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2007 年 8 月 15 日





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ちょっとグレーかも・・・オンラインiTunesライク音楽共有サイト

オンラインでiTunesのプレイリストを共有できるAnywhere.FMというサービスがスタートしている。

これに関してはLastFMというサービスも前に紹介したことが有るが、本国イギリスと違って日本では音楽共有のサービスは認められなかった。
本国のサービスも音楽ファイルそのものを共有できるわけではなく試聴できるというだけだったのだが、それでも音楽著作権法には抵触するということでその機能は省いたスタートだった。
今では変わったのかどうか私はトレースしていないから知らない。

音楽著作権法規には音楽を無許可で配布するだけでなく、それを例えば共有のサーバに「定着」させるだけで違法と明記されている。だからそこからダウンロードができないように完璧なコピーガードがかかっていても違法は違法なのだ。
後はこれを営業的にどう利用していくかという現実的な法規運用でこれが認められるかどうかの論点になるだろうけど、日本の権利者団体はそういう考え方は全く欠落しているから早晩このサービスもつぶされるかもしれない。

オンラインの音楽販売、音楽プレゼンテーションに関しては日本は国際基準とはかけ離れた未開の国として残ってやがて、そういうノウハウを全て外国企業に持っていかれて音楽著作権料はそういうジイさん達の葬式代に盛大使われるだけになるだろう。
それもこの国の選択だからいいんじゃないだろうか。
音楽産業は一度焦土にならないと何も変わらないというのは最近の私の諦観だし。


だから面白い試みなのだけど日本で定着するだろうか。
でも定着して広がりが出ないとサービスの面白さが実感できないと思うのだけど。






インターフェイスはiTunesに非常に似ていることに気がつくだろう
プレイリストを共有してプライベートFMのような気分で使える
そういうのがこの国で理解されるとは到底思えないのだが






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どうせ長文読む気ないだろ・・・とか「人の話を最後まで聞けゴルァ」とか・・・webの思考法を相手にするのは疲れる・・・って相手する気ないくせに・・・

たろ69のぶろぐ- 風が吹けば桶屋が儲かるか?というエントリを見つけて感心して読んでいたのだが、この方も文章を書くという意味では手練だなと思う。

「アクセス数やトラックバックを稼げるブログの10の書き方」みたいなどうでもいいエントリやそういう関連のサイト記事、雑誌記事を見ると、大抵のところに
「文章は短く簡潔に」
とか
「文頭に結論を書いて、論旨を明確にする」
なんて書いてある。

それは一面の真実なんだけど、でもなんでそうしなきゃいけないんだろう。
文頭に結論を書かなきゃいけないなんて、誰が決めたんだろうか。
そういう型にはまった文章ばかりだから、webの文章は流し読みされるんじゃないだろうか。
文頭に結論めいたことを書いたけどやっぱり良く考えたらその結論は違うことに途中で気がつくなんていう人間的な文章はなぜwebでは書いてはいけないのだろうか。

ここにある
『ダラダラ書いていると「長文やめれ」とか「結局言いたい事は何なのか、結論を先に書け」とか「全部読んでないけどお前馬鹿だろう」とか「一行だけ読んだ」とか「読まずにカキコ」とか書く奴が多すぎる』
というのは本当に実感だ。
『結論だけ読んで、「分かった気になっている奴」が多すぎるのだ。
大事なのは結論ではない。
その論理展開に無理がないか、意図的に端折ってる部分はないかと検証する事なのだ。』

この一文はまさに我が意を得たりというところだ。

結論だけ飛びついて、何故その結論が出てきたのかということを全く気にかけず理解しようともしないで、長文は頭だけ読んで分かった気になっているという御仁は本当に多いと思う。
以前ここでもあったが、このサイトに書いてあったあるシステムファイルの書き換えを実行したら、トラブルが起こったという御仁が有った。
そのトラブルがまずこのシステムの書き換えと全く関係ない症状なのだが、この御仁はこれが原因だとハナから決めつけている。
しかも当サイトのトラブルシューティングは
「トラブル発生→その検証→その対処をトライ→失敗したら再度検証→再度新しい対処法をトライ」
という順番に時系列にそってトラブルの対処歴を書いている。

これがいつも一日で解決すればいいのだが、トラブルの対処というのは往々にして数日に渡ってトライ&エラーを強いられることがある。
だからいつも結論を先に書くのではなく、時系列にそって書いている。
トラブルシューティングはその解決法が重要なのではなく、そこに至るまでのプロセス、何をどう考えてそこに至ったかが重要なのだと考えている。
このサイトをいくら批判が有ってもブログにしないのもそういう理由があるからだ。

ところがこういう御仁はそういう時系列を追うなんてことは絶対にしないで、最初に書いてあった対処をトライして
「うまくいかなかった」
と文句を言う。その続きなんか当然読んでいない。
その方法はうまくいかなかったよと次の記事に書いてあるだろうといったって、聞いちゃいない。
最近ネットに入り浸っている奴らは馬鹿ばかりだといっているわけではあまりない。
ただ、皆段々等比級数に頭に入れなくてはいけない情報が増えているから、
「細かいことはいいから結論だけ教えてくれ」
というふうになっているだけなのだろう。


もうひとつ面白いエントリを見つけた。
世界の中心で左右をヲチするノケモノ - 俺が見てきたこと【観察記まとめ4】ではブログなどが炎上する時のプロセスを非常に細かく分析している。
いわれてみればその通りだ、そういう「炎上」する時って大抵はこの通りのプロセスを踏んでいる。
転載するとこんな感じ。

