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S&W Model 3『.44ワイアットアープの銃』の
実銃についてちょっとリサーチしてみた

No.3

S&W Model 3『.44ワイアットアープの銃』の実銃についてちょっとリサーチしてみた

これまでいろいろ手を入れてきたSmith & Wesson Model No.3 Americanについて調べてみた。

この銃が通販で人気を得たのはやはり「OK牧場の決斗」で使用されたというタイトルが、オールドウエスタンファンの心に突き刺さったからだと思う。

この「OK牧場の決斗」は実際にワイアット・アープと交流があったジョン・フォード監督によって映画化され、その後カーク・ダグラスやバート・ランカスターらの豪華俳優によってリメークされ、さらにケビン・コスナーの「ワイアット・アープ」でも再々リメークされるなど、おそらくアメリカ人なら誰でも知っている有名な決闘事件だったと思う。

日本で言えば「忠臣蔵」とか「巌流島」みたいなものかな。

そこで映画でも取り上げられる「OK牧場の決斗」という事件は実際にはどんな事件だったのかニュース原稿風に客観的に記述してみる。
その前にこの「OK牧場」という固有名詞だがO.K.corralの日本語訳の時にこの
「corral」
という名称に当たる日本語がないために仕方なく「牧場」と訳したが実際にはこれは牧場ではない。

「corral」とは馬で旅をしてきた人が町に入って一時的に馬を預ける飼葉囲いというか家畜囲いというか、今風に言えば「パーキング」みたいなものだ。
馬がアメリカ人の主交通機関だった当時はどこの町にもあったが、車が馬に取って代わるとともに「corral」は消滅しパーキングに変わった。
つまり正確に訳すなら「O.K.駐馬場の決闘」とか「O.K.馬預け囲いの決闘」と訳すべきなのだが、意味がわからない上にカッコ悪いので誤訳は承知で「OK牧場の決斗」と訳したらしい。
ちなみにOKとはOld Kindersleyという地名の略で、この当時の流行語だった「すべて問題ない」という意味のO.K.とは関係がないらしい。

《見出し》
OK駐馬場付近で発砲事件、3名死亡し重軽傷者も出た模様
《本文》
本日(1881年10月26日)白昼にアリゾナ州トゥームストン市郊外のOK駐馬場前の路上で発砲事件が発生しました。

事件は現場に居合わせた9人の男達が起こしたもので、発砲は数十分に渡って続けられ3名が即死、3名が重軽傷を負いました。
事件はワイアット・アープ被疑者や自称「ドク」ホリデイことジョン・ヘンリー・ホリデイらアープ兄弟グループとアイク・クラントンらのクラントンファミリーのあいだの銃器所持などに関するいざこざが原因と見られています。
なおダッジシティ保安官だったワイアット・アープ被疑者は「発砲は正当な法執行である」とし、この発砲事件の直前に、連邦保安官にも任命されていると主張していますが、コセチ郡保安官のジョン・ビアン氏によるとこの連邦保安官任命の執行時期や正当性に疑問があり、アープ被疑者らを殺人罪適用も視野に入れて取り調べる方針とのことです。

なおクラントンファミリーの首謀者アイク・クラントンらは現場から銃器を所持したまま逃走し、アープファミリーへの報復を公言しているという噂も流れており、現場は騒然とした雰囲気につつまれています。

本文以上。

それにしてもたった3名死亡3名負傷という発砲事件だ。

アメリカの歴史上、テキサスタワーの無差別発砲とかもっと大事件な発砲事件は幾つかあったはずだ。

こうしてニュース原稿風にまとめてしまうと、そんなに大事件だったのか、そんなにアメリカ人の郷愁をさそうロマンあふれる事件だったのかという感じがするが、巌流島だって忠臣蔵だって客観的に見れば無名剣豪のルール無視のわるあがき、失業浪人の私闘だろうし後世に美しい映像で再構成されることでロマンあふれる事件に変貌したのかもしれない。

客観的に見れば個人的な揉め事が発砲事件にエスカレートして、助太刀に入ったワイアット・アープやドク・ホリデイの義侠心が有名になってしまったという感じがしないでもない。

しかもジョン・フォード監督は撮影スタジオに出入りしていたワイアット本人から、開拓時代の決闘のリアルな話を直接聞いてイメージを膨らませていたということだし、その時代もうワイアットは「昔語りが大好きなジイさん」だったろうから自分らをカッコ良く語ったのかもしれない。


この発生50年後に人気のある決闘ストーリー映画になり、100年後には元WBC世界チャンピオンのギャグにもなるほど有名な事件が1881年に発生しているということを念頭に置いて、銃器について検証してみる。

