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私を通り過ぎていったMacたち1〜いつの間にか通過した弊サイト11周年&新春特別企画
というわけでもないが今まで書いたことなかったからMac遍歴など(おそらく前編)

Macs

私を通り過ぎていったMacたち1〜いつの間にか通過した弊サイト11周年&新春特別企画というわけでもないが今まで書いたことなかったからMac遍歴など(おそらく前編)

弊サイトにはMac系のブログなら必ずある「私のMac遍歴」にあたるページがどこにもない。

最初からこのサイトは私個人の備忘録・知り合いにMacのメンテナンス法、トラブル解消法、UNIXコマンドの説明などを
「ゆっくり説明している時間ないから、ここ読んで」
と示すために書いていたサイトなので、今まで私個人のMac遍歴を書くという発想がなかった。

MacはMacなんだし、何使ってても別にいいじゃん…みたいなこだわりのなさがいわゆるMac信者とあまり相入れないのか最初の頃はそういう信者と喧嘩もしていた。


でも昨日ちょっと気が変わる記事を目にした。
iMacとお別れ - ぱーむらいふ
ぱーむらいふさん初代のiMacがこの年始にお亡くなりになたそうだ。
初代のiMacがお亡くなりになったこともさることながら、初代のiMacが先月まで生きていたことに感心してしまった。

考えたら私のところでは大体3〜4年周期で殿堂入りまたはサーバー転用またはお亡くなり…という感じでMacを乗り換えてきた気がする。
現役のMacBook Proは2009年モデルだが6年目に突入してまだ現役だから、歴代の中でもこれが最長だと思う。
そういったMacたちの履歴を書いてみたくなった。
これで弊サイトも少しMacのブログらしくなるのかもしれない。



Macintosh Quadra 630

何度か書いたことがあるが、私自身はパソコンオタクでもないしどちらかというとアパシーだったし、会社のパソコンヲタクみたいな連中をバカにして80年代、90年代も過ごしてきた。
ところが御多分に洩れず93年のインターネットブームから95年のWindows95発売までの流れで、仕事でもパソコンを使わざるを得なくなってきた。

その時に使っていたWindows95マシーンが平然と「不正な操作がされたためにシステムを終了します。保存されていないデータは失われます」と人格障害のようなメッセージを出して固まってしまい数日分の徹夜仕事をパーにしてくれた経験を何度かして、Windowsなんか絶対に使いたくない…と思っていた。

会社の組合だかが『健保事務目的という名目でパソコンを購入するけどMacなんてどう?』とか言ってきた。 Mac好きの社員が結構いてその差し金だったのかもしれない。

それで組合とはあまり関係なかったが、ほぼ自由に仕事などに使えるパソコンということで最初にいじり出したのが、確かこのLC630だったと思う。
OSは漢字Talk7がついていた。

実のところ個人所有のMacではなかったので、自由にカスタマイズも出来なかったし当時の私にはそんな技量もなかったので、ほぼワープロ打ち、暇な時間のゲームとこんなところが使用目的だった。
なぜかIMだけはことえり以外にATOK、EGBridgeがインストールされており、ことえりの馬鹿さ加減には手を焼いたが、Lキーなどのキーパイントのルールがそれまで使っていたシャープの書院に似ていたので、結局ことえりを使うというのちのコースがこの時に運命付けられてしまったのかもしれない。

とにかく電話カプラーをつけてネットしていたので、ネットの速度はめちゃくちゃ遅かったし「電話料金がかさむので昼間のネット使用は控えるように」というお達しが出てしまった。
(途中でPPPに変わってやや高速化した)

このマシンについて覚えていることはそんなものか。
あとフロッピードライブのスロットが付いていたなとか、ハードディスクの容量は500MB(ギガではない)だったとか、システムバスも33MHzと、とてものどかな時代だった。



iMac

もう言わずと知れた、ボンダイブルーの初代iMacだ。

ぱーむらいふさんのところで先日お亡くなりになったというのは、多分このモデル。
これも私の個人所有ではなく、当時の職場の支社長が
「囲碁ソフトをやりたい」
という目的だけでポンと購入し、しかも職場に置きっぱなしにしていた。
支社長が囲碁ソフトをやっている時以外は使い放題だった。

このボンダイブルーの初代iMacは当時デザインの斬新さばかりが話題になっていて、筐体が半透明というのも画期的だった。
ソーテックとかいう完全デザインパクリ商品もあったが、それその後どうなったんだっけ?