    1:頓狂な見識をばらまく(燃料仕込み)

    2:善意の第三者からツッコミが入る(マッチが擦られる)

    3:ツッコミに罵倒・嘲笑・威圧・不誠実で返す(着火&燃料投下)

    4:議論を求めて侃々諤々/野次馬流入(炎上第一段階)

    5:根拠なき勝利宣言/呆れてまじめな発言者去る(崩落開始)

    6:相対的に厨・粘着が増える/野次馬流入(炎上第二段階)

    7:状況悪化にうろたえて思わず燃料投下(爆発)

    8:荒れ果てるor寂れきる(炎上最終段階)

    9:逃亡(焼失)

    10:現場検証(まとめサイトや記念館建立、たまに自己批判)


  大抵の場合の本当の炎上はこの5番のプロセスから始まるのだ。
ここで真摯な対応をしていれば、一時的に板が荒れたとしてもそれはその時だけで終わるのだが、その時に嘘くさい反省文を書いて開き直ってみたり、逆に強弁してみたりすると、あとは一気に収拾がつかなくなって、しかも批判者も初期の頃のようなまじめな批判者は引いてしまい、
「ウザイ」「キモイ」「氏んでほしい」
という幼児語しか書けない「厨、粘着」しかいなくなるというのも見事にそうだ。
そうなったらもう対処法はないのだろう。後は静まるまでひたすら頭を下げて待つか、ブログを閉めて別人としてwebに復活するしか方法はないのかもしれない。


この両文見比べて、かねがね思っていたことだがwebの世界って本当に退嬰的になってきているなと思う。
それもここ2~3年で急激にそうなったと思う。
それはweb2.0のおかげなのだろう。
webには初期の頃と違って誰でもお手軽に入ってこられるようになった。本当にお手軽になりつつある。
お手軽になるということは底辺が広がって良質な書き手が現れるということを意味するかもしれないが、それよりも知的水準に関係なく誰でも入れるようになるので、グレシャムの法則よろしく良質な書き手は駆逐されてしまい、ネットには幼児語しか操れない書き手ばかりになってますます読み手は、文章を流し読みしかできなくなるということを意味するのかもしれない。
むしろ後者の方が現状を言い表しているような気がする。


でもここで私が説教オジサンみたいに「責任者出てコォイ!」なんて叫んでみても始まらない。
ここではポリシーに従って粛々と書くべきことを書くだけだし、そういう連中は相手にしないし、相手にしている時間も気力もないし、それは私だけではなく心ある人はどうやらみんなそうだということを最近感じている。これも一種の自分のための覚え書きとして書き留めておく。







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インド式掛算訓練師
(Freeware)
OS10.3Panther対応 OS10.4Tiger対応

今から数年前に海外のIT事情をシリーズ取材していた時に、私は参加しなかったが別班がインドのバンガロールを取材してきた。
今では周知の事実だが、ITの世界ではインド人の進出が目覚ましく、シリコンバレーなどもインド人が一番多くて次にイスラエル人、シリア人、アイルランド人、中国人、フィンランド人などが多く働いていて生粋アメリカ人でしかも白人なんて人はマイノリティになってしまう。
確かスティーブ・ジョブズもシリア系のアメリカ人だったような記憶がある。

インドといっても、実際サンディエゴのクアルコム本社で実際にインタビューした時にインド人に出身地を聞いたのだが全員がバンガロールの出身だった。
バンガロールはIT特区としてインドの中でもIT産業を育成するような特別な行政措置がとられ、またそういう人材を育成するためにここだけ特別な教育カリキュラムが組まれた。
有名な話が二ケタのかけ算の九九というやつだ。

これは日本のマスコミにも随分紹介されて、実際インドの小学生は56×35はなんてかけ算を暗算でどんどん答える映像が紹介された。
「さすが0を発明した国だ! インド人の聡明さは驚異的!!」
なんて頭の悪いマスコミ人はもてはやしたが、これはかなり誤解が有った。
日本の小学生はかけ算の九九は全部暗誦させられる。
これは算盤式暗算の伝統だから、その計算メソードなんか教わらない。ひたすら暗記するだけだ。
ただ一ケタの九九は結局81しかないから小学生でも暗誦は可能だ。
ところが二ケタの九九となるとその計算式は9801もある。
こんなもの暗誦できるだろうか?
ところがこの二ケタの九九を紹介したマスコミはみんな、日本式授業の思い込みでこの9801の計算をインド人は暗誦していると思い込んでしまった。
我が別班のインド取材班もそう思い込んでそう紹介してしまった。
私は強い疑問を感じていたが、
「現場で見てきた俺たちがそういうんだから間違いないだろう」
と彼らは強弁していたので反論できなかった。
しかしいくらインド人が頭がいいといっても、9801もある九九を暗誦できるだろうかというのがずっと疑問だった。

最近になってこの謎が解けた。
インド人といえどもやはり暗誦しているのは一ケタの九九だけだったのだ。
インドの子供たちが二ケタの九九を暗算で答えていたのは4つか5つほどの簡単な計算メソードを使って頭の中で計算していたのだ。
しかしそれでも、インド人がITの現場で強いという説明には充分だろう。彼らは常に概算で適正値が見えるから、何か仮説を立てる時に直感的にそれが間違っているとか、合っているとかがすぐに分かるそうだ。
だからインド人はこの世界では強いということらしい。

