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コクサイのミリポリ〜1984年のM10を再生してみた〜
当時のメッキブルー仕上げをニッケルメッキ調にしてみたらなかなか悪くない

Old school

コクサイのミリポリ〜1984年のM10を再生してみた〜当時のメッキブルー仕上げをニッケルメッキ調にしてみたらなかなか悪くない

我が家にある多分2番目か3番目ぐらいに古いモデルガン、コクサイのM10ミリポリがこの40年タンスの肥やしになっていたがいい加減なんとかしてやりたくなった。

記憶では購入したのはちょうど40年前。

大阪梅田のキディランドだったと思う。

当時はキディランドに限らずモデルガンは街の玩具屋さんでも普通に売っていた。

ガンショップだけでなく、玩具屋さんも巡って面白いモデルガンがないか見て周るのが当時の習慣だった。

コクサイの新しいABSリボルバーシリーズが次々と発売され当時は活況だった。

1984年のこと、コクサイのリボルバーはABSメッキモデルで復活した。

復活というのは悪夢の46年規制、とどめの52年規制で金属製モデルガンがほぼ消滅し、ABSモデルガンのいかにもおもちゃ臭いプラテカテカのテッポに愛想が尽きかけていたタイミングでコクサイからステンレスメッキのM66、ブルーメッキのM36などが次々発売されモデルガンのオモチャ臭さが大幅に緩和されたから。

ブルーモデルといってもコクサイは銀メッキの上から茶色っぽい黒塗装でS&Wなどのグロスブルーを表現していた。

実銃もこんなに茶色いのかな?とか疑問に思いつつもミリポリは好きなテッポなので飛びついて買った。

家に帰ってしげしげとよくみたら、なんか変…

テーパーバレルに固定サイト、確かにミリポリの特徴は掴んでいるんだけどどうも思っていたミリポリのイメージと違う。

それでなんとなく気に入らないまま、押し入れに入れっぱなしにしていたら、数年後にはほとんどいじっていないのに表面のブルーというか茶色塗装が半分ほど剝げてパンダみたいなツートンカラーになってしまった。

当時使っていた強めのガンオイルがダメだったのかもしれない。

その時点でこのミリポリは私にとって完全にジャンクとなった…





あれから幾星霜…気がついたら購入以来40年
相変わらずのパンダ状態のコクサイミリポリ




一時期完全に剥がしてアルミブラックで本物のブルーにしようかとも思案していたが
コクサイのメッキはブルーかからないという情報もあったし
キレイにできる自信が当時無かったのでそのまま放置していた




最近ニッケルメッキモデルに凝っているのでこれも
いっそ完全に剥がしてニッケルモデルということにした
なんとなくそんな感じの色だし…ピカールでガシガシ磨いてほぼ銀色に




ずっとこのミリポリが嫌いだったけど磨いたら雰囲気が出てきたので水彩画調に写真を加工




さらにフィルム調に加工して銀塩写真風、セピア調に加工




色がパンダ状態という以外は完動品だったので今でも発火はできると思うが
さすがに40年前のABSと亜鉛合金なのでいつ崩壊が始まっても不思議ではない
グリップ前についているメインスプリングテンションスクリューは一番弱い状態に緩めた
おかげでハンマーが落ちる音は「ペチッ」みたいな情けない音w




フレームにはMODEL OF 1983という刻印があるがおそらくコクサイの設計脱稿の年だと思う
当時このモデルを買ったちょっと前にM19とM66が発売されて話題になっていたから
M19を発売して一部金型を修正して翌年の1984年にM10を出したんじゃないかと思う
このM10はおそらくコクサイのメッキミリポリファーストロットだと思うがその記憶とも合致する




(上)コクサイミリポリ(1984モデル)と(下)タナカのM36トラビスモデル




(上)コクサイミリポリ(1984モデル)と(下)タナカのM36トラビスモデル
最近のニッケルメッキモデルに凝っているがこうなるとパールグリップが欲しくなる
探してみたが出物がなかったので5年前に購入したコクサイの
ミリポリ最終版についてきたプラグリップをつけている




そのコクサイミリポリ最終版(下)との比較
下のミリポリは5年前コクサイが消滅した後最終ロットの流通在庫を手に入れたもの
図らずもファーストロットと最終ロットがそろった




コクサイミリポリファーストロット(上)と最終ロット(下)
こうして並べてみると同じコクサイのミリポリだがかなり金型が修正されているのがわかる




コクサイミリポリ最終ロット(上)とファーストロット(下)
昔のミリポリはどこがおかしかったのか以前にも詳しく比較を書いたのでここでは一点だけ
Kフレームは最初M19が発売されその金型を転用してM10も製作されたので
部品の共用化のためにシリンダーの長さが357マグナムのM19と同じサイズになっている
これがミリポリらしく見えない最大の理由でさらにフレーム上部が異様に分厚い




メッキモデルなのでこの欠点は工作で直すのは至難なのだが
磨いたらなんとなくシャープに見えてきたということで目を瞑ることにした
お約束のシリンダー写り込みカット




ローマンでやったシリンダーインサートリアル化塗装も
ガッシュの黒でベースを塗りつぶしメッキスプレーの
カッパーを塗料皿にとって面相筆で弾頭部分に塗った
インサートは一切削らない完全合法品のリアル化塗装だ




