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映画に登場するプロップガン〜AKM「若き獅子たち」
・AK47が登場する「AK47」〜バヨネットのしなりも修正

AK and Equip

映画に登場するプロップガン〜AKM「若き獅子たち」・AK47が登場する「AK47」〜バヨネットのしなりも修正

AKM・AK47の登場する映画とAKのバヨネットのプラモデルを少々タッチアップした件をニコイチで。

AKMと同時に購入したマイクロエースのAK74コンバットナイフ(6kh3に似ているがそう明記しないところが奥ゆかしいところか)を仕上げた話を書いたが、ちょっと気に入らない点があった。

安全のためにゴム製のブレードになっていて銃刀法完全適合品…なのはいいんだけど、ブレードが自重に耐えられなくてゴムの刃が下にしなる。

シースに入れて下げてもグリップが自重で曲がっている。

プラモデルなんだから自重ったってたいした重さじゃないんだけど、なんせ刃がフニャフニャのゴムなんだからしょうがない。

これは観賞用の模擬ナイフ…と割り切ろうとしたがさすがにしなり方が情けないので根本に1cmだけ芯を入れることにした。





マイクロエースのAKゴム銃剣
ゴムというだけあってこうしてで持つだけでグリップが曲がっているのがわかる
安全性は高いがそれにしてももうちょっとなんとかならんのかなぁ…




ブレードの根元だけ鉄芯を入れることにした…といってもあまりしっかりした芯を入れると問題があるので
キーホルダーによくついてくる輪っかの針金を解いて根元に1cmだけ芯を入れることにした




押しピンで1cmほど根元に斜めに穴を開けてそこに針金をねじ込んだ
この残りの部分を刃の柄の部分に寄り添うように曲げてナイフグリップの中に固定した




ゴムの刃が以前は自重でクニャリと曲がっていたが
この鉄芯のおかげで水平にしてもあまり曲がらなくなった
(全く曲がらないとはいっていない)




シースに入れてぶら下げてもあまり曲がらなくなった
(全く曲がっていないとはいっていない)




まあ目を凝らさないと自重で曲がっていることはわからない…と思う
というぐらいにはなった






プラトーン

AKは今でこそ銃器マーケットで普通に取引されるありふれた銃なのかもしれないが、1980年代までは謎に満ちたテッポだった。

AKが大量に登場する映画といえば、ベトナム戦争ものを上げておけばだいたい間違いない。

ベトナム戦争ものの映画といえば最初に大規模にこの戦争を描いたのが「地獄の黙示録」

ただ「アギーレ/神の怒り」に影響され、やや芸術志向に流れたコッポラの作品に対して
「ベトナム戦争の悲惨さを正しく描いていない」
という批判が起こり、それに対するアンチテーゼとして実際のベトナム従軍経験者の監督が制作したのがこの映画。

個人的な感傷に流れたオリバー・ストーン監督がベトナム戦争を正しく描いたのかどうかは議論はあるだろうけど、コッポラ作品よりはわかりやすい映画ではあった。

志願兵としてベトナムに派遣されたクリスは生き残りの術に長けた二人の古参兵に尊敬の念を感じるが、この二人がある村での虐殺事件をきっかけに対立する…二人の間で心が揺れるクリスは恐ろしい現場に立ち会うことになる…というようなストーリー。





ベトコンたちが持っているのもラストシーンでチャーリー・シーンが「処刑」に使うのも
中国製の56式銃槍…銃口の下にスパイクバヨネット(折り畳み式銃剣)があるのが56式の特徴
北ベトナム軍は中国の支援を受けていたからAK47やAKMではなく56式というのはむしろ考証的に正しい


若き勇者たち

アメリカの典型的な牧歌的田舎のコロラド…冬になると雪が積もる山あい深い田舎の高校のグランドに突然落下傘兵がたくさん降りてくる。

軍の訓練かと思った先生が「ここは学校ですよ、場所を間違えましたか?」と兵士に声をかけたら突然兵士たちが発砲を始め先生や生徒が大勢死ぬ。

やがて町中が外国の軍隊に制圧されていることがあきらかに。

アメリカ国内の各地とだんだん連絡がつくと、国内の大部分がソ連とソ連に協力する南米の軍隊に支配されていることが判明。

昨日まで普通の田舎の高校生だった少年たちが、兵士から銃を奪って家族や町の住民を救うためにレジスタンス活動を開始する。

この冒頭のソ連落下傘兵の降下風景はかつてアフガン侵攻のニュースフィルムで見た光景だった。

アフガン侵攻とはソ連の衛星国だったアフガニスタン人民民主主義共和国に対するイスラム勢力の反乱に対して1979年ソ連が突然軍事介入開始、10年も続く泥沼の内戦にソ連が足を取られる紛争になった事件。