それはともかくその二ケタの九九を暗算でやるメソードが、ここで紹介されているアプリの数式だ。
例えば
16×11
というような計算メソードは
(16+1)×10+6×1
というような式で計算するらしい。
これなら暗算でできるし、この定型式をいくつか覚えておけば後は数字を当てはめて計算するだけでいい。
これでも実際には使いこなすのは相当な訓練がいるのだが、9801もの九九を暗誦するよりは遥かに現実的で実用的だ。

このアプリはこの二ケタのかけ算ができるようにクイズ形式で採点もしてくれる。
この定型式をひとつずつ練習することもできるし、ある程度自信がついてきたら当てはめるべき式がランダムな問題にすることもできる。
これでインド人式かけ算をマスターできる。

印象的なアイコンは共闘サイトのわかばマークのMacの備忘録 さんの作品だ。






インド式掛算訓練師の使い方はクイズ形式で答えをひたすら入力
正答かどうかをすぐに○×で評価してくれる
「ヒントをください」ボタンをクリックすると計算式が出てくるのでこれを覚えればいい





計算式は5通りなので式の種類で問題もソートできるし自信がついてきたら
ランダムに問題が出てくるモードにもチャレンジできる
これであなたもインド人だ






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はてなのひとたちって本当にイナゴみたいだな

この記事は不適切でしたので削除しました。
はてなから飛んでくる人たちが極端に回遊性が低いのでそういう印象を持ってしまったのですが、確かに十把一絡げで決めつけるような内容の文章は適切性を欠いていました。
申し訳ありませんでした。



2007 年 8 月 16 日





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nYukie
(Freeware)
OS10.4Tiger対応

新・Macオンラインウエア情報検索をサービスメニューに登録 (うむらうす)さん経由のわかばマークのMacの備忘録 - nYukieというエントリで知ったアプリ。

第一義的にはCocoaアプリのサービスメニューにGoogle、excite翻訳、goo辞典を追加するアプリ。nYukieを起動するだけで、これらのメニューが追加される。
だがそれ以外にも任意のwebサービスをここに追加できるというスグレモノのアプリだ。

Cocoaアプリにはアプリケーションメニューからプルダウンで、サービスメニューというのがある。
あまり使ったことがないかもしれないが、使いこなせばこれはこれで面白い便利な機能ではある。
各アプリやファイルなどの処理を渡したいアプリを起動してファイルメニューで渡さなくてもここで直接渡して処理を続けられる。
複数のアプリに渡っていろいろやりたい、あるいはブラウザやテキストエディタでテキストを読んでいて意味が分からない単語を調べたいとかそういう処理で便利ではある。

OSXがスタートした時からこのサービスメニューはずっとグレーアウトして使えなかったが、OS10.3あたりから使えるようになってきた。
今ではサービスメニューを提供しているCocoaアプリも増えてきたので逆にここが溢れてきて使いにくくなっているくらいだ。

ところが前に紹介したところではgooDictでGoo辞書を追加できるくらいで検索、辞書機能を追加する方法が分からなかった。
デフォルト辞書は英々辞典なので、日本語ネイティブな私にはなかなか使いにくい。
このアプリを使えば任意のweb検索、辞書サービスも追加できるわけだ。
これは便利だと思う。
使い方は上記リンク先並びにキャプチャーを参照願いたい。

なお増え過ぎたサービスメニューを整理したい時には、わかばマークのMacの備忘録さんも推奨のService Scrubberが役に立つ。
実際これがないと私の場合サービスメニューを使ってみようという気にはなかなかなれなかったろう。






nYukieで任意のサービスを追加する方法は以下の通り
例えば共闘サイトの検索サービス「mac onlineware search」を
追加する時にはそのフォームに「nYukieWord」と入力し検索をかける
出てきたページのURLウインドウ全域をコマンド+Cキーでクリップボードにコピーする





そのままnYukieを起動して新規サービス追加の+ボタンをクリックすると
クリップボードに保存されたURLが新規サービス「new」という項目として
そこに現れるのでその名前を自分が分かりやすい名前に変更しておく
文字コードを確認しておいて保存ボタンをクリックして完了





するとこの通りサービスメニューに設定した「「mac onlineware search」という名前が現れる
どのCocoaアプリからでも語句を選択してサービスメニューに入るだけで直接サーチできる
まるで「mac onlineware search」がOSXに組み込まれたような感じで
ちょっとだけ誇らしいというのも「ハル」さんのおっしゃる通りだ






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PeeDeeeF
(Freeware)
OS10.4Tiger対応

そのnYukieの同じ作者さんがサイトで公開しているPDFビュアー。
これは軽快だ。
軽快なPDFビュアーということならPDFViewCMPDFViewerPDFViewなどを使っている。
それも実際軽快なビュアーなので、それぞれに満足しているがただ見たいだけだったらこれは最軽量かもしれない。
そのかわり機能も最小に絞り込んであるが、見るということだけに特化していると考えれば納得がいく。






PeeDeeeFは最軽量クラスPPDFビュアー
開くとツールバーも何もないウインドウにPDFが開く
質実剛健だ





サイズ指定やページ指定をメニューコマンドでクリックするとこういう小窓がポップダウンする
プリセットのサイズは100%の次はいきなり200%なのでこれはお世話になることもあると思う


2007 年 8 月 17 日





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あなたのブログにさわやかな風鈴を実装するブログパーツ

厳しい残暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
暑中お見舞い申し上げます。

ところで昨日は群馬で日中最高気温が40.9度を超えるなど、観測史上記録を更新するような暑さが続いております。
40度って昔地理の時間にインドでは40度を超える暑さになると習って、
「人の体温よりも暑い国って一体どんな国だ? 40度だったら外を歩いているよりも人同士がへばりついてほおずりしている方が涼しいという理屈になるが、実際どうなんだ?」
なんて疑問に思ったことを思い出しました。