OSはOS8が付属していたと記憶しているが、これも個人持ちのMacではなかったので、基本的にワープロ打ちがメインだった。

この頃にさすがにことえりの変換率の低さに嫌気がさしてEGBridgeに乗り換え、また会社が購入したMac版のMS OfficeのWordの使いにくさに耐えられなくなって、EGWordを使い始めた。
この組み合わせは中々悪くなくなかったが、のちに開発終了・サポート終了になってしまい、開発者がスピンアウトしたかわせみになった。

そんな初代iMacだが、実はこのモデルは経営危機を迎えもう虫の息だったAppleの起死回生の一手だったのだ。
詳しくはこちらに書いた。
『アップル』は当時を知る人達にちゃんと取材してまとめられた久しぶりに読んだ良書だった

このモデルの印象は付属のまん丸のマウスがいちいち向きを確認しないとどこを向いているか手の感触だけではわからないので不便だった…ということくらいか。
この時期からMacは急速に人気が出たが、OS8のワンボタンマウスの仕様のため
「Macのマウスはワンボタンで不便」
という誤解が未だにWindowsユーザを中心に刷り込まれている。



iMac DV SE (Summer 2000)

さてパソコンアパシーでパソコンに入れ込んでいる同僚をバカにしてきた私だが、会社支給などのパソコン、Macを色々使ってみてやはりここは個人で一台所有して、もっと使いこなさないとダメだと思い始めていた。

そこで2000年に購入したのがこのiMac DVSEだった。

色々なソフトをインストールして試してみるのも、会社の共有機だとやらかした時にみんなに迷惑をかけるのでやはり仕事用とは別に自分で自由に使えるMacが欲しいということで購入に踏み切った。

これを自宅に持ち帰った時、当時会計事務所でMS-DOSのPCで仕事していた嫁が
「これどこにフロッピー入れるの?」
「これどこにコマンド入れるの?」
と怪訝な顔をしていたのが印象に残っている。
フロッピーもコマンドもなくても動くのだよ、これは…

初代のiMacはほぼ分解は不可能と言ってもいいくらい、その部品構成が入り組んでおり分解時破損という話もよく聞いた。
このiMac DVSEはそこに配慮されたのかどうかは知らないが、簡単とはいかないが私のような初心者にも分解が可能なくらいに中身が整理された。
実際比較すると、同じおにぎり型iMacといっても、初代とこの2世代目のiMacでは中身は全く別物だった。

この自宅Macを入手して初めてワープロ打ち、ゲーム以外の使用法を見出したというか、音楽用途とか映像とか色々な可能性があることに気がついた。
もちろんそういうことができる機能については知識としては知っていたが、そういうものが身近にあるのだと実感したのがこのモデルだと思う。

だからディスクの逼迫も早かった。
デフォルトの内臓HDDは
7, 10, 20, or 30 GB
だったが、このiMacは販売店のカスタムで40GBのハードディスクが入っていた。
当時の私には40GBのハードディスクは無限のスペースのように思われた。

おそらく一生かかってもこのディスクを使い切ることはないだろう…ところが実際には半年で内蔵ディスクは満杯になってしまった。
一生かかっても使い切れないというのは、ワードファイルのサイズを基準にして考えた場合で、音楽ファイルやビデオファイルを扱い始めるとこのサイズは全然余裕がないことに半年で気がつく羽目になった。
ここから今日に至るまで外付けハードディスク遍歴が始まる。

このiMacにはOS9.0.4が付属していたが、このOS9も相当な曲者OSだった。
なんせインストールしたなりの何もいじっていない状態で、すでにコンフリクトが起きているというバグの塊だった。
Windowsを忌避してMacを使い始めたのに、そのMacがWindowsに輪をかけた出来のOSで、毎日強制再起動、システムリフレッシュ、毎月システムのクリーンインストールをやっていた。

なお私が使っていたのは、この写真と同じインディゴブルーのiMacだった。 このデザインにはなかなか愛着があったのだが、2004年にGLODを引き起こしてお亡くなりになってしまった。
わずか4年の寿命だった。



iBook Dual USB

私にとって「戦友」ともいうべきもっとも長い時間を共にしたMacの一つがこのDual USBだった。

iBookはiMacとほぼ前後してクラムシェルボディで5色のものが発売されていたが、残念ながらiMacほど人気はなかったかもしれない。
デザインが革新的なのはいいが、キーとスクリーンが異様に離れていて大したスペックでもないのに持ってみると意外にデカイなど評判は散々だった記憶がある。

