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コルト M1861ネービーが登場する映画…はあまり見つけられなかったが
パーカッションリボルバーが活躍するフィルムいくつか…

Percusions on the Movies

コルト M1861ネービーが登場する映画…はあまり見つけられなかったがパーカッションリボルバーが活躍するフィルムいくつか…

何度かここにも書いているが、ミリタリーなタクティカルカービンよりもサイドバイサイドのショットガンの方が好きだし、ポリマーフレームのスパルタンなオートマチックピストルよりもリボルバーの方が好きだ。

リボルバーというと私たちよりも上の世代は、コルトのシングルアクションアーミーが好きだという人は多い。

子供の頃ウエスタン好きな叔父さんにローハイドなどのテーマ曲を何十回も聴かされたり、テレビで放映された「OK牧場の決斗」に登場する銃について詳細な解説を聞かされたりした。

ある程度の年齢になったらマカロニウエスタンの全盛期で、ジュリアーノ・ジェンマやフランコ・ネロ、クリント・イーストウッドがシングルアクションアーミー、ニックネームの「ピースメーカー」の方が馴染みがあるが、これをファニング(左手のひらでハンマーを煽るようにして連射するテクニック)で撃つ姿に憧れてみんな真似していた。
(実際当時の小学生は紙巻火薬100連発や銀玉鉄砲で、左手のひらで煽る仕草をして撃ち合いをしていた
左手は何の意味もなかったが…)


あの当時は気にもしていなかったが、西部劇につきもののシングルアクションアーミーはほとんどの西部劇で使用されているが、実際にはSAAの登場は1873年でしかも発売当初のSAAは陸軍からの要請ですべての出荷分を優先的に軍に納品する契約になっていたので、実際に町を闊歩するガンマンの腰に普及し始めたのは1870年代の末期頃、西部開拓時代の終盤のことだった。

西部開拓の時代は1800年代始めのフリントロックの時代から始まり、南北戦争を挟んで19世紀の末まで、日本で言えば明治30年ごろまで続いた。

その大部分の時代で使用されたのはフリントロックのマスケット銃かパーカッションリボルバーだった。

OK牧場の決闘のような事件はその末期に発生したが、その時代でもSAAが市場に出回っていたかどうか微妙な時代だった。

最近は映画製作会社の考証もちゃんとしているので、SAAを使っているかどうかで真面目な映画かどうかがわかったりする。

それで映画に出てくるパーカッションリボルバーを探してみた。





個人的には実はSAAよりもパーカッションリボルバーの方が好き
パーカッションリボルバーの中でも滑らかな曲線を持っている1861ネービーが好き
しかし1861ネービーは生産数が少なかったせいか登場する映画は極端に少ない




カートリッジの入れ替えでどんどん撃てるSAAと違ってキャストブレットを
シリンダーに装填するパーカッション式は6発撃ったら終わり
その分向き合ったら射撃は慎重にならないといけない
このパーカッションのストイックなキャラクターが好き



桜田門外ノ変

西部劇に登場する銃の話で振っておきながら、いきなりの時代劇。

しかしこの映画には1851アーミーが重要な小道具として登場する。


「桜田門外の変」は日本人には馴染み深いエピソードだ。

むしろ時代劇よりは日本史の教科書で見た記憶の方が強い人もいるかもしれない。

桜田門外の変とは安政7年(1860年)3月、江戸城の桜田門の前で起きた大老暗殺事件。

被害者は当時の幕府大老(大老は将軍補佐の老中の上に置かれた非常任職で戦時・緊急時にしか置かれない。老中を内閣総理大臣に例えるなら、大老は三権分離を超越した総統のような職責)だった井伊掃部頭直弼とその警護の彦根藩の行列随行者。

襲撃したのは水戸藩、薩摩藩脱藩浪士で刀だけではなく最新の連発銃も使用され、大名かごに乗った井伊直弼は首を討ち取られた。


この事件は独裁的な強権で開国に踏み切ろうとした幕府の中心人物が、白昼江戸城前で暗殺されることで世論は一気に尊王攘夷に流れを変え、やがては明治維新革命に急激に歴史が突き進むきっかけになった幕末期の重要事件だった。

この映画では桜田門外の変の政治的な意義にはあまり深入りせず、その暗殺事件に参加した水戸藩脱藩浪人たちがその事件後どうなったかということが映画のテーマの中心だった。


ペリー来航以来の日本の開国軟弱外交を批判する在野の論客だけでなく、有力列藩の藩主や穏健派の思想家まで十把一絡げで大弾圧した「安政の大獄」に対して止むに止まれぬ義憤を感じた志士たちが、独裁政権の中心人物井伊直弼の暗殺を企てる。