しかし昨日のニュースを見ていると群馬でも、埼玉の熊谷でも往来の真ん中でほおずりをしている人を見かけませんでしたので、おそらくこの理屈は間違っているのでしょう。

そんなことはどうでもいいのですが、あなたの運営するサイトにきてくれるビジタの皆さんにだけでも涼しい思いをしていただこうというブログパーツを見つけました。
風鈴ブログパーツ「すず風」 くるくるパーツというサイトのエントリにある涼風のタグをあなたのサイトに貼るだけでいいのです。
以下のバナーとページトップに風鈴が現れ、あなたのサイトが涼しげな音を流しはじめるので、ビジタの皆さんに一服の清涼感を分け与えることができるでしょう。

風鈴の短冊は数種類の中からランダムに表示されるようですし、なかなか涼しげなデザインが揃っています。それに腕に覚えのある人から短冊のデザインも募っているようですので、こういうのが得意な方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか?
見ず知らずの他人のサイトに自分がデザインした風鈴が下がっているというのは、なかなか嬉しいかもしれませぬ。

サービスの性格上季節限定の可能性がありますので、貼るならお早めがよろしいかと存じます。
なおこのページにRSSで飛んでこられた方は、風鈴を見過ごす可能性がありますので、ぜひともコマンド+上カーソルキーでページトップを見てみてください。
ちょっと重いのが玉にきずですが、なかなかリアルで良いかと思います。






タグを貼るとこのようなバナーが現れる





そしてページトップにはこのような風に揺れる風鈴が表示される
時折涼しげな音を立ててビジタの皆さんに少し涼しげな気分をわけて差し上げられる
プロセスの重さは残念ながら涼し気とはいかないが



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なるほど「空想的コンサルタント像」ね

最近はてブに「コストカット屋の世迷いごとに相変わらず振り回されるバカ企業」という記事が捕捉されて、ここにアクセスが集中しているのだが、これについて初めて反論らしい反論がでてきて、これがなかなか「なるほど」と思わせる内容なのでそれについて書いてみたくなった。

それは「コンサルタントを見たことがありますか?『空想のコンサルタント像』」という記事で、要するに元記事で私が批判している「経営戦略コンサルタント」なんていうのはもはや「絶滅危惧種」らしく、コンサルというのはそういう仕事をしているわけでもなく、専門の問題解決を生業としているのがコンサルタントなのだが、大部分の実際にコンサルを見たことがない人達は(含む私?)空想的なコンサル像で、空想的な批判をしているという趣旨だ。

そういえば私の友達には「コンサルタント」という人はいないし、「私がコンサルだ」なんて人を捕まえて直接議論をしたことがあるかと問われると、私もそういうことをしたことがない。
会社では「お前も幹部なのだから自覚を持って仕事に取り組まなくてはいけない」なんていわれるけど、実際には重要事項の決定に関与した覚えもなく、重要事項は常に事後説明事後承諾なので、私自身はコンサルと直接接するような経営者でも経営幹部でもない。
そういう自覚を持ったこともない。
私は常にそういうコンサルに洗脳されて素っ頓狂なことを言いはじめる幹部を通じてしかコンサルの言い分を知らないし、コンサルの素っ頓狂なリポートを読んだことがあるだけだから、これらは全て空想的なコンサル像だといわれればそうかもしれない。

あのテキストで私は本当はコンサルよりも、コンサルにすがって素っ頓狂なことを言いはじめる幹部の方を批判したかったのかもしれない。
しかしそれは置いておく。

じゃ、実像のコンサルはどんな人達なのだろうかとよく考えてみる。

例えば最近接した人で思い当たるのは、東大特任准教授でアステラス製薬などの社外取締役を歴任しておられる江端貴子さん、カーライルグループ日本代表の安達保さん、小泉構造改革のブレーンで早稲田大学教授の川本裕子さんとかこういう人達はマッキンゼーの出身者だった。
産業再生機構の冨山和彦前COOはボスコン出身だったかな。
確かにこれらの人々は傾聴に値する深い洞察と該博な知識を持っておられて、こういう人達が「コンサルテーション」をやってくれるならいろいろ聞いてみたいことはたくさんある。

ただしこういう人達は「コピー機のコストを抑えれば会社の資金循環がうまくいくでしょう」なんて近視眼的なコンサルテーションは多分やらないだろうなと思う。
「そういう慧眼を持った人達も知らないで、インチキ臭いコンサルというイメージだけで批判をスルな」という批判の論旨はもっともだと思う。けど、それじゃ「インチキ臭いコンサルは絶滅危惧種」かというと、それも言い過ぎじゃないかなという気がする。

『「経営戦略の意志決定だけコンサルティングしている」というコンサルタントは見たことがない。』

『コンサルタントの最大の仕事は『問題・課題の解決』なのだ。』


という一節はなるほど、と思ったのだがその『問題・課題の解決』にデタラメな技能を発揮してくれるコンサルが多いから現場は困っているんじゃないだろうか。
これもどこで読んだのか忘れたのでリンクできないのだけど、コンサルに引っ掻き回されてシステムやメソード全て見直し、現場の意見を無視して新制度を導入して1年ほどでこの新システム、新メソードがほぼ使い物にならないということが判明した頃には、震源地の言出し兵衛はもう現場にはいないというような記事も見かけた。

