Previous Topへ Next

カンブリア紀以降の世界の鎮静
/10 years after

10年後のPCなど個人用情報機器の世界なんてのを軽く予想してみた


今漠然と考えていることを、まとめておこうと思う。
なんとなく個人を取り巻くITとかパソコンとかどういう世界になっているか、という予想だ。
ひとつ断っておきたいのはこれは私の希望的観測ではない。というよりも個人的な希望を言えばこの通りにはなって欲しくないのだが、こうなってしまうのではないかという予想だ。

1)Windowsはシェアを失い、OSの選択も重要性を失う
2)アプリケーションのパッケージを数万円で販売するというビジネスモデルは成立しなくなる
3)Individual Devise(個人向けパソコン)とIndustrial Devise(産業向けコンピュータ)の2極分化が進む
4)携帯電話とパソコンの境界線が曖昧になる


まず皆さんが興味深い話からすると、MacとWindowsのシェアがどうなっているかという話だ。
1番目から「Windowsはシェアを失う」とか書くと普段から私の言動を知っている人たちは

「そら見ろ、やっぱりお前の希望的観測ではないか?」

というかもしれないけど、これはそんな小さなシェア争いの話をしているのではない。

いろんな予想の立て方があるのだが、ひとつだけはっきりしているのはクライアントPCの世界で今のままWindowsという単独のプロダクトが95%のシェアを持ち続けるということはあり得ないということだ。

なぜなら、そういう必要がなくなってくるからだ。

というよりも10年後にはプラットフォームがMacかWindowsかというのはあまり重要な問題ではなくなってくると思う。10年後にはマカvsドザの口汚い罵りあいが巨大掲示板で展開されていたなんて、若い子は誰も知らないというような状況になっていると思う。
彼ら「当節の若い子」たちは自分が使っているOSが何かもあまり気にしていないだろう。
「ああそういえばオレのパソコは『ふぇどらこあ』とかいうロゴが出てくるけど、これってWindowsなの?」
というような調子だと思う。

なぜそうなるかというのは次のふたつの技術の浸透によって、供給側も消費側もニーズが劇的に変わると思うからだ。

ひとつは無線モバイルの全環境的普及。
ふたつはアプリケーションサービスプロバイダーの台頭。

これがパソコンを取り巻く状況を一変させると思う。
なぜそうなると思うかその根拠となる事実を挙げて論証するのはメンドクサイ。
そのうちそれもやるけど今は結論だけ書いていく。

無線モバイルは単なる無線LANとか高速無線LANとかだけでなく、CDMAを基調にしたケータイネットワークに依存したモバイル、ブルートゥースのような無線機器通信などのネットワークが今はそれぞれバラバラな規格として存在している。
例えばTCP/IPとHTTP、POP、smtp、ftp、UDPなどインターネットにいくつもあるプロトコルを我々はほとんど意識することなくシームレスに使いこなしている。その切り替えはアプリを切り替えることでまったく無意識にやっているが、ワイヤレス環境も同じようにいちいち環境設定やドライブで切り替えることなく普通に意識しないで「ハンドオーバー」する時代が来ると思う。

これはどういうことかというと、自宅でもパソコンはイーサケーブルなんか繋がなくてもインターネットにつなげるし、そのまま家の外にも持っていける。駅でも喫茶店でも会社でもどこでも同じようにケーブルレスでWANに繋がるようになるのじゃないかと思う。

するとどういうことが起きるかというと、デスクトップのでっかいパソコンは専門職が プロフェッショナルなビデオ編集をするなどの巨大なデータを処理するのに使うくらいで、一般的なパソコンはノート型の非常に軽いパソになるということだ。
64bitだのそんな処理能力は一般ユーザには意味がない。

それよりも昨年話題になった100ドルパソコンのような、軽くて小さくてシステムとブラウザが動くだけという機能が絞り込まれたものが主流になる。


パソコンはますます高性能、多機能化していくはずなのにもう高速処理のCPUも大型データを処理するアプリも必要なくなるというのは逆行しているんじゃないかという矛盾には、ふたつ目のオンラインアプリケーションサービスプロバイダの台頭が答えになる。