主人公の「見届け人」は当時日本で製作された最新式の銃を懐に襲撃事件をつぶさに目撃する。

襲撃班の一人とこの見届け人(大沢たかお)が持つ銃がコルトM1851アーミー(の日本製コピーモデル)だった





桜田門外の変の口火を切ったのは襲撃班の一人が放ったM1851の一発




井伊直弼は実は居合いの達人だったそうだがこの一弾のために駕籠から出て
立ち上がることができずなすすべもなく討ち取られてしまったそうだ




襲撃班の銃撃担当と同じく「見届け人」の大沢たかおも同じM1851を携行していた
銃身を外してシリンダーを前に抜いて装填するコルト・パーカッション独特の整備風景
この映画ではCAWがクレジットされているがこのプロップガンはCAW製のM1851




幕末によくコルトのSAAが登場する時代劇があるがコルトのSAAは
1873年発売で明治維新は1868年だから年代的にありえない
そういうのはすべて考証無視のウソドラマでリアルは
パーカッションリボルバーか坂本龍馬のようにS&WのModel2を使った




コルトM1851アーミーの実銃



日本の幕末物のドラマや映画でコルトのSAAが登場するとかいう場面は結構多いが、SAAは明治5年の発売だから幕末に登場するのは完全にウソ。

桜田門外の変では実際にコルトのM1851アーミーが使用されたようだ。

ペリー来航の2回目かそれぐらいにアメリカの産物を幕府に手土産として贈っているが、その中にコルトのM1851アーミーが含まれていた。

このM1851を1〜2年のうちに日本人はコピーして自分たちで生産していた。

桜田門外の変の実行犯たちが持っていたのは、まさしくこの日本製「コルト」だった。

この話は種子島に来航したポルトガル人が日本人に売りつけた火縄銃が、数年のうちに近江の国友、泉州の堺、紀伊の雑賀などにコピーされ日本全国へ販売されたエピソードを思い出させて面白い。

ヨーロッパで売れ残った火縄銃を大量に持って、再度日本に売りつけに来たヨーロッパ人たちはアテが外れてがっかりしたそうだ。




ワイアット・アープ

ワイアット・アープといえば西部開拓時代の末期の大事件の「OK牧場の決斗」の首謀者として知名度が抜群。

OK牧場の決闘という事件自体は1881年に起きているが、この映画はワイアットという人物の少年期から晩年までの一代記として描かれている。

法律家の父の元厳格に育てられ、最初の妻を病気で亡くし馬泥棒の嫌疑をかけられてガンマンにまでおちぶれるが、金鉱脈を求めてその資金稼ぎで雇われ保安官になり、やがてクラントン一家との揉め事に巻き込まれていくという人生。

青年時代、酒場で絡んできた男が銃を抜き撃とうとする瞬間にビリヤードの玉を投げて打ち倒すエピソードが登場する。

この時男から取り上げたガンベルトに刺さっていたのがコルトのM1851のコンバージョンモデルだった。





少年時代から銃に憧れを持っていたワイアットは
酒場で絡まれたゴロツキから銃を巻き上げる
この銃との出会いが彼のガンマン人生の始まりだった…という流れ




そのワイアットが取り上げる銃がコルトのM1851アーミー
右側も少し映るが空ケースをつつき出すエジェクターロッドがあるので
1872年に発売された金属薬莢を使用するコンバージョンモデルであることがわかる
青年期1870年代の話なら時代考証的にはなかなか正確




コルトM1851ネービーの金属薬莢コンバージョンモデルの実銃
パーカッションプライマー装着用の溝が弾を
装填するローディングゲートに改造されている
ローディングレバーも取り外されエジェクターロッドが代わりに装着されている



ダンス・ウィズ・ウルブズ

時は南北戦争の真っ最中。

南軍の勢いは激しく、北軍の将兵の消耗は限界に来ていた。

南軍と北軍がにらみ合う戦場で北軍兵士の戦意は下がりまくっている中、一人の男が南軍狙撃兵の前を馬で2度3度と挑みかかるように横切り駆け抜けていく。

その勇敢な姿にすっかり戦意を失っていた北軍兵士は一気に勢いを取り戻し戦場を押し返した。

こうして敗色濃かった北軍はこの戦場で勝利、この勇敢な兵士に将軍は手厚い手当てを命じた。


この戦功から戦後、西部派遣軍に編入された主人公はインディアンと対峙する騎兵隊駐屯地を目指し西に向かう…

というのがこの映画の出だし。

やがて西部の最前線で現地の原住民と出会い、交流するうちに白人は西部を「開拓」しているのか「侵略」しているのかいずれが正義なのかという疑問に立ち至るのだが、その本筋に入る前の南北戦争の時代のエピソードでコルトM1851アーミーが登場する。