勿論コンサルがこんな連中ばかりでないことは理解しているつもりだ。上記に挙げた人達がコンサルタント時代には、どんなアプローチをしていたかは是非見てみたかったなと思う。
しかし「コストカット屋」みたいなどうしようもないコンサルも、この世には厳然として存在して、そういう連中の耳に心地よい言葉ばかりを聞いて、現場からのヒアリングを怠る経営幹部も厳然として存在するという事実には変わりはないような気がする。
「そんな安物のコンサルとばかりつきあってないで、一流の人とつきあいなよ」
という批判は私ではなく、安物大好きなウチの会社の幹部にしていただければと思う。




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今日の下げ方はすごかったよね、数字だけみたら「大恐慌」という表現は大げさではないかも

今日の株、為替の動き方はすごかったよね。
数字のことになると素早く調べる人がすぐにいるから、便利なのだけどいくつか上げてみる。
日経平均は15273円68銭、前日大引け比874円81銭安
これは単日ではジェイコムショックやライブドアショックの時も突き抜けて、7年ぶり、ITバブル崩壊のとき以来の下げ幅なのだそうだ。
東証の開所以来日経平均では、歴代16位の下げ幅、TOPIXでは11位の下げ幅だ。
週間ベースではTOPIXで歴代5位、日経平均で12位ということだから、一過性の突風であるはずがないと思う。
為替も東京で一時112円台に突入してほぼ一方向的な円高方向に向かっている。
こちらは1年2ヶ月ぶり。

今後どうなるかなんてことを予想するのは専門家の仕事で、私のような素人は『あと講釈』専門なのだが、これは一過性ではないということに関してはほぼ確信を持っている。

今回の現象の大きなドライブになったのはやはり為替だと思う。
為替は2006年の5月以来この2年3ヶ月、ほぼ一方向に円安ドル高で進行してきた。
ユーロに対してもオージードルに対しても円安で進行してきた。
だからこの2年というもの、投資のとの字も知らないような人達が猫も杓子も「FX」「為替証拠金取引」に狂奔して「為替証拠金取引は買えば絶対儲かる」なんて熱に浮かされたように口走っていた。
今でもそういう人が大勢いて、この何週間かの相場でほぼ焼き鳥になっているんじゃないかと思う。


私が自分の言葉で書いてもあまり信頼感がないだろうから、これについては最近聞いてきた専門家の話をそのまま引用する。
6月15日に若林栄四さんの講演会を聴いてきた。
この6月15日という日付には意味がある。委細後述。

若林栄四さんという名前は、為替取引に興味がある人だったら知っているかもしれない。
この方は面白い人材が揃っていた三菱との合併前の東京銀行の中でもひときわユニークな人で、東銀の為替ディーラー時代のニックネームは「マッドドッグ」といわれていた。
市場が売り一色になるとそこに買い向かうようなことをするのでそういうあだ名がついたらしい。
この若林さんという人材を発掘した経団連の本田敬吉さんにお会いする機会があったので、どういう人物だったのか聞いてみた。

本田さん曰く
「若いやつですごく鼻っ柱が強くて生意気なんだけど、面白いことを言うヤツがいるからやらせてみようということで、私が抜擢した。
どういうものか、彼の場合はよく相場を『当てる』んですよ。
それでどういう根拠で当ててるのか、彼と徹底的にディスカッションをしたことがあるんだけど、相場観ということでいえば、どう考えても私の言う事の方が理屈が合っているのに、結局相場は彼の言う通りに動くんだよね。
あれはどういうんだろ?」

ということだった。

面白い話だと思うし、相場というのは元々合理的な動きをするとは限らないということなのだろうと思う。
しかしその必ずしも合理的に動くと限らない相場でも、全く無意味にデタラメに動いているわけでもなくてやはりそこには法則性、合理的理由らしきものが存在する。

若林さんはどちらかというと材料とかファンダメンタルズとかをあまりみないで、テクニカルな方法を駆使してそうしたものを割り出していくという方法論をとる人だが、その方法論はテレビなどでよく見かけるテクニカルアナリストというような人とは全く違う。
例えば、下げ相場で天井のピークと、下げ戻しのピークを線で結んで
「上値抵抗線」
とか言っているチャーチストをよく見かけるが、これは若林さんに言わせると
「何の意味もない、何の根拠もない」
ということになるらしい。
若林さんに言わせれば、一目均衡表も窓理論も何の意味もないということになる。

かわりに何を使っているかというと「相場のリズム」としてチャートの形をみる方法だ。
相場は常に一定のリズムでピークをつけたり、ボトムをつけたりしながら全体で上げトレンド、下げトレンドを見せる。
そのリズムを見ていると、どこかでそのリズムが狂うときがある。
リズムが狂う時がトレンドが変わる時なのだという。
これは為替だけでなく、株でも、債券でもコモディティでもどんな相場でもそうなのだそうだ。

これが一番劇的だったのが2004年の12月の円高の時だった。
この時に1ドル100円に迫ったチャートを見て、ほとんど全てのメディアが1ドル90円台は必然という論調だった。
しかし若林さんは一人、この時に
「1ドル90円台はあり得ない。」
と主張した。
しかし一般には「アメリカの双子の赤字がドル売り、円買い圧力になり」90円台はおろか、80円台も避けがたいというのがこの時の論調だった。
結果どうなったかというと、04年の12月にドルは大底を打って、以降は周知の円安、ドル高のトレンドに転じた。

