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日本の産業がガラケー化している本当の理由〜方法がダメなんじゃない、
減点法でしか仕事や人材を評価しない企業風土が問題なんだ…

Galapagos finch

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日本の産業がガラケー化している本当の理由〜方法がダメなんじゃない、減点法でしか仕事や人材を評価しない企業風土が問題なんだ…

面白いサイトを見つけた。

というか、つとに有名サイトでその筋の人はみんな知っているかもしれないが私が読んでいなかっただけだったかも。
Life is beautiful〜日本のケータイが「ガラパゴス化」した本当の理由

日本のケータイがなぜガラパゴス化したのかという理由について考察されている10年前の記事だが、実に正鵠を得ている。

そもそも「ガラパゴス化」という言葉を最初に使ったのはこのお方だと主張されている。

そして「ガラパゴス化」という言葉は、最初は悪い意味ではなくガラパゴスのように独自の進化を遂げている国が極東にあるぞということを欧米の通信業界がほとんど気がついていなかったので知らせるためにこの言葉をアメリカでのカンファレンスで使ったのだとか。


世界のデータ通信サービスの進化は間違いなく1999年〜2001年にかけてのiモードのヒットが突破口になって急激に進んだし、この当時日本はインフラでも通信サービスのビジネスモデルでも世界の最先端だった。

そのことは私自身世界の通信業界を取材して目の当たりにした。

しかしその後、世界は急激に日本に追いつけ、追い越せと急進歩している中、日本だけが足踏みして結局世界の進化から取り残されてしまった。
この取り残された古めかしいケータイを「ガラパゴスケータイ」「ガラケー」と呼ぶようになり「ガラパゴス化」という言葉の意味は、旧態依然と夜郎自大と井の中の蛙と閉鎖的な護送船団方式のすべての意味がこもった罵倒に近いような言葉に変わった。

時系列で記述すればこれが事実なのだが、このエントリーについたコメントを見て
「ああ、今ネットにあふれているパヨク、ネトウヨ、放射脳、アベノセイダーズ、ニッポンスゴイ、出羽の守…いろんな言葉があるけどこういう事実関係無視で結果だけ見て決めつける人たちの思考回路ってこうなんだ」
としみじみ再認識した。

そのコメントは以下
ちょっと長いが逐一反論したいので全文引用。

ガラパゴス賛美は気持ちが悪い。
imodeを代表とする日本の携帯ビジネスは世界的に見て異様な奇形でしかなく、世界に受け入れられなかったのは日本のハードメーカーのせいではなく、そもそもその奇形的な規格を立ち上げようとしたdocomoのミスであった。
そもそもwwwは世界的に規格をすすめていて、一企業の都合で歪めてしまうような公益性の低いモノではなかった。
docomoのimodeは当時の低いハードスペックに合わせて独自企画を満載した歪んだカタチのインターネットで、当初から限界が見えていた。
それをコンテンツ自体のレベルを落とし、
さらにスペックが低く、二年も持たない端末を四半期ごとに新機種を発表して次々に買い替え需要を促すためにキャリアがメーカーに開発補助をし、メーカーは結局ユーザーをよりもキャリア目線でたん末を開発する市場経済のカタチからすると歪んだハード市場を作り上げた。
さらにコンテンツ市場は単なる画像データに壁紙などと称して月額料金を徴収したり、PCユーザー視点からはせいぜいWebゲームに過ぎない程度の品質のゲームにやはり高額な月額料金を徴収するボッタクリとしか言えない市場となり、ネットを単なるキャリア囲い込みの徹底した集金システムに仕上げてしまった。
こんなimodeを受け入れるほど海外のメーカーは思慮が浅くはなかったと言うだけ。
結局端末のスペックと通信速度が安定すれば、フルブラウザひとつ搭載すれば凌駕されてしまう程度の市場でしかなかった。
このハードとエコシステムの違いは結局一時期国内で普及していたワープロ専用機の多機能モデルとのちにそれを駆逐したPCの違いに近い。
誰が使い始めたかなどどうでもいい。
ジャンクは最初からジャンクに過ぎなかったと言うだけ。


