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カンブリア紀以降の世界の未来予測を書いたのだから12年経った今、答え合わせをやろう
最近ここにスペキュレーションというか思ったことを書き綴るということをしなくなった。
何も考えなくなったからだ…ということでは(ほとんど)ない(いや、多分…)。
このサイトのそもそもの更新の原動力は「怒り」だった。
マイクロソフトがシェアを取っているのをいいことに.docの規格を勝手に決めたり、Webの重要コンテンツになると予想されている動画にWindowsMediaなんてどうでもいい規格をごり押しで押し込んできたり、世のPCユーザがそれを
「デファクトスタンダードだ」
とかいって何も考えずに受容したり、第三極のMacやLinuxにもっと頑張ってもらいたいと思っていたが
「どうせMacなんて爆弾表示してすぐ固まるんでしょ」
なんて世間の偏見にも怒りを感じていた。
「Macには使えるソフトはほとんどないんでしょ」
という偏見に反発してこのサイトでは初期の頃はアプリの実用レビューを多く書いた。
Macは固まることなんてほとんどない、爆弾なんか表示しない(爆弾表示が廃止されたから…とかそういうことじゃなく)
そういう偏見に立ち向かうためにMacのトラブルシューティングを正しくやれば、Macはとても安定して使えるということを訴えるためにこのサイトを更新していた。
だから、サイト名もmuta's mac scribbling(ムタのMacでなぐり書き)という好戦的なタイトルにしていた。
ところがサイト運営も、早や16年の歳月が流れ世の中の状況は大きく変わってきた。
かつては悪の帝国などと揶揄されたマイクロソフトは今ではすっかりフェアでオープンソースコミュニティとも協調する企業になったし、比較すればAppleの方がよほど独裁的に見えてしまう。
いまじゃ「Macは使えるソフトがほとんどない」「Macはすぐ固まる」なんてことを言う人はすっかり見かけなくなり、永年のWindowsユーザーが
「iPhoneやAppleWatchと連携するならやっぱりMacの方が便利でしょ?Macの使い心地ってどう?」
とか聞いてくるようになったし、「ドザ」と「マカ」とかいう罵倒の浴びせ合いも(5chのMac板以外の)ネットではすっかり見なくなったし(Linuxユーザだけは未だにMacに強い偏見を持っている人をたまに見かけるが)、世界はすっかり平和になってしまった。
責任者出てこい!のボヤキヲヤジも、いまじゃすっかり拳の振り下ろしどころがなくなってしまったので「怒り」は更新の原動力にならなくなってきた。
併せて最近のMacは面白くないということも更新が滞る原因でもある。
面白くないというのは使い道がないという意味ではなくむしろその逆で、昔のMacはイースターエッグとか「何の意味があるんだ?」という無意味な、だけど面白い機能がいろいろあったのだがいまのMacはすっかり実用機になってしまった。
最近アプリのレビューを書かなくなったのは、例のトレンドマイクロの「偽フリーウエア」事件のこともあるし、AppStoreの上位を中華ソフトが圧倒的に占めているのも明らかに人為的操作があると感じるなどオンラインウエアを取り巻く環境がレビュワーには厳しい状況になってきているからだということもある。
けどもそれ以上にいまのMacのオンラインウエアは、どれもこれも優等生すぎるからだという理由もある。
昔のMacのオンラインウエアには、JAREDみたいなくだらないけど面白いソフトがいっぱいあった。
何かの役に立つわけではない、意味もない、でも心が和む、笑えるそういうジョークソフトというかセンスのいいソフトがいろいろあった
だけど今では、MacUpdateのような海外のオンラインウエアリリース情報サイトでアプリを探していても目につくのは「役に立つ」「スマートな」「実用的な」アプリばかりだ。
それがいけないとは言っていない。
実用的なのは良いことだ。
でも面白みがない。
それぞれのジャンルの必要性を満たした専門性の高い実用ソフトは、私のような素人がわざわざレビューを書かなくてもちゃんと使える人が使って評価しているだろうから、オンラインウエアの紹介サイトなんてもはや意味がない気がしている。
