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コルト M1861ネービーのメカは過渡期のなかで熟成した枯れた技術?
…これを生んだコルト「大佐」という刻印の人物は?

M1861 round about 2

コルト M1861ネービーのメカは過渡期のなかで熟成した枯れた技術?…これを生んだコルト「大佐」という刻印の人物は?

コルトのM1861ネービーをこの間からいじって遊んでいるが、この1861というモデルのスタイルが好きなんだけど手に入れておきたかったのはそれだけでなく、このテッポのメカデザインのディテールに興味があったから。

このテッポは過渡期のプロダクトで、一つの技術が成功して熟成して、そのそばでその後を席巻するであろう新しい技術が生まれてきた時期の最後のプロダクトとしてとても興味深いものがある。

この時代も目まぐるしい時代だった。


この銃の生い立ちを語るのにこの銃のバレルの上に刻印で刻まれている「サム・コルト大佐」のことから話を始める。





M1861ネービーのバレルの上側に「住所 アメリカ合衆国 ニューヨーク サム・コルト大佐」という刻印がある
コルト製品の刻印というと「ハートフォード・コネチカット コルト・パテント・ファイアアームズ」というのが
馴染みがあるがこの時代まではニューヨークに会社があったし製作者個人名の刻印だった




コルトが銃器製造メーカーの名前であることは銃にさほど興味がない人でも知っているが
これが実は人の名前だということは結構テッポ好きでないと知らないかもしれない
コルト社を創業したサミュエル・コルト(1814-1862)の肖像画(via Wikipedia)



サムエル・コルトは資産家の家に生まれ、事業家だった父の命令で交易船に乗務した経験で、船の巻上機を見てリボルバーのアイデアを得たという風に記憶していたがWikipediaには船の動輪を見て思いついたと書いてあった。
どちらが本当かわからない。
そのうちちゃんと調べてみる。

コルトが何を見てリボルバー拳銃のアイデアを思いついたのかはともかく、コルトが今日のリボルバーと呼ばれるメカの基礎を考え出したことは間違いない。

ただ一般にはコルトがリボルバーを発明したという解説がちょくちょくされるが、コルトがリボルバーを発明したのではない。

コルトが銃器製造の起業をする前から回転式拳銃というのは幾つか種類があって、実用化されてもいた。

しかしコルト以前のリボルバーは幾つか問題があった。





日本人には「種子島」の名称でおなじみの火縄銃
発明されたヨーロッパでの名称はマッチロック式マスケット銃
先込めの銃身に推進剤の火薬とボール状の鉛玉を押し込んで
火皿に発火薬を置きそこに火のついた縄を固定したハンマーを打ち下ろして発火させ
その火を導火孔という穴を通して銃身内の推進剤に発火させ鉛玉を発射する
機械式発火になることで命中精度はそれまでの導火線式よりは飛躍的に上がったが
一発撃ったら次弾が撃てるのは数分後というのんびりした兵器だった




火縄の代わりに火打石を使って火皿の上に載った発火薬に火をつけるフリントロック式銃
一発撃ったら弾籠めに数分かかるのは火縄式と同じだが火縄を気にしなくてもよくなった
そのおかげで抜き撃ちが可能になった




レンブラントの「夜警」の一部、銃を持った男のクローズアップ
「夜警」は1641年の制作でフリントロックの発明は17世紀の初め頃というのが定説なので
この男の持っている銃がフリントロックなのか火縄銃なのかはすごく微妙なところ
なんとなくストックに火縄を巻いているようにも見えるが
レンブラントはそこまでディテールを描いてくれていない
ただ300年火縄銃を愛用し続けた日本と違ってヨーロッパでは
火縄銃はあっという間に絶滅したので火縄銃じゃないかもしれない
言いたかったのはこういう時代の話という背景のこと




それまでの滑腔式、つまりライフリングがないマスケット銃からライフリングを
銃身内に刻んだ「ライフル」として実用化されたエンフィールド銃(Enfield Model 1853)
銃身にネジのようなライフリングを刻んだおかげで弾に回転を与えて命中精度は大幅に改善した
ただ先込め式なのは従来の火縄銃やフリントロックと同じなので銃弾に従来と違った工夫が必要だった
ちなみに司馬遼太郎なんかが幕末ものの歴史小説で「薩長軍は最新式のミニエー銃を装備していた」
とか書いているのは大抵はこれのことで「ミニエー銃」という銃があるわけではない




