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ファーゴ /シンプルプラン


(ファーゴ)
監督 ジョエル・コーエン
製作 イーサン・コーエン
キャスト フランシス・マクドーマント、ウイリアム・メイシー

(シンプルプラン)
監督 サム・ライミ
キャスト ビル・パクストン、ブリジッド・フォンダ

この『ファーゴ』という映画が96年のアカデミー賞やカンヌ映画祭などに軒並みノミネートされ、アカデミー主演女優賞、脚本賞、それにカンヌ映画祭監督賞などを総嘗めした時の印象は強烈だった。

この年は不作気味だったが、アカデミー賞には例年の通例に違わず大作がノミネートされた。 しかし2冠を穫ったのは、ほとんど前評判が聞こえてこなかったこのコーエン兄弟の渋い作品だった。
アカデミー賞の選考委員会にもまだ良心は残っていたんだなと思わせるような意外感だった。

それにしてもこの作品はそれまではほとんど評判になっていなかった。
当のコーエン兄弟もこの作品がアカデミー賞を狙える作品だとは思っていなかったようだ。
インタビューでも、次の作品の準備に時間がかかりそうだったのでたまたま暖めていたこの作品を先にしたというようなことを答えていたと記憶している。
しかし実際に見てみると、この作品が選考委員を唸らせたというのは納得できる。


この物語は実際に起こった事件をもとにしているという。
しかしこれと同じ事件は記録がないともいう。
ミネソタで起こった狂言誘拐事件のてん末を中心にコーエン兄弟がリサーチしたいくつかの事件を混ぜ合わせて出来上がった「事実に基づいたフィクション」というところが真相らしい。

表題の『ファーゴ』とはミネソタの田舎町の地名だ。
アメリカ内陸部の北部にあるこの地域は冬は深い雪に閉ざされる。
そのミネソタのミネアポリスのカーディーラーを経営するうだつの上がらない男は、自分では自分を有能な男だと思っている。
しかし実際には会社の金を横領して帳簿に大穴を開けており、取引先から入金を急っつかれても振り込む現金がないという困った男だ。新規客に現金を振り込ませてその穴を埋めようとするがそういう自転車操業も限界にきた。

そこで養父に不動産投資の儲け話を持ちかける。この男は婿養子なのだが、しかし義理の父からは全く信頼されていない。この儲け話も結局養父に取り上げられて帳簿の穴埋めをできる可能性が無くなった。
この時のこの男の追いつめられた心境をあらわすカットが秀逸だ。
先にも書いたようにこの地域は深い雪に閉ざされる。
この男が八方ふさがりに追い込まれた時に、一面の雪で真っ白になった駐車場を高い位置からの俯瞰のカットでとらえる。この男が自暴自棄になっている様子をカメラはまるで突き放すように、前衛絵画のような構図の映像でとらえる。

そこで困った男が思いついたのが、自分の奥さんを誘拐させて養父から身代金をせしめるという狂言事件だった。

この誘拐を頼んだのが何を話しかけても「ああ」としか答えない大男と、口は滑らかにまわるが何を考えているのか解らないネズミのような男の二人組だ。
この二人がこの奥さんを誘拐するのだが、その道すがら不注意から思わぬ大事件になってしまう。

後は坂を転げ落ちるように男たちが転落していく様が続くわけだが、表題の地味さとは裏腹に物語はテンポ良く「それでこうなった」「するとこうなった」「だからこうなった」というように続いていき、見ているものを飽きさせない。 やはりコーエン兄弟は稀代のストーリィテラーだと思う。

結局この道すがらの「重大事件」が起こった場所がミネソタ州のファーゴの女性保安官マージの管轄だったので、彼女がこのケースの捜査に乗り出すことになった。

マージは保安官でありながら、家庭では主婦でありもうすぐ臨月で大きなお腹を持て余し気味にパトロールカーに乗り込む。
彼女の服装が面白い。
アメリカでは女性警察官は珍しくなく、しかも女性といっても男性警官と同じように事務だけでなくパトロールにも出る。
しかし彼女はもうすぐ臨月というお腹の大きさなのだが、そういう女性警官のためにマタニティ式の巡査制服というのがあるのをこの映画で初めて知った。
また巡査勤務の警官は拳銃を携行しなくてはいけないのだが、彼女の場合はそんな大きなお腹でガンベルトを締めることなんかできないので、拳銃はショルダーホルスターに吊っているのも不思議な姿だった。

その彼女が大きなお腹にふうふう言いながら殺人現場にたどりつく。
そこで彼女はそののんびりした容貌とは全くチグハグなくらい、明晰に推理を次々と働かせて犯人に迫っていくという物語になるわけだ。

もうここら辺りまで進むとワクワクして映画から全く眼が離せなくなってしまう。


この映画の面白さは、この登場人物の特徴にある。
どの人物もこういった地方都市によく居るような「普通の人々」だ。
しかし普通であることと「特徴がない」ということは同じではない。
この映画の登場人物は全てが普通でありながら「みんなどこかすこし変」という登場人物ばかりで、そのキャラクターがそれぞれの立場でそれぞれのキャラクターを発揮するという面白さがある。

この事件は壮絶な惨劇にとなっていくのだが、それでも見終わった後そういう残酷劇を見た後のような荒んだ気分ではなく、なぜか不思議な気分になるのはこの映画にはどこか可笑し味が含まれているからだと思う。

