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Osakan/Osakan

Osakaあるいは関西への愛憎こもごもに吾泣き濡れて


このページで「ITリテラシーの地域格差〜こんなに地域によって数字の差があるとは思わなかった」というようなタイトルで、
「なんとなく地方と首都圏のITに関する格差は各自治体が旗ふりをしてスローガンを掲げているほど縮まっていないような気がする」
という雑感を書いたところ、サイトのBBSで
「大阪はまだまだ捨てたもんじゃない、根拠のないことを書くな」
というような注意をいただいてしまった。

こういうことを書くともっとクレームが一杯くるんじゃないかと思っていたので、これが初めての反論だったのが逆に不思議なのだが(それだけこのページが読まれていないということなのだろうが)ちょっと書き足りない気がするのでもう少し書いてみる。

このページはきっちりした統計資料を元に論文を書いているわけではない。だから多くは私の主観に基づいている。しかし客観的なデータをそろえないと何も書けないというんじゃ窮屈だ。

ここは私の実感を書き記す場所にしたいので反論は歓迎だが、根拠は「私はそういう実感を持った」ということでしかないことを断っておく。

さらに断っておくならこれはオオサカ嫌いの東京人が大阪の悪口を書いているページではない。
なぜなら私自身が物心ついた時からの大阪育ちで、大阪に40年以上住んでいて途中京都に住んでいたり、兵庫に住んでいたりということは数年ずつあるものの要するに私自身がほとんどピュアな関西人であるからだ。
その関西人エクソダスから見て今の大阪、関西には愛憎こもごもに感じざるを得ない状態なのだということを前提として頭に置いて読み進んでもらいたい。

大阪という土地は「偉大な田舎」という言い方をされる。
「日本の痰壷だ」とかのたもうた国会議員もいた。
これはひどい言いようだが、名古屋のことを「痰壷だ」なんていう人はいない。
なぜ大阪はこんな言われ様をしなくちゃいけないんだろうか。

それは私が思うに大阪人の、あるいは関西人の底流に根強く残る「選民思想」、あるいは「中華思想」が鏡のように映されたものだと思う。

大阪は政治首都ではない。
このことは客観的な事実だが、「政治的には首都ではないが経済の首都である」という意識はやはり根強い。
早い話が関西人が大好きなスローガンが
「東京には負けてへんでぇ」
というやつだ。
なぜ東京と張り合うんだろうか?
もはや経済規模は首都圏と関西圏では一ケタ違うのに。

それよりも
「日本最大の地方都市である」
と言った方が楽だし、事実に即している。だから
「名古屋には負けてへんでぇ」
というべきなのだ。
なのに関西人はそういう言い方を嫌う。
「名古屋なんか問題にしているんじゃない、商都大阪を再び日本最大の経済圏にするのだ」
ということなんだろうか。
しかし実態はもはや首都圏とはケタが違うのだ。
それどころかうかうかしていると名古屋にだって追い抜かれてしまいそうな状況だ。

今は下火になってしまったが、数年前に首都移転構想なんて話が持ち上がると
「それ、大阪遷都や、国会議事堂は中之島公会堂やな」
てなかんべむさしの小説のようなことをまじめくさって言い始める。

面白い土地柄だとは思うが、この「選民思想」が時に自分たちのポジションを客観的に見る目を曇らせているように思うのは私だけだろうか。


関西には関西国際空港という日本初の海上空港がある。
この空港は関経連の肝いりでオール関西財界が、大運動を展開して建築した立派な空港だ。
ところがこの空港が巨大な負債を抱えて一向に経営が好転しない。
それは

「国が国策として空港経営をしてこなかったからだ。成田空港は国税をつぎ込んで建設したのに関空はほとんど民間の借財で建設するはめになった。国土交通省は結局『建設許可証』を発行しただけだ、こんな不公平があろうか」

ということになる。
それは一面の事実を言い当てているが、あくまで一面に過ぎない。

ある関西財界主催のセミナーに参加した時に、国交省のキャリア官僚が参加するということで、こういう論理を参加した財界人がまくしたてたことがある。
この時にこの官僚はこう冷静に言い放った。

「皆さんの言い分はよくわかる。しかしその論理は関西でしか通用しない論理だということをもう少し知っていただいた方が良い」

この官僚は実は関西出身の人だったのだ。
だから関西人がそういう感情を持っているのは、自分も生まれ育ったわけだからわかりすぎるほどわかる。
しかし中央官庁ではそういう理屈は誰にも相手にされない。
この時に居並ぶ財界人の反応はどうだったかというと、
「関西人の彼がそういうのならもっと違うビジョンを関西は提示しないといけないな」
という前向きなものも少数はあった。
しかしそれよりも大きかったのは
「関西人のくせに官僚になるとそういうもんなんだな」
という鼻白んだような空気だった。