まず出だしのこれがすでに間違っている。
「世界に受け入れられなかったのは日本のハードメーカーのせいではなく、そもそもその奇形的な規格を立ち上げようとしたdocomoのミスであった。」

奇形的な規格なぞ立ち上げていない。

あの当時世界の趨勢が独自規格を立ち上げて
「我こそはデファクトスタンダードだ」
と主張し合っていただけで世界標準なんてものはなかったし、どれかの規格が世界標準になるようなアドバンテージもなかった。
早い話どれも大したことなかった。

この当時の規格の世界分布を調べて自分なりに表にまとめていたのだが、その資料が見当たらないので探していたらこちらのサイトにほぼ同じ趣旨の資料をまとめておられたのでお借りする。





通信方式の世界分布図
ヨーロッパのGSM、日本のPDC、アメリカのTDMA、中国を中心としたアジアのAMPS
それぞれの通信方式が群雄割拠していた
通信利用者の人口から言えばヨーロッパのGSMが世界最大だったが
肝心の通信サービスがSMSベースの簡単なお知らせ機能中心というのがイケてなかった



iモードは世界に通用しない独自規格と罵られるのはその末期のiモードサービス終了間際の話で、最初の時期には逆に世界に通用する標準規格なんてどこにも存在していなかった。


『そもそもwwwは世界的に規格をすすめていて、一企業の都合で歪めてしまうような公益性の低いモノではなかった。
docomoのimodeは当時の低いハードスペックに合わせて独自企画を満載した歪んだカタチのインターネットで、当初から限界が見えていた。
それをコンテンツ自体のレベルを落とし…』

このお方は通信規格とコンテンツの規格をごっちゃにしておられる。

これは多分iモードのコンテンツ記述に使用されたcHTMLのことを言っておられるのだと思うが、すでにHTMLというティム・バーナーズ・リーが創設したWebの標準規格があるのに、なんでドコモでしか使えないcHTMLなんてローカル規格をコンテンツメーカーに強要したのか…ということが言いたいんだと思う。

これについて当時世界3位のモバイル端末メーカーで世界1位のインフラメーカーだったスウェーデンのエリクソン社の副社長が象徴的なことを言っておられた。
詳しくはIT用語辞典の「PDC、GSM、 TDMA」のページでも触れた。

副社長のマッツ・ダリン氏は
「2000年に日本でiモードがヒットしているというニュースを聞いて本当にワクワクした。
なぜならモバイルデータ通信を利用した商業サービスが可能なのではないかということは、私もこの20年間ずっと思い続けていたからだ」

とコメントした。

重要なのはこのコメントの後半部分。

ケータイ電話を使ってデータ通信をすれば個人向けに面白いサービスができてこれがネットワーク通信の底をさらに広げるのではないかということは、実は平野ノラがネタで使う自動車移動電話が普及し始めた時代からみんな思っていたことだった。

できれば面白いに違いない、できればきっとビジネスチャンスも大きく広がるに違いない…と思ったのはなにもドコモの幹部だけではない。

思っていたのならなんでやらなかったのか…ってできなかったからなんですよ。


当時のGSMにしろPDCにしろ通信速度は今の4G、5Gと比べれば二桁も三桁も違う。

端末の性能も貧弱だった。

ノートPCだってPHSを使ってダイヤルアップでやっとメールチェックができるぐらいのものだったし、iモードが始まった1999年ごろのモバイルノートなんてWindows98とかMacOS8とか9とかクソ重いOSを使ってダイアルアップすると、しょっちゅうOSごと落ちていた時代だ。

