Previous Topへ Next








アポロ13



監督 ロン・ハワード
キャスト トム・ハンクス, ケビン・ベーコン, ビル・パクストン, ゲイリー・シニーズ, エド・ハリス

宇宙で実際に起こった事件を忠実に再現した上質の歴史劇

私はUFO話や、霊感、超能力、そういう類いの話を聞くのもそういう映画を観るの結構好きだ。
UFOといえばウエルズの「宇宙戦争」に始まって、SFの世界にはそういうテーマを扱った名作が数多ある。

それじゃ私はUFOや宇宙人の存在を信じているかというと、実はそういうものを全く信じていない。 そういうファンタジーと科学あるいは事実(ファクト)とは全く別物だと思っている。
少なくともウエルズが描いたような地球を侵略しに来たり、スピルバーグが描いたような人類と握手をするためにわざわざはるばるやってくるようなET(地球外生命体)の存在を信じていない。


こういう数式を見たことがあるだろうか?
ドレイク方程式
という。


これは先日NHKの通信高校講座で天文地学の先生が解説していて、それを見て私も知った。

この数式は何を表しているのかというと、ざっくりというと

N、つまりコンタクトが可能な地球外文明の数
を求める方程式で、それぞれの変数の意味は、

R*はこの銀河系で恒星が形成される速さ
fpは惑星系を有する恒星の割合
neは恒星系ひとつあたり生命の生存可能な範囲にある惑星の平均数
flは上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fiは発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fcはその知的生命体が星間通信を行う割合
L星間通信を行うような文明の推定存続期間


となる。

それぞれの変数に入る数字は

R* = 10/年(年に10個の恒星が生まれている)
fp = 0.5 (恒星の半数が惑星を持つ)
ne = 2 (惑星がある恒星は生命が誕生可能な惑星が平均2つある)
fl = 1 (生命が誕生可能な惑星では、100%生命が誕生すると仮定する)
fi = 0.01 (生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される)
fc = 0.01 (知的文明を有する惑星の1%が通信可能となる)
L = 10,000(通信可能な文明は1万年間存続する)


で、単純な掛算だから誰でも計算できる。計算してみると

N=10

という結果になる。

つまり銀河系外のことは置いておくとしても、少なくとも我々が住む銀河系には10以上の通信可能な地球外文明が存在するという数式だ。

この数を多いと見るか、少ないと見るかは解釈が分かれる。

このパラメータは若干楽観的な数字を含んでいるが、この数式はこの銀河に10もの通信可能な文明が今現在、存在することを示しているため、電波望遠鏡を星に向けてその声を聞くべきだ。
いつかは我々以外の者が発する声を聞くことになるかもしれない。

しかし我々はその者と出会うことはまずないだろう。
どんなに楽観的に計算してもこの銀河には我々と同じ時代を共有する文明は10しかない。
それに対して、銀河の途方もない広さは、こちらのMitaka Plusというアプリケーションについての記事で取り上げた通りだ。

我々の銀河の直径は10万光年と見積もられている。
現在10の地球外文明があるとしたら、それぞれの文明間の距離は(直列に並ぶという偶然を前提にしても)最低平均1万光年ということになる。
つまりご近所までの距離は、光や電波で片道1万年かかる距離だということだ。

もしニューメキシコの電波望遠鏡が、地球外文明の存在を発見したとして、その文明にメッセージを送ったとしたら、相手に到達するのに1万年、相手が運良く我々の言語体系を理解して返信を送ってくれるのに10年かかるとして、返信が届くのにさらに1万年。
手紙の返事が届くのに合計2万10年がかかることになる。
私は勿論、私の孫だってとうに生きてはいない。
それどころかその間に人類は滅亡しているかもしれない。

2つの異星文明が出会うのはこのように、大変な僥倖だということになる。
セスナに乗ってサハラ砂漠に落としたダイヤモンドを探しているようなものだという譬えを聞いたことがあるが、まさにそのようなものだ。

