3年くらい前だったか、ユビキタスチップという事後書き込み可能な一種のICタグの実用実験を大々的に神奈川でやるというので取材に行ったことがある。
実験は農家で出荷時にユビキタスチップを野菜やタマゴに貼り、このチップから情報を読み出せる機械にかざすとその食品は「誰が」「どこで」作ったのか、「農薬や抗生剤」「合成肥料」などをいつ何回使ったかなどの情報を全て見ることができる、要するに「生産者の顔が見える」トレーサビリティが実現できるという実用実験だった。
このベースになっているTRONを提唱した東大の坂村教授が取材陣の共同記者会見に応じた。
会見内容が前向きなテクノロジーの話だったので、最初会見は和やかなムードで進行していた。ところがどこかの新聞社だったと思うが記者が、
「農薬使用履歴がはっきりするトレーサビリティというが、要するに農薬の使用を全て止めて皆有機無農薬農法に切り替えてしまえばこんな手間も必要ないのでは?」
と質問した。
これに対して、こういう問題は坂村教授の専門外であるはずなのだが教授は気色ばんで
「あなたねぇ、世界中の農家が全て有機無農薬農法に切り替えたら人類の4分の3は今すぐ餓死しますよ。それは空理空論というものじゃないですか?」
この時の坂村教授の剣幕にちょっと驚かされた。
しかし坂村教授はかつて「正義の美名」のもとに心血注いだTRONをお蔵入りさせられた苦い経験を持っているのでこういう紋切り型の正義感に対して強い憤りを感じるのではないかと思い当たった。(詳細は「なんちゃってIT用語辞典の「TRON」の項目を参照)
何が言いたいのかというと、マスコミはバカだということを言いたいのではない。この世は見当違いな理屈を金科玉条の原理原則のように勘違いした「いびつな正義感」であふれかえっているということが言いたいのだ。
以下思いつくままに昔の例も含めて上げてみる。
まず勘違いした環境保護運動が北朝鮮の外貨獲得を助けて、ボルネオの自然林を破壊しているという話はどうだろう。
今から15年くらい前の話だが、環境ホルモンや地球温暖化などが話題になって、環境保護のために緑を守ろうなんていう気運が盛り上がった。
そして「地球に優しくない」という理由で木材を使い捨てにする「割り箸」が環境破壊製品の槍玉に挙げられ、自分の箸を持ち歩く人まで現れてこの風評被害で割り箸メーカーは壊滅的打撃を受けてかなり多くの会社が廃業に追い込まれた。
環境保護運動家は「正義の勝利だ」と快哉を叫んだ。
しかしそれで結局どうなったか?
それから数年間松茸が記録的な凶作になった。
国内では松茸がほぼ収穫できなくなって、市場には外国産の松茸ばかりが流通するようになった。
もっとも高い値がついたのが北朝鮮から輸入される松茸で、環境が日本に似ているので香りや形が国産松茸に似ているという。
なぜこんなに国産松茸が凶作が続くのか京都府の農業試験場に取材したことがある。
そしたらその理由は簡単なことだった。
松茸山というのは自然な環境ではなく、元々禿げ山だったところに人が手を入れて赤松などを植林したところにこのキノコは生えてくるのだという。だから人類が絶滅したら松茸も多分一緒に絶滅するだろうということだった。
人工的な植林だから歩留まりを考えて松の苗は密集して植えられる。しかしこれがある程度成長してきたら間引きをしてやらないといけない。そうしないと松の木は元々少ない栄養を奪い合って大きく成長できないのだという。
だからその松の若木を間引きしたものが間伐材で、松の間伐材は木材としては非常に価値が低く建築用の木材としてはほぼ利用できない。
こういう無価値な木材を引き取っていたのが割り箸業者だった。