コンピュータはその発生時からプログラムコードをデータと混在させて内蔵するという原則で運営されてきた。構造の面ではこれからもその通りなのだが、ネットワークと繋がることで今までとは違う考え方が出てくる。
これまでコンピュータはスタンドアローンなデバイスだったからその入力から出力までの処理を全てその内部で完結しなくてはいけなかった。
どういうことかというとWindowsというOSをインストールするだけでは、機能は不十分でそこにワードというワープロソフトをインストールしてそれでテキスト作成と表示をやらせる、エクセルという表計算ソフトをインストールして表演算やデータ整理抽出をさせる、またフォトショップというアプリをインストールして画像ファイルを加工するなど、そこには切り離された環境でも動くアプリケーションが必要になる。

またかつてのパーソナルコンピュータは外部から支援を受けないで動作することが、その特質になっていたわけだ。それは大型オフコンのよう太いケーブルに繋がったコンソールと違って、簡単に場所を移動できるということがその美質だったのだ。

ところが今では量販店の店頭で売られているノートパソが、15年前の大学の研究室にあったスーパーコンピュータと同じくらいの処理能力を持っている。
また全てのデバイスを繋ぐイーサネット、WANという共通の規格のネットワークが整備され、そこに繋がる能力も全ての個別のパソコンが持つようになった。

そうすると、そんな大型なアプリケーションを内蔵している意味があるのかということが問題になってくる。

アプリケーション本体どころか、その処理プロセスも全部ネットワークの向こう側に任せてしまえば良い。
さらに処理するべきファイルも全部向こうに預けてしまえば、パソコン本体にはその向こう側のアプリケーション本体のスイッチを押すユーザーインターフェイスだけあれば良いことになる。
それ以外のものはこちらには何も要らないのだ。

ワードのテキストはキーボードというスイッチで入力するが、その本体のファイルとワードのようなワープロアプリは向こう側にあれば良い。
そしてそれを表示するのもレンダリングまで向こうでやらせて、こちらはそれをブラウザで見ているだけで良い。

これは表計算であろうが、メールであろうが、画像処理であろうが同じことだ。

これからはこういうサービスプロバイダーが増えていき、数だけでなくサービスの種類も等比級数的に増加するだろう。

そうしたら個別のパソコンにアプリケーションをインストールして、単独で処理するなんてのはリソースの無駄遣いだということになる。
そんなでかい処理ができるようなパソコンなんか必要なくなる。

でも待てよ、それでは出先のお客さんのところでパワーポイントを使ってプレゼンをしなくてはいけない時に、プレゼン資料を持っていけないから不便ではないか?

ところがそんな心配も要らなくなる。
そのためのシームレスなワイヤレスモバイルネットワークだ。
出先だろうがどこだろうがしっかりとしたセキュリティに守られた自分のIDさえあれば、出先のモバイルで無線インターネットに接続して、そこからネットの向こう側の自分のファイルを呼び出すことができる。
もっといえば自分のパソコンなんか無くても良いかもしれない。
借りたパソにIDを入れてやはりファイルを呼び出せる。
アプリケーションもネットの向こう側のサービスを使うので、借りたパソにパワーポイントがインストールされているかなんて心配することもない。
ブラウザさえインストールされていれば問題ない。
そしてブラウザがインストールされていないパソなんて現在ですら考えられないからだ。


つまりパソコンはもうアプリケーションを内蔵する必要もないし、ファイルも中に溜めておく必要がないから、ストレージもごく小さいもので良いし、CPUもそんな高性能なものである必要はない。
ましてWindowsVistaを動かすような強大なリソースなど何の意味もない。
あえていえばグラフィックボードくらいはちょっと良いものを入れておいた方が、楽しめるメニューが増えるかもしれないというくらいのことだ。

これが未来のパソの姿だとすると、どういうことが起きるだろうか。

まず最初の
1)Windowsはシェアを失い、OSの選択も重要性を失う
はこういうことだ。

Windowsはもっとも後発のGUIであったにもかかわらず、なぜ95%を超える圧倒的なシェアを持つことができたかといえば、バンドル戦略でワードを普及させることに成功して、これをビジネス文書のスタンダードにしてしまったからだ。
それが完成したところで、別パッケージの製品として大量販売にも成功し、その間にワード以外のワープロアプリを採用することを検討していたベンダーにWindowsそのもののライセンス停止をちらつかせて強権的にシェアを確立し、ビジネス現場に他に選択の余地がないというところまで追い込むことに成功したということが上げられる。