そろそろ潮時か…隠居して盆栽いじりでも始めるのか…おっとよく考えたら私には盆栽いじりという趣味はないのだが…
前にもそんなことを書いた気がするなぁ、とふと思ったら今から12年前こんな記事を書いていた。
カンブリア紀以降の世界の鎮静
10年後のPCなど個人用情報機器の世界なんてのを軽く予想してみた
生意気にも
「10年後のPCなど個人用情報機器の世界なんてのを軽く予想してみた」
とか題している。
ならばこのエントリーを書いて12年が経つので答え合わせをしなければなるまい。
結論から先に言えば、半分当たっているし半分外れている。
現実は予想よりもゆっくり進行している…がしかし方向は概ね予想通りの方向かな。
以下が前回の予想の骨子
1)Windowsはシェアを失い、OSの選択も重要性を失う
2)アプリケーションのパッケージを数万円で販売するというビジネスモデルは成立しなくなる
3)Individual Devise(個人向けパソコン)とIndustrial Devise(産業向けコンピュータ)の2極分化が進む
4)携帯電話とパソコンの境界線が曖昧になる
Windowsがシェアを失う理由として
「ひとつは無線モバイルの全環境的普及。
ふたつはアプリケーションサービスプロバイダーの台頭。」
を原因としてあげている。
PCはオンライン化することによってアプリケーションの実行環境として重要性を失う。
ならば数万円もする高価なWindowsOSよりも原則無料のLinuxとか、ハードウエアにバンドルされてアップデートも無料のMacOSなどにどんどんシェアを奪われるに違いないと予想していた。
ところがMicrosoftには頭がいい人がいたんだなぁ。
そういうことをちゃんと予想していたのでWindows10などへのアップデートは無料とした。
NDAがあるので新品PCのバンドルWindowsOSの実売ライセンス価格は非公表だが、さる筋から聞いた話ではバンドルライセンスもかなり値下げしているらしい。
Macに関してはもうOSは原則無料になっているので、ユーザーがお金を払っているのはハードウエアに対してだけだ。
そのおかげで、最近の数字は知らないがたぶん今現在でもクライアントPCのOSのシェアはWindowsが90%ぐらいで数%をMacOSが取って、残りの数%をLinux、UNIX、その他もろもろのOSが少しずつ分け合っているという10年前とおそらくあまり変わらない状態になっているに違いない。
OSをパッケージ販売して収益を上げるというビジネスモデルはもはや成立しないということは、あの人たちも認識していたんだね。
無料化、大胆な値下げのおかげでWindowsもMacも10年前と同じぐらいのシェアを維持している。
これに関しては予想は見事に外れた。
しかし、ここが外れても結局以下の論旨には影響はなかった。
このシェアはあくまでクライアントPCのOSのシェアであって、実際にはPCそのものが情報デバイスとしての重要性が著しく下がっている。
最近の若い世代はスマホでなんでも済ませてしまうので、PCを使えない人が激増している。
最近の新入社員はPCを触ったことがないのでPCを終了させてと言ったら、いきなり電源ボタンを押して電源を消したなんて話も聞こえてくる。
かく言う私のところの次男坊も、もうじき就職を控えてPCは使えるようになった方がいいだろうか?なんて考えて最近パソコンのお稽古を始めた。
最近の十代、二十代なんて大体こんな感じなんだと思う。
メインの情報収集機器、友達と情報交換する機器はiPhoneやAndroid携帯などのスマホで、パソコンは何か入学書類とか就職活動のエントリとかで仕方なくたまに使うという程度なんじゃないか。
今や個人レベルの情報端末はメインはPCではなくスマホで、そのスマホで最大シェアを取っているOSはLinuxベースのAndroidだ。
PCは個人レベルの情報端末としての主要な地位を失っているので、そこでのシェア首位のOSがWindowsだろうがMacだろうが、もうどうでもいい状態になっているという意味では予想通りになっている。
その結果どうなるかという予想は以下の通り。
「するとどういうことが起きるかというと、デスクトップのでっかいパソコンは専門職が プロフェッショナルなビデオ編集をするなどの巨大なデータを処理するのに使うくらいで、一般的なパソコンはノート型の非常に軽いパソになるということだ」