ところが例の環境保護運動で割り箸製造業者は壊滅打撃を被ったので、もうあまり間伐材を買い取らなくなった。
わずかに生き残った業者も国内では風当たりが強いので、ボルネオ辺りの伐採林から木材を調達するようになった。
この結果かつては環境順応型の割り箸産業はボルネオ辺りの自然林を破壊しはじめるようになり、日本の里山の林業は高齢化が進んでいるので割り箸業者が間伐材を買い取ってくれないのなら、もう誰も間引きをしなくなって山は荒れ果てているという。
実際農林試験場の人と一緒に車で山を見て回ったが、間伐をしなくなった山は結局松の木が立ち枯れになってしまい、元の禿げ山に戻ってしまう。
昔は間伐材はまき木として使っていたから、自然に里山の手入れはされていたが、今はガスが普及して間伐材は燃料として使われることはほぼなくなった。
それでも割り箸業者が買い取ってくれたのでわずかに現金収入には繋がっていたのだが、今はその道も閉ざされ山は放置され、松が立ち枯れた山は土砂を川に流し込んで川の生態系を壊し、鉄砲水の原因にもなっている。
そして松茸の凶作で北朝鮮に莫大な外貨を稼がせている。
今は経済制裁で北朝鮮産の松茸は中国辺りで買いたたかれているそうだが、嫌韓嫌朝の連中のように「ざまあみろ!」と快哉を叫ぶ前に、そもそも国内の松茸を死滅させたことから学ぶべきことがあるんじゃないだろうか。
これと同じようなことは世界中で起きている。「クジラだけを保護」する国際捕鯨委員会の決定のおかげで海の生態系が壊れて漁獲量が激減しているという事実は、白人至上主義の環境保護運動によってまさに海の環境が破壊されているという典型例だ。
今から12年前に神戸で大震災が起きた。
私は震災が起きた初日から神戸市内に入り、神戸、西宮市内各所を転々と場所を変えて結局1ヶ月近く現地に寝泊まりし、私自身は被災者ではないもののほぼ被災者と同じような生活を体験した。
その時にあちこちで目撃したこんな事実がある。
東灘区のある小学校が避難所になっていて、ここに1000人以上の被災者が寝泊まりをしていた。
彼らの大部分は一瞬で家を失い、場合によっては家族や知り合いを失いここでとりあえず寒さと雨を凌いでいる。
その小学校の玄関口に全国から「救援物資」として弁当やおにぎりが積み上げられていた。
この神戸の災害の報道に全国の人々から
「困っている神戸の人たちを助けたい、なんとか役に立ちたい」
と皆個人の浄財をはたいて送られてきた食料が大部分だった。
ところがこの学校というか避難所を管理している市の役人は、この弁当を誰にも配らないでただ無駄に腐らせていた。
なぜそんなことをするのかと訊くと
「この弁当を配っても全員には行き渡らないのだ。不平等が起きてはいけないから全員に配ることができる量が来るまでは配布はできない。」
ということだった。
「不平等でも何でも、全国のボランタリーからの寄付なんだから2回に分けて配布するとか工夫をしたら?」
といっても
「混乱の原因になるのでそれはできない」
の一点張りだった。
結局震災直後の最初の4〜5日程度はこうやって送られてきた救援物資を全部棄てていたんじゃないだろうか。これは東灘に限ったことではなく、神戸市内の至る所でこれと同じことが起きていたはずだ。
これも「役人はバカだ」ということを書きたいのではない。
こういうのは「悪平等」の典型的な例だが、役人だけでなくマスコミにも「識者」といわれる人にも一般市民にも、もうこの悪平等のセンスは染み付いていると思う。
事実この東灘の小学校ではこの「措置」に不満を言う被災者はいたが、誰もそのことで抗議もしないし暴動も起こさない。
ニューオリンズでこれと同じことをやったらアメリカ人は本当に暴動を起こしたんじゃないだろうか?