さらにこの「平均1万光年」という途方もない距離が問題だ。

SFの世界では「ワープ航法」で銀河の反対側までひとっ飛びで行けることになっている。
しかしこの「ワープ航法」なるものはSF作家が考え出したもので、物理学者が考えたものではない。
物理学の基本法則では、すべての物質は光速を超える速度まで加速することは不可能だということになっている。
この基本法則は絶対に打ち破ることはできない。
「ワープ航法」
のようなメタ解決法が発見されればこの限りではないかもしれないが、現在の物理学はこの「ワープ航法」を実現できないだけでなく「どうすれば実現できるか、という当て推量の理論」すら思いつくことができないでいる。

つまり1万光年彼方にいる隣人に会いにいくには、どうしたって1万年以上は必ず時間がかかるということだ。
これは一世代では移動不可能だ。何百世代も子々孫々に引き継いでいかないと達成できない旅だ。
もし、1万年生きる生命が存在すれば、一世代でいけるかもしれないが、そういう生命の生命時計は我々とは全くテンポが合わないに違いない。
そういう生命は我々から見ると全く動かない岩か植物のように見えるかもしれない。

そういう途方もない距離の彼方にある星を、わざわざ侵略してその星の資源を奪おうとか考えるだろうか?
得るものよりもそのために支払わなくてはいけないコストの方がはるかに高いに違いない。
そんな彼方の隣人と友だちになるために、何百世代もの子孫の運命を変えてまで、会いにいくだろうか?

UFOや宇宙人を信じないというのはこういうことだ。
この宇宙のどこかにはきっと存在するだろうが、それは我々とは全く無関係に存在しているだろう。


映画評を書くつもりが、異常に長い前置きになってしまったが、何が言いたいかというと空想と科学、ファンタジーとファクト、神秘主義と客観主義は全く違うものだということが言いたかったのだ。

この世には似非科学のようなものが蔓延している。
例えば
「アポロは本当は月に行ってはいない」
とかいう類いの話だ。特にインターネットにはこの類いの話が蔓延しているが、こういうものは一種のファンタジーとしか言いようがない。
その根拠として挙げているのが、微妙な遠近感の狂った写真をあげつらって「影の向きがおかしい」とか、「旗が風になびいているように見える」とかそういう重箱の隅突つき式の根拠しかない。

それを大真面目に取り上げて、賤民盲動を煽っているテレビなどのマスコミも低劣だが、そういうものを無邪気に信じてしまう民衆もやはり愚劣としか言いようがない。

NASAだけでも数万人職員がいて、ノースアメリカンやグラマンなどの船体を作っていた会社や、宇宙服、月面車、宇宙食、各種観測機器等のエキップメントを作っていた膨大な数の民間企業、燃料を生成していた化学プラント、飛行監視に協力した世界中の公的機関、民間機関など会わせれば数百万人の関係者がこのプロジェクトにはかかわっている。
この数百万人の目をごまかし、あるいは数百万人に厳重な箝口令を敷いて、ハリウッドかどこかのスタジオで撮影した宇宙飛行士の映像を中継で全世界に流していたなんて与太話を信じろという方がおかしい。
まだウエルズの宇宙戦争の方がはるかにリアルだ。
そんなことは北朝鮮でも不可能に違いない。

またこのプロジェクトから開発された民間移転技術の恩恵を、我々は今日非常にたくさん受けている。
太陽光発電、燃料電池、ハニカム構造、新素材、NASAスクープ(NASAタイプの新しい流体力学によった空気取り入れ口)、ベルクロ(ビリッと剥がしたり貼付けたりできるあのマジックテープ)、HACCP(ハサップ、食品衛生の管理技術)、レトルトフーズ、UNIXの元になったオブジェクティブな言語を持ったコンピュータプログラム・・・etc,etc
これらの膨大な技術を駆使して、またヒドラジンや液体水素を利用したロケット推進装置を実際に製作して、その性能も確認している。
そうした推進力を根拠に月軌道に乗る軌道計算も精密に組み立てて、今日でも「その計算式がおかしい」という異論はない。

そうしたものを積み上げて、実際に月に行けるという確認もして、それでなんでわざわざハリウッドのスタジオから中継をしないといけないのだろうか?