まずこのS&W モデル3の実銃について。





一通り手を入れたフランクリンミントの「ワイアットアープの銃」ことModel 3の細部を見ていく
銃身の左下に大きな傷があるがこれは前のオーナーがつけたものではなくモールドで成形されている
フランクリンミントは「実銃の傷に至るまで正確に再現」というのを売り文句にしていたから
どうやら現在ワイアット・アープ博物館で展示されている実銃にもこの傷があるようだ
これは使用に伴ってよくつく打撲傷の傷と思っていい




グリップの後面のストックバットにも打撲が原因と思われる傷が付いている
これも明らかにモールドだ




そして騙されたのがバレルヒンジの左側のスクリューの山がナメたように潰れていること
前のオーナーがサブスクリューを緩めるのを忘れて無理に回したせいの傷かと思ったらこれもモールドだった
うっかり右の小さいネジをドライバーで回そうとしたためにこちらは本当にナメてしまった
不覚…メタリックシルバーで補修はしているが…




バレルヒンジネジは右側だけにありそれを抜くとこの通り左側はそのまま抜ける




サブスクリューはフレームと一体のただのモールド
なんということだ…私がつけてしまった唯一の傷
ところで問題はその周りの放射状の傷の方だ




バレルヒンジ右側にはスクリューの周りに
エングレーブとは明らかに関係ない打痕のような傷の表現
どうやらこの実銃のオーナーはバレルのグラつきが気になっていて
これはヒンジの周りを何度もポンチで叩いて締めたあとのようだ




グリップ底にはネジ穴がある
これはオプションでランヤードスイベルリングをつけるためのネジ穴で民間モデルでは何もつけない
細身のサイトのレイアウトと併せてModel 3が軍用制式拳銃を視野に入れて設計されていることがわかる
そして問題はこの20029というシリアルナンバーだ




さらにハンマーに注目するとスパーのダイヤモンドチェッカーがかなりすり減っていることがわかる
この実銃はエングレーブ彫刻後にニッケルメッキがかけられているので
エングレーブした銃を使い込んでいたのではなく使い込んだ銃を
エングレ加工、メッキ加工してリフィニッシュと考える方が自然だ


この「ワイアットアープの銃」の細部を見ているといろいろ疑問が湧いてきた。

この銃がワイアット・アープの所有銃だったことは間違いないのかもしれない。
博物館元館長の鑑定書がフランクリンミントにも同梱されていたそうだから(私は実物を直接見ていないが)その鑑定には異議は挟まないとしても、この銃の製造年がかなり不自然。

History of Smith & Wessonという米Smith & Wesson社のホームページの企業沿革のページで確認するとModel 3が発売されたのは1870年のことだという。

このグリップ底のシリアルナンバー20029がいつ頃の製造なのかヒントになる記述がアメリカの実銃オークションサイトにあった。
Smith & Wesson No. 3 American 2nd Model Single Action Revolver

こちらによるとシリアルナンバー21968の個体はSmith & Wesson Model 3 American 2nd Modelで1872〜1874の製造だという。
さらに同ページの18566という個体はやはり1872年に製造されているという

フランクリンミントのワイアットアープの銃は20029なので、この二つの個体の間のどこかで製造されており別のサイトからS&Wは1000丁を1ロットとしてブルーモデル800丁、ニッケルメッキモデル200丁という割合で出荷されたこと、1871年にはまだModel 3のAmerican 1st Modelが出荷されていたので、以上から1872年製とほぼ断定していいと思う。





1871年製のModel 3 American 1stモデル
ハンマーがバレルラッチと噛み合う切り欠きがまだない
またバレルヒンジのシャフトネジは左からねじ込まれており
右側はシャフトが貫通しているだけの簡素な構造




Model 3 American 2ndではハンマーに切り欠き、バレルラッチに突起が追加され噛み合うようになった
バレルヒンジのシャフトも左からねじ込まれそのシャフトをさらに右側からのネジで締める構造に変わった
いずれも強装弾を撃った時に緩んだりバレルの固定が外れるのを防ぐ改良で
逆に言うとS&Wはこの銃のここらの構造に不安を感じていたとも言える
バレルヒンジをポンチでかしめてぐらつかないように
加工していたワイアットアープの銃の手の入れ方とも符合する


この銃の製造年が1872年ごろと断定されたところで、OK牧場の決闘が1881年に起きていることをもう一度注目したい。

9年前に製造された銃を使っているというのは、ありえないことではないし当時はColtのシングルアクションアーミィはもう製造されていたが1875年ごろまですべての製品は陸軍に納入されていたので80年ごろだとまだ品薄だったかもしれない。

1960年代の西部劇を見ていると登場人物がみんなコルトのS.A.Aを使用しているが、S.A.A.があんなに普及したのは1890年代のもう西部開拓時代の末期も末期の話だと思う。
日本で言えばもう明治30年前後のころだ。