ましてやノートPCよりさらに小さな筐体で、PCでも不自由なWebコンテンツの利用なんて夢のような話だった。

すでにあったインターネットのWebコンテンツをケータイで見られるようにすればよかったじゃないか…とこの批判的コメントを書いたお方は思っているのかもしれないが、これは今だからできることであってスマホが一般に普及する以前は、こんなスペックの端末なんてどこにもなかった。
そして端末があったとしてもそんな重い通信に耐えられるモバイルデータサービスなんて世界中どこにもなかった。

これができなかったからドコモのiモードチームはcHTMLというHTMLを大幅に換骨奪胎した「軽い」HTMLを規格開発して、これでコンテンツを作るという方法を編み出した。


『cHTMLなんてゴミだ』と後出しでいうのは簡単だ。

でも1999年の1月にiモードサービスが始まって以来、当時の女子高校生を中心にこのサービスが急激に普及する。

この「女子高校生」という部分も重要。

それまでのWebのアーリーアダプターのPCオタク、ネット中毒者などのギークではなく、普通の高校生がこのサービスを支持したというのが重要で、それで初めて
「データ通信はライフスタイルを変えるようなヒット商品になりうる」
と言えるようになった。


それまでのネットギーク、PCオタクなんかとは桁違いの人口とマーケットを持つ層がデータ通信にコンタクトしてきたから初めて世界のキャリアーやベンダーはインフラや携帯端末の開発に資金を投下できるようになった。
その結果PDAのような半魚人みたいな中途半端な端末ではなくまさしくミニPCのようなスペックのスマホが登場し、そのスマホの登場とより広帯域の通信新方式の普及によってWebのHTMLテキストだけでなく、音楽や動画などあらゆるコンテンツがリアルタイムで利用できるようになってきた。

この巨大な市場を開拓する上で世界中のモバイルキャリアと携帯端末ベンダは数百兆あるいは数千兆円もの設備投資、開発投資をしてきたはずだ。

それができるようになったのもiモードを突破口に
「モバイルデータ通信は商売になるぞ」
ということが世界中の通信業界関係者に知れ渡ったからで、こうした資金投入が可能になり世界規模の進化につながった。

まさしくcHTMLを採用したiモードは突破口になった。

そのiモードが2010年代になっても世界規格にならなかったのは、規格そのものが奇形だったからだという批判は物事の順序をごっちゃにしている。

すくなくとも2001年ごろはヨーロッパのキャリアやベンダーは3Gの導入やデータ通信サービスには懐疑的で、当時のイギリスの新聞にも

「まもなくヨーロッパに導入される3Gケータイサービスは必ず失敗する」

という見出しがあったのを見ている。

当時元ブリティッシュテレコムの幹部にインタビューした時も、帰り際に
「今日は前向きな話ができてよかった。なんせヨーロッパでは『3Gは金の無駄遣いだ、そんなものに投資するぐらいならケータイの通信料金を下げろ』という論調ばかりだからね」
とちょっと暗い顔をしていたのが印象的だった。

AppleがiPhoneを発売したから世界の通信業界はスマホに移行して、無限に広がるWebコンテンツが利用できるようになった…なんてそんな簡単な話ではなかった。


『さらにスペックが低く、二年も持たない端末を四半期ごとに新機種を発表して次々に買い替え需要を促すためにキャリアがメーカーに開発補助をし、メーカーは結局ユーザーをよりもキャリア目線でたん末を開発する市場経済のカタチからすると歪んだハード市場を作り上げた。
点からはせいぜいWebゲームに過ぎない程度の品質のゲームにやはり高額な月額料金を徴収するボッタクリとしか言えない市場となり、ネットを単なるキャリア囲い込みの徹底した集金システムに仕上げてしまった。』

これも世界の市場は端末メーカーと通信キャリアは独立して対等の関係なのに対して、日本はドコモなどのキャリアがユーザ契約を独占してキャリアからベンダーに端末を一括発注して「0円ケータイ」などという曲芸のようなことまでして護送船団方式でユーザーから通信料を騙し取ってきたと批判される部分。