火縄銃の時代から一貫して使用されていたキャストブレットボール、つまり鉛を溶かして作った球
今日でも軍用の弾薬のことをミリタリーボールと呼ぶのは本当に球形の弾を使っていた時代の名残
ライフリングがない時代には口径とぴったりの寸法の弾を銃口から押し込めばよかったのでシンプルだった




椎の実型になって後部にくぼみや突起があるミニエー弾
ライフリングがある銃の場合口径と弾の直径がぴったりだと溝に咬まないので弾が回転しない
かといって口径より大きい弾を使うと弾籠めにえらい力が必要になって実用的でない
そこで発射の時の熱でこのくぼみや突起周りの鉛が溶ける「レッディング」を起こさせて
弾がライフリングの溝に食い込むように工夫したのがミニエー弾
こういう弾を使用する先込め銃を「ミニエー式銃」というので司馬遼太郎のいうように
「ミニエー銃」という銃があるのではない




エンフィールドライフルのもう一つの新機軸はパーカッション式の発火方式を採用したこと
従来の火皿に発火薬を置いて火打石の火花で発火するのではなく銃身につながるニップルに
キャップ火薬のような雷管をかぶせてそれをハンマーで叩いて発火させた
火皿の火薬のケアが必要なくなるので弾籠めも速くなるし不発になる率も大幅に減った
ただし先込め単発銃という意味ではマスケット銃の時代からほとんど進歩していないので
司馬遼太郎の言うようにミニエー銃で火縄銃の幕軍を圧倒することができたかというと
そこはかなり微妙のような気がする
ここまでは雷管とミニエー弾の実用化で連発銃の条件が揃った




銃が実用化した時代から皆んなが一貫して「できたらいいな」と思っていたのは「連発銃」
つまり弾を続け様につるべ撃ちができるメカの発明で織田信長なんかは
武田騎馬軍団の脅威に何十年もさらされてきて脂汗を流しながら思っていたはず
なので長篠の合戦では複数の射手を交代させて射撃する運用を考え出した
しかし一人でそれができればなお良いに決まっているのでこんな連発銃も考案された
銃身とフリズン、火皿が上下二つあって銃身を回転させることで2発続けざまに撃てる
しかし銃身一本に一対ずつフリズンや火皿をつけないといけないので2連発か3連発が
構造的な限界でそれ以上撃てるようにする拡張性がない未来のないアイデアだった




パーカッション式は銃身と対になるメカは雷管をはめるニップルだけなので
構造はフリントロックより単純で小型化が可能だ
パーカッション式が実用化することで先の連発銃のアイデアが広がった




19世紀初頭に流行ったペッパーボックス型リボルバー拳銃
パーカッション式またはニードルシェル式の銃身を5〜6本束ねて回転させながら撃つ
とてもシンプルでマズルギャップもないのでハンマーと雷管を
ちゃんと当たる位置に回すだけが注意点の簡単メカ
デメリットはかさばるし重いし回転銃身の位置を目視で合わせないといけないことか
アイデアは良かったがあまり「つるべ撃ち」というほどの連射ができる構造でもなかった




16世紀末にドイツで製作された世界最古のリボルバー
発火方式はマッチロック式で8連発のシリンダーを回転させて次々発砲できる




メカ的にはちゃんとシリンダーストップがあるがシリンダーの回転は手で行う
回すだけでなく発火位置に合わせたら手で火蓋を開けなくてはいけない
構造が複雑な割には連射速度は期待できないがコルト以前からリボルバーは
あったので「コルトがリボルバーを発明した」という俗説は眉唾なのがわかる




そしてやっとコルト大佐の登場となる
サミュエル・コルトが最初に実用化したパターソンモデルのリボルバー
コルト以前から回転式ペッパーボックスもリボルバーマッチロックも実用化されていたのなら
コルトは一体何を発明したのか…それはコルトシングルアクションの機構だった
ハンマーを引くだけでシリンダーが自動的に回転して手で合わせなくても
ハンマーが落ちる位置に雷管が来る自動メカがコルトの特許だった
雷管の位置だけでなくシリンダーのチェンバーとバレルの位置もぴったり合う




コルトのパテントは回転弾倉を発明したことではなくこのシリンダーの
回転を手動ではなくハンマーのコックに連動して自動にしたこと
そのアイデアはハンマーに連動したシリンダーハンドがシリンダーのリセスを押し上げ
シリンダーもハンマーに連動して回転する工夫でこの形が船の巻上機と似ていることから
コルトの回想録の「船のwheelを見て思いついた」というのは
巻上機の逆回転止めハンドのことだと思っていた
「動輪を見て思いついた」というのは誤訳ではないかという気がするがそのうち調べてみる