Appleが「これはいかん」と思ったのかどうかは知らないが、このiBookのあまりにも見てくれ重視、中身軽視の設計を見直すことになったのかもしれない。
クラムシェル型iBookには一定数のファンもいるのだが、映画「キューティ・ブロンド」の中でも、チワワ連れて大学に来るような頭空っぽなブロンド娘が、フラれた男を見返すために一念発起、勉強の虫になって化粧ポーチをノートパソコンに持ち替えて大学に通い始める…というシーンがあって、でもそのノートパソコンがIBMとかじゃなくてタンジェリンのクラムシェルiBookだったのが、ちょっと笑ってしまった。
要するにそういう位置付けのパソコンだった。


同じG3のプロセッサーを積んでいるがデザインは完全に刷新されたのが、このiBook Dual USB、別名アイスキューブというニックネームがついていた。
筐体のデザインはさすがに貝のような丸っこいデザインは廃止され四角くなった。
中身の部品が、CPUボードにしろHDDにしろバッテリーにしろみんな四角いので、それを合理的な配置で収めるなら筐体のデザインは当然四角くあるべきだ…という非常に原初のセオリーにAppleもやっと気がついたらしい。
ノートがデスクトップのiMacと違って、持ち運んで使うという用途からやはり無駄なスペースと重量を許容できないという事情もこうなった理由と思われる。

アイスキューブというニックネームの由来なのだが、このDualUSBの筐体は透明のポリカーボネートのボディに内側から白のカラーリングがされていた。
通常の白筐体とは全然イメージが違うデザインで、これが角氷のように見えるのでこのニックネームがついたらしい。
クラムシェルは諦めたが、普通の四角いパソコンは作りたくない…というAppleのこだわりが伺えるデザインだった。

このDualUSBを私は最初、iMacのサブ機としてたまに使う程度の用途を想定していた。

ところが実際にノートを使い始めると、パソコン台の前から解放されてコタツでも床でも布団の中でもどこでも自由に使えるという自由度にすっかり魅了されてしまった。
移動中の電車の中でも使い、このサイトを作り始めたのもそんな移動中のiBookG3の上でだった。

こうなるとサブ機のつもりだったのに、実際にはMacをいじっている時間のほとんど全てがiBookで、母艦のiMacはほとんど触らなくなってしまった。
そちらは家族共有機のため、メンテナンスのために遠隔でiBookから操作するようになってしまった。

この当時「家庭内LAN」という言葉が流行していたが家庭内にイーサのネットワークを構築することに何の意味があるのかと思っていた私の見方も一変した。
家庭にこそLANを入れるべきだ…しかもどうせ入れるなら無線LANはなお便利だ…なんせパソコンをつないで床を這わせている目障りなケーブルがみんな無くなる…
ということで一気にAirMacBSの導入まで進んでしまった。

このDualUSBには無線LANカードが内蔵されていなかったので、これもApple系のショップでAirMacカードを購入して自分で入れた。
無線LANカードを入れると自宅がネットワーク化されるだけでなく、出先の無線LANにも接続できる。
この当時はまだ無線LANのセキュリティもゆるかったから、出先で結構無線LANに接続できた(相手の了承を得てだが)

これだけではないが一例として、このiBook導入をきっかけにネットワークに関する知見も広まったし、いろんな意味でこのアイスキューブは世界に目を開かせてくれた角氷となった。

その意味で「戦友」と呼び慣わしていたが、さすがに寄る年波には勝てず2004年頃にはもう「老兵」というべきスペックの陳腐化が進行した。
要するに何をするのもすごく遅いのだ。

結局2004年にiBookG4導入と同時に現役を引退。
その後Linuxの実験機になったりいろいろ用途を模索していたが、一番うまくいったのはWebDAVサーバー、Webサイトサーバーとして立ち上げた時だと思う。
ホコリをかぶっていたiBook DualUSBをWebサーバに転用してみた
〜InsomniaXでフタ閉じノートサーバは危険か?<追記あり>