リボルバーといえば一番好きなアングルがこれ
バックストラップのこのカーブが好き




最終ロットについてきたABSグリップはキレイな仕上がりなんだけどやはりテカリすぎでプラっぽい
パールグリップが手に入らない場合またリアル木グリ塗装をするか思案中




最初と最後のミリポリ




ニッケルメッキのチーフスペシャルと




タナカのディテクティブと



40年前のことをいろいろ思い出してきたので少し思い出話を…

子供の頃、駅前のおもちゃ屋とかの店頭のガラスショウケースに金属の黒いモデルガンが普通に展示されていた。

当時モデルガンは亜鉛合金製ではあったが、金属の黒い、しかも銃身はインサートが入っているとはいえ貫通していた。

これで紙火薬を発火させるとすごい音と火が出ていた。

ガキだった私はヨダレを流しながらガラスケースにへばりついていただけだったが…


ところがこのモデルガンを持って飛行機に乗ったり銀行に行ったりするバカが現れたので、悪夢の46年規制が来てしまった。

モデルガンはすべて銃身を金属で完全閉鎖すること、外観は白か黄色のペンキで塗りつぶすこと…これが46年規制の骨子だった。

もう街のおもちゃ屋の店頭にはモデルガンは並ばなくなった。

黄色いモデルガンなんか誰も買わないから…


ようやく色は白と黄色だけでなく金色もなんとかお目こぼしにあずかれることになった。

ただしこれも金属磨きで磨いて銀色にしたら直ちに法令違反になるという厳しい条件つきで…

そこに工作機械を使って銃身をくり抜くバカが現れ始めてとどめの52年規制が来た。

モデルガンは銃身を完全閉鎖するだけでなく主要部分は強度を持ってはいけないという内容

金属モデルガンはその重さを楽しむだけのものになってしまった。


どうせ強度を持たすことができないならと、プラスチック製モデルガンが出て来た。

しかしあのプラモデルのようなテカテカした色がどうしても好きになれなかった。

しかも軽い!


それやこれやで一時期テッポに対する興味はすっかり醒めていた。

そこに各メーカーからメッキモデルが出て来た。

重さの問題は相変わらずだが、とりあえず見た目の質感はリアルになって来た。

特にステンレスメッキの技術の進歩が著しかった。

当時のキディランドの店員によると(当時はキディランドにも銃に詳しい店員が一人二人いた)
「日本人は銃というと黒い色じゃないと納得しないけど、アメリカではむしろステンレスモデルの方がよく売れるそうですよ」
という話で、メッキモデルで俄然またテッポに興味が蘇って来た。

このページの最初の方で触っていたコクサイローマンステンレスモデルとかはその当時購入したもの。

そしてやっぱり気になるミリポリということで、発売とほぼ同時期に買ったのがこのM10だった。

確か40年前、阪急梅田のキディランドで購入したものだ。


そのミリポリも幾星霜…結局40年間押入れの肥やしになる。

その間世の中もすっかり変わって、ガキのおもちゃとバカにしていた弾が出るエアガンがすっかり主流になってモデルガンは世間の片隅のテッポマニアのそのまた片隅に追いやられることになった。

もうキディランドにも昔の家の最寄りの駅前玩具店にもテッポなんか一挺も置いていない。


この話にオチはない。

久しぶりに手にしたミリポリが40年前の製品だということに気づいてちょっと昔のことを書きたくなっただけ。



思い出しついでに梅田のガンショップ『モデルン』について…

当時キディランドと同じぐらい通っていたモデルガンショップで、あの当時は阪急梅田のニューOS劇場と阪急ファイブの隙間みたいなところで営業していた。

ウエスタンショップとモデルガンショップを兼ねたような店だった。

そこでCMCやMGCの金属モデルガンをかなり大量に買っていた。

そのテッポたちの大部分は90年ごろに手放してしまったが。


モデルンの店内は3畳あるかないかのかなりの狭さだったが、金属モデルガンは充実していた。

店の奥にはヒゲの社長かバイトの兄ちゃんかどちらかがいつも店番しているような店だった。

その社長と親しくなったのでこの変わった店の名前の由来を聞いたことがある。


子供の頃、満洲に住んでいたがその時街に買い出しに行く母に手を引かれて、どこまでも続く埃っぽくて黄色い大地を歩いたことがあるという話で由来話は始まった。

買い物についていくと街にあった「モデルン」というおもちゃ屋さんによるのが楽しみだったとのこと。

やがて満州から引き揚げて来た時に、何もない着の身着のままだったところから始めていろいろな商売をしたそうだが、最終的にウエスタンブームに乗ってウエスタンショップをやったところやっと商売が軌道に乗り始めた…

その時に子供の頃にワクワクした「モデルン」という店名を思い出して、それを店の名前にして衣服・雑貨だけでなくおもちゃも取り扱うことを思いついたのだとか。

私が通い始めた当時もモデルガン半分ウエスタンファッション半分みたいな店だった。


しかしその後梅田ニューOSも阪急ファイブも新しい商業施設に建て替えのため無くなってしまった。

モデルンも取り壊されたのでその後どうなったかわからなかった。


そのあとのことを知っている人がいて、その後モデルンは千日前かどこかに移転したらしい。

そこでもしばらく営業していたそうだが、代替わりしたらしい。

40年前にあのヒゲの社長はすでに50代、60手前ぐらいの年だったから今ご存命でも90代、100近いお年だろう。

今では実店舗は閉めて住吉で通販専門のガンショップとして営業しているらしい。

代替わりもしているだろうし、業態もすっかり変わっているだろうけど未だにその店名だけが残っているということを聞いてちょと嬉しくなってしまった。


これもオチはない

あえてリンクも貼らないがググったら1番目に出てくるので簡単に探せる。







2024年5月15日
















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