こういう不条理が目の前で起こっていてもそのことをなんとかしろというと返ってくるのは
「不平等が起きてはいけないから」
という理由で、我々日本人はこの言葉を言われると一切反論ができないように見事に教育されていることに気がつく。
とにかく平等は善であり、不平等は悪なのだ。
このことに異論を唱えるヤツは、自分の利益のために社会正義をねじ曲げようとする「悪いヤツ」で、「甘い汁を吸う」ためにルールをかいくぐるヤツなのだ・・・というようなインチキな「社会正義」が見事に刷り込まれている。
これのどこがインチキなのか。
例えばタイタニック号が沈没する時に
「この船には2000人の乗客が乗っているが、救命ボートは800人分しかない。だから不平等が起きてはいけないのでこの船は間もなく沈没するが、全ての救命ボートの使用を禁止する」
と船長が宣言したらどうだろうか?
この宣言のどこに正義があるのだろうか?
みすみす助けることができる800人の命を見殺しにしたという犯罪行為が残るだけではないだろうか?
笑い事ではない。こういう悪平等センスが下々からマスコミ人、政治家にまで染み付いていてこれがあらゆるところで物事の論点をねじ曲げている。
学校では徒競走はゴール前で全員が手をつないで「全員が一等賞」なんてやっている。
「一等になった子ばっかり褒めるのは、一生懸命走ったビリの子供の心を傷つけるではないか」
というおシャモジおばさんの強権により学校教育、特に公立の学校の教育は歪みまくっている。
成績優秀な子供に合わせて授業をすると、すぐに親からクレームが来る。
「教育の切り捨てではないか?」
ということだ。
仕方なくクラスで一番勉強ができない子のレベルに合わせて授業は進められるので、公立学校の授業の質の低下は目も当てられない。
しかもそういうことに配慮して勉強ができる子供とできない子供のクラスに分けようとすると
「差別だ」
とくる。
こういうおシャモジおばさん、勘違い父兄の横暴によって学校教育は今では完全に機能しなくなっている。
こうして「平等は善、不平等は悪」というイデオロギーを刷り込まれた国民が過半数を超えたいまでは、政治家もこういう愚民に受けの良い「衆愚政治」がもっとも効率が良いということになる。
民主党の菅直人代表代行が
「金持ち優遇の証券税制は今10%課税の特例軽減措置が行われているが、これは廃止して20%でも30%でもいくらでも税金をかけるべきだ。金持ちを優遇する税制は必要ない」
とのたもうたそうだ。
今は全ての愚民はなにがしかの不満を持って生活している。
生活だって楽じゃないし、企業業績が上がったって個人収入はちっとも上がらないではないかという不満を持っている。
そこに
「お前が苦しいのは、この世の中にお前の分まで甘い汁を吸っているヤツがいるからだよ」
なんてささやきをしたらどうなるだろうか?
こういう政治スローガンはいかにも受け入れやすい。
証券税制の軽減措置で配当税、キャピタルゲイン税が一律10%(元々は20%)に軽減されているのは株をしこたま買い込んでいる金持ちが得をしているだけで、庶民は苦しめられている。
だから金持ちから思いっきり税金を取って借りを返してやろう・・・
実はこれと同じスローガンを言い続けて大成功した政治家が歴史上に存在する。
アドルフ・ヒットラーだ。
これは衆愚政治だ。
個人は不満のはけ口を「金持ち撲滅」に見いだし、これで溜飲を下げるだろう。しかしこのスローガンは口には甘いがどういう正義もない。
まず第一に証券投資をしているのは「金持ちだけだ」なんてどういう根拠で言っているのだろうか?
実際証券業協会のデータはそれとはまったく逆のことを言っているのだが。
しかも30%なんて高率の税金をかければ国際金融市場としての東京の立場はどうなるのだろうか?