物を作って、月に行けるという検算もしたら、実際に飛ばしてみたいと考えるのが我々人類の歴史ではないだろうか?


この映画はあの時代に実際に起こった事件を忠実に再現しているだけでなく、あの時代の空気もよく表している。

冒頭のアポロ1号の事故のエピソードに続いてアポロ11号のエピソードから映画は始まる。
例のニールアームストロング船長が
「私には小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」
とハリウッドだと言われている場所から中継で全世界にメッセージを送った時のことだ。

自宅でこの様子を見守るアポロ11号のバックアップクルー、ジム・ラベル達の様子から映画は始まる。
(バックアップクルーとは、本番のクルーと全く同じ日程で、同じ訓練を受ける影のクルー。アポロ11号はアームストロング達のミッションだったが、もし万一クルーに事故があったり、病気などでフライトができなくなった場合はバックアップクルーが即座に交替できるようにローテーションが組まれている。これで人的な問題からプログラムが遅れないように『バックアップ』されている。
この物語のアポロ13号のクルー達は歴史的なミッションのアポロ11号のバックアップクルーだった)


ウォルター・クロンカイト(この時代を代表するテレビアンカー、ジャーナリスト。ケネディの跡を継いだリンドン・ジョンソンを大統領再選から引きずりおろしたのはこの人物だ)の中継が始まると、トム・ハンクス扮するジム・ラベルが
「おい、子供達!」
と子供達をテレビの前に呼び寄せる。
パーティで集まったお客の最前列に座らせる。

この歴史的瞬間を「子供達にこそ見せておきたい」というこの時代の空気がはっきり看て取れる。
実際私自身もリアルタイムで、親と一緒にこの中継を固唾をのんで見入っていた。

アポロ11号は世界中の注目を浴びて、勿論競争相手のソ連の厳重な監視も受けながら月に飛んで、月面に着陸した。
ソ連は勿論望遠鏡で船体を追跡し、通信をすべて傍受していた筈だ。
アメリカの月プログラムがもしでっち上げだと分かったら、それこそ「資本主義の腐敗だ」と大宣伝に使おうと監視していた筈だが、結果的にソ連は「このプログラムは非民主的な方法で実行されている」という点を批判しただけで、それ以外は沈黙していた。

この様子を全世界の数億人がリアルタイムで見守っていた。

しかし、月面降下軌道に入ったとたんにアポロ11号の月着陸船コンピュータはオーバーロードを起こしてダウンしてしまった。
この様子も全世界に中継されている。
コンピュータの不具合を克服して、11号は静かの海に降り立った。

これも迫真の演出だったというのが、ファンタジー愛好家の主張かもしれない。

続くアポロ12号では、世界初の宇宙からのカラーテレビ中継を実現する筈だった。
しかし飛行士の不手際で、カメラは太陽光に感光してしまい、光電板が焼け付いて何も映らなかった。
これも演出だろうか?
スタジオに吊った1キロのライト程度では、光電板は焼け付いたりしない。
大気のないところで太陽の直射を受けたから焼けたのではないだろうか?

そして続くアポロ13号だ。
もし「アポロは月に行っていない」というのだったら、この事故こそちゃんと説明してもらいたいものだ。

アポロ13号は月軌道投入までは順調に飛行していた。
しかしフライト2日目に機械船の酸素タンクが爆発、司令船の生命環境、電力の維持が困難になり、直ちに飛行士達は司令船の電源を落として、月着陸船を起動しこちらを救命ボート代わりにして、退避した。
この事故は単に「月面着陸が不可能になった」だけでなく飛行士達3人の生命に重大な危機をもたらしていることが次第に明らかになる。

月着陸船の電力、生命維持装置は2日しか保たない。
2日保てば充分というミッションのために設計されたからだ。
しかし月軌道に投入された宇宙船は、月の向こう側をまわって帰ってくる自由帰還コースをたどると最低でも4日はかかる。
機械船で噴射をすれば2日で帰ってこられるが、機械船の被害状況が分からないため「爆発の危険性がある」と断念せざるを得ない。
2日分の電源と4日の飛行時間、この問題を解決しないと宇宙飛行士は途中で死ぬ。