しかしこれも結局クラッシュグセがなおらなくなり、もうハード的に限界と思われたのでMac miniに交代し今は私の部屋の隅で静かに眠っている。

OSは最初OS9.1とOS10.0が二つ付属していた。
初めてのOS Xなのでこの10.0の方をなんとか使いこなそうと最初そこから起動していた。
ドックにバッテリーの緑メスシリンダーアイコンが常時表示されているのが印象的だった。

しかし実際には、このOS10.0はカーネルパニックをかなりの頻度で起こすしフリーズもする。
システムが凍っていない時も、結局フロントエンドのアプリがフリーズして操作不可能になっていたので使い物にならなかった。
泣く泣くこれまた使い物にならないことは熟知しているOS9.1から起動するようになってしまったが、こんなことではいかんと思い立ち、OS10.2のJaguarをなんと発売日に購入した。
このiBookは私のMac暦で初めて最新環境にキャッチアップしたMacでもあった。

OS10.2Jaguarもそれなりに問題があるシステムではあったが、仕掛品という印象のOS10.0や9.1よりはかなりマシだった。
しかし老兵にはこのOS10.2ですら既に重いOSだった。
気に入っていたのに結局3年で現役引退したのはそういう理由だった。

内臓HDDは最初10GBのものが入っていたが、のちに40GBのものに換装、メモリも128MB(ギガではない)のデフォから限界の640MB(ギガではない)に換装した。
前述のようにAirMacカードも追加したし愛情いっぱいで手を加えていたが、この世代のAirMacカードがWEPのみ対応でWPAの無線LANセキュリティに対応していないなど、さすがに今では用途がなくなってしまった。



iBook G4

少し順番が前後するがiBookの話が出た流れでこちらを先に紹介する。

あらゆる可能性に目を開かせてくれたiBookG3のアイスキューブが、予想に反して3年で陳腐化してしまいどうにもならない状況になった。
最新OSもそろそろインストールできなくなった。

できるだけ我慢しようと思っていたが、お知り合いの家に頼まれてiBook G4のセットアップをしに行った時に、さすがに自分のアイスキューブとあまりにも差があることに衝撃を受けてさすがにここは折れてしまった。
好きというのと使えるというのは違うということだ。

このiBookはPowerPCのCPUの次の世代G4(第4世代)を積んだ最初のiBookだった。
PowerPCはG3ではモトローラ製だったが、G4からIBM製に変わった。
そこら大いに期待したのだが、実際に使い始めてみると発熱が大きいせいか空冷ファンの音が盛大に鳴り続ける(アイスキューブには冷却ファン自体がなかった)とかパームレストが電熱器みたいに熱くなるとか、その割にはG3と比べて何かが画期的に速くなった実感が少ない…などMacユーザーには…少なくとも私には微妙にストレスを感じるCPUだった。

この当時インテルとMicrosoftはIntelチップとWindowsの組み合わせでレンダリングにしろコピー・転送にしろすべてがPowerPCより速いと具体的なスペックを挙げてアピールしていたが、これに対しジョブズは
「PowerPCはバックグラウンドで複雑な処理を施しており、実際にはPentiumにも見劣りしないデータフローを実現している」
としてインテル+Windowsは見せ方が上手いだけ…というような説明をしていた。
信者は「そうだよ、そのとおりだよ、Windowsの高速は見せかけだけのものだ」と納得したような…でも意味がわからないような状態だし、私のような信心が足りないものには
「見せかけだろうが、なんだろうが実際Windowsの方が速いじゃん」
という感想しかなかった。

ちょっと話が逸れたがAppleの鬼っ子のG4CPUを積んだこの新型iBook。
デザインもアイスキューブからオペークホワイト…つまり普通の白いポリカーボネートの筐体にかなり前の代から変わっていた。
というよりアイスキューブはDualUSBだけだったように思う。
最初クラムシェルという奇天烈なデザインからノートに入ったAppleが、結局このジャンルでは実用一点張りの普通のデザインに回帰したのは興味深いと思う。

この当時の東芝のダイナブック白がもう見た目も筐体デザインも色目も、このiBookにそっくりでこれを
「東芝の数々のユニークなデザインポリシーが結集したノート」
と自分たちのデザインを絶賛しているのを見て、日本のメーカーにはプライドはないのかと落胆したのを覚えている。
逆にいうと日本メーカーごときに真似されてしまうほどおとなしいデザインになってしまったとも言える。

iBook DualUSBアイスキューブは、キーボードの固定がふかふかでロックがしっかりかからないために、浮き上がった板の上の薄いボタンを打ち抜いているような不快なキータッチだったが、このG4からやっとキーボードがしっかり固定されてバシッとキーを打っているという感触になった。