このハンドがぴったりのタイミングでシリンダーを回転させ
またぴったりのタイミングでボルトがシリンダーの回転を止める
その結果銃身を6本も束ねる必要もなくなったので銃は軽く小型になった



やっとサミュエル・コルトが船の「Wheel」を見てパターソンモデルというパーカッションリボルバーを開発したというくだりに到達できた。
よかった
よかった…

ところがSmith & Wessonを創業したホーレスアンドダンのコンビも最初から順風満帆だったのではないように、シングルアクションリボルバーを実用化したサミュエル・コルトも最初から順風満帆ではなかった。

コルトのパターソンモデルは、引き込み式のトリガーを持つというユニークなメカで安全性を確保していた。

上のパターソンモデルの写真で引き金が写っていないので「どうやって撃つんだ?」と疑問に思った方もいるかもしれないが、携行時ハンマーダウン状態だと、このようにトリガーは引っ込んでいるがハンマーをコックするとフレーム前部からトリガーが飛び出してきて引けるようになる。

面白いメカなんだけど、西部の荒くれどもやミニットマンのような山出しの田舎者に持たせるにはメカが繊細過ぎた。

田舎の銃器の愛用者は銃といえば一発撃ったら逆さまに持って棍棒の代わりにするマスケット銃の使用法しか知らない人たちが顧客なのが問題だった。

そしてコルトのリボルバーは精巧だが価格が高いし量産が利かないので数が出ないため、初期の頃はペッパーボックスリボルバーにシェアを食われて一時期社業を休業するまでに追い込まれたらしい。

州軍の購買も国軍の採用実績のあるもの以外は購入しないという前例主義なのも足かせになった。


そこでコルトは米墨戦争などでパターソンを採用してくれたテキサス州軍に「感謝の意」を表した刻印を打ったモデルを発売して
「コルト社の銃はアメリカを守る戦いで採用されています」
という広告戦略に打って出た。

また華奢だったパターソンモデルから、落としても銃で敵を殴っても壊れないような頑丈なドラグーンモデル、陸軍の現役将校のウォーカー大佐の意見を反映させたウォーカーモデルなど改良とメージ戦略を重ねて巻き返しを図った。





パターソンの華奢な作りを大幅に改善した「頑丈な」コルトドラグーンモデル
またシリンダーにキャストブレットを押し込むプランジャーも
銃身の下に標準で装備されるようになった



ここでコルトのパーカッションリボルバーの独特の用語について。

散々ニップルだのプランジャーだの用語を使っておいて今になってその言葉の意味を解説するのも順番が後先のような気がするが、コルト式のパーカッションレボルバーには他の銃ではあまり使わないようなパーツの名称がある。





パーカッション式は基本的には銃口側から弾を籠めるマスケットと
同じ構造を踏襲しているので弾を薬室に押し込む仕組みが付属している
かつては槊杖(ラムロッド)と呼ばれる棒で押し込んでいたが回転弾倉方式になって
押し込み装置が銃そのものに付属してローディングレバーになった
レバーを引き下げるとプランジャーが後退して弾がシリンダーに押し込まれる
パーカッション方式のリボルバー独特のメカ




パーカッションレボルバーはシリンダーを本体から外して装填する
外す方法は様々だがコルトの場合バレルキーを引き出してバレルを前に抜いて
シリンダーを前に抜き出す方式




パーカッション方式はキャップ火薬みたいな真鍮キャップの内側に
衝撃に敏感な火薬を塗り込めた「雷管」をハンマーで叩いて発火させる
このキャップをはめる火口をニップルと呼び
その中央の穴はシリンダー内の推進火薬に火を誘導する
ニップルもパーカッションロック式の銃の独特の構造





先込め式のパーカッションリボルバーは弾丸は椎の実型と球体型を併用する
ボール式の弾を使うので弾のことを「ボール」と呼ぶが今日でも軍用弾薬を
「ミリタリーボール」と呼ぶように弾をボールという言葉は残っている
この時代には実際にボールも使用された




パーカッション式のリボルバーは6発撃ち切ったら銃を分解してシリンダーを外して再装填する
6発続けて撃つ連射速度は数秒で6発撃つのに10〜20分かかる火縄銃やフリントロックを
一瞬圧倒できるが撃ち切った後には6発分弾籠めをしないといけないので良し悪し