この問題に取り組んだNASAの激闘の様子こそが、この映画のメインストーリーだ。


この映画の撮影に入る前に、監督のロン・ハワードは主任飛行管制官のジーン・クランツにインタビューを試みた。
この映画の中ではエド・ハリスが熱演していたあのスパルタ管制官だ。

ロン・ハワードはインタビューで深い感銘を受けたという。
ジーン・クランツは激闘の末「ほぼ絶望」と思われたクルーの生命を救助することに成功した。
4分の通信断絶の後、帰還に成功したクルーの第一声を聞いた時の感動を語るジーン・クランツは、その厳つい風貌に似合わずさめざめと涙ぐんだ。

このインタビューフィルムをロン・ハワードはエド・ハリスに制作前に見せた。
エド・ハリスも25年前の出来事を語って涙ぐむジーン・クランツに驚いたという。
「それで? こういう風に演じてもらいたいのか?」
とエド・ハリスが訊くと、ロン・ハワードは
「いいや別に。でもなかなか良いと思わない?」
と答えたそうだ。
これがこの映画のトーンを決定したのかもしれない。


この事故がいかに危険なシチュエーションだったかということが、劇中でも繰り返し語られる。
たとえばNASA広報官が管制室で
「大統領が飛行士達が生きて帰ってこられる確率はどれくらいかと質問しておられる。2分の1か3分の1か?」
という質問をするシーン。
苛立った管制スタッフの一人が
「そんな生易しい状況じゃない!」
と、返事する。
それを聞きとがめたジーン・クランツは
「俺の担当では絶対に飛行士は死なせない。必ず生きて帰らせる!!」
と怒鳴る。
途方に暮れる広報担当に、その場に居合わせたNASAの幹部が
「大統領には3分の1だといっておけ」
とアドバイスする。

実際に交わされた会話ではなく、状況を端的に説明するために追加された演出だろう。

それに対して実際にあったシーンは、飛行士達が二酸化炭素フィルターを船上で作るシーン。 これはNASAの記録フィルムにもはっきり、同じものを作った様子が写っている。 これを作るためにNASAの地上スタッフは不眠不休で地上ですべてシミュレーションをした。



司令船から切り離された機械船の被害状況(アポロ13号のクルーが再突入直前に撮影)
機械船の側面のパネルが前部から噴射部までにかけて完全に吹き飛ばされている


船内で、スワイガードとへイズが言い争うシーンがあったが、実際にはこういうことはなかったという。
これは映画の緊迫感を出すためのロン・ハワードの演出。
概ねこの映画では、宇宙飛行士達の冷静さもしっかり描かれている。
というのは実際のアポロの同時代にはジーン・ハックマン主演の「宇宙からの脱出」というような映画も制作されたが、これは宇宙飛行士がパニックになったりひどい誤解で制作された映画だった。

実際の記録フィルムの通信を聞いているとジム・ラベル達の事故発生を知らせる通信は、非常に冷静だ。
「アポロ13」の映画のエンディングでは着水したジム・ラベルの最後の通信内容は
「着水姿勢は正常。アポロ13より、以上で交信を終了する」
という非常に事務的なものだった。

この映画の内容に飽き足りなかったか、ロン・ハワードとトム・ハンクスは今度はエクゼクティブプロデューサーとして、テレビシリーズの「人類月に立つ/From the Earth to the Moon」も制作することになった。
併せて観るとさらにこの宇宙プログラムの様々な背景や、実際の宇宙計画とはどういうものかが分かって興味深いと思う。

このテレビシリーズではアポロ1号の火災事故のエピソードも取り上げられる。
映画の「アポロ13」にも暗い影を落としていた事件だ。
発射台の上で通信実験をしていたアポロ1号の司令船で火災が発生し、乗組員の3人が焼死した事故だ。
この事故は改めてスペースプログラムの危険性を思い起こさせ、このような冒険に莫大な税金をつぎ込むことは妥当なのかということも含めて再検討する聴聞会が開かれることになった。
後に民主党の大統領候補になるモンデール上院議員などが「月計画打ち切り」を手ぐすね引いてぶち挙げようと待ち構えていた。
この事故はまさに月計画の重大な危機を招いたが、結局この危機を救ったのは宇宙飛行士の冷静沈着さだった。
このエピソードがテレビシリーズで詳細に語られる。