外国人投資家は「東京が機能しないなら、お金はシンガポールと上海に移すまでだ」と判断するだけの話だ。こうしてますます日本は経済後進国への道を突っ走っていくことになる。
こういう存在しない敵をでっちあげて「その怒りのパワーで私を支持してください」なんていう菅直人という人物は非常に危険な政治家だ。
こういう人物が代表代行である限り、民主党は絶対に支持する気が起きない。
実際日本国民も同じような心境であると思いたい。先日の愛知と北九州を見ていると夏の参院選は民主党の記録的な大敗に繋がると個人的には予想している。
いずれにしてもこういう負の感情を喚起する「格差是正」というスローガンこそいかがわしい正義ではないだろうか。
赤坂の議員宿舎が巨額の税金の無駄遣いだというけど、国際的に見たらどうなんだろう。
あの程度の議員宿舎も持たずに先進国ヅラするつもりなんだろうか?
政治家も役人もこういう愚民の特性に上手くつけ込んでいる面もある。
日本の財政赤字はもはや看過できいない水準にきてこのままでは、10年待たずに日本の財政は破綻するという。
そうするとかつてのブラジルやメキシコのようにデフォルトが起こりハイパーインフレが起こる。
それはアジア通貨危機を見てもあきからではないか・・・
こんなまことしやかなことを、役人が資料を出してそれを煽るいい加減な「経済評論家」もいる。
しかしこれは本当に事実なんだろうか?
確かに今のような無軌道な特別会計をやっていたら間違いなく国は破綻するだろう。
でも注意しないといけないのは「特別会計」といっても必ずしも財政赤字とイコールではないことだ。
公団や公共法人を隠れ蓑にして「特別会計」を食い物にしている役人上がりもたくさんいるが、こういうものは見直さなくてはいけない。
しかし外国為替特別会計などは借入金が100兆円も積み上がっているとはいっても、これは役人が全部飲み食いしてしまったわけではない。
それどころか財務省の為替介入に使われ、これで円を売ってドルが買われ、買ったドルは遊ばしてはいけないので全てアメリカ政府の債券購入に充てられた。
日本の政策金利はほぼゼロだが、アメリカの政策金利は5%以上もある。
実際には長期金利差で利益が出るのだが、それでもこの買い物は年間4兆円もの利息配当益を生んでいる。
日本全国の税務署が稼ぎ上げてくる相続税の税収が1.5兆円しかない時に、4兆円をしかも何もしないで稼いでいるのだ。
かつて銀行に注入した「公的資金」だって当時はマスコミを筆頭に
「国民の血税を働かない銀行にくれてやるのか?」
なんていっていた。ところが実際には、この「公的資金注入」は血税をくれてやったのではなく「銀行株」を政府が買って資金供給したのであって、しかもこれは時限立法で売却して返済させるという性格の資金だった。この「資金注入」のおかげで、銀行は立ち直り株価は上昇して実は政府は莫大な利益を得たのだが、そういうことは正しく伝えられているのだろうか?
税収だって財政破綻どころか、景気回復とともに増税なんかしなくたって間もなくプライマリーバランス(収入と支出のバランス)が均衡するという健康状態に近づける見通しが見え始めている。
なのに相変わらず「朝日ジャーナリズム」式の報道がはびこり、報道ステーションでは古館伊知郎が
「私たちの血税が無駄に使われ、政治家は政治資金を不正流用してはらわたが煮えくり返る」
なんていっているが、そういう安直な正義感を振り回している古館伊知郎の顔を見ている方がはらわたが煮えくり返る。
ここまでの長文は、マスコミはバカだとか、政治家や役人は汚いとかそんなことを言いたいのではない。そういう現実もあるかもしれないが、何を言いたいのかというと
安直な「歪んだ正義感」でいかに物事は事実関係がゆがめて伝えられているか、またそういう歪んだ情報をいかに我々市民は喜んで受け取るのか、そういう原動力になっている歪んだ正義感がいかに我々に浸透しているか
ということを書きたかったのだ。
例によってMacのトラシューともアプリとも関係ない話題なので、興味のない方、不快感を感じる方は読み飛ばして欲しい。(ということをまた文末に書く、確信犯な私だが雑記のページに書くとあまり多くの人に読んでもらえないので、確信犯してしまった)
2007年2月7日
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