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監督 クリント・イーストウッド
キャスト ライアン・フィリップ, ジェシー・ブラッドフォード, アダム・ビーチ, バリー・ペッパー, ジョン・ベンジャミン・ヒッキー
監督 クリント・イーストウッド
キャスト 渡辺謙, 二宮和也, 伊原剛志, 加瀬亮, 中村獅童
「巨匠」イーストウッドが撮った生真面目な戦争映画2編
この映画が取り上げているのはある単純な史実だ。
それは硫黄島攻略戦にまつわるエピソードだ。
第2次世界大戦の末期、アメリカは西太平洋の硫黄島という周囲十数キロ程度の小さな島を攻撃した。
この島は何もない無人島だったが、太平洋戦争史上最も重要な戦略拠点になった。
その理由はここがテニヤンから離陸したB29が最も安全に退避できる洋上の空軍基地になりうること、このことは即、ここから東京でも大阪でも福岡でも日本の拠点を自由に攻撃できるということも意味している。
さらに重要な意味を持つのは、ここはパプアニューギニアでもフィリピンでもない日本の固有の領土であり
「東京都硫黄島」
という日本の首都の行政区であるという精神的な意味だ。
日本もこの島の戦略的な意味を充分理解していたから、この小さな島に栗林寛次以下12000名の陸軍、海軍陸戦隊の守備兵を配置した。
これに対してアメリカは海兵隊を中心にした40000名の上陸部隊を編制して、一斉攻撃をかけた。
これが戦史でいう「硫黄島攻略戦」(日本側の用語は「硫黄島玉砕」)となる。
そこでは様々な出来事が起こったが、巨匠クリントイーストウッド監督が取り上げたのは二つのエピソードだ。
「硫黄島に旗を立てる海兵隊員」
という有名な報道写真がある。
硫黄島の唯一の高台の「すり鉢山」の頂上に6名の海兵隊員が星条旗を立てている報道写真だ。
この写真は第2次大戦中に撮影された報道写真の中でも最も有名な写真の一つになった。
この写真には激戦の末星条旗を立てたというストーリィが構図にあった
戦争映画というものは、単純な戦争ものアクション映画というものはどうでもいいとしても、結構まじめな戦争を取り扱った映画でもその視点がどちらか片方に寄ってしまうというのは宿命的にある。
戦争映画に登場する「敵」はどの映画でもSF映画のエイリアンのようなもので
「何を考えているか分からない恐怖のサブジェクト」
としてしか登場しない。
第1次世界大戦の頃にはまだ騎士道というものがあったから、自分が撃墜した敵のパイロットを夕食に招き乾杯するような余力があったが、第2次世界大戦は完全に国と国の総力戦になってしまい、そこで使われる兵器は「虐殺マシーン」として完成され、ヨーロッパでも極東でも戦闘は一般市民を巻き込み、そういう兵器を使って市民すら平気で殺す敵兵はもはや同じ人間とも思われず、虫かなにかのようにしか見えなかったかもしれない。
これが第2次世界大戦以降の戦争が、それ以前とは決定的に違う面だと思う。
戦争映画もそこにいた当事者の証言を基に製作しているので、結局そういう実感で描かれている。
アメリカ映画に出てくるドイツ兵は常に残虐で、ユダヤ人や捕虜を女や子供であろうが平気で拷問にかけたり虐殺する悪逆非道な「エイリアン」であり、それをやっつけるGIは常にさっそうとしたヒーローである。
日本が戦争映画を作るとき、アメリカ兵を残虐なエイリアンと描くことができなかったので日本映画は常に「反戦映画」という殻に閉じこもるしかなかった。
これが敗戦国のつらさだ。
しかし実際の戦争は国家の権力を実現する暴力装置である軍隊を使用せざるを得なくなった壮大なケンカだ。
戦争とは何かといえば、結局そういう一言でくくることができる。
ケンカだから本当はどちらが悪いということはない。
ケンカだからどちらも悪い。
しかし歴史を作るのは常に勝者だから、戦争に勝った方は「エイリアンの駆除に成功しました」という英雄譚を作ることになる。
しかしそういう英雄譚を映画にする時に、いつも見落とされるのは
「今アメリカ兵が殺したドイツ兵や日本兵は、本当はただの少年兵で、年頃からいえばまだ母親に甘えたいような若者かもしれないし、国に帰ったら親も兄弟もあって近所の人からは『顔を合わせたらきちんと挨拶をするさわやかな子だったよ』と証言されるような普通の人だったのではないか?」
という点だ。
そういう人達が、戦争映画ではまるでモノも考えずに米兵に襲いかかってくる虫けらのように描かれてしまう。
またその虫けらを殺している米兵も戦隊もののヒーローのように描かれてしまいがちだが、実際に戦場に行った人々は、心に傷を負い「こんな体験は二度と御免だ」と思っているのでは