関西は
「関西をなんとかして欲しい」
という思いが強すぎて、全体を俯瞰的に見る大きさが欠けている。
国はこの時に同じ国際ハブ空港としてスタートした成田空港が軌道に乗るかどうかがよくわからない状況にいたわけで、そんな時にもうひとつ
「国際ハブ空港としてアジアの物流の拠点にする」
なんていう看板を掲げた空港を抱え込むわけにはいかなかったのだ。
それに本当に国際ハブ空港という観点を持つなら羽田空港の滑走路を4本にして羽田を国際ハブ空港にするという構想の方が現実的かも知れない。

国際ハブ空港というのは単に24時間離発着ができるだけでなく、その背後に大消費地を抱えていないといけない。
そうであるなら、やはり関西ではなく成田であるべきだし、もっと言うなら成田ではなく羽田であるべきだったのだ。

そういうことは置いておいて関西人は
「中央官庁は関西に冷たい」
ということばかりいう。

彼らビジョンを持った官僚からすると
「関西人はもっと自助努力をしてもらいたい」
ということなのかも知れない。

それじゃ関西という土地はずっと自助努力をしないで、国からおりてくるミルク代を当てにしているような土地柄だったのかというとそうではない。
むしろ新しいビジネスモデルは常に関西から生まれてきたと言っていいい。

ざっと思いつくものを挙げてみると
商品先物取り引き、インスタントラーメン、カラオケ、自動券売機、自動改札、動く舗道、プレハブ住宅、シャープペンシル、テレビデオ、自動販売機、回転すし、文楽、ノーパン喫茶・・・
まだ他にもあったかも知れないが、みんな関西発のものばかりだ。

これらのものは関西で生まれ、やがて日本全国に広がりそのうちのいくつかは世界を席巻している。
関西は偉大な知恵の宝庫だったのだ。
だから、関西こそビジネスの発祥地だというプライドを持つことは悪いことではない。
しかし注意しないといけないのは、ここに挙げたものは古いものは300年以上昔のものもあるが、新しいものだってもう30数年以上の年月が経っているものばかりなのだ。

つまり関西人はこの30数年間これといって新しいものを生み出していない。

残念ながらこれが現実だし、関西が地盤沈下している最大の理由なのじゃないかと思う。
東京の街で仕事をしていると実に多くの関西人に遭う。
東京はかつては地方都市の人口を吸収する街だったわけだが、今では関西から多くの人材が流出している。
かつては関西で知恵を働かせていた人材が、今では首都圏で知恵を働かせている。
認めたくないことだが、やはり地方と首都圏の間では大きな落差があって、特に関西はもう風化に耐えられなくなっているのだと思う。

関西には優良企業もたくさんある。
しかしこれらの優良企業も登記上は関西に本社はあるが、事実上の本社はもう既に東京にあるのだ。
私自身、関西にいた時に関西企業に取材を申し込むのにわざわざ東京の広報を通さないといけないという理不尽を何度体験したことか。

生きのいいところは東京へ行ってしまい、大阪に残っているのは老害を抱えた組織ばかりなのだ。

ITビジネスにしてもそうだ。関西よりも福岡や中部地方にこそむしろ多くの萌芽を感じる。 関西が一番大きな落差を持っているのだ。

じゃあどうしろというのかというと、私にも良い知恵は無い。
関西人はもっと良い知恵にはお金を払うという発想の転換が必要だと思う。
元々そういう土地柄だが、関西人の即物主義はますます強くなっていると思う。
形の無いものにはお金を払う習慣がないのだが、産業がますますソフトウエア化している今の経済情勢には、関西人気質というのはマッチしにくいように思う。

ITリテラシーの落差という話から思わぬところに広がってしまったが、このITリテラシーだってそうなのだ。例えば沖縄みたいなところはITリテラシーなんか無くたって何となく皆のんびり生きているし、そういう環境だからそういうものを知らないし知る必要も感じていない。
ところが大阪のようなところこそ必要だし、知るべきなのだがそういうことに掛ける気力が萎えているような気がする。
だから小振りなアイデアばかりで、かつてのインスタントラーメンやプレハブ住宅のような全世界を席巻するようなアイデアが出てこないのだ。

冒頭書いたように私自身も関西エクソダスだから、関西にはがんばって欲しいとは思うのだがどうも悲観的にならざるを得ないのは悲しいことなのだ。




2006年2月21日













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