後から理屈を付ければ、この時に日米の金利差は決定的になり円をほとんど無金利で借りて、円売りドル買いをする円キャリートレードの流れができたという分析はできる。
しかしそれは後から分かる事で、若林さんはこの時のボトムのつけ方のリズムが、完全に裏打ちになった事に注目してこう断言していた。

ドル円は結局1ドル=100円を突破しなかった。

後はお馴染み円キャリートレード、円安のトレンドが定着して「FX」「為替証拠金取引」の大流行になった。

昨年若林さんに会った時には若林さんは「購買力平価」に注目して近々円高の大転換が起きると予言していた。
この論は実は若林さんのオリジナルではなく、多くのエコノミストが注意していた話なのだが概要を説明するとこうだ。

1996年にドル円の水準は1ドル=110円だった。
もしこの水準が適正だったとすると、ここから2006年までの10年間、アメリカのインフレ率は平均2%、10年累積で20%、日本のGDPデフレーターは平均-0.9%で10年累積でマイナス9%。
これを単純に物価に当てはめると96年に
一杯1ドル=110円のコーヒーがあったとして、
日本のデフレーターを当てはめると
一杯=100.1円
アメリカのインフレ率を当てはめると
一杯=1ドルは
一杯=1ドル20セントに

これを為替相場に当てはめると(実質レート)単純計算で06年の適正為替水準は
1ドル=83円41銭
ということになる。

ところが実際には1ドルは06年夏で115円、07年6月で123円台の後半をつけていた。

この乖離は何が原因かというと、そもそも96年の水準が適正値かという問題もあるが、それを考慮に入れてもやはり円キャリートレードが生む円売り圧力が想像以上に強かったという事も言える。
つまり円ドルは一方的な円売りドル買いポジションにエネルギーがかたよっていたということだ。

これがどんどん続いたらどうなるだろうか。

地下のマントル層の表面にたまった一方的なエネルギーは、あるレベルを超えるとそのエネルギーを解消しようとして火山になったり、地震になったりする。
そうして一方的になったエネルギーを解消しようという方向に必ず動く。
相場も同じで極端に一方向にポジションがかたよると、いつか必ずそのエネルギーを解消しようとそのエネルギーを噴出することになる。

そういう簡単なことも知らないで、あるいは知っていても理解したがらないで
「為替証拠金取引は買えば絶対に儲かる」
なんて無邪気に言っていた日本の個人投資家が哀れだ。

問題はそのタイミングがいつ来るかということだ。
残念ながら若林さんは、ここしばらくはそのタイミングを外している。
昨年いっぱいが円安トレンドの臨界点で年初には大きな転換点が来るという予言は外した。

それで上述の6月15日講演会になる。

「私のチャートを駆使するとどう考えても、為替の大転換点は07年の夏、しかも6月の第3週目ということになる。
つまり今日なんです。
これがいい加減なエコノミストでしたら『向こう2~3ヶ月のうちに変化が起こるでしょう』なんて適当なことを言ってお茶を濁すところでしょうけど、私の考えをどうまとめてもそういう言い方はできない。
もう、今すぐ講演を止めてそこの窓から飛び降りたいような気持ちでこんなことを言っているんですが。
前回もタイミングを外したのは『ほぼ絶対』の確信があったのだが相場の神様が『人間ごときが予想をするのは、おこがましい。ちょっと外しといてやれ』と意地悪をしたとしか思えない。
今回もそんなことになる気がしないでもないが、来週開けに一ドルが123円の60銭台より上をつけていたら、『若林の奴どうする気なんだ?』とちょっと気にかけてやってください」

若林さんの講演はまさに汗が吹き出すのが分かるような内容だった。
結局今回も『相場の神様』は意地悪をして、およそ1ヶ月若林さんのタイミングを外したようだ。
しかし投資顧問業としては、それはどうでもいい問題ではないかもしれないが、経済はどうなるのだろうかという視点で見ている私から見れば
「タイミングの問題はいつも多少のずれがある。それよりもどちらの方向に向かっているかが重要だ」
と割り切っているから、この若林さんの論は非常に興味深い。

これで分かることは、
1)この為替の動きは一時的な調整なんかではないということ
2)円高、ドル安の圧力は実は想像以上に非常に強いこと
3)円キャリトレードなどという一時的な圧力弁が壊れたら、相当な水準まで為替は戻すことになること
などが言えると思う。

若林さんは結果的にタイミングは外したが、123円台の後半が為替の天井という水準は見事に的中させている。
しかも5年のチャートを見てみると今回の円高ドル安は、この5年の円安トレンドのガイド線を一気に突き抜けてしまった。明らかにリズムも変わっている。
若林さんのメソードを敷衍するなら、7月後半以来のこの下げが転換点になってこれからはしばらく円高、ドル安のトレンドが続くということになる。
しかもひと月ふた月なんてレンジではなく、最短でも4ヶ月、あるいは1年半とか2年とかそういうレンジのトレンドになるかもしれない。


ここでもうひとつ若林さんが面白いことを言っていた。
アメリカのサブプライムローンのことだ。
このサブプライムという言葉は、この数ヶ月急にアメリカでも浮上してきた言葉だった。
それまではあまり聞いたことがない言葉だったが、問題になっていなかったわけではない。
というよりも昨年も一昨年もその話は実は聞いたことがあった。
当時は「クリエーティブローン」という言い方をしていたと思う。

この「クリエーティブローン」というのはすごい言葉だなと思った。
まさに「金融を創造」するのだという。
「クリエーティブ」という言葉には前向きなポジティブな響きがあるが、このクリエーティブローンの業者たちがあまりにも「創造的」過ぎたために「クリエーティブ」というポジティブな言葉を使うのは止めて「サブプライム」つまり「副次的な」あるいは「二義的な」という言葉を当てはめるようになったようだ。