DVDのローディングもトレイ式からスロットローディング式に変わって、ここらの部品の破損が非常に心配だったので細かいところが改善された。
またiBook G3アイスキューブは一度分解すると、最後に必ずどこから出てきたのかわからない部品が一個余っているとか、筐体を破損せずに裏蓋を取るのが至難の技とか分解は非常に難易度が高く、Appleのサポートも
「分解したiBookはサポート対象外になり修理には応じられない」
という見解だったので分解には覚悟が必要だったが、G4からはさすがに出所不明な部品とか分解時破損とかいうこともなくなり、分解は簡単とは言わないがある程度の中級者でも可能なレベルには整理されてきた。

ハードディスクはやはり40GBだった気がするが、この当時にはすでに内臓HDDにはあまり多くを望まなくなったのでそれでも十分だった。
その代わり常に外付けハードディスクを持ち歩くようになった。

このiBookは2004年の末だったか2005年の初頭だったか、はっきり覚えていないがその時に導入してしばらくメインのMacだった。

ところがこのiBookを使い始めてしばらくしてから衝撃の事件が起きたため、特にG3とくらべて画期的に向上したわけでもないが特に重大な欠陥もなかったこのiBookはたった2年半ほどの2007年に現役引退をしてしまった。

そのあと長らく人に貸していたが、2014年春に私の手元に戻ってきたので現在ではアイスキューブと交代して、自宅Webサーバーになっている。

プロセッサースピードが始めて1GHzとギガの世界に乗り、スペック的にはG3とは大いに違う何者かになったはずなのだが、だんだん重くなるOS XのGUIの表示にそのリソースの大部分を取られてしまい、使用感は意外にG3と変わらないというのが当時の印象だった。



MacBook

さほど気に入ってもいなかったけど、さほど嫌いでもなかったiBook G4をわずか2年半で引退に追いこんだ大事件が起きたことは前の節で書いた。

G4が前評判と違って、すごいプロセッサーのはずなのに意外にもG3よりクロックスピードも20〜30%ぐらいしか上がらないし、OS Xがデカイせいかもしれないけど発熱の割には高速感もない。
ジョブズはこれを見かけだけの問題だと言い切った。

やがてG4はG5に進化し、電源を入れただけで家が吹っ飛ぶ危険なプロセッサーに進化したそうだ。
ところがAppleは2006年に今後すべてのMacのCPUを順次Intel製品に切り替えると発表し、これまで詭弁まで労して擁護していたPowerPCを冷酷にも切り捨ててしまった。

多くのユーザーが
「Macはインテルのチップでは動かない、PowerPCでこそその本領を発揮するという説明だったのに矛盾しないか?」
と疑問を感じた。
この時のジョブズの言い草が
「OS XはもともとX86環境上で開発されたDarwinをベースにしている。だからインテルのチップの方が本来のネイティブな環境なのだ」
という内容だったと思う。

この説明にはさすがにぶっ飛んでしまった。

私の実感では
「パソコンは絶対Mac!Windowsなんか触ったら指が汚れる」
「WindowsPCを入れるとうちの子供達も『パソコンはMacにしてほしい』と泣くのです」
(石井めぐみ談・某Mac雑誌より)

というような狂信的な信者はこの時に絶滅した気がする。

しかしMacとAppleの狂信的な信者以外にはこの発表は非常に好意的に受け止められ、インテル入ってるMacは飛ぶように売れ始めた。
私の観測範囲内でも、これまでWindows一筋でMacなんか見向きもしなかった人たちが
「XPとOS Xの両方が動くんならMacを試してみようかな」
とMacを導入し、Appleの株価も非常に高騰した。
Intel切り替えが完了して以降のMacユーザは非常に多くの人がOS XとWindowsXPをインストールしている両刀使いになった。

今までのPowerPCの異次元世界論みたいな擁護論は一体何だったんだという疑問は感じたが、私の周りでMacを使い始めたWindowsユーザの評判もまずまずなのを見て、これはやはりインテル切り替えは潮流だから乗らざるを得ないかと思っていた。