「それよりも昨年話題になった100ドルパソコンのような、軽くて小さくてシステムとブラウザが動くだけという機能が絞り込まれたものが主流になる。」
十数年前は会社の机の上の事務PCはデスクトップPCが主だったはずだが、今では事務系の職場では机の上にあるのはノートPCが主になっているに違いない。
営業部とか経理部とか人事部とかの事務系の職場では、高度な処理能力のPCは必要ない。
MicrosoftのOfficeが使えて、エクスプローラーやEDGEとかのブラウザが動いて、サイボウズとかのグループウエアが動けば事足りるのでノートPCで十分だ。
ノートPCの方が机の上の場所をとらない。
そのノートPCもHPやDellの事務用汎用機で十分だ。
あるいはレノボのThinkPadとか…
事務PCにスペックを求める職場はまずなくなってきた。
100ドルPCは結局あまり普及していないが、とどのつまり中華製の300ドルパソコンが主力機になっているので、これも素性が違うだけで結果的にはあまり違わない。
その結果以下のことが起きるという予想も違う形で成就している。
「そうしたら個別のパソコンにアプリケーションをインストールして、単独で処理するなんてのはリソースの無駄遣いだということになる。
そんなでかい処理ができるようなパソコンなんか必要なくなる。」
事務用のPCには相変わらずMicrosoftのOfficeがインストールされていて、Outlookでメールを読んで、Excelで見積もり表を作ったり表計算グラフを作ったり、Wordで無駄なレイアウト情報で肥大化したテキストを作って、Power Pointで文字ばっかりの見づらい、無意味なプレゼンを作り続けているのは10年前と全く変わっていないように見える。
しかしグループウエアはクライアントを各端末にインストールするよりも、エクスプローラーやEDGEで見るブラウザ経由のサーバーソフトになるのが今のトレンドだ。
事務用クライアントPCの世界だけ見ればさほど変わっていないように見えるが、少しずつこういう方向になりつつある。
オフィスのPCの世界は意外に保守的で変化が少ないが、それでも細かく見ていくと実はこの十数年で結構大きく変化している。
ましてや事務PC以外の端末の世界は劇的に変化している。
スマホの情報系アプリはまさにオンラインデータのクライアントとして機能している。
わかりやすい例がオンラインゲームの世界だし、ゲーム以外の世界もLINEとかSNSとかインスタとかYouTubeとかオンライン化されデータをあちら側に置くアプリが中心になっている。
まさにスマホの普及が端末のクライアント化を急激に促進している。
個人のPCは情報処理端末としてはむしろスマホを補完するような立場に置き換わり始めている。
その結果何が起きるかというと以下の予測をしている。
「Individual Devise(個人向けパソコン)とIndustrial Devise(産業向けコンピュータ)の2極分化が進む」
「携帯電話とパソコンの境界線が曖昧になる」
業務用PCのうち専用機、専門的なデータを使用するワークステーションはさらに高スペック化していく。
しかし一般の事務職が使用するPCはオンラインの同時性だけが求められるが、処理するデータの大きさや複雑さはしれているので大したスペックは必要ない。
だから事務PCは中華製の数万円のノートになり、専用機は大きな処理能力を持った端末に二極分化するという現象はもう現実になっている。
そして中華製の数万円のPCは、処理能力ということでいえばスマホやタブレットと変わらないのであれば、そういう処理をタブレットやスマホに持たせるという職場も出てくるに違いない。
今はiPad ProやSurfaceのようにPCのようなモバイルやモバイルのようなPCなどが出てきて、この2ジャンルはだんだん境界線が曖昧になっている。
というよりもう事務用個人端末と、モバイルを区別する意味はだんだん失われていくに違いない。
12年前にこの予想を立てた時には、まだAppleはiPadを発表していなかった。
iPhoneも発表された年だったので、Appleの新事業として成功するのかどうかもまだわからない状況だった。
(Appleの新事業、新規デバイスで消えていったものは実はたくさんある。
Appleがゲーム機やPDAを販売していたなんて今では覚えている人はどれくらいいるだろう?