「事故はNASAとノースアメリカンの怠慢により発生したのではないか?
もし危険だと分かっていたら、宇宙飛行士も船に乗ったりはしないのでは?」
と詰め寄る上院議員達に、フランク・ボーマン飛行士は静かに答えた。
(ボーマンはジェミニ7号、アポロ8号で飛行。アポロ8号では旧約聖書の一節を月軌道上から全世界へのメッセージとして読み上げた。「2001年宇宙の旅」のボーマン船長のモデルともいわれる。この役者さんは当時のボーマンと生き写しだ)

「我々宇宙飛行士は、一般にはロマンチックな仕事だと誤解されているが、実際には我々は危機に対処するプロなんです。
そのために訓練も受けている。
事故が起きると分かっている船に乗るかと聞かれたら、答えは勿論ノーです。
しかし問題は、その事故は宇宙で起きるに違いないと皆思っていたという点です。発射台の上でシミュレーション中に起きるとは誰も思っていなかった。
誰が怠慢かといえば、NASAは怠慢だ。ノースアメリカンもそして私たち飛行士も皆怠慢だった。
誰も事故を予想し得なかった。
しかし危険を乗り越えることができるなら、希望はただひとつだけです。
我々を月に送ってください。一刻も早く」

このメッセージは強くこの時代の雰囲気を表現している。


映画はロン・ハワードの悪い癖で、過度にドラマチックに仕立て上げ過ぎているという不評は当たっている。
余計な演出をしなくても、このストーリィは充分魅力的だと思う。
ここに描かれた話はすべて真実で実際に起きた話で、宇宙飛行士は本当に生命の危機に晒されたし、本当にガムテープと靴下と宇宙服の酸素ホースでああいう形の炭酸ガスフィルターを作った。
ロン・ハワードの演出臭さが、
「モーテルで結婚指輪をなくすマリリン・ラベルの演出はあまりにも安直」
という見当違いの批評も引き起こした。
(マリリン・ラベルが13号打ち上げの前日に結婚指輪をなくしたのは事実らしい。)

この監督は後に「ダ・ヴィンチ・コード」という超駄作を制作するわけだから、この時からその片鱗はカモしていた。
でも事実は、そういう演出以上に充分ドラマチックだったので、このストーリィはそれだけで観客を引っ張っていく力があるということだろう。
この映画は宇宙服を着ていたり、ロケットが出てきたりするのでSF映画のように見えるかもしれないが、ここで描かれている事件はすべて過去に実際に起こった史劇で、SFなどではない。
テレビシリーズと併せてみていけばますますその時代背景が分かると思う。


ところで、このアポロをリアルタイムで見ていた世代とアポロを知らない世代が決定的に理解し合えないテーマが冒頭の方程式と関連して存在している。
「一体何のために月に行ったのか?」
ということだ。
当時をリアルタイムに知っている世代は
「何のために月に行くのか?」
なんてことは疑問に思ったことがなかった。
そこに月があるからであり、月に行くことが人類の輝かしい未来を象徴しているのだと闇雲に思い込んでいた。
映画「アポロ13」の冒頭でジム・ラベルに「おい!子供達!!」と呼ばれてテレビの前、最前列に座らされて人類初の月面歩行を見守った子供達と私達は同世代だからだ。

しかし今の世代は、そういう「輝かしい未来」という言葉は死語だと思っているし、そういう信仰を持ったことなど一度もない。
「月みたいなところに行ってどんな利益があったのか?」
と彼らは疑問に思うだろう。

その通りだ。
月ではマンガンやニッケル、金などの大鉱脈は見つけられなかった。
そういうものがあるという証拠も見つけられなかった。
勿論チーズもない。
空気も水もない石ころだらけの衛星にどんな価値があったのかは、いまだに誰も答えられない。