アメリカとの対比でアフガンは「ソ連のベトナム戦争」と当時言われた。

西側諸国はこの軍事介入に反発し、1980年のモスクワオリンピックはアメリカ、日本、イギリス、フランス、ドイツなど世界主要国がボイコットした。

この映画はアフガン侵攻の5年後に制作されていて、これと同じことがアメリカ本土でも起きるかもしれない、突然ソ連の降下兵がアメリカ市民を襲うかもしれないというリアルな恐怖心が当時はあった。





アラパホ古戦場の記念碑の前で記念撮影をするソ連兵
肩にはAKMがつるされているのは当時としては画期的




ソ連兵から奪ったAKMでレジスタンス活動を繰り広げる高校生たち
中国製の56式でごまかす映画が多かったこの時代に
まだ結構謎に包まれていたAKMのプロップガンをこれだけ揃えたのはすごい




ソ連の戦車や移動砲車両プロップなどを
トラクターなどからフルスクラッチしている様子




当時のソ連の主力戦車T72を再現しているのもすごい
もちろんハリボテで装甲は紙のように薄いアルミ板らしいが

ちなみにソ連に対抗してアメリカは、当時CIAなどを通じてイスラム勢力のタリバンなどを支援した。

しかし対アフガン政策の転換を機にタリバンを見捨てるようにアメリカはアフガンから離れ、ソ連の弾圧と虐殺を招いた。

これが恨みとなってアフガンのイスラム勢力はロシアよりもむしろアメリカを憎むようになり、やがて2001年の同時多発テロを支援するようになってしまった。

映画はアメリカ市民を被害者として描いているが、外から見たアメリカのイメージはむしろ傲慢な加害者なのかもしれない。

この国は国際政治の因果応報を体現している。




AK-47 最強の銃 誕生の秘密

生誕100年を記念して製作された、AKの設計者ミハイル・カラシニコフの一代記。

割とカラシニコフ自伝のエピソードに忠実に映画化されている。

親が富裕農民であったことからスターリン時代にアルタイに強制移住させられ、子供時代から鉄パイプに火薬を詰めて銃を自作することに興味を持っていたミハイル少年。

成人して独ソ戦に出征し負傷する。

その負傷の経験でソ連軍の短機関銃には欠陥があることを知る。

銃器設計・製作を志願したが専門教育を受けたことがない農民の子なので図面すら書けない。

しかしその非凡なアイデアと才能を周囲が認めるようになる。

最初の職場の鉄道機関区の職人たちがやがて彼を応援するようになり、試作品を提出するまでになるが当然簡単に採用にはならない。

ソ連にはすでに大手の武器設計製造局がいくつもあった。

最初の試作品をテストしたクロパトキン将軍は
「重くて欠点はあるがみどころがある」
とミハイルを銃器設計局に推薦。

そこに配属されPPS短機関銃の設計で有名なアレクセイ・スダエフにその才能を認められる。





ミハイルが最初に試作したPPK(カラシニコフ型短機関銃)をテストするクロパトキン将軍
欠点はあるが見所もあるとしてミハイルにデグチャリョフ銃器設計局への勤務を命じる




機関銃の設計などで何度も挫折しながら新しい自動小銃の試作を繰り返すミハイル
その図面を見てライバルでもあるスダエフは「無駄を省け、継ぎ目をなくし部品数も
できるだけ少なくしろ、それは必ず故障の原因になる」
とアドバイスする




すでに完成していたAK46自動小銃の出来に満足していなかったミハイルの心に
友人でもありライバルでもあるスダエフのアドバイスは深く突き刺さる




極限まで部品点数を少なくし無駄を省いたAK47のボルトとボルトキャリア
この銃の構造とどうしてこういう構造になったのかよくわかるシーン




しかし設計局の試射場はデグチャリョフが独占しておりせっかく銃を作っても試射もできない
ついに設計局の敷地で勝手に試射を始めるカラシニコフ
すぐに憲兵が飛んできて銃を取り上げられ身柄も拘束される