ワイアット・アープは1960年代の西部劇ではS.A.A.を使用しているし、バントラインスペシャルを使用したという説もある。
バート・ランカスターは映画でチラッとバントラインスペシャルを見せていたが、決闘では使用していなかった。
しかしここらは全部眉唾だ。

S.A.A.一辺倒だった西部劇と違って上記の通りまだS.A.A.が品薄だった時代だし、それ以外の銃を使っていたというのは頷ける。
ましてやバントラインスペシャルはOK牧場の時代にはまだ存在すらしない。

義侠心から助太刀したドク・ホリデイはColt 1860アーミィ リチャーズコンバージョンモデルを抜き打ち用に改造してたとのことだし、モデル3をワイアットが使用したというのもさもありなんということになる。





コルト M1860 アーミー コンバージョンモデル(のHWS製のモデルガン)
1871年にSmith & Wessonの金属薬莢の専売特許が失効したのをきっかけに
パーカッションリボルバーだったM1860を金属薬莢が使用できるように改造したモデル
ドク・ホリデイはこれをさらにトリガー機能を破壊しトリガーガード、バレルも半分削り落としてしまい
左手のひらでハンマーを煽るように起こして早撃ちをするいわゆる「ファニング」専用銃に改造していたらしい


つまりワイアット・アープがOKコラル前で発砲した銃はあのModel 3 American 2ndのエングレーブモデルで間違いないということか…

そこで気になるのがあのハンマースパーのダイヤモンドチェッカーの擦り切れ方なんだな。

実銃は当然、ハンマーは鉄製なのでちょっとやそっといじったぐらいで、あんなにチェッカーが擦り切れたりはしない。

相当使い込んだ銃だと思う。
それはバレルヒンジをポンチでかしめてグラグラしないように締めている傷跡とも一致する。

しかしあの見事なエングレーブがいつ彫り込まれたのかというのが一致しない気がする。

ハンマーはチェッカーが擦り切れるほど使い込まれているのにニッケルメッキが剥げていない。
というよりもかしめたヒンジも皆メッキがかかっている。

これは単にフランクリンミント、マルシンの手抜きだったのかもしれない。
でもポンチの傷跡まで正確に再現するならメッキの剥がれを表現するくらい大した手間ではない気がする。

もしも実銃もこのフランクリンミントと同じように綺麗なメッキだとすると、この銃はもともと実戦で使用されていた中古銃に後からエングレーブを彫ってメッキをかけたということかもしれない。

エングレーブモデルというのはコレクター向け記念モデルとして、あるいは贈り物として製造されるのが普通だ。

このモデルは市場に流通していた中古のModel 3をリフィニッシュしてエングレ、メッキ加工して誰かからワイアット・アープに贈られたものだったんじゃないかという気がする。

中古銃を贈答用にするのは、当時の銃の貴重さから言えば別に不自然じゃない。

それよりエングレ銃をOK牧場のような実戦にバンバン使うだろうかというのが疑問だ。

エングレーブが入っているだけ手入れも普通の銃より面倒だろうし、錆も浮きやすい。

何よりも高価なものだから、こういう銃は壁に飾って実際の撃ち合いはエングレ無しのスコフィールド銃か何かを使ったんじゃないか…という気がする。
ここら後半はかなり想像だけど、擦り切れているのにメッキピカピカとうハンマーを見てどうも不自然だと思った

おそらく後世の人間が、ワイアット・アープの遺品から出てきたこの綺麗なモデル3にネジをナメたあとやあちこちに傷、そして何よりも実戦を重ねてきた証といえるハンマーの擦り切れを発見して
「これこそがワイアットアープの愛用の銃に違いない
OK牧場でもこれを使ったに違いない」
と早合点したんじゃないか…と思っている。

実銃のハンマーやヒンジ周りのメッキの状態を見ればわかると思うんだけど、なかなか写真も見つからないしアメリカに実物を見に行くしか断定する手段はないのだが…





「ワイアットアープの銃」のシリンダー周りディテール
Model 3 American 2nd Modelの時代は金属薬莢といってもまだ黒色火薬を使っていたはずだ
ということは一発でも実弾を撃てばこの写真に写っている範囲は
外も中のメカも全部ススだらけの真っ黒になったはずだ
撃ったらすぐに銃をバラしてクリーニングをしないといけないが
細かいエングレービングの中に火薬ススが残るとそこからすぐに赤錆が浮いてくるはず
「西部のガンマン」という人たちがそんな面倒な銃を使うだろうか?
というのがそもそもの素朴な疑問だった
多分実戦用と何か式典に出席する時用の銃という感じで使い分けていたんじゃないかと想像した



2019年6月5日
















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青木さやか