アメリカの住宅がバブルになっているというのはかなり前からいわれていることだ。
「これはバブルではない、フロス(小さな泡)だ」
という意見もある。
それはともかくアメリカの都市部で住宅価格が一気に上昇したことは間違いない。
その時にこのクリエーティブな業者たちは何をしたかというと、この含み益でふくらんだ住宅ローン契約者にさらに追い貸しをするということを始めた。
住宅を100%ローンで買っても、200%に値上がりすればそれを担保にして100%ローンを組み替えることができる。
しかしアメリカ人はこういう時に繰り上げ返済なんかしない。
その含み益を担保に車を買ったりセカンドハウスを買ったりする。

その営業も「家を担保に車を買ってはどうですか?」と戸別訪問するなんて穏やかな方法はとらない。アメリカの業者というのはもっと荒っぽいのだ。

若林さんによるとNYのマンションに住んでいると、こういうローン業者から封書でいきなり「小切手」が送られてくるそうだ。
これは模造品なんかではない。
50000ドルという額面の小切手がいきなり送りつけられてきて、そこに自分の名前を裏書きして銀行に持っていくと本当にその額面の現金に換金できるんだそうだ。

最初は500ドルとか1000ドルとかの小切手だったのが段々エスカレートしてきて、10万ドルとか20万ドルの小切手というケースもでてきているそうだ。
そういうすぐに現金に換金できる小切手が、ポストに投げ込まれていたらどうなるだろうか。

金融について知識がある人だったら、こういうものをうかつに使ったら後が大変だと思うだろうけど、アメリカはあらゆるレベルの人達が雑多に住んでいる国だ。
あまりリテラシイが高くない人がこういう10万ドルなんて額面の小切手を突然手にしたら、もう一族郎党で喰って呑んで車買って、別荘買ってそれで結局返済ができなくなってしまう。

そういう本来貸してはいけないような人にも貸金をする市場を「創造する」というのが、「クリエーティブ」なローンであり、そういうクリエーティブな業者に資金を貸し付けるのがサブプライムの市場ということになる。
こういうところに資金を用意するのは、大手の金融機関は直接貸し付けができない。
信用格付けの問題があるので、ジャンクボンドにはお金を貸せないとかの制約があるからだ。
しかし別の投資ファンドを通じれば資金を流入させることができる。

こういうところにお金を貸していたのは、少なくとも一昨年までは「オイルマネー」だった。
オイルマネーは主にヨーロッパの投資ファンドを通じて、こういうところにどんどんお金を入れていた。
だから一昨年には
「住宅バブルが破裂しても損をするのはアラブの石油王でアメリカの経済には影響がない」
なんてたかのくくり方ができた。
しかしこれが空前の利益を上げていたので、実はこれを見たアメリカの金融機関も相当足を突っ込みはじめていた可能性がでてきた。
これがアメリカ発の信用不安の正体だ。


しかしヨーロッパとアメリカはそういう不安を持っているが、日本株にはそれは関係ない話だ。 アメリカのクリエーティブローンが破裂しても、日本の企業には何ら影響はないはずだ。
円高不安で日本株が売られたという解説も見かけたが、それは違うと思う。
日本企業はもうアジアの各エリアに充分生産拠点をヘッジして、円安でも円高でも利益が出せるという仕組みを相当作り上げている。
これは以前、日本貿易振興会の統計ということで、幹事社の双日総研の吉崎さんの話として紹介したことがある。今や日本の最大の輸入品目は、機械と機械部品なのだ。

だから円高になるということは一概に日本経済にマイナスではない。
むしろ前述の通りここのところの円安が行き過ぎた水準だとしたら、日本企業はそのヘッジをしているはずだからあまりこの円安ポジションが続くとその仕組みを維持できなくなる。だからこの円高はマイナスではない。

なのに日本株は売られて一日で874円という久しぶりの大型崩落を経験した。

どうやらこれは円キャリトレードを解消する必要が出たり、サブプライムの広がりが思ったよりも広く深いということが微妙に明らかになってきたりで、世界中で同時多発的に資金がショートしているということが原因のようだ。
その時にとりあえず一番処分しやすい、しかもその流動性ゆえに一番先行きがよくわからない株からとりあえず処分しようという圧力が強かったようだ。
特に方向感が一番分からない日本株から順番に処分しようということが、今日のウリだったようだ。

でもそういう理由だとなんだか短期の調整のように見えるけど、ヘッジファンドが売り浴びせるとこんなに下がる市場だということも明白になってしまった。
ヘッジファンド以外の外国人投資家が、これからしばらく日本の市場で買い向かうということはないんじゃないだろうか。
今はみんなそんなに余裕がないから、そんな鉄火場で喧嘩はしたくないというのが正直なところだろう。
そうだとすると、これからしばらくのトレンドはどうだろうか。


私はあくまでこの分野については素人なので、『あと講釈』だけに留めてここから先の見通しなんて話は書かないことにする。
そんなことができるとも思わないし。
ただ一部の「一時的な調整」という見方にはあまり賛成できない。
なんとなくいろいろなトレンドの方向性が変わった節目だったんじゃないかなという気がする。
それは多分1年半くらい経ったらはっきり分かることなんだろうけど。
その頃になったらまた今を振り返って『あと講釈』することにしよう。




<後日追記>
先日書いた記事がちょっと悲観的すぎたかなと思っていたのだけど、週が変わって月曜日に戻したことで逆に確信を持ってしまった。
日経平均で一時期600円以上の上げ幅になり、「安堵感が広がる」なんて解説まででてくるが、逆に今日も一直線に株価が下がってくれた方が「短期的な現象かもしれない」という可能性を考えたかもしれない。
しかも戻して半値の430~440円にあたりだろうなと思っていたらキッチリ458円のところにきた。
これってどうなの?
外国人は7月から売り越してたんだって。これもどうよ?