カラシニコフのAK47(驚いたことに試作型のAK47 I型が撮影に使用されている)に
興味を持ったデグチャリョフにカラシニコフが分解の手順を見せる
一度見ただけで分解結合が簡単にできる「直観的な構造」にデグチャリョフは驚く




カラシニコフの試作AK47
のちに量産されたAK47 III型はレシーバーが削り出しで制作されていたが
この試作I型はレシーバーが後継型のAKMと同じ板金プレスで制作されている
この型は今では博物館ぐらいにしかないはずなので撮影のために博物館から借りてきたのか
AKMと組み合わせてフルスクラッチしたのか…バカスカ撃っているので作ったのかもしれない




レシーバーカバープランジャーを押し込んでカバーを外すとボルトキャリアと
リコイルスプリングユニットにコンタクトできるわかりやすい分解法のAK
この映画でもその分解法のわかりやすさが再現されている
「専門の教育を受けていない兵士でも容易に扱えるのが狙いです」とミハイル




同じくレシーバーカバーを開けたGHKのAKMガスブローバック
レシーバーの中身が結構リアルに再現されている




カラシニコフの試作銃を見たデグチャリョフは自分の試作銃を梱包して倉庫に隠し
カラシニコフ型をデグチャリョフ設計局の出品作として提出するよう命じる
軍のトライアルでは水につけたり砂に埋めたり、泥に沈めたりの過酷なテストが続いた




AK47がソ連軍の制式自動小銃となりやがてカラシニコフは
社会主義労働英雄というソ連での最高勲章も与えられる
若い兵士たちが肩に下げた銃の設計者に賛美の「ウラー」の叫びをあげる
ソ連共産党プロパガンダみたいな映画を久しぶりに見た


この映画で一番感心するのはとにかく銃器の考証が非常に正確だということだ。

AK47という銃がいわば主役の映画だから銃器の考証には正確にならざるを得ないのかもしれないが、最初期の試作機関銃のPPKもそうだし、設計局で試作したAK47 I型もどこも作っていないしどこにも売っていない。

それどころかどちらも元々量産されていないので今では博物館にしかないはずなのに、映画ではバカスカ発砲シーンがあるので博物館が超好意的に協力してくれたのか、それともどちらもイチから作ったのか謎だ。

AK47は最初板金プレスのレシーバーで設計されたが、当時のプレスの技術がまだ未発達だったために結局レシーバーは削りだしに工作法が変わり、これがAK47としてソ連軍に採用された。

やっと技術が追いついてAKMで板金プレスのレシーバーが再度採用されたのは1959年のことになる。

映画では試作型にI型の板金プレスAK47を使い、最後の兵士たちの感謝のシーンではちゃんとAK47 III型が使われている。

III型のAK47だって今では希少なはずなので中国製56式銃槍が混ざっているのかもしれない。


こうしたディテールはなかなか感心する映画なのだが、正直映画自体はそれほどの深みを感じない。

カラシニコフに重要なアドバイスをしたスダエフは当時すでに健康状態が悪化しており、結局ミハイルのAK47が完成するのを見ずに1946年に他界している。

「お前が勝ったらコニャックをおごる。オレが勝ったらニワトリの鳴き真似をしろよ」
という約束をするシーンまで混ぜてきたんだから、なにかそのあとのドラマを作ることができたはずなのに放ったらかしというシナリオの荒さ。

実は崩壊前の旧ソ連の映画って結構好きだった。

崩壊後のロシア映画って、ひたすらハリウッドのアクションとCGを真似している劣化コピーのようになってしまっているのが気になる。

今のロシア映画って「ガガーリン」、「T34」や「スターリングラード」とか旧ソ連共産党時代のノスタルジーにひたすら浸っている。

旧ソ連時代は良かった…なんせ超大国アメリカと並んで世界を二分し、ある領域ではアメリカを凌駕して世界トップだった…それにひきかえ今のロシアときたら…みたいな年寄りの繰り言と若者の不満みたいな空気に刺さるのかな、ソ連共産党時代を美化した映画って。

タルコフスキーのような映画作家ってソ連共産党時代の非人間的な不自由さに反発していたはずなんだけど…

なんだか「ロシア」に変わってロシア映画はとても幼くなった気がしてならない。



2021年11月22日
















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