iPhoneもそうした「消えていった残念なデバイス」になるかもという予想は当然当時あった。
今では当たり前みたいに思っているがむしろこんなに普及する方が予想外だったんじゃないか)
いまから17年前にペンタブのトップメーカーのワコムを取材していた時に
「この秋にITの潮流を変えるかもしれない大型商品が出てきますよ」
という話を聞いた。
それがタブレットPCだった。
ところがタブレットPCは確かに目玉賞品として大々的に発売されたが、GUIのリーダーのAppleはこのタブレット技術に非常に冷淡な態度を取り
「Macにタブレット技術を導入する可能性はない。またタブレット技術を応用したデバイスの計画も全くない」
とこの潮流を突っぱねてしまった。
(これもワコムの中の人から聞いた話だがワコムからAppleに
「タブレットPCの技術を供与する準備がある」
と打診したところ
「全く興味なし!」
と取りつく島もなかったそうだ)
その結果出てきたのはWindowsタブレットというOSを搭載したタブレットPCばかりで、このWindowsTabletは文字入力がタッチパネルでできる、お絵描きが画面でできるという以外は全くノーマルのWindowsそのままのOSだった。
メニューからコマンドを開いたりプロパティを別ウインドウで編集したりのUIは全く普通のWindowsと変わらなかったのでタブレットPCである意味はなかった。
結局このタブレットPCは発売されたその年のうちに、もう忘れ去られてしまう業界の鬼っ子のような製品になってしまった。
この辺の詳細な経緯はこちらに書いた。
なんちゃってなIT用語辞典「タブレットPC」
タッチパネル方式を採用したタブレットデバイスの未来は非常に多難…というよりももうこの年には絶望的な雰囲気だった。
なので1990年代に「メディアボード」としてデータ通信業界が、コンセプチュアルビデオでSF的に描いたタブレットが2000年代のタブレットPCで一旦は完全に失速しながらも、十数年後の今日こんなに日常的に使用される主要クライアントになるなんて誰にも予想できなかったに違いない。
iPhoneやiPadに始まるスマホやタブレットが、こんなに短い期間に個人情報端末としてPCを片隅に追いやってしまうなんてことも誰も予想しなかった。
後から考えたらAppleがiPadの試作を始めたのは2002年のことだったということだから
「タブレットPCなんか知るか!」
とか口では言いながらAppleはこの年からiPadの準備をしっかりしていたことになる。
そんなこととはつゆ知らぬ部外者の私はタブレットもタッチパネルもその未来は暗く、その新製品は大勢に影響はないと予想していた。
(事実Windowsタブレットは全くGUIの革新にはつながらず消えてしまって
「そういえばあの頃一瞬だけそういう商品がちょっと流行ったよね」
という「あの人は今」的なレアデバイスになってしまった)
上記リンク先の私の未来予想がiPadの発表よりも前に書かれたものであることに注目してもらいたい。
「Appleの無駄な道楽」と当時揶揄されたiPhoneが発表された年に書かれた未来予想にしては、慧眼だと誰も褒めてくれないので自分で言っておこう。
今日では当たり前のようなことも書いてあるが、思い出してみれば12年前にはあまり想像できないことだったということが結構含まれていると思う。
まあ今日のこの状況はあの当時には予想し得なかった…というのは予想が外れた時の言い訳でしかないのでそこをあまり言っても仕方がないのだが、言いたかったのはOSのシェア予想が外れた言い訳ではなく、シェア談義そのものが無意味になってしまうような状況が来たのは予想通りということだ。
だから半分外れて半分当たったと書いた。
それでこれからはどうなるかということも書いていくと、PCやMacを取り巻く環境というのはこれからもっとつまらなく退屈な方向に行くと予想している。
事務机の上から紙の書類の整理箱が消えて、ノートPCが標準になってからもう10年くらいは経っているだろうけど、そんな時代になってもやはり電卓は一部の職種の事務机の上で生き残っている。
しかしかつてはデスクトップPC並みの大きさがあってそれで加減乗除しかできなかった卓上電子計算機が、どんどん小型化して、しかもその構造も焼き付けROMからシステムアップデートが可能なインストール方式に変わってのちにPCの原型になったという技術革新をもたらしたが、電卓自体の進化は止まってしまい、今日の事務用の電卓は逆に手のひらよりも少し大きい置き電卓のみになって経理社員業務、営業の見積もり試算業務専用機になって細々と生き残っているという状況と同じような運命がPCやMacにも待っている。