そこにフロンティアがある限り征服せざるを得ないのだというアメリカ人好みの世界観は、今ではあまり人気がない。

月に宇宙人でもいればよかったのだが、NASAの計画担当者こそドレイクの方程式の意味を一番良く知っていたに違いない。
ドレイクの方程式は隣人までの距離を1万光年と算出した。
ところが人類は地球から光の速度で1.3秒の月までしか到達していない。
奇しくもジム・ラベル達のアポロ13号は、月の周回軌道に入らないですぐに地球に戻ってくる自由帰還軌道で月の裏側を回ったので、他のアポロ11号、12号、14号、15号、16号、17号よりも100kmほど地球から遠い軌道で帰ってきた。
このためギネスブックにジム・ラベル達は「有人飛行高高度世界記録保持者」として記録されているそうだ。

それでもこのような大飛行を達成しても、隣人と握手をできる距離の数十億分の一しか飛行距離を達成できていない。
隣人を知るという目的ならこの計画は絶望的だ。

それならなぜ月に行ったんだろうか?


前出のテレビシリーズ「人類月に立つ」の最終話でエメット・シーボーンという架空のリポーターが、こうまとめていた。
「それは多分、本当に行くことができるのかどうか知りたかったからじゃないか」

そういうことだろう。
このまとめを最初聞いた時に「つまらない結論だ」と思ったのだが、年月が経ってみてこのことに思いを巡らしているうちに、そういうことかもしれないと思い始めている。

先日テレビの特番でJAXAの日本人初の宇宙飛行士、毛利衛さんがこのアポロ13号のビデオをいまでもNASAでは飛行士教育の最初に見せるというエピソードを話していた。
その意味は「チームワークがあれば不可能なことはないんだ」ということを教えるためだそうだ。

もしこの映画、あるいは史実から教訓を得られるとしたら、まさに
「チームワークさえあれば不可能だって可能にできる」
ということにつきるかもしれない。

そして、異星人を侵略したり友好関係を結ぶなんて世俗的な目的ではなく、本当にそこにいくことができるかどうかを試すために月まで行けるロケットを作り、船外活動が可能な服、無重力でも食べられるHACCPで管理された食事を開発し、軌道計算をし、軌道計算を瞬時に修正できるコンピュータや、そのプログラムも作り、24時間世界中から月面にいる2機の宇宙船のテレメトリーデータを監視するシステムを作り上げた。

どうしてそれを試さないでいられるのだろうか?

これこそが「アポロは本当は月に行っていない」とかいう与太をふりまく人達への明解な答えになると私は思う。


映画の感想というよりは、月着陸に関する雑感のような内容になってしまった。
これでも映画を見る時の参考になれば良いと思う。



テレビシリーズの冒頭や、最終話で引用されたJ.F.ケネディのライス大学での演説の一部を転載しておく。
この演説がアポロ計画の実現を決定づけたのだが、当時の空気が色濃く出ている名演説だと思う。


William Bradford, speaking in 1630 of the founding of the Plymouth Bay Colony, said that all great and honorable actions are accompanied with great difficulties, and both must be enterprised and overcome with answerable courage.

ウイリアム・ブラッドフォードが1630年にプリマス湾植民地を開拓するにあたって本国に書き送った書簡には
「偉大なる行動には大変な困難が伴う。そしてこうした事業は責任ある勇気によってのみ達成されるだろう」
とある。

If this capsule history of our progress teaches us anything, it is that man, in his quest for knowledge and progress, is determined and cannot be deterred.
The exploration of space will go ahead, whether we join in it or not, and it is one of the great adventures of all time, and no nation which expects to be the leader of other nations can expect to stay behind in this race for space.

