦を取らなかったのかを考えると、この「一日でも長くこの島を守り通したい」強い思いがあったという説明が説得力がある。

その思想のベースになったのが栗林中将が知米派であることで、そのアメリカを知っているという事実のシンボルが腰につけたアイボリーストックのガバメントだった。





「硫黄島からの手紙」のワンシーン
渡辺謙の腰にはアイボリーのグリップパネルがついた
トランジションモデルのガバが吊られている
メインスプリングハウジングがアーチ状に突出していないし
グリップセーフティのテールが短いから旧型フレームであることがわかる




毎度おなじみ軍用ガバにCAROM製のフェイク水牛角の
ハニーホーングリップを装着したところ
いまやワシントン条約対象以外の動物の骨や角を使ったグリップも入手難になってきた
CAROMの樹脂製のフェイクグリップシリーズは動物の角ではないが見た目はかなりリアル




駐在武官時代にアメリカ軍将校たちから友情の証としてこのガバを贈られるシーン
スライドの切り込みから旧型M1911ではなくトランジションモデルであることがわかる
栗林中将が大尉時代にアメリカに派遣されていたのは1920年代の終わりなので時代考証的にも正確
さすがはすべてディテールに至るまでリアリズムを追求するクリント・イーストウッド監督
この時代に贈答用に特別にしつらえられたガバなら当然このモデルになる可能性が高い




ほぼ同アングルのCAROM製ハニーホーングリップを装着したミリガバ




残念ながらトランジションモデルではなく最終型なのが完全に一致はしていない
やっぱり六研ガバがほしいなぁ…高すぎて買えないけど




グリップパネルはノーマルのベークライト製や一般的な木グリに比べるとかなり厚め
装着するとダブルカラムのオート並みにグリップが太くなる
でも見た目は高級っぽくなるしピースメーカーに白いグリップがついているのは
大抵は水牛の角の削り出しグリップなのでアメリカっぽくてよい
イーストウッド監督がホーンドグリップにこだわったのもアメリカっぽさを出すためかもしれない




CAROMのグリップパネルは実銃とほぼ同じ採寸になっているのでマルシンガバに
装着するにはセーフティスプリングハウジングが干渉してぴったりはまらない
そこを少し削り込む必要がある




よくある白いプラグリと違ってCAROM製のリアルなところはモールド時に
色むらをつけることで本物の牛の角の年輪というか濃淡模様を再現しているところだ
多分言われなきゃ本物なのか樹脂なのかわからないと思う


栗林中将は本当は文筆家を志望していたそうだが、家庭の事情で陸軍士官学校に入校し軍人の道を歩むことになった。

そのせいか美文の決別電文や命令文を残している。

決別電文の部下の奮闘を讃えた以下の一文
「特ニ想像ヲ越エタル量的優勢ヲ以テスル陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ 宛然徒手空拳ヲ以テ 克ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊(いささ)カ悦ビトスル所ナリ」
それに最後の命令文の
「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」
は最後の瞬間まで部下の士気に気遣った優しい指揮官である人柄が出ている。
(なのにこの一番美しい部分を伏せて改ざんした文章を新聞発表した大本営には文学的センスのある人物はいなかったということなのか)

上陸直前の命令では
「敵兵3人を斃すまでは死ぬことを禁ずる」
という命令を出している。

これは事実なのかどうかわからないが、安直に「華々しく散る名誉」に酔いしれて無意味に死に急ぐ将官たちの履き違えた「いさぎよさ」が作戦を台無しにするのを恐れたのか、それとも栗林中将の元々の優しさからくるものだったのか。

敵側の米軍参謀に「Smart Bastard」(ずる賢いくそ野郎)と言わせた手強い指揮官だった人物が、実は知米派で部下を思いやり、典型的な「武人の誉れ」を安直に信じ込む日本兵と違って「死ぬことを禁ずる」という命令まで出してしまう型破りな人物だったのは、アメリカ人イーストウッド監督にとってもアメリカ人観客にとっても意外な発見があったのかもしれない。

祖国の子供達のために少しでも時間を稼ぐには、大戦力で押しかけてくるアメリカ相手に泥水をすすって地を這うような執念が必要だと知っていた知米派のシンボルがこの腰のアイボリーグリップのガバだった。

プロップガンが登場人物のキャラクターを象徴しているとても端的な例ともいうべき演出だ。


だから最後にこの友情の証のガバで自決してしまうのは、言い様のない悲劇だ。
その時の二宮のセリフ
「ここはまだ日本であります」
に一縷の救いがある。

結局硫黄島での防衛戦は30日以上持ちこたえた。
知米派で戦術家の面目躍如というべきだと思う。




2019年3月19日
















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