ケビン・コスナー演ずる主人公が西部駐屯地に向かうという命令書にサインした上官は
その直後に自殺してしまいコスナーの西部行きの正式な記録は失われてしまう
このことが主人公のこののちの数奇な運命につながっていく
この上官は「国王は死んだ、国王万歳」と唱えて自殺するが
これはフランス国王シャルル6世が亡くなった時の重臣の声明
「Le roi est mort, vive le roi!」(王は崩御された、王に栄えあれ)という故事からきている
自分が死んでも西部の旅は続くという暗喩なのだろうか




この行政官が自殺に使ったのが南北戦争当時の北軍将校の主戦力兵器コルトM1851
ブラスグリップにケースハードゥンフレーム、ブルーイングバレル、シリンダーの綺麗な銃だ




こちらがコルトM1851アーミーの実銃
デザインのバランスからいって1851アーミーと1861ネービーは双璧の美しさ




この映画でケビン・コスナーら北軍兵士は皆拳銃の
ホルスターを右の腰にグリップを前に向けてつけている
これだと左利き用のような気がするが南北戦争時代は左の腰にサーベルを吊って
右手でサーベルを抜くので拳銃は左手でクロスドローで抜くのが標準だった
だから左利き用ホルスターみたいなデザインだがこれが右利き用になる



今回のテーマのM1861ネービーを使用した西部劇は探しきれなかったが、何かマニアックな映画で使用していた気がする。

1851が爆発的なヒットになったし、民間にはレミントンアーミーが結構なヒットになったので実は1861ネービーはそんなに生産数をあげていない。

探してみたがそのせいか1861ネービーそのものが出てくる映画はそんなにない。

この「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を観ていたら最後の最後で1861が出てきた。





映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」より
白人に捕らえられたケビン・コスナーを救うためインディアンの少年たちが騎兵隊を襲うが
「笑う顔」という名の少年がコスナーを虐待した軍曹に襲われそうになる




しかしこの銃はもう6発撃ちきっていた…という話だがこれが1861ネービーだった
あまり華々しい活躍とは言えないが数少ないネービーが登場する映画




1861ネービーの実銃
これはコレクターコンディションではなく
かなり傷だらけの実戦で使用されたようなコンディション
シリンダーにはよく見ると装飾的な刻印が入っているのがわかる




前にもちょっと取り上げたけどワイルドビル・ヒコックの愛用した1861ネービーの見事な刻印
下のカスター将軍のネービーと比較するとエングレーブの入れ方には共通性がある




エングレービング(蔦を這わせるというのが本来の意味)はヨーロッパの古式銃からの伝統
多くのデザインは蔦や花、蔓植物をデザイン的に銃に彫り込む工芸のスタイル




日本でも種子島が実戦的な戦争の兵器から綺羅を飾る古武具になった時代に
火縄銃は金象嵌や螺鈿漆などの美しい装飾を施す美術品になった
それと同じように鉄砲から古式銃になった時代に美しいエングレービングを
施した銃を持つのが紳士のシンボルになったのでネービーのエングレービングも
この伝統の流れでこういう銃を持つのはステータスシンボルだったのかもしれない




それにしてもこの狭いマズルギャップ
これを実現したコルトのデザインも素晴らしいしそれを
再現したマルシンにはまだこの時代にトップメーカーの面影がいくらかあった




セピアにしてみました
こういう銃には似合うかも








エングレービングのディテール




同じく全身にエングレービングをまとったワイアット・アープの銃ことS&W Model 3と
カスター将軍の銃ことColt M1861Navyのツーショット




いずれも本当のオーナーが誰だったかという問題はともかくこういう実銃が実際に博物館にある
こういう細工をこういう工業技術の粋の銃に施すという美的感覚が素晴らしいと思う




ローディング操作の状態にテークダウンしたS&W Model 3とColt M1861 Navy








古式銃三昧したこの何回かだけどリボルバーでしかも19世紀の
ど真ん中を戦い抜いた銃…ってやはりグッとくるです
鯨油ランプの匂いとか折れ曲がったポーカーのカードとかショットグラスとか
いろいろな光景が見えてきそうな美しい意匠は本当に見飽きない
ポリマーオートもいいんだけどやはりテッポ好きの原点はこういう銃だと思う



2020年3月1日
















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