(そういえば電卓発達史とPCとの関係というテーマで「なんちゃってIT用語辞典」で書きたかったネタをまだ書き残していたことを思い出した。
このページももう書き続ける情熱が失われてしまったので、多分書くことがないだろうけど。
実際にIT技術発達史の現場に取材して現場で見聞きしたおもろい裏話がまだいくつかあるにはあるのだが、多分このまま墓場に持っていくと思う)
(さらにさらにいえば今日、日本で「IT産業」とか「IT技術」という言葉はゾゾタウンとかソフトバンクとかITを利用したWebサービス屋さんのことをいう言葉に変質しているらしい。
私が取材していた当時は通信技術や、その上に成立する情報技術のテクノロジーとそのテクノロジーが生み出す新しいデバイスが生活を変えるようなそういうアイデアを生むのが「IT産業」「IT技術」という言葉の意味だったような気がするが、今日ではそういうのはインフラ屋とかハード屋とか言って「IT」のうちには含められないらしい。
ずいぶん日本では矮小化したものだと思う。
「なぜ日本からスティーブ・ジョブズは現れないのか?」とかいう陳腐な問いかけ文句があるが、
「当たり前だ、日本ではそういうものは求められていないからだ」
としかいいようがない
以上余談のさらに余談)
これまでは渋谷あたりのスタバでMacBook Proを開いていると
「オサレ」「IT系のヤリ手」
というイメージが演出できたかもしれないが、これからはMacももうそんなにオサレなデバイスでもなくなるだろう。
渋谷のスタバで電卓を叩いていても誰も注目してくれないのと同じような状況になる。
そして企業を取り巻くがんじがらめのクソセキュリティがさらに実用PCをつまらないものにしていく。
これは予想でもなんでもなく今すでにそうなりつつある。
私は仕事環境ではほぼ100%WindowsPCを使っており、全くの日曜マカに落ちぶれている。
仕事用の実用PCについては愛着も感じたこともないし、面白いと思ったこともない。
ただ必要だからスキルを身につけているだけだ。
クソセキュリティで分断されたPCの機能なんてしれている。
一応技術社員なんだろうけどやっていることは経理社員と大差はない。
PCのお仕着せ技術でルーチン業務をこなしているだけだ。
そんな状況でたまに週末Macをいじっても
「最近のMacはずいぶんお行儀良くなったんだな」
「なになに、MacでもSQLのDB確認と編集ができるPostGreが使えるのか…ってそんなもん休みの日にまでいじりとうないわい」
「もはやMacもWindowsと同等の実用的なコンピューターになったということやね、まことにご同慶の至りであります」
という感想しか出てこないのだ。
もう一つ外れた予想がある。
「その頃には私は楽隠居して、映画の話ばっかり書いているかもしれない。」
Macレビュワーとしてはもはや楽隠居状態かもしれないが、この「Macで殴り書き」サイトが映画のレビューサイトになったかといえば、そうはならなかった。
残念ながら今の映画を取り巻く状況は大変つまらないと思っている。
特にハリウッド映画の落ちぶれ方が信じられなくらい激しい。
私の個人サイトが、もはや商業映画の批評を書くことに何の意味があるんだろうというくらい、最近の映画はひどい。
このことはそのうちどこかで書くかもしれないけど、今は映画レビューを書く意欲を感じない。
「そうすると私のような趣味はもう成立しなくなるだろう。
このサイトも閉鎖を余儀なくされるだろう。」
この予想も(これは予想というよりも一種の自虐のつもりだったのだが)外れた。
今では私のサイトは8割がたテッポのサイトになりつつある。
これは10年前には予想外のことだった。
かつては趣味の一つだったが、10年前の当時にはもうすっかり忘れ去られた昔の趣味で「テッポに再び興味を持つことはあり得ないだろう」と当時思っていた。
多分テッポの世界は20年前とあまり変化がないから安心できるからかな。
この世界も実銃の世界もモデルガンの業界やユーザー界隈も景気の悪い話ばかりではあるのだが…
そして縁側で入れ歯の手入れをしながら
「私のPowerPCのiBookは今でも起動できるんです」
なんて自慢話をするようなジイさんにもならなかった。
事実はフィクションや未来予測よりもはるかにつまらない方向になりつつある。
現在の相棒のMacBook Proの2009Midモデル
つなぎのつもりで購入したこのMacのノートと
結局10年も付き合うことになるというのも予想外だった
バッテリー交換、SSD導入、FusionDrive化で現在でも実用的なスペックではある
逆に言うとスペックアップによるワクワク感が昔ほどなくなってきたというのはうがち過ぎか?
2019年10月8日
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