しかしこれがあったから日本のケータイは受注が見込めるのでiモードケータイとして進化することができた。

先の元ブリティッシュテレコム幹部のコメントのように
「3Gなんてどうてもいいからケータイ料金を安くしろ」
なんていうユーザーばっかりだったら、端末ベンダーも巨額の端末開発資金に安心して投資できない。


2001年にイギリスのマン島で3Gの実用試験をしているところに行ったが、この時イギリス人の通信会社の社員が自分のケータイを見せて
「日本人、見てみろ、オレのケータイは画面がカラーなんだぞ」
と自慢していたのが印象に残っている。

この時に一緒に日本から来ていたスタッフは彼が何を自慢しているのかすぐにピンと来なかった。
なんせ日本ではカラーディスプレーのケータイなんてとっくに普及して、モノクロのケータイは見かけなくなっていたから。

「いまさらそんなもの自慢しているの?」
というのも悪い気がしたので一応驚くフリだけはしてあげた。

「それどこのケータイ?」
と質問したら
「Oh! NEC」
というオチが付いていたが…


それぐらい当時のヨーロッパのベンダー事情は遅れていたし、日本が先進的だという情報もあまり入ってきていない様子だった。

先のIT用語辞典のページでも書いたが、この日本の護送船団方式は最初の段階では非常にうまく機能していたんじゃないかな…とこの記事を書いた2004年当時も思っていたし、今も思っている。

このドコモなどのキャリアの一括受注という護送船団方式があったから、日本のベンダーは安心してケータイ端末開発に設備投資できた。

だから1999年から2004年ぐらいまでは日本の端末は世界最先端だった。

そのことは間違いない。


『このハードとエコシステムの違いは結局一時期国内で普及していたワープロ専用機の多機能モデルとのちにそれを駆逐したPCの違いに近い。』
あともう一つ揚げ足とっておくならば、ワープロは別に日本独自のガラパゴスではなく世界標準でしたよ。
少なくともワードとかいうワープロソフトでソフト化された形で標準になる前から…


じゃ、なぜ日本のケータイベンダーは今現在見事に凋落してしまい、日本市場ですらサムスンやAppleなどの端末に席巻されてしまっているんだろうか?
というのが文頭のLife is beautifulさんの
『日本のケータイが「ガラパゴス化」した本当の理由』
という考察の内容になってくるんじゃないかと思う。


日本の特に大企業は本当に冒険をしない。

そして本当に決断が遅い。

それはなぜかというと、日本の大企業の特に幹部の考え方が減点法だからだと考えている。

どんなにいい業績を残した人でもそのプロセスでミスがあってそのために問題も起こしたとなると、その問題があった部分ばかりがクローズアップされて全体として優れた業績であっても評価されない。

そのかわりに全体的にパッとしなくてもミスがなければ高い評価になる。


日本の経営者が結果主義だの実力主義だのKPIで数値化だの言いだした当時も、そういう考え方は日本企業には向かないんじゃないかなとずっと思ってきた。

実力主義というのなら実力を正しく評価できる上長がいなくてはいけない。

しかしその上長が「仕事の過程でミスがなかったか」という部分しか評価できない人物だったら、その職場では実力主義は機能しない。

ましてや大企業はもう経営幹部がみんな減点主義だ。

ミスをして損失を出すぐらいだったら、何もしないでトントンの方がマシ。
こういう考えの人たちが日本の大企業の舵取りをしている。


NTTドコモやKDDIなどの大手キャリアによる一括発注方式の護送船団の頃は、減点主義でも安全にビジネスができたから開発投資にも積極的だった。

ところが海外製の端末がどんどん日本に入ってきてそれまでの貿易障壁という「鎖国」が解かれてしまうと、ケータイ端末に巨額の資金投資をするのは大きなリスクになってきた。