つまりテキストを制覇したからWindowsは圧倒的メジャーOSになれたのだ。
しかし上記の事情でテキストはモバイルで誰でも安直に簡単に(しかも無料で)いつでもどこでも利用できるというASPが台頭してきたらどうなるだろうか。
それを受信するプラットフォームは別にWindowsでなくても、MacOSXでも(10年後にはOSXIになっているかもしれないが)BeOSでもFedraCoreでも何でも良いわけだ。

そのレンダリング機能もプラットフォームに依存しなくなれば、Windowsである必要はないわけだ。

そうなったら一体誰が世界一高いワープロソフトなんかお金を出して買うだろうか?
誰が世界一高いオペレーションシステムなんか買うだろうか?
そんなメリットはどこにもない。

だからWindowsは必然的に今の95%以上なんていうシェアを失うし、今の価格を維持することもできないだろう。MSOfficeなんて製品をパッケージで販売することも不可能になる。
だからこの時代にはマイクロソフトは現在の巨大な企業組織を維持できなくなって、倒産、あるいは解散ということになる。
もっともそうなる前に潮目というものは目先の利くMSの経営陣にも見えるだろうから、倒産する前に会社の大部分を清算してWindowsとMSOfficeをオープンソースにしてしまうだろう。
ちょうどNetscapeがMozillaになったようにだ。
そうやって何らかの形でマイクロソフトとWindowsは生き残る可能性が高い。
その頃には「ビル・ゲイツ記念財団」という名称に変わっているかもしれないが。
しかしMSの幹部にとってはそれまでに充分以上の利益を手にしているわけだから、誰もこれをMSの滅亡とはいわないだろう。発展的解消なのだ。

しかしMacユーザも喜んでいる時ではない。
冒頭に述べたようにこの時代にはもうパソコンのOSに求められる機能は単なる受信機の機能になってしまうので、OSに何を使うかということは大した問題ではなくなる。別にMacOSXIでもWindowsHastaLaVistaでもFedraCoreCoreでも何でも良いのだ。

そしたらもう、このそれぞれのシェアが何%だのとかというデータも何の意味も持たなくなる。 みんな各自安くて自分の手に馴染んだものを使うだけだ。

また
2)アプリケーションのパッケージを数万円で販売するというビジネスモデルは成立しなくなる
というのも読んだそのままだ。
もうパッケージソフトにお金を出すヤツは誰もいなくなるだろう。
それよりもどこのASPがサービスがいいか、使い勝手が良いか、機能が高いかという激烈な競争になってくるに違いない。
ユーザが頭を悩ませなくてはいけなくなるのはどこのプロバイダを使おうかということだ。

だからその時代にはこのMacのアプリケーションの試用記録を綴っている当サイトも絶滅しているだろう。そんなものは意味がなくなってくるからだ。
その頃には私は楽隠居して、映画の話ばっかり書いているかもしれない。


3)Individual Devise(個人向けパソコン)とIndustrial Devise(産業向けコンピュータ)の2極分化が進む
3つ目のこの項目は、こういうことだ。
個人ユースのパソコンはこういう受信専用の100ドルパソコンのようになっていき、もはや巨大なリソースなどまったく必要としなくなる。
しかし会社などの業務用コンピュータは再び高性能化、大型化が始まり昔のUNIXのターミナルのようなワークステーションのようなスタイルに戻っていくと思う。

会社の業務で使うコンピュータはますますサーバ・クライアント化していき、例えばプロユースのデータ処理はますます巨大化、オンライン化していく。
そこで必要なアプリケーションの都合によると思うが、暫くは専用アプリケーションの都合からWindowsNTのサーバシステムは生き残るかもしれない。