その具現が女性保安官のマージなのだが、よくみると狂言劇を仕組んだ男も実行した二人組も他の登場人物も何となくユーモラスだ。
それがこの映画の何となく滑稽な味になっている。


この『ファーゴ』の2年後にサム・ライミがよく似た惨劇を扱った『シンプルプラン』という映画を撮った。
サム・ライミも語り口の巧妙さではコーエン兄弟には負けていない。
またライミとコーエン兄弟はかなり親しいということも聞いた。
この映画も主人公は「普通の人々」だ。墜落した飛行機から巨額の札束を発見した、中北部の「普通の人々」がこの金をほとぼりが冷めるまで隠しておき、やがて山分けにしようという「簡単な計画」を立てた。

しかしそういう大金があると考えると、それをすぐに自分のものにしないとおさまらないのが人間のあさはかさだ。「簡単な」はずの計画は、そういう人間のあさはかさで崩れていく。
結局は無意味な殺人事件に繋がってしまい、秘密を共有した仲間同士の不信感に繋がり仲間も兄弟も殺してしまうという凄惨な結末になってしまう。

ラストの札束を燃やす光景を見つめながら、泣き崩れるブリジッド・フォンダの構図が秀逸だ。
人間は自分の日常に多かれ少なかれ不満を持っている。
みんななんとかしたいと思いながら貧しさに耐えている。
しかし、そんなささやかな日常ですら失ってみるといかに貴重であったかが解るし、失ってみないとそういう日常の貴重さに気がつかないのだ。

この2作は見比べてみると面白い。
同じようなテーマを扱った映画だが、コーエン節は
「ねぇねぇ、こんな面白い話があるんだよ」
といっているように聞こえるし、ライミ節は
「誰だってこういう状況になるとこういう事を考えるでしょ」
と語りかけているように思う。


『ファーゴ』のラストシーンでマージ保安官が容疑者を連行しながら
「なぜこんなことをしたの?
しかもこんなすばらしい天気の日に。
私には信じられない」
と語りかけるシーンは秀逸だ。
彼女は堅実にささやかな幸福を家庭で守っている。
しかしその「なぜ?」に答えるのがライミの『シンプルプラン』なのかもしれない。
そういう落とし穴は誰にでもあるのだ。


ところでこの2作はどちらもアメリカ中北部の雪深い地方が舞台になっている。
両方ともこの雪が物語の重要なファクターになっている。
そしてこの物語を深みあるカットで表現できたのもこの雪のおかげだ。
両監督ともそういう雪の風景の作り方を心得た映像の手だれだ。
そういうところを見比べるのも楽しい。














バウンティフルへの旅


監督  ピーター・マスターソン
キャスト ジェラルディン・ペイジ、ジョン・ハード

この映画のタイトルバックの美しさは特筆に値する。
コスモスのような花が咲き乱れる草原を、若い母親と幼い男の子が駆け抜けていくシーンをスローで長々と見せる。
美しい歌声で、故郷の自然の優しさを謳いあげたタイトルバックだ。

しかしこのタイトルバックはただ美しいだけではない。
実はこの物語の重要な背景をこのワンカットで説明しているカットだったのだ。

主人公はアメリカの都会で息子夫婦と同居している老婆だ。
家計は苦しい。
それで夫婦の空気はいつもぎすぎすしている。そのあおりを受けてこの老婆と嫁の折り合いも最悪に悪い。しかも息子はそういうことを知っていながら、嫁と自分の母親を取りなすわけでもなくただ母親を老人ホームに入れる相談ばかりしている。

この環境に老婆は、敢然と反抗した。
ある日、着の身着のままで家出していきなり長距離バスに乗り込む。
このことを知った息子夫婦は、この老婆を追いかける。

そしてこの3人がたどり着いた先は、もう人が住まなくなって何年も経ったような田舎の村だった。草原のなかにぽつりとたたずむ穴だらけの、廃屋の前に老婆はたたずんで「バウンティフルに帰りたい」とつぶやき続ける。


この荒れ果てた廃屋の村こそ老婆と息子の故郷であり、あのタイトルバックの若い母親と幼い男の子はこの二人だったのだ。

しかしたどり着いた故郷は色あせた廃屋の村でしかない。

故郷は距離的に遠くにあるだけではない。もう時間的にもはるかに遠くに行ってしまったのだ。
そのことが納得できない老婆は、故郷にたたずんでもまだ「故郷に帰りたい」という。
そして幼い男の子だった、中年の息子もそこに立ってみて初めて母親がどこに行きたかったのか思い出した。

生まれ育った町は、遠くにあるだけでなく時間とともに消えてしまうという残酷な現実がこの映画では描かれるが、しかし老婆や息子への監督の視線は優しい。
そういう美しい過去を思い出して、母親も息子夫婦も少しずつお互いを思いやる心を取り戻す。


「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」
という室生犀星の詩がある。
これはまさしくこういう事を詠んだ詩だろう。
故郷への思いは心のなかにしまっておくべきで実際に訪ねたりしたら時間の経過を残酷に思い知らされてしまうだけだということだ。

それでもいつかはふるさとへと人は思うのかもしれない。
特に老境に入ればそう思うだろう。

この映画はそういうテーマがファーストカットのタイトルバックに見事に集約された映画だ。
超有名大作というわけではないが、見たことがないなら是非見ておくべき映画だ。













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