そこに渡りに舟とはこのことか、会社から
「支給PCを購入するがHPとMacBookとどちらがいい?」
という打診をうけて意識高い私は当然HPと答えたのだが、
「調達数の関係で勝手にMacに変更しといたよ」
という連絡がきた。

ということでG4iBookを導入してまだ2年ちょっとしか経っていないのに、世間はすっかりインテルMacの話題になってしまっている悲哀を感じていた私に意外なところから救いの手が差し伸べられた。

そしてこのMacBook白にメイン機が交代する。

早速支給と同時に個人でWindowsXPのインストールディスクを購入してBootCampも試してみたし、これもインテル化の恩恵で仮想マシンのVMWare FusionもかつてのMac版VirtualPCとは比べ物にならないくらいテキパキ動くようになった。

というかフルスクリーンにすればWindowsネイティヴパソコンと言われてもわからないし、実際この仮想環境より動きがもっさりしているWindows実機て結構あるという気がした。
ここで始めてMacとWindowsの垣根が完全に取れたという実感を持った。

BootCampや仮想マシン上でWindowsを動かすことができると、それを普通のアプリのデータファイルのようにバックアップすることもできるようになった。
するとどういうことが起きるかというと、今までWindowsの実機で例えばウイルスのテストをするとネットワークからは完全に遮断して、後でディスクを完全初期化して、またリカバリディスクでいちいち環境を復元しないといけない。
リスクも伴う。

ところがVMWare Fusion上の環境は簡単にクローズドにできるし、ウイルスに完全に感染して除去できなくなった環境は、丸ごとゴミ箱に放り込んで消去してしまえばいい。
そしてバックアップからまた環境を戻せば実験前の状態に戻れる。
リカバリディスクから復元すると小一時間かかるが、この方法なら数分で環境を復元できる。

このインテル化の恩恵は単にMacが「見せかけの高速」を獲得しただけでなく、Macをいろんな使い方ができるマシンに変えたという意味でも画期的だった。

実際このMacBookでいろいろ無茶な実験もやった。
Windowsのウイルスをゲットして感染実験もやった。
タコ「ウイルス」をゲット、テストしてみた〜これは引っかかるヤツが悪いといってしまうと身もふたもないのだが・・・

OS X側もTime Machineによりいくらでも復元できるようになったので、もうMacもWindowsも怖いもの知らずになった。
何かいじったらデータが全部吹っ飛んでしまうのではないかとビクビクしながら使っていた90年代半ばからは考えられないほど大胆になってきた。

このMacBookはそれまでのオペークホワイトのiBookともかなりデザインが変更され、筐体の上も下もキーボードベースも全て真っ白に変わった。

また持ち運びしていると破損することが多かったリドロック(スクリーンの中央上にある飛び出し式のロックの鈎)が、廃止され割と強力な磁石で蓋が筐体に固定されるように変わった。
ハードディスクに近い場所なのでちょっと心配な気はしたが、結局データの消失はなかった。
もちろん破損もなくなった。

筐体の構成もiBookは組子細工のように部品が入り組んでいて、初心者には分解は到底お勧めできない構成になっていたが、MacBookでは裏蓋を取らなくても内蔵HDDにはアクセスできるようになったし主要部品にもキーボードの面を外すことでアクセスできるようになったので、自分で分解修理も現実的になってきた。

OSはLeopardという新世代のシステムになり、CPUへの最適化も含めてやはりPowerPCを前提としていたOS10.4Tigerとは全く違うものになった。

私個人的にはBootCampは使わずrEFItというようなアプリを入れてOS XとWindowsXPとLinuxのトリプルブートにしていた時期もあった。
このインテル換装というイベントは狂信的Apple信者を絶滅の危機に追い込む大事件だったが、私のようなOSマニアにとってはMacがとても楽しめるオモチャに変わった事件でもあった。
さすがに現在は実用性を考えてOSX以外のOSは全てVMWare Fusionで動かしているが。




ということで、この「私のMac履歴」は「さほど書くこともないので1時間ほどで全部書けるだろう」という当初予想を裏切り、実際に書き出してみるといろいろ書きたいことが出てきてしまったので、まだ半分だが一旦中締めにする。
後半は…近日中に書く…かもしれない…書かない…かもしれない…

All images, some episodes via Mactracker, apple-history.com Wikipedia, the free encyclopedia



2015年1月5日















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