2007 年 8 月 21 日





anchor

Ciao
(Freeware)
OS10.4Tiger対応

Mac日記の日々さん経由で知った面白いスクリーンセーバ。

といっても普通のスクリーンセーバのように画面に幾何学模様や写真を表示するというのではなく、これは起動したらカウントダウンを始めて自動的にログアウトするという常駐アプリのような動きをする。
これは面白い。
それに実用性もある。

パソコンの前を離れた時のセキュリティをどうしているかというのはこれから結構な問題になるはずだ。
デスクの前を離れた時に他人に勝手に操作されないように、デスクトップにロックをかけたいという時にどうしているだろうか。
私はSparkを使ってログイン画面に
コマンド+option+Qキー
というショートカット一発で移動できるように設定している。
これは便利だ。
ログアウトではないので、移動に時間がかからないし復帰するのもパスワードを入れるとファーストユーザスイッチで一発で復帰できる。
それにデスクトップに復帰するにはログインの時と同じパスワードを要求されるので、セキュリティ面での安全性も高い。

ただいつもいつも席を離れる時にこれをやっているわけではない。
ほんの一~二分の離席のつもりが、結局しばらく帰って来れないという時にこの画面に自動的に入ってくれるとさらに安全性が高いのにと思う。
そういう時のために、スクリーンセーバには復帰する時にパスワードを要求する設定にもできるのだが、このスクリーンセーバにパスワードを掛けるというのは便利そうで実はあまり便利ではない。

スクリーンセーバにすぐにはいると脱出にいちいちパスワードを要求されるので、結構めんどうだ。特に以前ホットコーナーを設定していた時にはイライラしていた。
安全のためとはいえ、引き換えの不便が大き過ぎると感じて結局このスクリーンセーバでロックをかけるというのは止めてしまった。

このCiaoが良いのは、スクリーンセーバが立ち上がってログアウトをするまでにカウントダウンをしてくれることだ。
だから操作に間が開いて、スクリーンセーバが立ち上がってもいずれかのキーを叩くかマウスを動かすだけでセーバ画面から抜け出ることができる。
デフォルトではこのカウントダウンは2分になっている。
私の感覚では2分も要らない。
ログアウトしますよということを警告してくれればいいので1分でも充分だ。

またモードとして、ログアウト以外に終了する時に「終了してもいいか?」という確認タグが出るアプリやプロセスも強制的に終了させてログアウトする強制ログアウト、ログアウトしないでログインを維持したままファーストユーザスイッチでログイン画面の表示に移動する「ファーストスイッチ」モードが使い分けられる。

私は復帰の早さや、作業中のプロセスを終了されないなどの理由でこの「ファーストスイッチ」モードがお気に入りだ。
これは愛用させていただくことにした。






Ciaoのインストール法、操作法、設定は普通のスクリーンセーバと同じだ
オプションをクリックすると設定画面に入れる
ログアウトするまでの時間、ログアウト以外のモードもここで設定できる





スクリーンセーバが立ち上がるとこのように画面に
スモークスクリーンがかかってカウントダウンが始まる
このままほっておけば設定通りのログアウトを実行するし
キーボードやマウスで何かの操作すれば簡単に解除される
ログアウトすればデスクトップはパスワードで守られるので安全性も高い
これは便利だ






anchor

NowPlaying
(Freeware)
OS10.4Tiger対応

iTunesのビジュアライザープラグインのiVisualizeのプロジェクト。

CDケースとスペクトルアナライザーを表示する。
それをCoreImageっぽいリフレクションの背景にかぶせて表示するというOSXならではのフルフィーチャなグラフィックだ。

インストールに先立ってiVisualizeをインストールしておかないといけない。
iVisualizeをインストール済みなら
"~/Library/iTunes/iVisualize/"
というパスにこういうフォルダが生成されているはずだから、ここに本体を入れるだけでいい。
次回からiTunesを起動するとiVisualizeを選んでオプションに入るとNowPlayingが選択できるようになっているはずだ。






NowPlayingiVisualizeをインストールしている必要がある
インストール済みならiVisualizeというフォルダの中に本体を入れるだけでいい





iTunesのビジュアライザをiVisualizeに選択して
オプションに入るとリストにNowPlayingが見えているのでこれを選ぶ





NowPlayingはジャケットアートをジュエルケース風に表示するiTunesビジュアライザ
スペクトルアナライザー、リフレクション風の背景と豪華な組み合わせだ
感心したのはジュエルケースのテカリを表現していること
こういうのは無かったんじゃないだろうか





再生中に1~4の数字キーを叩いてみよう
「ワープスター」「ミスト」「フレーム」「ウォーター」のエフェクトが背景に追加された
これは「ウォーター」の背景エフェクト





こちらは「フレーム」の背景
曲の気分で使い分けると面白い





こちらは「ワープスター」
キーコマンドのメニューはshift+?キーを叩くと解説が画面に現れる
他にジャケットを非表示にしたりスペクトルアナライザーを非表示にしたりなどが選べる








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