しかし、ここではWindowsを採用しなくてはいけない理由がパーソナルコンピュータよりももっと希薄になっていき、Windowsサーバは最終的には絶滅するだろう。

09年問題を引き起こしていたドザオヤジどもが全て定年退職してしまえば、そんな酔狂なサーバを運用しなくてはいけない理由は無くなるからだ。

ここではサーバ・クライアント型大型業務用機と個人が個人業務で使うモバイルデバイスは完全に二極化していくだろう。


そして
4)携帯電話とパソコンの境界線が曖昧になる

ということだ。
ここまでのところをもう一度読み返してもらって何か気がつかないだろうか?
これらの変化は人類未体験の未曾有の出来事ではなく実は我々はすでにこういう出来事を一度体験している。

ケータイモバイルの世界の成立だ。

我々はケータイ電話のOSに何が使われているかなんて気にしたことがない。

そこに7割強のTRONが使われているとかLinuxも使われているとか、Windowsはほとんど使われていないとかそんなことを気にしながらケータイで通話したりメールしたりなんて全くしない。

それどころかそこにどんなアプリケーションが使われているかなんてことも気にしたこともない。

気にしているのはどこに接続したらどんなサービスが受けられるか、どこのケータイキャリアと契約したら一番サービスが受けられて料金が安いかということだけだ。

しかもゲームにしても、占いにしてもそのアプリケーションの実体はほとんど端末の中にあるのではなく、オンラインの向こう側にあるのだ。
まさにケータイの世界こそパソコンなどのインディビデュアルデバイスが目指している世界ではないだろうか。
そうなるといろいろ見えてくることがある。

個人用パソコンは仕事用であれ、趣味用であれインディビデュアルデバイスである限り、業務用コンピュータとは2極化して完全に別物になってしまうと書いた。
そして逆にケータイとこの受信機になってしまったパソコンの境界線がだんだん曖昧になってくる。
パソコンのようなケータイ電話もでてくれば、ケータイ電話のようなパソコンもでてくる。

実際、ワードやエクセルを搭載したケータイ、MacOSXを搭載したケータイのようなものもすでに発表されているし、逆にドコモやauのようなネットワークでモバイル通話もできる超小型パソというものも際限なくでてきて、このふたつのジャンルは完全に境界線が無くなってしまうかもしれない。

あとはどれくらいの規模のものが使いやすいかはそれぞれ個人のニーズでますます多様化してくるだろう。一頃のようにビジネスマンといえば皆IBMのThinkPadを持っていなくてはならないとか、テレビマンは皆MacのPowerBookを持っていないといけないとか、そういう型にハマったデバイスの選択はなくなっていくだろう。
同じ業界でもそれぞれの個人のポジションによって、何ができて欲しいかというデバイスに求めるニーズは違ってくるはずだから、皆がみんなWindowsをインストールしたIBMを持っていないといけないなんていう気持ち悪い状況はもうなくなってしまうに違いない。


冒頭にも書いたようにそんな世界になって欲しいかどうかというと、私はちょっと憂鬱だ。

ここまでの書き方でわかると思うが、そんな時代は「パソコンいじり」を趣味にしているような連中にとってはとても楽しい時代とはいえない。

というよりもそういう趣味はあり得なくなるだろう。
今だってケータイをいじっているのはそれをツールとして使ってコンテンツを利用したり誰かと通信するためであって、
「ケータイをハックしてもっと高性能にしてやろう」
なんて目的でケータイをいじっている人は皆無だと思う。
パソコンもやがてはそうなってしまうということだ。

そうすると私のような趣味はもう成立しなくなるだろう。
このサイトも閉鎖を余儀なくされるだろう。

それとも21世紀のこんな時代にもエアコンもついていないようなシトロエンのコンパーチブルをいじりたおして乗り回している人達がいるように、その時代にも骨董品のThinkPadやMacBookをいじり倒して
「オレのMacはまだまだ現役だぞ!」
なんてやっているような趣味があるのかもしれない。

「Mac同好会」
なんてじいさんばっかりの趣味のサークルで
「わたシュはPPCのiBookを持っているんでシュが、まだ起動できるんでシュよ!」
「へぇ〜! それはシュごい! どんな画面がでてくるんでシュか?」
なんて入れ歯の手入れをしながら縁側でたむろしているかもしれない。

そんな時代が来るような確信に近いものを持っている・・・




2007年2月9日













Previous Topへ Next





site statistics
青木さやか