日本のベンダーとして代表的なところはNEC、東芝、シャープ、日立、富士通、パナソニック…名だたるところはみんな参加していたのに一人抜け、二人抜けしていく。

かわりにアメリカ市場、ヨーロッパ市場、中国市場に積極的に打って出ればよかっただろうけど、ヨーロッパでも中国でも日本製の端末は人気がなかった。

店頭で聞くと
「日本製は機能が多くて高級なんだけど使いにくい」
「日本のケータイはデザインがダサい」
「壊れないし、いい商品なんだけど値段が高い」

というような評価ばかりだった。


そんなこんなでモタモタしているうちに、Appleが2007年にiPhoneを発売、同じ年にGoogleがケータイ向けのオープンプラットフォームAndroidを発表

その時に日本メーカーは何をしていたかというと2007年冬モデルとして各メーカーとも一斉にiPhoneのデザインをパクった平たくてタッチパネルの「ガラケー」を発売してきた。

この時のスティーブ・ジョブズの個人メモに書いてあったことが、のちに話題になった。

ジョブズは日本メーカーが一斉にiPhoneのデザインをパクったことに関しては意にも介していなかった。

ところがGoogleのAndroid OSの発表のニュースだけには反応し
「あきらめろ!愚か者!」
とイライラした調子で書いている。

ジョブスはこの問題に関して何がAppleの脅威になって何がならないか見抜いていたようだ。


1999年から2004年ぐらいまでの日本のケータイのアドバンテージは、このiPhoneとAndroidの登場でキレイに失われビハインドを取り戻すような積極的なメーカーもなく、どこのメーカーもケータイデバイス事業は赤字部門としてお荷物になり撤退、分社化、売却が相次いだ。

その間昔ながらの二つ折りのガラケーは、お年寄りを中心になじみがあったので一定数売れていた。

これが日本メーカーがガラケーばっかり作っている理由だと思う。


このブログは最近は更新が止まっているようだが、実は書いている人はあの憎っくきWindows95を実用化したMicrosoftの開発チームの主要メンバーだったらしい。

Windows95発表直前、対抗するカイロプロジェクトに対して、シカゴプロジェクトのプロジェクトリーダーから「ビルゲイツ御大の前でシカゴプロジェクトのプレゼンをしろ」と命じられ、見事次期OSの座を勝ち取ってこれが晴れてWindows95になったというエピソードを書いておられる。
米マイクロソフト本社で目の当たりにしたビル・ゲイツの決断力

日本人がWindows95の中心開発メンバーだったとは知らなんだ。

ならばもっと日本語フレンドリーなOSにしてくれればよかったものを…


このエントリを見ると対抗馬だったカイロプロジェクトは新しいインターフェイスと新しいファイルシステムの開発に膨大な人数をかけて遅々として進捗がなかったというエピソードがあって、のちのAppleのCoplandの開発失敗と同じようなことが書かれている。
Coplandの詳細はこちらを参照。
『アップル』は当時を知る人達にちゃんと取材してまとめられた久しぶりに読んだ良書だった

そしてWindows VistaになるはずだったLonghornもまたCairo、Coprandと同じような危機をはらんだプロジェクトだったというエントリーも興味深い。
Longhorn は Cairo か?

結果的にはWindows VistaはLonghornとは全く別物のWindowsXPの外装を架け替えただけのOSになり、今ではMicrosoftの黒歴史になりつつある。
(Microsoftの記述で「Windows95、98、Windows2000、WndowsXP、WIndows8、Windows10」という並びになってWindows MEとVistaが欠番扱いになっているのを見つけてしまった…さもありなんだけど…)


そしてこのお方のプロフィールはこちらを見るとわかる。
NTTの株価総額が世界一だった時に、Microsoftに転職した理由

アスキーから分裂した日本マイクロソフト社に初代社長の古川享に売り込んだのか引き抜かれたのかNTT研究室から転職した当時の話が興味深い。

NTTの民間企業でありながら役所のような旧弊な風土が書かれていて、日本企業の硬直している理由が垣間見えるかもしれない。




2020年5月23日















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