もしこの歴史から何か教訓を得られるとしたら、人間の知識と進歩への欲求を押しとどめることは不可能だということだ。
我々が参加しようが、放棄しようがそんなことには関係なく宇宙探査は進歩するし、偉大なる冒険においては常に開発競争の先頭に立つという決意を持たない国はリーダーにはなれない。

Those who came before us made certain that this country rode the first waves of the industrial revolution, the first waves of modern invention, and the first wave of nuclear power, and this generation does not intend to founder in the backwash of the coming age of space. We mean to be a part of it--we mean to lead it. For the eyes of the world now look into space, to the moon and to the planets beyond, and we have vowed that we shall not see it governed by a hostile flag of conquest, but by a banner of freedom and peace. We have vowed that we shall not see space filled with weapons of mass destruction, but with instruments of knowledge and understanding.

我々の父祖の代は産業革命の最初の波や、近代革命の最初の波や、核の力の波も乗り切ってきたし、そして我々、宇宙に目を向ける世代は時代に逆流して沈んでしまいたくはないと思っている。
我々も参加するつもりだし、我々もこの時代をリードしていくつもりだ。
世界中の目が今宇宙に、月に、そしてその彼方の数多くの星に向けられている。それが自由の旗印のかわりに敵国の旗に征服されるのを見過ごさないことを我々は誓った。
宇宙が知識と理解のための観測機器のかわりに大量破壊兵器で充たされることを見過ごさないと我々は誓った。

<中略>

We set sail on this new sea because there is new knowledge to be gained, and new rights to be won, and they must be won and used for the progress of all people. For space science, like nuclear science and all technology, has no conscience of its own. Whether it will become a force for good or will depends on man, and only if the United States occupies a position of pre-eminence can we help decide whether this new ocean will be a sea of peace or a new terrifying theater of war. I do not say that we should or will go unprotected against the hostile misuse of space any more than we go unprotected against the hostile use of land or sea, but I do say that space can be explored and mastered without feeding the fires of war, without repeating the mistakes that man has made in extending his writ around this globe of ours.

そこに得るべき新しい知識が在り、勝ち取るべき新しい権利が在るから、我々は新しい海に漕ぎだす。
そしてそれらは人類の進歩のために使われなければならない。
核の技術やその他の多くの技術と同じように、宇宙の科学もそれ自体は良心を備えていない。
それが善の力となるか悪の力となるかは人にかかっている。
もし合衆国だけが宇宙開発で卓越していたとしたら、我々はこの新しい海を平和の海とするか、恐るべき戦争の舞台とするかを決定できるだろうか。
私は敵が新しい海、領土を誤った使い方をしているのと同じように、宇宙を誤った使い方をすることを許すべきだと言っているのではない。
私はこれまで地上で数限りなく繰り返してきた誤りを繰り返し、宇宙開発でも戦火を繰り広げるべきではないと言っているのだ。


There is no strife, no prejudice, no national conflict in outer space as yet.
Its hazards are hostile to us all. Its conquest deserves the best of all mankind, and its opportunity for peaceful cooperation many never come again. But why, some say, the moon? Why choose this as our goal? And they may well ask why climb the highest mountain? Why, 35 years ago, fly the Atlantic? Why does Rice play Texas?

宇宙にはまだ争いもひがみも、国家間の緊張もない。
その克服の困難は我々人類すべての前に平等に横たわっている。
その価値もすべての人類のものだ。
そして二度と訪れることがない平和協力の貴重なチャンスもある。
しかし、こう反論する人もいる。
「なぜ月なんだ?
なぜゴールをここにしたのか?」
「なぜ山に登るのか?」と問いかけた人と同じように、あるいは35年前に「なぜ大西洋を横断飛行するのか?」と問いかけた人や「なぜライス大学(のフットボール)はテキサス(大学)にチャレンジするのか?」と問いかけた人と同じように。

We choose to go to the moon.

我々は月に行く決断をした。

We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.

我々は月に行く決断をした。
我々は60年代のうちに月に行き、それ以上のことを達成する決断をした。
たやすいから行くのではない、困難だからこそ行くのだ。
このゴールが我々の意思力と能力を組織化し測るには最良だから行くのだ。
このチャレンジを我々は甘んじて受け入れ、立ち止まることを望まず、勝利への意思を持っているからこそ行くのだ。













Previous Topへ Next













site statistics
青木さやか