ただし予備のシリンダーを持てば交換は一瞬なので予備がある限りかなりの連射ができる
実際南北戦争当時には銃のホルスターとセットで
予備シリンダー2個を入れるシリンダーポウチが支給された
これなら少なくとも18発分は敵を圧倒できるし下手をすると
金属薬莢式のS&Wのモデル2アーミーも圧倒できるかもしれない



最初のパターソンモデルでは会社を倒産させてしまうコルトだが、ウォーカー大佐とウォーカーモデルを開発、重量2kgの巨大拳銃ドラグーンモデルなどを開発して軍の制式採用を次々獲得する。

回転式弾倉の同調メカの特許が切れた後も南北戦争特需でコルト社は順調だったが、当のサミュエル・コルトは南北戦争時代の過労が原因なのか健康を害してしまい1862年に他界する。

その生涯の最後の年に開発したのがM1861ネービーなので、サミュエル・コルトの遺作といっていい。

このM1861こそコルトのリボルバーを理想的に洗練させた最終形だったのかもしれない。


ところがパーカッションリボルバーを完成させたコルトに衝撃的な問題が起きた。

のちにライバルになるホーレスアンドダンのコンビが金属薬莢を使用したSmith & Wesson Model 1、Model 2を開発してきた。

1857年に開発されたModel 1はそれほどのショックはなかったが、32口径にスケールアップされたModel 2は1861年に発売され、その翌年に南北戦争が始まったこともあってこれが空前のヒットになった。

初期のSmith & Wessonの金属薬莢モデルもいろいろ問題がなくはなかった。
それでも金属薬莢の可能性に気がついたコルトやレミントンだが、これが特許の壁に守られていたので手も出せない状態が10年続いた。





1861年製のコルトネービー(上)と1861年製のスミスアンドウエッソンのモデル2(下)




1840年代からバトルプルーフされて育て上げられてきたパーカッションの完成形のネービー
それに対してまだ仕様をどう決めていいかもよくわかっていない金属薬莢のモデル2
この2丁が同じ年に生まれてきたのは面白い奇遇だ




使用弾の比較
コルトネービーに使用される36口径のキャストブレット(左)
S&'Wモデル2に使用される32口径のリムショット金属薬莢(右)




Smith & Wessonのリボルバーは中折れ式メカを採用したために
構造的に強装弾を使用できない問題がついて回った
しかし火薬とブレットとプライマーを別々に装填しないと
いけないパーカッション式に対してカートリッジ方式は再装填が一瞬で済む




予備のシリンダーを持つのも限界があるからカートリッジを交換するだけで
リロードできる金属薬莢式はパーカッションの脅威になるはずだった
実際には軍の制式拳銃の地位はずっとコルトが守り続けることになる
コルトの強みというよりはS&Wの敵失でコルトが勝っていたのかもしれない




コルトM1860アーミーのコンバージョンモデル(のモデルガン)
コルトが金属カートリッジに脅威を感じていたことの証拠に
1872年、S&Wの貫通シリンダーの特許が切れたら早速コルトやレミントンの
パーカッションリボルバーの金属薬莢コンバージョンモデルが出たことが挙げられる




(左)M1861ネービーと(右)コルトシングルアクションアーミー
そしてS&Wの特許切れの翌年の1873年に満を侍してリリースされたのが
コルトのシングルアクションメカを貫通型弾倉と組み合わせたSAAこと
コルトシングルアクションアーミー




(左)1861ネービーと(右)SAAのシングルアクションメカはほぼ同一だ
ネービーのプライマーを差し込む切り込みがSAAではローディングゲートに変わった
金属薬莢式を導入したSAAはサミュエル・コルトが亡くなった後の製品だが
この投入のおかげでコルトは陸軍制式拳銃の地位を守り続けることになる



ちなみに「サミュエル・コルト大佐」という刻印はカスター将軍のような自称ではなく、南北戦争で巨万の富を得たコルトが、私費を投じてライフル隊を養成して陸軍大佐として軍に編入し、社会還元をするという本人の希望がかなったもので、誇りを持って「大佐」を名乗っていたらしい。

しかし上記のように南北戦争の過労のせいか、47歳で亡くなってしまう。


コルト大佐亡き後もコルトパテントファイアアームズ社は軍と良好な関係を維持し、その後警察向け、民間向けにシフトしたSmith & Wessonとは対照的にM1911ガバメントやM16、M4カービンなど多くの軍用銃器の開発を続ける。

しかしやがてガバも退役しM4カービンの後継制式ライフルの受注にも失敗し、民間向けの製品販売も振るわず2015年6月にいわゆるチャプターイレブン(連邦破産法第11章)の適用を受けて破産してしまった。




2020年2月24日
















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